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近藤蔵人 が 想うこと(1)



更新日:2015/12/18

近藤蔵人さんのエッセイが一冊の本になりました。

 当ページで紹介している近藤蔵人さんのエッセイが一冊の本になりました。本のタイトルは「漂泊と自由」。当ページで紹介したエッセイを含む全38の珠玉のエッセイ集「漂泊と自由」、手に取って読んでみてはいかがでしょうか。
 A5版、全243ページ、価格\1,500(消費税込)

 お買い求めは下記方法で。
・戸田書店で購入(伊勢崎市連取町)
・直接本人まで(〒372-0006 伊勢崎市太田町1015)
・当サイトからご注文の場合には→こちらにその旨をご記入ください。

 頒布に当り、近藤蔵人さんが寄せた文章を下記に紹介します。

 ほとんど私的エッセイであるこの本のタイトルに「漂泊と自由」とは、いささか大仰だととられるかも知れません。
 私は生業を持ち、家庭をほんの少しいつくしみ、そのような生活に漂白は似合わないだろうと思います。しかし、ある日のこと、娘の結婚の準備に上野公園の蓮池の周りにいる浮浪者たちの中を歩いていると、長椅子に横たわりハードカバー本を読んでいる人を、何気なく見ていたのでしょう。家内が「あんな生活にあこがれるのでしょう」と、つぶやきました。本人に理解できないことはないのですが、あからさまに言われる覚えはないのです。本人はそう言う行動をしていなくても、常日頃そんな雰囲気を醸し出していたのかも知れません。

 私には、哀しみに染まらぬ童であった私たちの生活がこんなはずではなかった、通るべき道を間違ったのではないか?と、常に違和感がありました。震災後、これではいけない、このままではいけないと、作文を書き始め、常日頃感じていることと、漂泊者と狩猟者の記載のある文章を引用して、私が感じた肩の荷が下りる覚えを表せないかと文を書いてみました。

 ご高察を承りますようお願いいたします。
2013年3月
近藤蔵人

漂泊と自由」表紙

漂泊と自由」裏表紙

漂泊と自由」、内容の一部。文と絵・近藤蔵人

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(2)→下記エッセイはこちら
東京プレリュード|海と絵|成人の思想|無事にと願うこと|招へいしたくない未来|サッカーを見終わって|民主的と封建的|知性|ちあきなおみのこと(「なめらかな社会とその敵」・鈴木建を読んで)
(3)→「上流志向と下流志向」
(4)→「質感」
(5)→「グローバリズムの罪」
(6)→「喜怒哀楽」
(7)→「紙一重とIQ」
(8)→「怪 談」
(9)→「おかあさーん」
(10)→「10匹の鳥小屋」
(11)→「多様性」
(12)→「歓待」
(13)→「フィロソフィー
(14)→「断崖絶壁
(15)→「同窓会
(16)→「美しいサッカー
(17)→「夜のお話
(18)→「生れてはみたけれど(完結編)
(19)→「粟島物語
(20)→「
(21)→「骨太宣言・三本の矢」僕たち牛乳?
(22)→「煙草をたしなむ
(23)→「知ることの楽しみ
(24)→「気配および気について
(25)→「知恵熱
(26)→「小原庄助さん
(27)→「魂遊び
(28)→「花のことば
(29)→「優雅な勤め

はなちゃんへ(おさなごへの手紙)良妻について新郎の父でございます感覚と充足恋しき石器時代象徴力魚釣り小学生の子供たち 答え役に立たない日々ひまつぶしたましいという漫画と綺麗と息つく暇なし18年1月15日結婚話3題こどもたちへ夏の物語
僕らのいわゆる内面というものより、世界は美しくある。
脳科学者である茂木健一郎さんは、石ころでも空でも
空き缶でもとにかく万物は生きているということを
描くことが出来れば
きっとその絵は名画になるだろう、という。
風と熱と土と水とで成り立つこの世界には
悪意は存在しないということだろう。


■はなちゃんへ(おさなごへの手紙)■

こんにちは。
はなちゃんがお家に帰って12日すぎました。
それから、おじいちゃんは、毎日おしごとをしています。
きょうは、ぺねろぺのDVDをはなちゃんにお送りします。
どうしてはなちゃんに贈りものをするのか、いまから お話します。

はなちゃんと、じゃんけんをしたときのことです。
はなちゃんが、じいちゃんに「ちょきをだしてね。」といいました。
おじちゃんは、はなちゃんに「はなちゃんはなにをだすの?」とききました。
はなちゃんは、「ぐう」といいました。
それは、とりもなおさず、はなちゃんが勝つつもりでいるということです。
でも、おじいちゃんも勝ちたかったのです。
初めから、出すものがきまっているじゃんけんなんて、うそっぱちだと思ったのです。

それから、二人で「じゃんけん、ぽん」と出しあいました。
はなちゃんは、とうぜん、じいちゃんがちょきを出すと思っているので、ぐうを出して勝ってよろこぼうと、お顔がよろこびの準備をしていました。
しかし、じいちゃんは、ぱーをだしていました。
そのときのはなちゃんのおどろきと、信じられない、という心の叫びと、おじいちゃんのうそつき、というこころのつぶやきが、いっぺんに、おじいちゃんは解りました。

そして、その顔を見ておじいちゃんは後悔しました。
こんなにびっくりさせてほんとうにごめんねと、思いました。
はなちゃんは、それからお爺ちゃんの顔をみないで、あらぬほうがくを見ていました。
しばらくして、はなちゃんは
「もう、じいちゃんなんかだい嫌い、ぜったい、あそんでやんないから!」と、おこってしまいました。
しばらく、じいちゃんに話をしてくれないはなちゃんに、なんども、なんども、「ごめんね」とあやまりましたが、許してくれません。
「もう絶対にしないからごめんね」
と、いってもじいちゃんの顔を見てくれません。

だから、はなちゃんに「うっかりペネロペ」を、お送りして許していただこうと思ったのです。「はなちゃん、ごめんね、もうしないからね」とおじいちゃんは、頭をさげます。

でも、でもだよ、はなちゃん。
おじいちゃんもペネロペの様にうっかり者だから、いつ、おじいちゃんの頭の中から悪者が出てきて、意地悪するかもわからないので、
先に、いじわるするかもしれないけれど、ごめんねとあやまっておきます。
てへ!!

いつまでも遊んでもらいたいおじいちゃんより

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■良妻について■

 せがれの結婚式に、父親のあいさつ文を考えました。思案の末、推敲を重ねて、結婚について書いてみました。書き上げた文章は、緊張して思ったように表現できずに、文面を見ながら読むだけになってしまい、滑ったと悔やんでいると、最後の送り迎えのところで落ち込んで佇んでいるところ、若いおねえちゃんが、お父様のスピーチ感激しましたと、おほめの言葉をいただいたのですが、お世辞としか感じません。
 気に入った文章を思ったように話せなかったのが残念で気が晴れません。
 長女は、しもんの父ちゃん深いねーて思っているよと、慰めてくれますが。

 その文章は、良妻については書かれていません。悪妻についてだけ、書いたものです。それなので、ここには、良妻について書いてみます。

 江戸後期から明治20年ぐらいまでに、日本に通商の為やってきた外国人の言葉を集めた、「いきし世の面影」渡辺京二著という本があります。やってきた彼らは、母国を代表するエリートたちです。
 そのかれらは、日本人について「幸福そうで、不満がなく、気さくで、清潔で、機嫌が良く、笑いこけ、心の底まで陽気で、不機嫌でむっつりした顔がなく、心労がなく、世の中の苦労を気にしていなく、愛想が良く、親切で生き生きとしている。また、礼儀正しく、純朴で、天真爛漫だ、それらは、日本を楽園のように思わせる」と述べている。
 毎日の生活にお金がかからず、生活が開放されて、親和と連帯が生じている、また、礼節によって生活を楽しいものとしている、ともいいます。

 儒教や、浄土真宗などの近代仏教の、煩悩のままで、浄土に行けるという教えによって、自意識に悩まなく、そのままで良い生活に起源が有るように思います。
 その中に出ている「イザベラ・バード日本紀行」「モースその日その日」、「神国日本」等の小泉八雲本、読むも、こんなすばらしい、今現在の希望とする生活が日本にあったと思うと、その人々の行いに涙を禁じえません。
 彼らは、貧乏だけど貧困という苦しみは持っていない。楽しみは、相手が楽しんでいるその楽しみを作りだし、また、見ることだけです。(初期の恋人たちは、実践していますが、すぐ こころがわりしてしまいます)

そうです、これです。

 「相手が喜ぶようにのみ行為し、その喜ぶ様を見ることだけが、自分の喜びとする」という女性が、大勢いたようなのです。それが、愛妻、愛夫のすがたではないかと思います。
外交通商の外国人が見てきた、そういう世の中があったのです。
 (我々の母親も、子供に対しては、自分の楽しみは子供たちの楽しみを見ることだけだったように思います)
 (末っ子の僕は、母親が食べないで見ている、そんなことを感じもしないで、すき焼きの肉を食べ尽くしていました。)
 先の、日本人が好きなとってもチャーミングと言っていいと思われるモース先生(東大生物学教授)は、この1000年なんとする期間を使って作られた日本の美しさは、西洋化と共に失ってしまうだろう、と、その記録を残すことを思い立って、「モースその日その日」と「日本の住まい」を、執筆しました。
 (実は、モース先生のお師匠さんが、君の生物学は代わりに誰でも調べられる、しかし、今まさに滅びんとする、日本の美風を君が書き残さないで誰が残すと、叱咤されたようなのです)
 やはりというか、しかしというか、モース先生の言うとおり、母親の個性も自立も主張も楽しみも今となっては、捨て去ることはできないことですが、子供の為のだけの母親像ではなく、母親も自分の人生が存在するようになり、人の楽しみより自分の楽しみに重点が置かれる時代となったのです。

 世界的にも悪妻化、悪夫化は避けられません。それは、ソクラテスのいうとおりです。
 人は、そこで 哲学者にならざるを得ないのです。自分というものはどういう風になりたっているのか?
他者との関係と嫌悪の理由、自己の欺瞞と我執、江戸は過ぎ去りましたが、理想とする関係性は存在したのだから、しょげることはありません。未だに 諸外国と比べた時 余韻は残っているのですから。

 添付文はかように、実際に使った結婚式の挨拶文ですが、お読みになってください。

2011年5月
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■新郎の父でございます■

 すこし 結婚の話をさせていただきます。

 クサンチッぺという奥さんに「うだうだ言ってないで仕事をしなさいよ!」と言われ、ついでに背中などをボコと蹴られたのがソクラテスです。
 そういう生活のソクラテスは、弟子に「結婚いいじゃない、どしどししなさい」と言っております。
 「良妻なら 幸せになれるし、悪妻なら 哲学者になれる。」というわけで彼は哲学者になったわけではありません。
 考える人になれたから、この発見をしたのです。そしてこの知見は、紀元前から現代、また未来まで続く箴言です。
 ソクラテスのこの言葉から自由でいられる人は存在しないのではないでしょうか。

 今、結婚に踏みとどまっている人たちが大勢いると聞きます。
 「結婚は、歯医者で入れ歯を入れる行為に似ています。入れ歯を もっとぴったりしたものがあるはずだと交換する人と、自分の歯でないので、このぐらいはしょうがないと、あきらめるひと。」
 その違いが結婚を決めます。親としましては、結婚をしてもらって、やっと 子育て完了ですから、結婚をしてもらわないと困るわけです。
 我慢が古い論理で、自己実現が幸せの元、とは考えちがいです。自分の思うようになることが幸せ、と考える時が来ています。
 自己実現とは思うような品物を手に入れることではなく、かつての、修行僧が山に入って我慢を積み重ねて得た境地です。
(震災に遭われた東北人は、今まで以上にがまん強くなり、都会に住むわがまま人との格差は、開くばかりです)

 そこで、もうひとつ、ジャワの国が出来るときの神話で締めくくります。
 神は泥で男を作った(男は泥なんです)、女を作ろうとすると泥が足らなくなったので、創造神は世界を見渡して、女を作る材料を探しました。そこで 「太陽のように暖かく」、「月のようにまろやかに」、「蛇のうねりのようになまめかしく」、「蔓(かずら)のようにからみつき」、「草のようにふるえ」、「大麦のすらりとしたかたちを持ち」、「花のように香りがただよい」、ここにいる女性は、心当たりがあるでしょう。
 「木の葉のように軽快で」、「ノロ鹿のようなまなざしを持ち(この鹿は目が可愛いのです)」、「月光の快さとたのしさを持ち」、「風のようにすばやく」、「雲のように涙ぐみ」、「わた毛のように華奢で」、「小鳥のように驚きやすく」、「さらに 蜜のように甘く」、「孔雀の虚栄心をもたせ(虚栄心を、持たせたのですね?)」、最後に「ダイヤモンドの美しさとキジバトの鳴き声をとりました」、すごいですね。

 これらの特性を混ぜ合わせて女を作り、これを男に妻として与えた。
 男が欲しがるもの満載です。神も男なんでしょうね。男は 喜びいさんで連れ帰ったことでしょう。

 しかし、男は 数日して神のところにやってきて、女がのべつ幕なししゃべり続け、ほんの少しのことでも文句を言う、我慢がならないと、うったえました。
 神は、それならと女をとりあげた。すると男がまた来て「さみしくてたまらないから返してほしい」と、神に頼みます。神は妻を帰してやりました。
 しばらくして男がまた来て、「私はあいつと一緒に生活できない。。。。さりとて あいつなしでも生活できない」と嘆くので、二人が一緒に生活できるように全力をつくせ!と神はさとしました。

 これで この神話はおわりです。

 この神話を聞くたびに、男たちは、女の魅力を思い出し、女たちは、自分たちの一つひとつの特性を、再認識したのでしょう。
 わたしたちは羽根のようにきゃしゃで、雲のように涙ぐみ、蜜のように甘いと。それが この神話の目的です。

 女の人は、そこにいる孫のはなちゃんから、その横の90歳を過ぎた家内の母親でも、この神話の女性の特性を持っています。
 家内の母親も綿毛のようにきゃしゃです。孫のはなちゃんなどは、小鳥のように驚きやすく、三歳にしてクジャクの虚栄心を持っています。

 男と言えば、泥でつくられたからか、幼稚園のころ、中学のころ、おとな、老境とそれぞれに経験を積んで変化。成長しなければなりません。

 この神話は、はかりごとであろうとも、女性の魅力をいつまでも信じてさえいればうまくいくのではないか、と、伝えているのです。

 そういうわけで、神も手を焼く夫婦の間がらです。
でも、二人で何とかしろとまねて言うよりありません。

 遅くなりましたが、二人の為に、おいそがしい所、遠路お越しいただきありがとうございました。

 かように 二人は何とかやっていくでしょうから、暖かい目でお見守り下さい。宜しくお願い致します。

2011年5月

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■感覚と充足■

 仏教にもキリスト教のように宗派が多数あり そのなか 原始仏教に最も近いといわれている上座部仏教 後に大乗仏教が小乗と揶揄した宗派だが 座禅の組み方を判りやすく解説している。座する前に右手を上に上げてそのまま水平まで降ろすとき 下りる手に感覚を集中してそのまま腕をおろして座禅とする。無心になるとは意識をなくすことではなく、感覚に集中することらしい。そうして 有象無象を想念することなく感覚だけに頼ると気持ちが晴れやかになり悟りへの一歩となるようだ。
 そうか まず 手始めの座禅とは考えることをやめられない人に(そのほとんどは 自分の思うとうりにならないことをどうしようと考えることのようだが)、無心や無になりなさいと言っても無理なので 感覚を正面にすえることにより意識をスミに追いやることなのだ。感じることに集中すると 常に思い煩っているシナプス回路が途切れてくるのだろう。

 だが これは 座禅だけの技ではないのではないだろうか・
 たとえば 魚釣り 来週の支払をどうしようと時には意識に上るが たいていは 竿と竿先と糸と針に集中している。えさが水中を漂い底にかすったり流れに漂ったりする様をかならず想像できないと釣りとはいえない。感覚だけの存在と化す時間がほとんどだ。そのせいで 釣行のあと晴れやかに仕事に励めるのだろう。仙人が淵に腰掛けて竿を出している図があるが仙人とは霞を食って生きていけるが 彼らは竿と糸とをアンテナにして宇宙と交信しているという。宇宙とはばらばらなものが時々衝突する空間だそうだが魚が釣れることも衝突の一種なのだろう。
 また 美術展でカラバッジョなど見ると帰りの電車が心地よいのは 作品の質の良さは当然だが リードのいう作品を見るときは無心でなにものの思い込みも持たないで感覚だけに頼りなさいということであるのではないだろうか?
 感覚が作者の感覚と触れ合って作者の生きているその存在にふれるからなのだろう。そのときには カラバッジョがそこまでやってきて描いたもののいちいちが私たちに交信してくるのだ。
 絵画はつい意識でみがちだが 音楽にいたっては 音には固有の言葉にはならない作者の息づかいや悲しみが伝わるがそれは 作者の恍惚 愉悦を通して現れ(もはやそこには意識は存在しない)われわれは そのなかから脳のどこかを通ることなく直接こころに響いてくる。

 かくいう さほどに 感覚は人には重要な機関である。


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■恋しき石器時代■

 冒険映画の中にジャングルの奥地に探検に出かけると真っ黒な体に赤や青の色を塗り、頭には鳥の羽根、首には骨や貝殻の飾り物 何十人もの飛び跳ねたり闊歩したりして 儀式を執り行っているというシーンがある。中央には焼いた鹿の肉、なにか得たいのしれないものへの畏敬とそれへの同調なのだろうか?、村中が集中して獲物の死と食することの感謝を祈っているのだろういるか?
 彼らは 数十人規模で集団生活を営み、女子供は芋やら食用の草を採集し、男は狩に精鋭が選ばれる。弓やらヤリでとどめを射すもの、逃げないように左右を守るもの、突進して向かってきたとき押しとどめるもの、そして それらを指示するものなどに分かれて何時取れるか知れない獲物を捜し歩く。数週間の末一匹の鹿が取れると、男たちは肩に担ぎ意気揚々と帰途に着き村では聞きつけた者たちが収穫の喜びを表す。生き続けるために必要なタンパク原が村中のものにいきわたると戦士たちは祝福される。彼らは自分の為に狩をするのではなく、村のもののために狩をする。

 サッカーで最も不思議なことは アウエーとホームという概念のあることだ。
 ほとんどのゲームや競技は勝つことが目標だが、サッカーだけはアウエーでは引き分けで十分なのだ。嘗てタイに遠征に出かけた日本の英雄海老原やフャイチィング原田は引き分けなど負けと同じと考えていたはずだ。
 ホームでは勝たなければ観衆は怒りを表す。また 勝つようなモチベーションで戦わないと、ビンやらが飛んでくる。だがアウエーでは相手に勝たせればよいと見間違うほど、守備に専念している。観衆のための競技なのだと思う所以である。観衆が同族である限りにおいて。

 コンクリートジャングルの中、地面から唸りがおこるような怒声や、歓声がおこる。それは 頭に色とりどりの羽根や被り物に、顔や胸にペイントした老若男女が自分の国のチームを鼓舞したり怒鳴りつけたりする音だ。サッカーのワールドカップはこうして先史時代を再現する。観衆の中狩猟する戦士は獲物をボールに変え、収穫をゴールという概念に変換しているだけである。
 何十万年という狩猟採集期間が体内に記憶として残っていても不思議でない。目から出る涙が鼻からでるとは魚類が余剰塩分を排出する仕組みとして残っているのだから。
 食うという行為が快楽であると同時に狩猟行為が快楽なのは自明なことである。サッカーは狩猟をゲーム化することで人として最も根源的な食うということに結びつけられるからこそ、最も多数のファンが存在して、もっとも強烈に歓喜できるのではないだろうか。

 スポーツは突き詰めれば肉体が行うもので センサーや指令は脳が行うとしても、「あ!痛い」と棘に刺さった指を動かしたときは、脳が指令を出す前に指は離れている。競技もそういう面があるので脳優先とばかりは言えない。
 先史時代以前からの生活の中にある戦うという本能は、人が大脳辺縁系や原始脳といわれる部位があるかぎりなくなりはしない。しかし文明が戦いを野蛮なものとしたとき、ルールを制定してスポーツとして生き残った。そんなスポーツの中 野球は一振りで4点取る特別ルールによって狩猟を連想することは出来ない。言えば資本主義社会の一獲千金を創造させる。そのところに地球規模で親身になれない理由ではないだろうか?
 この大会でイングランドのオーエン選手が怪我をして保証金が支給されるそうだ。週給2000万円と新聞に乗った。ということは 月給では?と余計な計算をしそうになるがオーエンが広大な貴族の土地を買いそこへ親戚の邸宅を建てバカンスには親戚友人一同で出かけると耳に挟んでいるが、彼らサッカー選手は上記の意味において我々の代表であり、儀式としては神子ともなり、懐かしき野蛮時代を彷彿とさしてくれる呪術師であるのだから、村上何とか堀江なにがごく個人の私腹の為と道理が違うのでサッカー選手が妬まれることはものを知らない輩の考えることである。

 「人の幸福は野蛮に由来し、人の不幸は文化に由来する」という。
 野蛮なるものが自然全体を指し。文化なるものが人が作ったものを指すととらえると分かりがいい。われわれは季節ごとに花見をし、海水浴に行き、山に登り、紅葉をめで、冬になるとスキーをし、温泉を愛し、釣りに耽溺する。都会に辟易したとき、かのような行為にこころの落ち着きを求める。
 実は人類は意識上都会や人口を愛しているが、意識の下無意識では石器時代に憧れを抱いて生きているのではないだろうか?人工的なものの中だけで生存は、例えば人工衛星などの中で一生暮らすことを考えれば発狂しそうに思える、
 そういえば宇宙から生還した人たちは宗教に敏感になると聞くが、それは人工な空間とそこから見える宇宙空間や地球との格差が大きすぎて、人口空間に耐えられなくなったとき、見える自然を過大評価した結果宗教的になるのではないだろうか。

 中田選手がサッカーをやめるとメールにある。彼のサッカー感から考えるとしょうがないとも思える。スカパーを契約して初めて見た試合のユベントス戦の二点でまさにとりこになった僕には残念であるが。彼もその試合のような戦いを希望したはずが、ローマでボランチ役に戸惑い、ついにはその役をこなせるようになったら、ただ走るだけかよ!と判り、学生のころ何シーン先まで見えたあの感激もなくなり、代表では覇気のない日本人に悩まされ、要するに自分の希求するサッカーから離れてしまったのだろう。しかし サッカー界にいる限り神子であり続けるが離れるとただの人になることは避けられない。
 そういえばベルカンプも数タッチ先まで見える、そのとうりにボールが動く快感のことを書いていたが、この大会のブラジル戦誰も言わないが、サントスが玉田に好パスを出し玉田は二アサイド上にシュートを入れた。そのどれもが美しいものだが、転びながら右足で振り切った稲本のディフェンダー二人の間を抜けていくパスに驚きを感じる。何であんなパスが通るのだ!とね。
 呪術師たる由縁だね。

 獲物を追い込みとどめを指すフォワード、左右に逃げられないように追いかけるサイドバック、突進してきても押しとどめる屈強なディフェンダー、そのものたちに指示をだし 矢やヤリを補給するジダンたち、そんな空想を起こさせるサッカーという石器時代の残響。
 「われわれは誰にでも恋人がいるその恋人の名はノスタルジー」狩好きのへミングエーの言葉です。先のフランス対ブラジル戦が終わってフランスのフォワードアンリがライオンと戦った我々は完璧な守備だったと語っている。
 このとき初めて我々のために戦っている神子であり戦士であるサッカー選手は同族の誇りとなる。美しきステップ、未踏の地へのスルーパス、頑強な体躯、無回転の揺らめくシュート、サッカーがミスの連続で成り立つものであってもその一瞬の身体の動きが美しければ 我々は怒涛の歓声をその選手に届かせるだろう。我々のたんぱく質のために起こした行動が、我々の記憶の只中にある歓喜を呼び起こしてくれるのだから。


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■象徴力■

よく言われていることだが 政治経済は女子供の考えることと、しかし これは とんでもない言い草で 生命継続の為には誰でも必須事項なのである。だから 特に女子供ということはないはずだ。
全ての生命は 政治経済によって生きていけるから 人もそれと同等だということである。
アマリリスが野原に咲いているとしよう 大木の根元に咲くか 草原の中に咲くかは純粋に経済のことである、太陽と地中のエネルギーを必要とする彼女達にとって どちらが効率が良いかは長年の計算の結果なのだから、その上 大木が太陽熱の吸収上邪魔者になれば 上手く蜂を使って次の世代には広々とした草原に移動するだろう。そのとき 蜂を引き寄せる政治力学を使用しても アマリリスの悪徳にはならないだろう。
ことほどさように 魚類にしても 爬虫類にしても いわんや高等霊長類にしても 政治経済から 逃れられるものは存在できない仕組みになっている。
酒場でも 社内でも 日に日に変化する株価に一喜一憂することに 恥ずかしさなど持つ必要はないのである。首相が参拝するとか 北の国に怒りをどういう方法で表現するかはそれぞれに 解答を手探りで見つけ出さなければならないのである。全ての生命の宿命なのだから。(だから 小林秀雄は 生活が大変なのは そんなのは当たり前だよ だから 口に出すほどのことではないのだ と知らん振りをする)

でも 考えるに 全ての生命の宿命だとしても 人にはその 考えるとか想像するとか その他の生命に持ち合わせがないある特質がある。人と猿の違いは 人には象徴することが出来るという。その気質こそ人としてあることなのかもしれない。
それでは その象徴する能力を生かすにはどうすればよいのだろうか?
例えば 音楽家モーツアルトが奏でる音色には 政治経済で得るとくとは異なる美しさという感慨にひたれるし。17世紀の画家ラツールの荒野の洗礼者ヨハネの表情にある静けさには 世界は考える者には喜劇となり 感じる者には悲劇となる とウォールポールが言った感じる者の充満に心打たれる。
表現者として 彼らになるにはまず不可能と思われるが 感じる者として彼らを味わうにはすこしの学問で足りるのである。
文学者が世界の普遍を探り当てようと、時代の鏡を見つめようと大多数の時間を思索にあてるが 我々生活の民にも前提をくつがえすという考える行為は必要なのだ。
嘗て 大家族時代テレビや洗濯機や炊飯器と三種の神器といわれた便利機械が発明されてそれぞれの大家族に行き渡ると もっとより多く販売するにはと資本主義の頭脳がニューファミリー戦略を編み出し次男だけでなく長男までも自立して家庭を築き ファミリーごとに三種の神器が飛ぶように売れたのだ。そして 喜んで購入した新家族は大家族というわずらわしい生活から逃れて心底ほっとした。そののち ニューファミリーに行きわたると 一家に一台でなく一人に一台と戦略を変えニューファミリーは幸せから個性は大切戦略に移行して部屋ごとの電気製品を販売することに成功した。
これらは どこにでも起こるごく普通の政治経済行為であるが いつかは感知するとしても早くその戦略を読み取ってその前提から離れたいものだ、それが考えるという行為の一部分である。
人はどういうふうに成り立っているのか?
生き死にとはどういうこと?
自然はひとにとって何なのだろう。
狂った人間はもう狂わないというが そのものたちと同じように狂わざるを得ないのか
写真を撮ると魂を抜き取られると恐れた民は全ての物に魂が宿っているのだから 写った写真に魂が有るとするとその魂は被写体から移動するので ようするに抜き取られると思うのだ。山川草木すべてに仏心あり。とはよく言ったものだ。その考えでいくと アルタミラの洞窟壁画は世界にあるバイソンなどの神聖でかつ食物ともなる魂の呼び寄せであると思われる。

ひとであるとはさて こういうことであることだと私は考える。。
政治経済は動物的であり 人的であるとは 政治経済から一休みする時という。
やはり 政治経済は動物的である女子供とお似合いだ・・・・・というと波風がたつので
一括して ひとであるには象徴力を十分使うということに尽きるのではないだろうか?
そうでないと いくら高等な教育を享受していても動物的行動にあくせくしている限り人とは呼ばれないし 人としての感動も味わう事が出来ない。


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■春■

まだ 底冷えのする3月の朝 犬が臭いを嗅ぐ道草の中に 紫の小さな花が数個咲いていた。両側が堰堤の川の淀みに3,40センチもある鯉が上流に向かって尻ビレをゆるやかに動かしている。3月は例年まだ雪が積もることがあるのに 小花も鯉も大丈夫なのだろうか?濡れた雪の重みと冷たさに花は しおれ、鯉も冷水に腹を見せて目を大きく開け口をパクパクさせないだろうか?
2月のふとした あたたかさと 3月のそうしたあたたかさには 違いがあるのだろう。
間違いなく 3月には 生命の息吹がそこここに現れる。そのうち 何割かの命は早く目覚めすぎて一瞬の命を散らせるのだ。
もうすこし 本格的に暖かくなって目覚めればよいものを ほんのちいさな兆しに反応する命に 何を見つけて柔肌を厳しい残り冬にさらすのだろうか?と考えていると 
昨年読んだ イシス最期のインディアンの彼らの生活を思い起こした。
秋にタラフク食べ 蓄えられるものを 身辺に集め これからの長い冬に備える。
その 蓄えものも なくなり 今か今かと狩や木の芽の採集に出かけられる日を待ち望む。体は痩せ細り2月の太陽 3月の香りを嗅ぎわけ 雪がとけたある印の日 一人一人と野原に狩と新芽をつみに出かけるのだ。
彼らは 空を見つめ印の日を待ち焦がれているのだ、それは 食料が乏しくなった1月の中ごろから 毎日 春よこい 春はいつか? と 木々に問い 川の流れに訴え 太陽に願うのだ。春はいつになったらやってくるのか?と・そのとき 星たちは間違いのない春の到来を知らせる。夜 凍てつく足もと きらめく星の話し 
我々 が 石器時代を思い起こしても 冬と春の関係は これらのインディアンと変わらないのだろう。待ち焦がれる春なのだ。
春は最高のめでたさなのだ。

その 待ち焦がれる気持ちは 人々だけでなく どんな生命にも同じようにあるだろう。
紫の小花は 2月の末から一日たりとも来る春を願わなかったことはないのだ。
息も絶え絶えになるかもしれないその鯉は、上流から流れてくる雪どけ水に過敏に反応して 山は春だ もうすぐ虫たちが流れ落ちてくるぞ、と刻々の変化を感じ続けているのだ。
気温の変化で もう一度寒い冬がぶり返してきても 待ち焦がれるきもちに あせりはつき物なのだから 生死の堺は 食わずに餓死するか それとも凍死するか それは めでたい春を待つものたちの全ての 選択肢なのだろう。

僕達文化人は お正月もマンネリズムに陥り口先だけの おめでとう に 春も夏も秋も同じものを食べ、美味さ不味さに口先だけで興味を示し インディアンが食べたその春の一番最初の新鮮な木の芽にも 感動することはない。
季節を感じ続けること
到来する季節を味わい めでたさを満喫すること
インディアンは 何ヶ月ぶりに摘みたての新鮮な葉っぱを食べたのだろう。
春のめでたさは 一年の中でも 最も大きなもの
あけましておめでとう。はようよう迎えた生命の息吹の春のコトなのだ。

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■魚釣り■

 魚釣りは思うことあってこの五月に止めたが どうして人生の半分以上もこの行為にかけたのだろうと考えることがある。魚は買えばすむことだし、捕まえようと思えば釣りなんていう 原始的な方法でなく 機械式とか薬品的とか 電気式とかのやりかたで捕まえられる。そういう方法を考察せずに 細い竿の強度とか見えにくいハリスだとか とにかく竿糸針に執着する。これは 原始人類が発明したスタイルのままだ。
 それでも リールとか撒きえさ、浮きとかの付属部品に凝るものも 現れているが基本は竿糸針なのだ。
 また どうしてスポーツなんてものが存在するのだろう?サッカーは狩猟行為で 獲物をボールに変換し ホームをたんぱく質を何週間も待ち焦がれた我が村の同僚たちと捕らえると夢中になる動機が理解できる。アウエーは獲物の仲間か獲物を守る自然のこと。
 石器時代に行った状態を復元しているようだ。
 ボクシング、レスリング、など格闘技は肉体だけが価値のある狩猟期そのものだし。
 トラック競技が近代的だとはだれも言わないだろうし、バスケット バレーボール 等球技はサッカーに準じる。しかし 野球だけには 石器時代の親近感を感じない ホームランで4点も取るとは資本主義のサクセスストーリだ。
 では なぜ人は 近代合理主義を旗頭に行動しているにも関わらず 公然と石器時代的な行いをするのだろうか?
 山登りは? 海水浴は?
 もっといえば もみじ狩 温泉浴 どうして 木の家にこだわるのか どうして 子作りは生身のままなのか? 何故 自然食にこだわるのか?
 これら すべては われわれは 石器時代の生活が恋しいのだといっているようだ。
 疲れたときには 石器時代に帰る この法則が生きているようだ。
 この夏伊勢神宮を訪ねて見せなければ神秘性はあがるとした建物群をうっそうとした杉の巨木が守っていたが、あれらの巨木でない細い頼りない木しか植わっていなければこれほどの価値はないと分かると インディアンがいう 白人には分からないのだろうか?あれほど語っている木の話が と言う言葉の意味。
 イギリスでは落ち込んだとき タッチツリー木に触るとよいという。

 南米のインディオを連れた探検隊数日後 朝になってもインディオでかけようとしないので 理由聞いてみると 早く歩きすぎて魂がついてこないので待っていると言って動かない。たぶん 我々の魂は石器時代にいまだ居ついているので かの人のいわく 「我々の幸福は野蛮に由来し 我々の不幸は文明に由来す」とのべたのだ。


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■小学生の子供たち■

 小学生の子供たちは2,3年生までは僕と散歩する愛犬に興味を示す。それも男子で4年生女の子で5,6年生であの愛想がなくなり、時には 不幸のどん底のような顔をして学校に向かう。小学生時代ぐらい 人生華やかで楽しみに満ちていると思うのは どうも僕たちの時代のことのようだ。
 養老先生本に帰国する外人が口にする言葉に 日本人は生きていないと言うとある。それは サラリーマンが就業人口の70%を超えたその大人たちのことだと思われるが 生きていないのは もう10歳に満たないうちから現れると思う。
 どうやら 人々は高速道路を運転している神経で日々を暮らしているのではないだろうか
子供たちは大学へ行かねばならないので のんきに遊んでいられないのだ。
 アイザック ウオルトン卿が男親は子供に何も教育できないが 釣りだけは教えてやれると 青空と流れる川の流れに身をまかせ自然と一体になった至福のときを味わう方法を伝えたが、その 根源的な生の肯定時間を (釣りに限らず)終生もち続けることに必ず訪れる絶望のとき 助けとなるのだが、 警官となった母や父に監視されながら過ごす高速道路を運転するときのように緊張した毎日は 人生にはすばらしい時間があることすら知らないで大きくなる。そのうえ コンラット・ローレンツが言うには 現代人は不快に敏感で種類を増やしているが 快感に鈍感になり減らしている。と見る。これでは 人生何を楽しみで生きていけと 子供に教えるのだろう。 お金持ちになれば高級車が買えると真顔で教える親になるしかないようだ。

 今 子供の数よりペットの数のほうが多いという。
都会では 自分の思う通りになるペットを 可愛がるという超快感を少ない楽しみのうちの一つにするが それは 子供にも 妻や夫にも気をつけてものを言わなければならないが こと ペットにはどんな言葉も言いたい放題 その可愛がるといいたい放題がペットの最大の」魅力だが、そんな ペットのいないところがある。
 島だ。僕の知っている島の数はわずかだが 日本海の孤島粟島には ペットがいない。
500人を少しこえる島民には 言いたい放題のペットの代わりに大自然があるのだ。荒々しい冬の海、ゆったりとたゆたう夏の海 ウオルトンの生の肯定時間が目の前にあるのだから ことさら 自分をなぐさめるものを必要としないのだ。
 自然は住民に人工的な規制をかけない、人工的なものとは 物を作るとは いろいろな規制を守ることだ。コップひとつも ガラスの溶かし方 冷やし方 熟練工に習わなければ習得できない、そのことが 物を作る規制となる。その規制は見る者に君も規制をかけようと挑んでくる。
都会はその挑みに囲まれた空間だ。人工物だらけだ。
 石膏ボードとビニールクロス 薄くはられたフローリングにサッシのアルミ住宅のひとに挑む量はいや増すばかりだ。切れやすい子供の無意識の原因のひとつだと勘ぐっている。
 音の愛好家が言うには 乱反射の壁面が良いというのは 自然とは直線を嫌うというように乱反射だらけで 平なものはなく 木や紙や土の表面はざらざらした質感のものばかりだ。その自然の反響により近い音が良い音と認識する。
 また 光も 乱反射することで 紫外線のきびしさが和らげられ落ち着くといわれている。
 ことほどさように 自然によって落ち着かせられている島民に ペットなど考えられないのだ・(生活の厳しさは都会も田舎も変わらない)。また 床材を無節の柾目、内法材も無節、壁は機械で引いたようなまったいらな左官では、質感は自然素材でも それを選んで使ったという規制が自然観のじゃまをする。
 節だらけの木にざらざらした左官の一間にいると 好きに生きていいですよ と空間に説得されるので気持ちがいいのだと思う。節だらけで傷は目立たないし 壁もざらざらだから ひびがいっても 傷がついてもかまわないというように聞こえる。

 僕たちは美しいという言葉を忘れている。自然の景色に感激してもきれいという。しかし 綺麗はきれいにしなさい!を含んでいる。都会の僕たちに挑みかかるものが綺麗の本質だ。綺麗は人工的なものの形容詞として使われるべきなのだ。
 うつくしいはきたないことも含まれている、そして 相手との陶酔感がある。
 だから 自然をも綺麗といってしまうとウオルトンの肯定の意味が消えてしまいそうだ。
 モーツアルトを聞いていると 人工であるにかかわらず綺麗ではなく美しいという。そこに 芸術の意味 芸術は美を目指すが現れる。芸術は綺麗を目指さない。綺麗は工芸品につける」賛辞である。

 養老先生がこどもなど 原生林に一週間放り込めばどんなやつでも健康になるとおっかないことを言う。
 しかし そのぐらいのあら治療が必要なほど 子供が可愛そうだと思う。
 社会にでれば 生活は植物でさえ苦しいのだから人間が苦しみから逃れられるわけがない。イングランドの小説家 ウオールポールが 世界は考える者には喜劇と見え、感じる者には悲劇となる。という。そういう世界だからこそ 小学生ぐらい美しいささやかな瞬間を作ってあげるべきだと思う。

 この夏 伊勢神宮外宮に行った、20年の式年遷都が新し物好きで古いものが嫌いな国民性を作ったと考えているが、まず どのお寺や神社も犬をつれても何にも言われなかったが 入口で警備員にここは神聖な場所だから 犬はだめですと初めて告げられた。いいでしょう この土地の持ち主の好き嫌いもあるだろうから と 家内と別々に見せてもらったが大切なところは 隠して価値を上げるとか、何々だからここは権威があるだとか なんだか勿体ぶっている印象がおこった、それでだろうが 通路以外に 杉の巨木がいたるところに生えているのを見て、なあんだ 大木があるから あんた神聖って言えるんじゃあないの と、この木が直径10センチぐらいの高さが2,3メートルぐらいの木に囲まれていたら と創造するとこの桧皮葺の建物が 変に惨めに見えそうだ。
 そうだ もしかして われわれはこうして 木に守られているんじゃあないだろうか?とあらぬ 疑問が沸いてきた。サボテンで論じたように 木に備わっている感受性が我々を守ってくれているんだ、と そうだ 二酸化炭素を酸素にして供給してくれているのも 木ではないか。庭に木立があれば 夏の暑さからも守ってくれる。西北に生垣あれば冬の寒さからも守ってくれる。
 しかし 木は我々を守っているのだろうか。
使われているだけなのではないだろうか?
人類学者クロード・レヴィ=ストロースは
「仮に人類の過去を千年、二千年の間消去しても現在の歴史は変わらない。唯一その期間に生み出された芸術作品を失うことには耐えられぬ。」と述べている。
世界を見る目が幻影であろうとも、世界は限りなく美しいが故に、この世界を贈与された人類は、返礼としての芸術作品を生み出す。
世界を認識するため図らずとも、人類への友情のための
悪戦苦闘によって世界は人類とつながっている。

■答え■

 人は、とかく、自分自身の判断を理性的であると思っているが、小林秀雄が「人は無辺の闇の中の、方丈の理性しか持ち合わせていない」と述べているように理性的であることはまれだ。これは生を授かってすぐに、大いなる勘違いをすることから始まっている。
 全能感というものである。
 おさなごは、空腹という苦痛に泣き叫び、下半身が濡れたといっては、むずがる。それを、意思疎通のないままに、充足させる役目を母親が負っている。泣けば、暖かい柔肌に抱きかかえられ、口からは得も言われぬ生温かい生の印のような流動液がなだれ込む。耳には高音のやさしい愛情に満ちた音が響きわたる。
 世界はおさなごを中心に回っている、という自覚。それが、フロイトの言う全能感である。全ての子供たちは、この全能感を、生の初めのしるしとして持ち続ける。
 時に、三日三晩授乳させない子供が現れるが、(それ以上だと死に至るので)長じてトラウマとして、孤立感を生涯抱き続けるだろう。
 全能感もトラウマと呼べるものだが、ほとんどの人間に持ち合わせのあるものは、症例として呼ばないことになっている。(フロイトだけは、幼児に向かって精神症を患っていると言ったが)

 オリバーサックスの書いた「火星の人類学者」の中に、自閉症でも大学を出、動物学者になった女性がいる。他人の感情を読むすべに欠けるので恋愛は出来ないのだが、つらくなったら、布団にくるまり両側から圧縮する装置の中に入って、ぎゅーっと抱きしめられる感覚を味わう。すると心が十分充足出来るという。
 おさなごの、母親との接触はかくいうものであることは、感じ入ることができる。しかし、そのおさなごは、徐々に自分が権力者の位置にあることを願うようになる。泣けば授乳される快楽は、捨てきれないのである。
 自分の思うように世界が出来上がることが夢となり、お姫様と王子様に成るために生を受けたと無意識に思い続ける。
 ライオンのオスが新しく群れのボスになったら、前のボスの血筋の子供を殺す。自分が王であることを、証明するのだ。いつかは、王に成る。また、いつかは女王になる。この響きに、心ときめくのは、かく言う理由からである。

 成長するにつれ、世界は自分でも誰でもないところで動いているという認識を得る。これが、成熟の一歩である。
 人は、誰でも自分については無知で、なおかつ普通だと思っている。廻りにいる、行動の理解出来ないやつも、自分に無知で、自分を普通だと思っている。これが、二歩目の成熟だろう。認識の差が大きくても二人はそれがそれぞれ常識だと思っている。
 その隔たりを埋める方法はコミュニケーショインでは無理だが、かといってコミュニケーションしかない。
 河合隼雄が、「言葉で治れば精神科など不要です。」と言うように、言葉にはあてが外れることが多い。

 良寛の伝記に、弟の由子の妻から、「長男が放蕩をして困るので、良寛さん何か言ってやってください」と頼まれる。一宿一飯しかしない良寛が三泊して、帰る折になって、やっと、せがれの名を呼び、「帰るから草鞋をはかせておくれ」、と言った。かがんで、草履を履かせていると、背中に冷たいものが当たる。顔をあげて良寛を見ると、涙があふれていたという。
 良寛は曹洞宗の坊主の青年期があり、諸国を漂泊し、書をしたため、歌と詩にあけくれ、こつじきして生きていた。誰にも説教はしなかったが、自分への戒めだけは90も作っていた。だが、その時も、頼まれても、一言も発しなかった。不憫だと思っただろうし、可哀そうに思えただろう。母の気持ちも考えただろうし、弟、由子に何か言ってやりたかっただろう。だが、何も言わなかった。

人が人格形成される要因を考えると、

遺伝
両親による影響
社会から受ける刺激
自己が取り入れた考え

 大きく分けるとこのくらいが思いつく。しかし、なんと言っても大きく分け過ぎだ。

 遺伝による人格形成なんて、何冊もの本でも書き切れない。
 両親から受ける影響。これも、同じ両親から生まれた10人の子供でも皆違ってくる。
 園子温監督の映画の主題は、親に傷付けられて成長した子供たちの異常な生態を表現することが現代社会の切り口になる、と言うところだと思える。(冷たい熱帯魚、愛のむきだしなど)親からの影響、これも、本の数は膨大だ。

 社会からの刺激。先の東電や国が関わったメディアへの陰謀は、まさにアメリカ映画のようである。安全という表現だけはメディアに乗せ、不安や危険や再考という言葉は一言もメディアには乗せないという陰謀によって、私たちの原発の評価は造られた。
 かの翁山本夏彦が、電通による戦略10訓や、大家族にテレビや洗濯機が一通り行き渡ると、分割して小家族にすれば、4倍、5倍と売ることができる。最終的に資本主義(我々のことである)が考えたのは、個性尊重で、その家族をばらばらにすれば、ひとりひとりにそれらを販売することができるという。個性、個性と誰か大事そうに言っていませんか?

 渡辺京二の「いきし世のおもかげ」と言う好著に、江戸後期から明治中期ごろまでの日本の生活を、日本にやって来たそれぞれの国のエリートたちが、
「ひとびとは幸福で、満足そう。不満がなく気さくで、機嫌が良い。笑いこけ、心の底まで陽気で愛想がよく、親切で生き生きしている。貧乏そうだけどそれを気にしていなく、礼儀正しい。そして、純朴で、天真爛漫である。・・・・日本という国は、天国と思える」
と述べている。
 私たちが希望とする生活である。これは、仏教の影響も大きいと考えられるが、儒教の生活訓が大きく影響したと思える。
 「孔子言う、父母につかえて、万一、父母に過ちがあった場合は、子としては、気分をやわらげ、心をおだやかにして、角たたぬように諌めなくてはならぬ。そして諌めが聞き入れられない場合も、父母はわからずやで困った者だなどと思わないで、敬意を失わず、しいてその意見に逆らうべきでない。また、さらに父母が無理を言って、苦労迷惑をかけるようなことをしても、決して怨みがましくしてはならない。こういう態度をとることが孝というものだ。」
 江戸学の田中優子は、人と人が争わないようにするには?傷つかないようにするには?という方法論が儒教であるという。ここには、父母に対する無条件の愛情がある。(かつて、無償の愛を受けた子供の恩返しである)
 封建主義の暗い過去は不幸だった、と思い込んでいたのも明治の陰謀だ。西洋に一時も早く追いつきたかったのだ。自由を満喫し、個性を尊重し、ばらばらな家庭を形成したのも我々だ。

 自己が取り入れた考え。これは、2,3冊の本で表わし得るだろう。人が考えることは、そんなに広がり得ないだろう。マルクス主義を取ろうと、構造主義であろうと、勉強すれば解りえることだ。

 以上人格形成に必要だと思える刺激物を考えてみたが、最後は別としても、一人の人間に関わる事項は数限りなくあり、一発必中で小言を言ってみてもかすりはしても、本質に迫ることはほとんど無理である。言われた本人が、当たったと思うことあっても、意識される事項にとどまり、自分の常識が彼の常識であるかも解らない。まして、自分を変えるなど至難の業だ。
 人格と言う物は、表現されて分かるものだ。
 だるまが弟子の慧可に「人殺ししたことがあるか?」と問い詰めたところ、「めっそうもない、あり得ません。わたしは人殺しはしません。」と答えると、「慧可よ、そういう状況に遭遇しなかっただけなのだ」と諭したという。

 自分が何者か考えたいとつねずね思っても、それは、雲をつかむようなもので、意識の内に現れるものは、数知れている。
 これは問いが間違っているからで、細部まで分割しようとしたところ、細部が何かも分からなくなる。では、全体はどうかと問えば、これは、「今現在のこの僕が答えである。」と言っても間違いでなさそうだ。
 現在までの人生の答えがこの僕である。この僕は、将来まだ変化するだろうが、この僕は、言葉では言い表せないが、何かで表現したくてたまらないが、この僕こそが自分は何かの答えであるのだ。あなたもあなたも、あなたの問いの答えなのです。

 将来成るであろう自分に向かって、自分の好ましい将来の姿を念じてみるのはいいかもしれない。

2011年9月6日
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■役に立たない日々■


 佐野洋子の「役に立たない日々」を読む。
 「シズコさん」と同時期に書かれたもののようで、こちらは日記形式になっており、数年ぐらい前からこの冬までの日記を整理して本に仕立てたものだ。
 毎日新聞に書評が載り急いで本屋に行くも、この本は在庫がなく、代わりに「シズコさん」を見つけたわけである(そののち取寄せました)。
 たぶん「役にたたない日々」で、余命あと2年という自分の死期を記載することによって、言うに言えなかった母親との確執を「シズコさん」を書くことでで清算したかったのだと思う。それが「シズコさん」という本になったのだ。
 癌による死期を知ることで、悩みの種であった欝がなくなり、病院で先生に死期とホスピスを含む費用を確認した帰りに、傷だらけにするジャガーを買う。
(佐野は年金生活者にはなれないので、老後のため蓄えていたのだ)
 友達に、死に行くことに怖さはないのと聞かれるが、かえってさばさばした様子だ。

 思うに、佐野のように母親に厳しく育てられた子供なら萎縮するか反発するか、二通りの選択しか思い浮かばないが、佐野は静かに強烈に反抗する。高校時代になって母親に一言も口を利かない。それが、今の佐野にどれほどの影響を残しただろうか?

 世の家庭に起こりうる様々な出来事は、子を傷物でなく育てる方法を思い浮かばせないが、そして、その連鎖が家庭の歴史を作るのだから、母親も祖母もそのようにして育てられ、傷を負って子を育てなくてはならない。
 桃中軒雲衛門(成瀬巳喜男初期の映画作品)が父を完璧と思うな、父は傷だらけだと子に諭す場面があるが、人は世間にもまれて傷を負う前に両親からの傷を負っているのだ。
 それが 「世界は考えるものにとって喜劇となり、感じるものにとって世界は悲劇となる」にこころが響く理由だ。

 感じるものにとって世界は悲劇に満ちている。
 佐野のこの2冊の本は、過酷で壮絶な人生を生ききった者のみが知る、人生の終盤に差し掛かった生の重みを伝える、と同時に 自分の人生を振り返って、何か作品を残す以上のなしとげた生の充実を感じる。
 佐野にとっては、イラストや挿絵画家の仕事は、のり口しのぎで、人生自体が昇華した作品のようである。その生き続けた佐野の人生にどんな境遇の読者でも勇気付けられるのではないだろうか。

【閑話休題・映画の話】
 先日、イギリスのマイク・リー監督の「人生時々晴れ」を見ました。原題はもっとシビアな[オールオアナッシング]。
 家族の物語ですが、おとうさんは女性を太陽のよう暖かく、小鳥のように感じやすくと見ているのですが、母親は、ことあるごとに文句ばかり発しています。原題の「すべてを認めるか、すべてを諦めるか」は、おとうさんが海で結論するその時間のことだと思います。

 それにしても ジャワの神話そのものの映画でした。また、御父さんたちが仏教徒のように生活していると感じるのは、イギリスにそれほど」浸透しているのかもしれません。
 最後に御母さんが死にたかった御父さんを優しくながめると、犯行ばかりしていたでぶ息子が、初めて笑います。息子も両親の不和を病んでいたのです。ここで涙がとどめなく流れます。一人で泣いていて恥ずかしそうに泪を隠すぼくの行為も変なもんです。だれも傍にいないのですから。

2011年7月

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■ひまつぶし■

 佐野洋子は、絵本「百万回生きたねこ」を、わずか15分で書き上げ、184万部の売上をなし、100万近いひとびとに泪を流さしめた。書き上げた絵本は、多作とはいえないが、受賞作は幾多ある。読者に媚びなく、書きたいものだけを書いた稀有な絵本作家と言える。
 またエッセーも数々こなし、「神も仏もあるでなし」は、小林秀雄賞を受賞した。
 この賞に軽いノリは、ためらわれたようだが、進める人あって受賞した。亡くなる前年にのこした「静子さん」は、関川夏央に母と娘の物語としては,秀逸と書かしている。

 さて、佐野洋子は、制作時点では渾身の作家であったと思う。しかし、作家活動を含めて、人生は生きてる上での、ひつまぶしよ!!と放言した。もとい、暇つぶしだと。初期の活動期から、「制作は糊口」と平然としていたから、自分は芸術家だとは本人も自覚していなかった節がある。

 僕は、幼年期の子供たちに、自分で選んだ「100万回生きたねこ」を、読み聞かせもしたし、数年前からエッセーは、ほとんど読んでいると思う。卓越した人生観や、厳しい出生からの、冷めた自覚、庶民から一歩も出ない人など、学ばせていただくこと多々であった。しかし、それらは ヒマツブシに制作したものだ、という、本人の言葉に、またもや こちらがうろたえる。

 考えてみるに、諸家のうち、優遊とした良寛さんなども言いそうな気配を感じる。70過ぎて貞心尼と青年のような恋愛心。が、道元禅に心酔し、非僧。非俗を実践し雁が音にもこころ響かせ、喜びも悲しみも自然と一緒であった良寛さんにしても、暇つぶしとは言えない切迫した思いを感じる。90もの自己抑制の警句を書き遺しているのである。

 それなら モーツアルトは、「ひまつぶしさ」と言いそうはではないか?
 作品には 気負いも、意図も脱ぎ捨てた子供にしか演奏できない洒脱さが漂っている。短調の曲であってもモーツアルト本人を通り越して、神がかりして自動筆記しているようだ。アインシュタインの発見は誰かが追いつくが、モーツアルトの仕事は誰にも出来ないとは唯一無二性の物言いではあるが、暇つぶしと言われても、そうだろうなー、そういう天才の仕事だと納得がいく。

 それでは 暇つぶしとそうでない人生とはなんぞや?
(当代の者だけの言説であるのだから、暇つぶしだからよい、悪いという判定は出来ないようにも思われるが・・・)


 友人が、還暦を過ぎたら人生は遊びだと豪語し退職し、遊び呆けていたところ、平日から遊びに付き合う友おらず、時間を持て余し、ついには鬱状態になった。
 人生には、何かなすことがなければ、時間が圧し掛かってくることがある。ときどき出来ることではなく、始終気にかかりなさねばならないことが必要なのだ。いわゆる 暇つぶし事である。時々するゴルフや釣りの話でなく、今何かすることがあるか?という問題である。
 「おれの人生は、遊びの為にある」と見切りをつけていても、仕事時間と同じように、時間のとりしきりは不可欠である。一日、一週間、ひと月と予定表が埋まっていなければならないのだ。それじゃあ、サラリーマン時代と同じだと言っても、自分にしか責任はない。

 禅に生きた一休和尚なら、人生暇つぶしと、諦観しただろうか?
 一介の禅者にこだわった和尚は、人間本来のものは肯定したようにも思える。森女(一休77歳,謡い手30代)との女犯、また時代が許した美童との男犯、しかし、それらは弥勒菩薩になり変って現れたという、逃れが隠れている。
 破戒、狂気の和尚一休は、何百もの信徒を魅惑したが、宗教を創設するにはいたらなかった。黙考するより、行動の人であった。

 日本の宗教改革者と言われる法然が現れ、民衆も女人も救われると説いた専修念仏浄土教は、お上を向いて講釈していたそれまでの仏教を変革することとなった。(奈良仏教、天台仏教など既存の宗派に弾圧されるのだが)
 彼の信奉者たちは、一様に妻帯し子をもうけた。(ひととして普通のことであると)
 一遍は女人超一と、その子超二と、念仏房(女人である)を伴って、死出の旅に出た。異様な遍歴行者である。死と孤独を供として、南阿弥陀仏と唱えるだけで、浄土(極楽、天国)に行けると、念仏札を配り歩いた。
 一遍にとって生は暇つぶしなど思いもよらない。

 非僧非俗の念仏行者として、良寛、市聖空也、捨て聖一遍、そして 親鸞がいる。
 親鸞は、念仏行者弾圧の中で、布教黙考した。(新潟では2番目の妻をめとる。)
 南阿弥陀仏と念仏することで、阿弥陀如来の本願に適うと、法然の教えに従う。そこで、親鸞はすべての人が浄土に行けるなら、親を殺した者も、浄土に行けるのか?と問う。ある諌めにそえば(師匠を持ち悔恨すれば)、それでも浄土に行けると説いた。
 親鸞は、天台宗について、修行に明け暮れたが、修行によっては善人にはなれない、いつまでも 煩悩は離れないと決起する。煩悩を持っていても浄土に行けるという法然の教えを、悪人(煩悩の人)正機説として打ち出す。
 親鸞は弟子を取らなかった。崇拝者がいただけだ。歎異抄は唯円によって聞き書きされた。異端の説を歎くと。親鸞は、教行信証として救いについて考え、結論した。人は誰でも作用しなくて救われなくてはならないと。(芸術は、対象人口はいかほどだろうか?親鸞のこの言葉を聞くと芸術の限界を感じてしまう。宗教者は全員に向かっている)
 親鸞は黙考する人であった。暇など有ろうものでない。(親鸞のだれでもそのままで救われるという、浄土真宗は、幕末の極楽浄土のような幸せ感を演出した儒教と相まって、思い出されるべきである)

 どうも 仏教徒は融通無碍とは言っても、暇つぶしとは言えないようだ。
 ひまつぶしには、世をすねた、または、一歩下がって恥ずかしげに、「暇つぶしよー」という言説が合うようだ。
 時間を過ごす方法論のない庶民には、やはり暇は大敵なのだ、そこで 暇つぶしが必要となる。
 モーツアルトも佐野洋子も天衣無縫のようでいて、恥ずかしがり屋だったのだ。

2011年6月

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■たましいという■

 昨年アメリカコロンビア大学で、サボテンの奇妙な実験があった。
 数人の人間にサボテンの前を歩かせ その内の一人がサボテンを蹴る、その後に一人ずつ歩かせ その蹴ったものが通るときだけ 電極がなにやら反応するという実験である。サボテンは蹴ったものが解るということだ。
 蹴られた!と思うのか?こんちくしょうと思ったのか?

 また 植物のネムリソウの眠る動きをする筋のようなものは 人の筋と同じ成分であるという実験もある。ということは だいたいの生命体の筋は大体同じということか。
 その上に面白い実験があって 脳に入力を受けて筋で出力をすることは当たり前と思っていたが、綺麗な花と視覚に入力するから 触ってみようと手の筋肉が動くということだが、急激な反応の必要な筋肉の働きは 脳に入力が到着する前に 筋肉が活動することが解ったそうだ。(脳のシナプス間を電流となって動き回る時間が測定できるのだ)
では 脳が命令しなくて だれが 筋肉を働かせるのか?

 サボテンが日々空を見上げながら いや 視覚はないのだから 気圧を感じるか 水分を知るか、太陽の向きと暖かさを感じていても 何ら不思議の作用ではない。だが 僕達がカブト虫を取る時クヌギを足げにしてかぶとの落下を待ち構える時 クヌギはこのやろう!と思っていたということではないのだろうか?それとも かぶとを取るつもりで 木をゆするだけで 木に危害を及ぼすつもりがないことは 知っているだろうか?サボテンのように倒れやすくないゆえに、だが サボテンが特異だとは思ってはならない 生命現象のすみずみに感受性はあると取るのが アミ二ズムである。 ブータンの仏教徒や 自然と生活を共にするあちこちの先住民の感受性だ。それこそ 彼らもその他の生命現象のいちスタイルと思っているのだろう。
 アメリカのインディアンの語録に 白人はどうしてあれほど饒舌な木の言葉が解らないのだろうとあるが、ともすると 木の枝の向きやら 皮の状況やら 生理的なコトに思えるが 実は 生理的な事柄でなく 心理的な事柄を指していることがサボテンの感受の話でわかる。
 だから、植物よりも活動的な動物にもっと高等な感受性の存在を知ることも自然な成り行きだ。熊は我々が知っていた熊でなく、狼も我々より自然を知り尽くした私達と同等の生き物、それとも 崇拝せざるをえない神々しい存在。サボテン以上に我々に話しかけていると思っても間違いではないだろう。殺生を禁止するのは仏教徒だけではないのだ。新石器時代までは、生命体の同格は自分達の存在の為にも必要だったのだ。

 僕達は夕闇に包まれた森の中に魑魅魍魎の存在を感じる。そのざわざわした空間に恐ろしさを痛感する、それは、一匹の熊を怖がる恐ろしさとそんなに離れていない。親密さを感じられなくなって 解らなさが恐ろしさに変化したのだろうか。(それとも 本当に 恐怖を与えようとしているのか?熊が立上って両手を広げて威嚇しているように)。
 ブータンではホテルのコーヒーにハエが入ってもウエイターは指でハエを取り出し窓から逃がしてやるそうだ。ハエと目が合うのだろう。ハエの感受性が解るのだろう。

 僕達の意識は 書くことも 話すことも制御していないように思える、考えて話しているのではなく はなしが 無意識の領域で進んでいるだけだ。書くことによって初めて意識的になれるのだから。そうか こういうことだったのか は書いたり話したりしてやっと解るということは 日常的にあることだ。
 小説家が 始めの想像したプロットだけで仕上がった作品より 途中から興に乗って脱線したほうが 良い物が出きるということはよくあることだそうだ。
それでは だれが 話させているのか?考えさせているのか?
 ボクが 話しているのはそのとおりだ、僕の脳が考えているとそれも知っている。だが それらを出力させている当のものは ボク自信なのだろうか?
無意識を動かしている者が脳の中に存在するのか?

 サボテンは痛かったのか?
 サボテンは倒れそうになって 死に至る恐怖を味わったのか?胸のところが 蹴られて水分が中からにじんできたのか? 何故 そのやろうだと 特定できるのだ。 そやつの足音か、体臭か?それが 感じられるのか?
 サボテンのほんのちょっとした震えが現代科学で解ったのだ。そして 蹴ったそやつの感受性を君の感受性がキャッチするのか?

 それでは その感受性の名前はなんと言うのか?

 それを たましいというのではないだろうか?
 仏教では山川草木皆仏性有りという そのことが現代科学が幾時代を経て理解しつつあるということではないだろうか?


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■漫画と綺麗と息つく暇なし■

 日本から発信した漫画が世界各国で受け入れられGNPを押し上げるほどの影響力があると聞きます。かの地の漫画文化発生あるところでは一部のもの好き程度のようです。なぜ この国が抜きん出て漫画の大量発生にいたったかは、養老先生の言われる漢字がそもそも漫画の形式を持っていたということに 理由がありそうです、漢字にルビをつける行為が漫画の絵とせりふの吹き出しと同じ構図だということです。長年漢字の使用で漫画的図像が自然に現れたということです。 だが もうひとつ考えることができます。

 日本の美術史を扱った辻惟雄の「奇想の系譜」という美術書は 題名に現れているように日本美術は奇想で成り立っているという。それは 中国の図像が自然を見た通りに描く方法をとるのに 同時代の日本の草花を描いたものは そばの小石も後ろの光景も描かない デフォルメされた花や草が美しいと思える奇想の図像の 差異となって現れています。どうして日本人は見たとおりに美意識を感じなかったのだろうか。画布の中は別世界として 一度脳内を循環させて意識的に意識したものを描こうと考える癖があるようだ。
 それは 見えるものが全てではなくて 一元化することに意識を集中しているように思われます。たとえば 雲の形や波の形を図案化することには秀でたものを感じますが 雲や波の全体を表そうとは思っていないと思われます。商品はたぶん一元化することで価値が現れるのでしょうが そういう行為に思えてしまいます。「あんたのキャラと違うデー」と一元化された他とは違った個性が売れるのでしょう。日本美術はその差異で成り立ってきたように思われます。
その 一元化する日本人の癖が漫画を生んだと考えられないでしょうか?
 漫画には全体としての人物像は必要ないとおもいます。それぞれの シーンにもっとも近い表情が表されれば良いのです。それが 日本人が描こうとする表層ではないでしょうか?琳派にも狩野派にもリアリティーに優れたものはあるのですが マヌエリスチックになって図案化することは 漫画化することになってしまいます。
 また 西洋ではゴシック時代までは キリストはイコン画として漫画化されていましたがルネッサンスにはリアリティーある聖人に変化してきました。イコン画の成り立ちは詳しくないが 聖なるイエスの聖なる様を一元化したのではと思われます。
 16世紀にカラッバジョが道行く人物をキリストに仕立て描いたのはイコンの漫画に飽き足らなくなったのではと思えます。カラバッジョは明暗を自然光でなく 画面の効果を狙って暗いバックを発明しそれがあの時代のスペインからオランダまで瞬時といっていい時間で広がったが、人物には緊張を持たせ 何かに集中している様を信じられないほどリアルに描いています。その迫真が何時の時代にも迫ってくるのです。それは まぎれもなく一元化からは得られない効果です。
 しかし 日本の宗教美術はどうでしょうか?

 どこのお寺に行っても イコン画と同等な仏像が仏様の威厳を表してたたずんでいます。
 仏様に仏様としてのイメージに恐れ入っても リアリティーとしての恐れも威厳も慈悲も感じることが出来ないのは 正真な仏教徒でないからでしょうか?
 そのなか 天平時代の仏師が鑑真和上や奈良の東大寺隣にある四天王を 漫画化から影響されずに製作したものがあります。鑑真は後になって芭蕉が見たとき 「若葉もて 御眼のしずくぬぐわばや」と歌ったのです。唐から何回も渡航に失敗してついに失明してまで日本に仏教の戒律を教えようと発願した鑑真像は悲しみに打ちひしがれているわけではありません。それでも 芭蕉はその涙若葉で拭いたいと見たのです。鑑真像はなんとも形容しようがないのです。芭蕉のように 涙とも慈悲とも言葉ではいえません。ただ 鑑真が存在するだけなのです。 世界中のどの彫刻にも負けない強い存在感が僕たちを打ちひしぐのです。唖然とさせるのです。 芸術の最高の状態ではないでしょうか。脳が意識化して言葉に還元できない説得力は言葉の芸術以外に携わっているものの芸術に賭ける思いです。
 音楽にもリズムもメロディーも超越して魂とか作曲家や演奏者の思いだけが漂って聞こえてくるときがありますが、そのとき 眼前にとうに死んでしまった作者が現れているのです。
 それから年月が経って鎌倉時代、運慶が現れます。その間鑑真がありながらどうしてその流れが消えてしまったのでしょう。運慶までまたなければ ならないのです。 漫画的な仏像だけが大量にだから 民衆的に作られ続けるのです。
 運慶の世親・無著は菩薩立像と名づけられています。どうみても肖像ですが仏様なのです。
 1212年鎌倉時代イタリアに先駆けて日本にカラバッジョが現れたのです。この2像の存在はあの聖カラバッジョと並べてみても劣ることはありません。強いて言えば無著には慈悲のまなざしを感じ、世親には宇宙の恐ろしさに観念しようとする気配を感じますが そのリアリティーには一元化の兆しはありません。
その後も彼らの意思を次ぐものはあらわれません。今でも仏師として職業が成り立ち仏様を彫り続けていますが さて 感激して感涙するのは 信心深い信者だけではないでしょうか。
 漫画には画像だけでなく物語りという大切な要素もあるのですが 我々は 画像に一元化を求める癖があり そのため 商品化が得意だとか 他人に抱く思い込みが単純だったり脳化が障害なくすすんだり 有り余る自然に雑草という概念を植えつけて自然を制御することに罪を感じなかったり、思いのほか一元化には功罪併せ持って影響が強いように思われます。

 室町時代平織りの織物に綾織りという技法が現れ 織り目の形態の違いに綺麗という字を発明しました。派手でうつくしいこと、嫌悪感を誘う濁りや汚れをとどめないさま、と広辞苑にでています。それまでは うつくしい 美しい 愛しいと肉親への愛から ちいさなものへの愛 可愛らしい 慈愛(うつくしび)と使っていたものが 可愛らしくない美しいものを綺麗と言ったととれます。それから 大声で 「綺麗にしなさい!」と変化するのです。
 古語辞典によると「うつくしい」はいつくしみという言葉からうつくしいに変化したようですが もともとは 肉親への愛 わが子への愛がうつくしいの本来的意味合いだと思われます。わが子を育てるとはきれいごとですむわけが在りません。
 綺麗とうつくしいはそういう違いがあって使いわけられていますが 実は 使い分けられていないのではと思い至るようになりました。
 なぜなら 綺麗は一日に数回使われますが うつくしいは一年に数回使うでしょうか?読書癖でもないかぎりうつくしいとは言わなくなっているのです。
思うに 漫画化一元化から うつくしいは遠いのです。うつくしいと感激したとき時として汚れや濁りも包摂する場合があるからです。現に子育ては大便も小便も子供が出てくる上下に通じていて だから 子を降ろすとき大中小の間の中絶というのですかね?とは冗談ですが。そういうものも含めてうつくしと言ったのです。
 しかし 現在 匂いも汗もほこりも汚れも 人間の特質の一部を嫌悪する時代となってしまいました。それで 愛だとか 尊重だとか敬愛だとかの感情が変化なく続くわけがないと思われます。他人に自分の望むところのみ求めるのは ひとを全体として見る癖がないことを意味します。一元化のもっとも危惧するところは 人格形成にも関わる ひととはどういうものか を問うことのないところにあると思われます。ひとを漫画として愛するということです。
 綺麗な建築が最高の状態で今に至って 綺麗なものとは大いなる規制を受けて成り立ち その故 その空間は住まい手にきれいにしろ!と規制をかけているのです。
 ビニールクロスと塩化ビニールの印刷した扉とその木目の枠、床は塩化ビニールか 木とも思えないフローリングでプラスチックの冷蔵庫にライトにパソコンに机とくれば すべてが おめえ きちんとしろよ!と毒づいていることを感じないでしょうか?
時には 古い農家や明治時代の洋館に入って自分の気がリラックスしていることに気がついてもらいたいものです。
 自然とは我々に規制をかけない環境です。それは 全体だからでないでしょうか。上記の家の素材は商品化された一元的意味しかもっていないのです。たとえば 室内に左官材や木や紙や畳で構成されていれば それぞれは 自然材を手入れして作ったものと 自然材を創造もできないほど加工したものでは 人の感受する質感の差異は歴然です。我々は機能に感謝してもすぐになれてしまい 質感によってのみ感動すると知るべきです。
 山登りをして早朝雲の切れ目から光が漏れ始め黄金色の太陽が覗くと 人は手を合わせて涙するといいます。自然との邂逅にもっともエクスタシーを感じるとイギリスの科学者の研究結果があります、ちなみに2番目は愛だそうです、エクスタシーを導くトリッガーの研究ですが 次は法悦 運動 回想 知るとき 創造 とありますが 当然美しいものを見たときも上位に入っています。だが かなしいかな 早朝太陽を拝んだ人々はうつくしいとは発せず きれいねーと言うそうです。
 うつくしいと言うとき対象と自分が一体感があるとおもいますが 綺麗というとき一種突き放し一体になることを避けているように思います。たぶん 涙する人は何事も発せず手を合わせるのでしょうが。自然との邂逅に綺麗と使わざる得ないことに何故か危機感を感じてしまいます。
 綺麗とは大脳皮質が言わせ うつくしいとは大脳辺縁系がつぶやくと言えるかもしれません。
 ドイツの思想家フランクリンは充足した状態は心臓の周りの環状動脈が勢いがよいときと書きます。それは 自然の赤や紫の花々や 白い雲や 小川のせせらぎなどを感じたときの状態だといいます。明日遠足だからうきうきしていても 動脈に変化なく充足の状態でないと、フランクリンはナチの収容所の中でそれらを見て感じる人に生き残る可能性が高かったといいます・。充足感は満ち足りた状態のことです。
 我々は言葉の発達によりサバン症的特質した記憶力だとかをなくしたといいますが、石器時代という長期の経験記憶が未だ優勢で大脳皮質のいうことなんか聞くものかという側面があるように思われます。一元化を編み出した日本人が良くって一元化にしたのだろうからそのまま一元化に賛成していれば いいのにとも考えられますが(きっと先鋭の科学者は大脳皮質サイボーグを作りたいでしょう)
 しかし 仏教ではひとは大脳皮質に頼らず大脳辺縁系にまかせると考えているようです。仏教が石器気質なゆえんです。何も無い 空とは般若信教にたびたび出てきますが なぜか 狩猟採集の時代のことではないかと思えてしまうのです。
 「わたしの幸福は野蛮に由来し 私の不幸は文明に由来する」ということは 山登りしたり、水泳したり 格闘技したり 紅葉をめでたり 温泉にはいったり 木の家にこだわったり 釣りをしたり 狩猟をしたり これらはみな 石器時代の経験記憶に違いないと思います。野蛮を味合うことは 自然への愛着なのだと思いますが、一種居心地のいいものと感じても 人が綺麗に作ったものでないと受け入れられなくなっているのは コンピューターが大脳皮質の代わりに活躍している現代が経験記憶を無意識の奥の奥にしまったとしても そのほうがかえって 現代人の行動にトラウマとして影響するだろうと思います。

 東京芸術大学の保険の先生であった三木茂夫先生は 東大での講義で何十億年もの生命の発生の時間を胎内にいる時間に味わうと語り その宇宙的な語り口に聴衆は涙する人もいたと伝えられていますが、かの先生 人の心は息にあると言います。
息苦しい 息切れ 息詰まる 息抜き 自分の心と書いて息と読むのです。緊張したとき人は息をしていない。それを息詰まりといいます。そのとき深呼吸するとこころが晴れる 息が抜けたのです。息が合うとはこころが通じるともいえます。
 われわれ 日本人はこころはどこにあるのかと問うと 脳の中にあると言うか胸を指してここにあるいいますが、息遣いがこころの状態だったのです。そのこころが息つくことなく詰まり続けているのが今の現状ではないでしょうか。

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■18年1月15日■

 昨年は手の込んだものいただきました うちの津久井など何時作る時間があるのでしょう?と自分の家事しないことを棚に上げて心配しています。
 家内もツクイも鳥の肝は食べられません だから こちらに来て僕の口に入らないわけです。入らないことさえも忘れていたのですが 昨年の美味しいお弁当で思い出してしまいました。一度は僕の要望で作ってくれましたが そのご とんと 作ってくれません。
 女性は料理番組を勉強のために見るのでなく かわいい犬を見るごとくただただ 美味しそうだと見るだけです。いつも見ている料理番組の美味しそうな料理が何時出てくるのかもう だいぶ前にあきらめていますが。

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結婚話3題



その一
 
「先生惚れた女がいるのですが 結婚すべきでしょうか?」先生 「どしどしすべきだよ!良妻なら幸せだし 悪妻なら 哲学者になれるから」だから 現代は哲学ブームなのですよ。ソクラテスです

その二 
「どこの夫婦も亭主は相手を最低と思っているし 女房は相手を最低と思っている だけど 交換して新しい者と一緒になっても 最低がくるに決まっているから 交換しないだけだ」「それは 自分の心の中身を覗いてみればわかるだろ!」ともいっています。
 人類はわがままで飽きっぽくて最低だと。言いたいようです。山本夏彦

 たぶん生命体はどの固体も親分(自分の思いどうりにしたい)になるべく生まれてくるようです。ゲノムでの話しです

その三 
「結婚というものは 快楽だとか幸せを得るためにあるのでなく、不快な隣人を増やして 究極の不快のもとである子供と それらと共生することに 意味がある。理解も共感も出来ないものとの共生が結婚の根源的な意味である」
 ユダヤ人のレビナス老師です。彼らはホロコーストを受けてその復讐を果たすことなく、復讐することはナチと同じになるからですが、考えも慣習も違う他人との共生を深く考えたのです。

 ソクラテスおじさんは その後 「人生とは長くはない辛抱だ、」と締めくくっています。

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■こどもたちへ■

 自分が ほしいものは そのひとに あげると 手に入れることが出来ます。

 バレンタインのチョコレートはそのためにあげるのです。
 チョコレートという意味のこもったものをあげると、ホワイトデーの日に意味のこもったもらいものがあるのです。
 それは お友達にやさしく接していると あいてもやさしくしてくれる ということです。
 いじわるする子に やさしくしてもらいたいときにも それは ききめがあります。その子に「かぜだいじょうぶ?」とか 心配してあげると 相手もじょじょにやさしくしてくれるはずです。
 お母さんにも それはききめがあります。
 お母さんに「もっと私のことわかってほしい」とおもうなら、さきに お母さんのことを考えてあげれば きっと わかってくれるでしょう。

 ほしいと思ったら まず それをあいてにあげてください。そうすると ほしいとおもったものが 手に入るのです。それが バレンタインというぎしきの意味だと思います。
 大昔から じんるいはそうして ひとびとと つきあってきたのですよ
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■夏の物語■


ボードレールに、アデュー ナントカカントカ、という心に残る詩文があった。
「さらば つかのまの われらが 激しき夏の光よ!」と訳されている。
これを、我流で意訳すると、以下の通り。

我々の生における謳歌は、夏の光の下にあって、いまなお、記憶に鮮烈に残っている。
夏の一日は生の充実にあふれていた。
それらは過ぎ去ってしまって、戻って来るわけでないけれど、夏になると、思い出さずにいられない。

夏になると思い出し、夏が過ぎ、中秋の名月あたりのひんやりとした風にあたると歌わざるを得なくなる。
「さらば つかのまの われらが激しき夏の光よ!」

馬齢を重ねると、その思い出こそ、生きてきた証のように感じられる。
少年時代は黄金のように輝き、詩人が激しき夏の光と歌ったように、
人生の肯定、生きていて良かったと思える時間を持っていた。
海水浴、魚とり、朝早く起きてかぶと虫、井戸で冷やされたスイカ、山登り、
吉野川の川遊び、水に冷えた頬を焼けた岩に当てるとゆっくり消えていく黒い水あと、
真っ青な空、輝く入道雲、すぐさま稲光、土砂降りの雨、雨が跳ねる縁側の景色、
そして見晴らすばかりの、貞光の町の後ろにそびえる青い山と、谷また山。

いつか、自死を想像する事あっても、その瞬間を思い出す余裕があれば、止まれる事柄。
それらを含めて、詩人は歌ったのだと思われる。
毎日は過酷に過ぎて行き、叙情的であることは、生活不適者となじられる。
しかし、目鼻の達人のように生きられずとも、時には、よいではないか。

青い太陽にささげられた 水しぶきよ
白く輝いて飛翔せよ!

女性的なるものは、14・5歳から発揮され、夏をこよなく愛することが出来なくなる。
だが、男性的なる小児性は隠されていても生涯にわたって現れてくるものだ。
そして、知らず知らずに、ひんやりとした季節を迎えると、
なにやら心さびしくなるのは、夏にはあの激しい季節を包摂した経験があるからなのだ。

そして、惜別の名残を込めて

  「さらば つかのまの われらが激しき夏の光よ!」
  と 歌ったのだ。

2012年8月29日




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