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中国映画には、心沁み入る良い映画が多くある。 友人は、護憲なんか時代遅れだ。中国に対抗しないでどうすると、息まいている。 新大久保のヘイトスピーチの話をすると、日本人はそんなことはしない、「右翼がやっているのだろう、日本人はするはずがない」と大久保の騒ぎを信じない。 一向一揆、関東大震災の暴動は大昔の話だ。 中国映画を薦めると、中国も韓国も嫌いだから見ないと言う。 その偏見と右傾化した民衆の少数が、ヘイトスピーチの主人公だろうが、友人もその一躍を買っていることに気づいたろうか? 今は世を上げて、改憲をつぶやいている。 世界に「徹底平和と戦争放棄の憲法とその護憲」のことと、「平和憲法を改憲して国防軍を持つ」その二つどちらを選ぶか聞いてみたらいい。 |
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● 中国映画「桃さんのしあわせ」に料理場面がある。 中国鍋にお湯が沸騰し、中に、塩、細かく刻まれたセロリの葉、玉ねぎ、ニンジンの皮、にんにく、トウガラシを入れ、その中に大きな丸のままの牛タンが流し込まれる。 その後オイスターソース、酒、みりんで、小一時間ことこと煮る。 牛タン煮込である。 冷蔵庫で冷やされた牛タンは、60年も続けてメイドをしている桃さんが造り置いたものだ。 発作で倒れた桃さんの入院中、主人公の親しい仲間達は何かないかと冷蔵庫を開け、持ち出し、細かくスライスし、それを奪い合い、舌なめずりしながら、冷やされた牛タンを食べている。 桃さんの造った料理のおいしさや懐かしさを語りあい。 あのときの、鴨の詰め物は、美味しかった。 カニの蒸もの、カニのスープ、いも菓子、 何と言っても、牛筋が一番だ、などと会話しながら牛タンを食べている。 見ているこちらも味わっているような感慨がある。 映像を見ていて不思議に思うのは、食べている姿にケレン味がないことである。 嫌味を感じないのだ。ほんにおいしそうだ、とだけ感じるのだ。 彼らの国にも、他国の料理が侵入してきているだろうが、自国の歴史の中から生まれた料理に満足し、ほれ込み、ああウマかったと感嘆する。 主人公の映画プロデューサーは、家ではスープから最後の甘い物まで桃さんが作った食事はすべて食べ尽くすが、外では、食事はしない。 禁欲的な程、食い意地が張っているのかもしれない。 僕たち日本人が、食べ物の話となると、フランス料理だ、イタリア料理だと、世界の料理が、それも一流と言われる外で食べる料理の話となる。 中国で食べる中華より、美味しい中華が食べられると言う人もいる。 しかし、桃さんの料理のように、自然体で、気もち良く、懐かしく美味しい料理に舌づつみを打つことはないと思われる。 江戸時代から、味噌、醤油、こしょう、ゆず、さんしょう、しそなど、味を変化させる物を加えた素材の味を、質素に食べていた。 一汁三菜ということである。 ● 食の喜びは、隠されるものだったのだろう。肉類は食べなかったのだ。 日本でのそういう食の話は卑しいという教えがあった気がする。 日本のお手伝いさんが、桃さんのように美味しい心のこもった三菜を作り、そこの御主人が舌鼓をうっているとしたら、谷崎潤一郎が戦時中岡山でこっそりすき焼きを食べている場面は、食い意地が張っているとは思っても卑しいとは思わなかった。 中国では、今でも市場があり、趣向に応じた食材が手に入るが、日本ときたら、スーパーと言う、最低の金額で販売する処でしか買うことが出来ない。(群馬の片田舎のせいでもあるが) 桃さんは、ごったがえした市場の中のお店の冷蔵庫に入ってでも、美味しい食材を選別する。 日本では、京都だとか限られた場所でしか、良い食材は手に入らないと思う。 だから、美味しい物は、自宅で食べるのではなく、お店で食べるしかないのだ。 そうして、簡単に済ませる家庭料理と、おめかしして食べる外食か、チェーン店で済ませる食事をとることとなった。 そのことに、いやしみが宿っているのだ。 「あそこに美味しいお店がある」と探し回り、聞き耳を立て、情報を集める。 食べたことのない料理に舌なめずりし、街に出かけるには、食べもの屋をネットで調べる。浅ましいのである。いやしいのである。 恥ずかしく感じるのだ。 これは、一つの不幸である。 僕たちには、ローカルなソールフードを美味しく食べることが出来なくなっているのだ。 実際に新築された家庭には、見栄えの良いキッチンはあっても、湯沸かしとはさみとレンジで食事はすまされると、研究報告がある。 朝は忙しいので、ミニカップ麺、休日の昼は多種類あるカップ麺の内、好きなものが選べる。夕飯は、コンビニ弁当。 3時のおやつは、子供の為に、クッキーなど手作りする、総じて買い食い状態だが、ご本人は、私は子供のことを思って、料理を作っていると見解を述べている。(岩村暢子著、普通の家庭が本当に怖い) さすが、還暦も過ぎる世代は、食材を切り、煮炊きする家庭が多かろうと思うが、冷凍食品が優位な食事が多いと聞く。 その上、僕たちが家庭で煮炊きして作る物は、カレー、ハンバーグ、ラーメン、焼きそば、スパゲッティ、どこに歴史がある食べ物があるか? 今家庭で食べられる、和食とはどのようなものなのだと、疑わなければならない。 日本の和食は、お店で食べる料理である。 フランス料理やイタリア料理と同じ外食産業である。 明治以降徐々に作りだされたものだ。 フランス人が和食を研究に来ているが、和食はそこまで成長したのだ。 ■ 内田樹はそれらの原因を書いている、長文だけれど掲載する。
「脱グローバル論」という書籍の前書きです。 ローカルなソールフードという食文化を、僕で言えば、春のいかなごの焼き物、ヌタの和え物、ごまよごし、とうふの白和え、丸もちの入った白味噌汁、鳥の胆などは、母親と同居の時には食べられたが、今は伝えても味が違う。それらは、完全に過去のものとなってしまった。 僕たちは、スピノザのいう「賢者」にならなければならない。 暇と退屈と不満によって、興奮させられることを、俯瞰して眺めていなければならない。 スピノザは、 「味の良い食物および飲料をほどよくとることによって、さらにまた、芳香、緑なす植物の快い美、装飾、音楽、運動競技、演劇、そのほか他人を害することなしに各人の利用しうるこの種の事柄によって、自らを爽快にし元気づけることは賢者にふさわしいのである」と述べる。 ウイリアム・モリスが、「人はパンだけで生きるべきではない。パンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾らなければならない」という。 僕たちは、消費に踊らされることなく、爽快で元気になる美味しい物を取る努力をしたい。 桃さんの中華のように、美味しかった、良かったと爽快になるには、何を目指すべきだろうか? ● 僕たちは、狩猟採集生活で、ナッツ類、根菜類、サケなど川魚、池海の貝類、時々の小動物の肉、たまに鹿猪などの肉を食べていた。アフリカからチベット経由で、移動してきた人々は、時には焼いてもそのまま食べることもあっただろう。 1万年前から地球は温暖化をたどり、狩猟採集地である草原が、木々の生える森となって、徐々に定住を余儀なくされた。 もともと狩猟採集気質で生まれきた我々には、定住は食糧自給や、死体の処分、人間の廃棄物の処分など、克服しなければならないことがある。 定住は、はなはだ困難であった。 定住による地域の食糧の食べ尽くしによって、飢餓が訪れる。 依って栗やナッツ類の植林と貯蔵、川や海の近くに魚、貝を求めてその地に定住した。 そうした中、食べ物は、自然からの贈与と認識し、返礼や祈りで祝福した。 日本人は、爾来取捨選択しながら、外来文化の吸収が抜きんでていた。 中国の漢字を取り入れ、かなに変換した言語を国語とした。 中国江南の民や、朝鮮半島から移動してきた人々が大和の国を作ったと言われ、「奈良」と言う言葉は、朝鮮語の国と言う意味をもち、奈良に都を作る時に付けたという。 中国・韓国とは切り離せない出自を持つ日本人は、自国の文化にこだわらず、寛容だったのだろう。 また、勉学熱心であったから、取り入れることが出来たのだろう。 カレーも作り、スパゲッティーも作って来たのだ。 ● 世界が植民地支配に野望を膨らませていた時、中国は、自国文化を愛し過ぎていたがために、英国の侵略を受けたのだと思う。 100年の苦難の時代があったのだ。 それを見ていた日本は、攘夷攘夷と言いながらも開国を率先し、西洋の文化を取り入れた。江戸時代は、民衆が革命を起こす動機はなかった。 外圧によって開国せざるを得なかったのだ。 川勝先生が書くように、英国は、産業革命で大量につくれるようなった綿の夏服の販売先の開発のために植民地を欲したが、日本では、絹織物の一重や、ゆかたで夏を涼しく過ごすことが出来るため、英国製夏服の需要が少ないので、強硬に植民地化しなかったと言われる。 自国を愛した中国も、現在、時代の要請で、変容せざるを得ないだろうが、こと、食べ物のこととなると、歴史がはぐくんだ料理方法が未だに浸透している現状に、すこし、うらやましい気がする。 世界のすべての物から換骨奪胎しながら、我がものとした日本の特技は、グローバリズムの波にもろに乗り、それを違和感なく過ごしてきたが、桃さんの食事風景を見ることによって、ローカルなソールフードがなくなっている自分に、はずかしさと嫌悪感を抱いてしまう。 2013/6/20 近藤蔵人
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