2年生のみんな、こんにちは。 今日は、おばけの話か、ゆうれいのお話でもして、みんなをおどろかそうと思ったのですが、 夜、おトイレに行けなくなるとかわいそうなので、おばけの話はしないことにしました。 おばけの話をきくと、おねしょを思い出す人がいますが、みんなはどうでしょうか? おばけと、夜と、おトイレの言葉をきいて、おねしょがあたまにうかんだ子はいましたか? ぼくは、高学年でも、おふとんにおねしょをして、朝になってはずかしくて、おきるのがいやなことがありました。 こわくておトイレに行かなかった夜のことです。 夢の中でたのしい遊びをしていると、おしっこがしたくなりました。 ずぼんのチャックを開けて、ジャーとおしっこをするのですが、 夢の中のおしっこは、外にとんでいますが、 内またがだんだんあたたかくなってきました。 それで、夢だとわかったので、がまんしようとしたのですが、もうパンツはぐっしょりぬれて、がまんができません。 ないしょで、パンツをぬぎ、ふとんのはしっこで朝までねむりました。 わるい子でしょ。 学校からかえってくると、ものほしに、ぼくのおふとんがほされていて、どこかの国の地図のようにおしっこが広がっていました。 となりのおばさんに「だれだい地図をかいたのは?」と言われて、 それは,はずかしかったですよ。 だから、ぼくは、夜とおトイレとおばけの言葉で、あたまの中からおねしょが出てきます。 ことばのちからです。 ことばには、お母さんと言えば、お母さんがうかんできます。 学校と言えば、みんなそれぞれのあたまの中から、学校のイメージがあらわれます。 宿題といえば、いやだなーと思う子供と、 ぼくが「学校ってすごいね、生徒のあたまをよくするために宿題まで出してくれるんだよ」と言うと、「そうだね」とこたえる子もいます。 ことばから、ことばのとおりのことがあたまの中にうかびます。 たのしいねと言うと、たのしい気分のことをあたまの中で感じます。 いやだね、と言うと、いやなことが頭の中で思い出します。 それを、昔の人は、ことだまと言いました。 今は、なくなったけれど、昔にあったことがたくさんあります。 ことだまも今あまり聞かないでしょうが、昔は、みんな知っていたことばです。 ことばにたましいが入っているという意味です。 夏休みと言えば、みんなウキウキするでしょう。 月曜日と言えば、みんなどう思いますか? ためしに、いろいろな子に聞いてみたのですが、いやだなーといいます。 では、土曜日、日曜日と言えば、どう思いますか? みんな、大好きというでしょう。 ことばに、みんなのたましいがあって、そういう風に感じるのです。 こんど、お父さんとお母さんがけんかしているところを見たら、 きみたちは、「みっともないよ」と言ってみてください。 きみたちは、2年生だから、お母さんのことやお父さんのことを考えて、 だまってがまんしていることもあるでしょうが、 いちど、言ってみるといいのです。 きっと、みんなの顔を見て、だまると思います。 大人は、大人の言うことをきいても知らんぷりします。 他人が言うことだまの力を感じなくなったからです。 おとなは、ぼうぎょのまくを作って聞かないようにしているのです。 でも、子供のことだまの力は、きょうれつにつよいので、 お父さんやお母さんのぼうぎょまくをはかいしてしまいます。 “イグノーベルしょう”という、おもしろい発明をした人に“しょう”をあげる発表会があります。 しょうをもらったひとは、ステージの上で長い話をしてしまいます。 長い話だと、きいている人がたいくつするので、 3分たつと、8才の女の子が、 「もうやめて、つまんなくて聞きたくない」と言います。 そういう、やくめをさずかっているのです。 発表者は、8才の女の子に言われると、ショックをうけて話すのをやめるそうです。 おとなに言われてやめなくても、子供の声を聞くとやめるそうです。 まだ話したい人は、女の子に、おかしやら、おもちゃをあげて 「もう少しお話しさせてください」とおねがいするそうです。 8才の女の子だから、君たちとおなじです。 それほど、あなたたちのことだまの力はつよいのですよ。 おとなの何ばいもの力があるのです。 だから、バカとかきらいとかは、言わないほうがいいのです。 バカと言われた子は、ことだまの力で、おちこんでおこってしまいます。 きらいとか、あっち行ってとか言われた子は、ことだまの力でかなしくなります。 子供たちが、よく「バカというやつがバカ」と言いますが、 これも本当のことです。 昔から言われていましたが、バカと言う子は、あいてにことだまをぶつけていますが、 自分にもことだまをぶつけています。 バカといういかりが、自分の心にたまるのです。 きらいと言う子は、自分をきらいと言っているのです。 自分の心に、ばかとか、きらいがはいっていると、そうぞうしてみてください。 楽しいはずがないと思います。 これは、自分をふしあわせにするいやな言葉です。 おかあさんにしかられて、「おかあさんなんか死んでもらいたい」と言ったり、考えた子は、自分にも、死んでもらいたいと言っているのです。 お友だちに、「死ね!」と言った子は、自分に死ねと言っているのとおなじです。 おそろしいことです。 すぐにていせいすれば、死ねは出ていきますから「ごめんね」とあやまればいいのです。 だから、いやな言葉を見つけ出して、言わないようにしたほうがいいのです。 気をつけてくださいね。 人間は、わがままに好きかってにしたいのですが、そうすると社会がなりたちません。 だから、先生も、大人も「だめですよ」とか「これしなさい!」とか言いますが、 それは、しようがないのです。 おかあさんに色々注意されたり、おこられたりして、いやなことも感じるでしょうが、 しようがないことなのです。 サッカーは知っているでしょ? サッカーは、「ボールを手でさわったらいけない」とか、ボールの前で待っていたらいけないとか、しんぱんが、イエローカードを出したりしますね。 はじめは、何をしてもよかったサッカーも、だんだんにきそくを作りました。 サッカー場で、好きかってしている試合なんか、美しくないですよ。 社会が、うまく成り立つためには、どんなゲームにも、きそくがあります。 おまま事にもきそくを作るし、ドッチボールにもきそくがあるでしょ。 ぼくも、家に帰ると「おかずをこぼさないで」とか「おトイレ行ったら手をあらって」とか注意されますが、それは、しょうがないので、聞き流します。 え!聞き流しちゃだめだって?すみません。これからは注意します。 だから、きそくがあるのはしようがないので、みんなで守ってください。 そのほうが、みんながなかよくできるでしょう。 でも、時には、何をしても良い時間がひつようです。 人が力を出せる時は、もんくを言われないで愛されていると感じる時だからです。 その時には、問題は発見しないほうがいいし、問題をかいけつしないほうがいいのです。 テストと反対ですね。 なぜなら、人の力を出しやすくするには、安全基地が必要だからです。 問題を発見してうるさく言われると、心がちじこまって力が出せません。 だから、見守られている自由なばしょもまた必要なのです。 ことだまの話をしていました。 言葉にたましいが入っているというお話でした。 次は、 そのたましいが、他にもあるかどうか考えてみましょう。 ワンちゃんは、かいぬしが家に着く前にげんかんで、かいぬしが帰るのを感じて、楽しみに待っています。 かいぬしが見えなくても、においではなく、かいぬしを感じてまっているのです。 それは、ワンちゃんが、かいぬしのたましいを感じているからわかるのです。 ねこちゃんも、うさぎちゃんも生き物すべてに、たましいがあって感じています。 「いい子ねー」とワンちゃんをほめると、うれしそうにしているのは、言葉がわかるからではなく、いい子ねーと言った子のやさしさをたましいが感じるから、うれしそうに、とび上がったり、なめてきたりします。 サボテンにも、たましいがあるとけんきゅうがありますよ。 7人のお兄さんが、サボテンの前を通りました。 一人のお兄さんが、サボテンをけったそうです。 そのあと、また7人のおにいさんに通らせると、けった人が通った時にだけ、電気のはんのうがあったそうです。サボテンも感じていたのです。 ふしぎですね。 ぼくが考えると、石にも、山にも、木にも、空気にも、海にもたましいがあるとおもいます。 むかしのひとも、そう言っています。 今の大人は、感じないようにぼうぎょのまくを作っているのでわからないでしょうが、 君たちには、まだまだ、感じる力があるから、よーく感じてみてください。 イギリスの国では、いやなことがあったら、木をだっこすると、いやなことをわすれて、なぐさめられると言いますよ。 いちど、木をだっこしてみてください。 アメリカの、ネイティブアメリカンと言ってインディアンと言われていた人たちは、「白人は、木がいろいろ話しかけているのに、聞くことができないようだ」と言います。 木の話がきけるかなー? たいせつなことは、自分のきぶんをだいじにするのではなく、お友だちや、木や花のたましいを感じることです。 朝、教室でお友達に会ったら、今日は元気そうにしているなとか、 今日はお家で何かあったのか、さみそうだなと、感じるでしょ。 その感じることを、大切にすればいいのですよ。 君たちが、野原をさんぽして、 むらさき色や黄色い花をつんでみたり、 ドングリをひろったり、 落葉をながめたりするのは、 花が見てねと言っているのを感じるからですよ。 ドングリは持って行って遊んでねと言っているし、 落葉がきれいでしょと言っていることを、 君たちが感じるからなんですよ。 今日は、たましいの話をしましたが、かがくでもたましいのことが、いくらかわかってきたようですよ。 「生き物のまわりに弱い電気のバリアがあって、それを気配(けはい)として感じる力が、生き物にあると言うけんきゅうです」気配がたましいのもとだと、ぼくは思っています。 殺気(さっき)と言う気配があります。おさむらいさんが、かたなを持っているときだす気配のことです。後ろを見ていないのに人がいることを感じることがあるでしょ。それが気配です。 気が付くとか、気になるとか、気持ちがわるいとかは、気配のことかもしれません。 もっともっとけんきゅうして、いろいろなことがわかればいいですね。 近藤くらひと 27年11月12日
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