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知ることの楽しみ

掲載日:2015/7/23
 人間は、60兆個の細胞からできているといわれる。

 その一つ一つの細胞を、僕たちが読める程度の大きさで、タンパク質などの組成として記号で書き表すと、東京都の立方体の大きさになると言う。そんなに複雑なもの、人間の理解の範疇を超えると、科学者も頭を抱える。現在の人類の脳の容量では小さすぎて把握できない。(遺伝子研究の最終目標は、これが理解できる脳の増殖とサイボーグ化だろう)
 その細胞の中から核を取出し、人の細胞に取り入れ、再生医療に使えるようにしたものがIPS細胞で、開発した山中教授はノーベル賞を受賞した。千回ほど繰り返してやっと成功した実験で、その後追試も成功したが、この実験はコシヒカリやサラブレッドを作り出した品集改良と同じ育種と言われている。人工的に合成したもので、それを繰り返して治療に充てるというのだ。科学と言うより科学技術に分類される。本来の細胞の分析や理解が出来ていなくても、混ぜ合わせた結果出来た細胞のため、癌化する可能性は否定できないとも言われている。

 ノーベル賞は基礎研究に寄与してきたが、このところは青色LEDのように実用的な物にも授与するようになったのは、京都賞のレベルが上がった為、京都賞をつぶしにかかった結果とも言われている。僕がこの件で、話をすすめたいことは、小保方氏のスタッフ細胞について考えてみたいからである。
 実験結果の新聞記事が出た時、僕はすぐに反応して文章にした覚えがある。後に、下記の記事に書かれていたことと同じ感慨を持ったからだ。それには「外的刺激による初期化は、生物が生存のために環境に適応する進化的意味合いを持つものとして、未知の生命現象が解決する可能性をもち、IPS細胞を超える『全能性細胞』の可能性がある。子宮に移植すると、完全なクローン人間が作ることが出来る」と。
 突然変異も解明できそうだし、今西錦司となえるところの、すみわけ理論にもこの結果が繁栄されそうだった。生命現象である細胞が、生き続けるために必要な気質とも言えるものである。
 かつて、外部刺激を与えた癌細胞をマウスに戻したところ、正常細胞に戻った実験があったそうだが、何年かにわたって追試したが、同じ実験結果が出なかったらしい。小保方氏の研究は、この実験と同じ、生命体そのものの進化を扱うものだと思われた。
 実験はねつ造だと言われ、彼女は理研を首になったが、整形外科医であった山中教授が開発したIPS細胞のように、治療に役立つ研究というより、世界の常識が変わる大きな実験結果、そういうことは生命にはありうるだろうと考えられる実験結果の為、目先が狂ってしまったというか、待望しすぎの思惑が実験を操ったと思われる。
 実験科学は、養老先生が複雑すぎてやりたくないと何かで述べていたが、第一に先にあげたように細胞自体が複雑で、その上時間とともに変化もするし、とても理解できる代物でない。同じ手の皮膚の細胞でも、遺伝子変異して同じ細胞でないものがある。その為、実験に適した細胞を選定する人はソムリエと言ってその能力を評価される。
 実験細胞を培養する液の組成をどうするか、完全無菌培養液に大腸菌が入っていることもあったという。培養実験のスペシャリストは、ほとんどが女性、小保方氏もその例に漏れない。
 IPSで千回の実験だが、何回、それも何年やればいいのかわからない。その後の追試にも相当の時間がかかる。再実験できない実験は、今回のように歴史から消えていく。その上、実験や化学する心にバイアスがかかり思い込みが入る。(僕のように、こんなことは細胞は当然行っているはずだ、と言う思い込みがある)

 ドーキンスが遺伝子の連鎖について述べたが、遺伝子自体では、次世代に移行出来ない。細胞に入って、細胞が細胞を引き継いで遺伝子も生き延びる。細胞は、40数億年前の初期の記憶から、現在まで途切れることのない記憶の連続体である。細胞は、膜で資源を囲い込み「小自由度(核)」が「大自由度(細胞全体)」を制御する。細胞と言う観点から見ると、あらゆる生物は万世一系である。

 意識は、脳が作るのでなく細胞が作っているふしがあるといわれる。一つの細胞が生存可能な状態を模索し、その為行動や形が変化する。細胞は、徐々に高度な感覚を持ち、ストレスや興奮などの影響を受けて、感覚受信の力を強め、意図や作為となる。神経細胞、軸索、シナプスなどの相互作用で、それを言葉にできるようになる。
 おおざっぱな系譜だけれど、細胞が意志を作り出す原型を考えてみた。神経細胞が寄り集まった脳は、それぞれの神経細胞の個性が脳髄の連携によって意識を作り出すと考えられる。人体や生命体から切除し取り出した細胞の実験は、自然状態ではないので,自然体での実験結果は当然変化するだろう。実験結果は、実験者の論理構造に従うことによって客観的になることはない。

 世界は相互に依存する。これは、細胞は細胞膜によって自分の内と外を隔てており、その中の細胞核は細胞全体の新陳代謝をコントロールしている。その細胞たちがネットワークで構成されており、人間の社会も細胞の構造と類似している。国民国家も細胞と同じ生命現象であるとすると、社会構造の癖を調べるには、細胞同士の癖を調べる必要がある。

 人間の感じる不条理や不合理は脳内現象で、世界には不条理なことも不合理なこともない。この世界に矛盾はないが、脳の中では矛盾していると感じる意識が生じる。不合理の存在しない世界で、人間が不合理を感じているだけである。
 慢性腰痛の治療では、過去に物理的な痛みがあり、現在物理的にどこかに損傷がなくても痛みが引き続きある。脳内の痛みを左右する一部の神経細胞の働きが衰えて、痛みを抑制できなくなり、そのため、物理的に痛みがないというビデオを見せるだけで改善することがある。世界が不合理でなく、脳内が不合理に活動している例である。
 貨幣や国家もすべてが自然法則に則って生じる。人間の意識も同じように細胞が作り出す自然現象となっている。家内の言うことも、孫のわがままも、電車が混雑することもすべて自然現象と捉えると、唯一人間が、それらを不合理と感じること自体が不合理なのだけれど、「世界の在り方を批判するのではなく、それらと向き合い、触って見たりいじってみたり、コミュニケーションしてみたりするとよい、」と、なめらかな社会とその敵を書いた鈴木健が、新しい生き方の指標を示している。
 人は、自分の発見により自分を変えることが出来るが、人から変えられるのには、絶対的な抵抗をする生き物である。そうして、人は変わることが出来るが馬鹿さ加減は変わらないと、ルナールの箴言にある。僕は、知ることの楽しみ、これだけでも良いと思っている。

 ちなみに、小保方姓は、上野の国佐位群小保方村の出自で、現在の伊勢崎市東村小保方にて小保方晴子氏の祖父か誰かが生まれている。実験の追試が成功していれば、ノーベル賞も夢ではなかっただろう。

近藤蔵人  平成27年7月15日





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