第1章長年の友人が、過分の蓄えを持ち、自分の会社を部下に譲り、仕事のための人生ではなく、楽しみに人生を費やしたいと隠居の望みを果たした。友人たちと隠居の話をかわしていたが、僕はといえばその時は絵描きにでもなれればと、ぼんやり思っていたが望みかなわず今に至っている。 その彼が、安いコーヒーの豆を売っているところを見つけたと連絡してきた。 仕事のついでに、そのコーヒー屋に立ち寄ると、確かにモカが他店より安い。 家に帰って豆をひこうと粒を眺めると、ほとんどの豆が梅毒にかかったように変形している。 豆は、少女のようでなければ癖が出て美味しくない。 楕円の形の中、一本の割れ目がすっと入っているものが素直な豆だが、この豆はゆがみ、割れ、穴が開いている。イエメンのモカ港から来たものをモカと呼ぶそうだが、選定しないものを買うと手間がいらないので安く仕入れられる。 買ったあと一面に広げて、欠点豆と言われる虫食い、未成熟、カビ、発酵、異物変形したものを取り分けて販売することになる。本来なら捨てるものかもしれない。 この店の豆は、その取り除いた豆の中異形変形したものを集めて売っているようだ。 友人は、嬉しそうに語ったがその話をするとしょんぼりと僕の顔を眺めた。 彼は仲間で吝嗇を競い合っている。 どれだけケチな人生を送れるか競争しようとしているのだ。 欲しいもののうち最安値を買い求める。 飲みに行けば、お前が払え、いや、お前のつまみが多いからお前が払えと、意気盛んに会話しているが、なれないと聞いていられない。思うに彼らのその会話にこそ彼らの生き様が込められていたのだ。 その吝嗇と粋(いき)について書きたいと思うのだが、次に、 清水宏監督の小原庄助さんという映画に寄せて、粋について書こうと思う。 今では世間に知られていないが、当時、小津安二郎も溝口健二も彼を天才と讃えている。 一時田中絹代と生活していることもあったようだ。 彼の映画「按摩と女」は、現代の映画監督である石井克也がほとんどその映画のシーンを模倣再現して撮影している。 数年前に亡くなった「台風クラブ」の相米信二監督も、この小原庄助さんをベスト5に選んでいる。 戦前の伊豆で撮影したこの映画は、旧家の大庄屋のあるじが主人公(大河内伝次郎)で小原庄助さんとあだ名されている。時代とともに庄屋は落ちぶれていくが、この映画はそれがテーマでなく、彼の人生観に不意を突かれて見入ってしまうように作られていると思う。 小原庄助さんは、会津磐梯山の民謡に登場する架空の人物で、 「会津磐梯山は宝の山で、・・小原庄助さん、なんで身上つぶした?朝寝朝酒朝湯が大好きで、そーれで、身上つぶした」と歌われる。 庶民目線で、仕事もしないで朝寝朝酒朝湯で生活すると、身上を持ち崩すと揶揄している。 だが、考えるにそういう生活が人生の理想ではないだろうか。 おいおいその話に行き着けばと思う。 主人公は確かにそのような生活に見えるが、青年のころ肥くみもしたいし勤めにも出たいと言うが、許されなかったとセリフがある。 これは、主人公が庶民と同じ生活をしたい。 庄屋の身分でいるのは耐えられないと考えているからだろう。 両親がなくなると、村人たちの寄付に応じるようになった。 野球チームにユニホーム一式買い、洋服の時代だと言われて10台ほどのミシンを買ってやり、縫製の先生まで付けてやる。訪れた客には、ありったけの酒をふるまい。 当然,家産は傾き雇人も払い着物を売っても村人を助けてやる。 やくざもんと同棲している娘を連れ戻してほしいと言われれば、町に出向き娘と相対するが、娘の意見に折れて帰ってきたやくざと飲みに出かける。 要するに、常軌を逸して村人を助けてやるつもりでいる。 借金してまで、村人に尽くし挙句に家財田畑をセリにかけて借金のかたに売ることとなった。 奥方は風見章子が演じているが、良家の娘らしく気品があり、世帯ずれなく,あるじの大河内伝次郎にかいがいしく尽くし家財がなくなるも不平は漏らさず、まことに美しいたたずまいを演じている。 家財のセリの日、主は茶店で芸妓の歌を聴いている。 三味線芸者が会津磐梯山は宝の山よ、と、美しく歌っている。 声に張りがあり、みずみずしく聞きほれる。 数人の芸者と、いろいろな料理を運んでくる中居が御燗した酒を運んでくる。 掛け軸があり、障子で下界から閉ざされており、選りすぐられた調度品がならんでいる。 寒村から売られてきた芸子は、芸を磨き客あしらいを覚えさせられ,苦界の中華々しい衣装を着ている。 芸者は客に色気を売り、客は好みの芸者に言い寄る。 時には肌を触れ合うこともあり、奥の寝床に二人で連れ添うかもしれない。 それでも、気を許しあう素振りだけの関係を保つ。 川端康則の雪国にも、芸者と客の関係を昇華されて書かれている。 だがこの主は、芸妓に向かわず難しい顔をして酔いつぶれていく。 家産を売り払うのだから苦しいのは理解できるが、 主はこの映画の初めからしかめ面をしている。 苦々しい思いで始終演じている。 祖先が築いてきたものを蕩尽するのだから笑っているわけにいかないのだろう。 それとも、自分の裕福な境遇に嫌気がさしているのかもしれない。 だが、平等主義を確信犯として貫きたい。 終盤になって売りつくして何もないところに二人の泥棒が入ってくる。 襲われたところ居合で投げ飛ばし、もう少し早ければ何かやるものがあったのにと二人を座らせて酒を酌み交わす。 エピローグ、大きな門扉に会津磐梯山の歌詞を筆書きしたものを張り、家を離れ意気揚々と駅まで歩いていく。私は自信をもって、身上をつぶした小原庄助さんでよいと村民に告げているのだろう。 後ろから、実家に連れ戻されていた風間章子がついてくる。 映画は終わり、二人の歩く姿の上に「始」と大きく書かれて映画は幕を閉じる。 これを主は待っていたのだ。普通の生活ができる。 大体のあらすじだが、肥くみもしたい、勤めにも出たいという場面で、僕は、居住まいを正して見ることになった。これは尋常の映画でないと思ったのだ。 しかし、大原庄助という架空の人物は、会津磐梯山の民謡に唄われ身上をつぶす見本となり世に知れ渡った。人々はせっせと働くことだけが目標となった。 さて、粋の話になるが、 この時代は、遊郭や芸者遊びがまだ生きていた。 恋愛は、生活の中では成り立たず仮想恋愛を楽しむ場が遊郭だった。 永井荷風もその生活に恋していた。 そこにいる遊女・遊び女は古代から存在する。 「聖なるものにして性なるもの」が古来の巫女と同じ遊女の象徴性と言われている。 今様を謡い、物語り、貴族にも寵愛され天皇の子を授けられた者もいる。 日本において美意識を物語として語ることができたのは女性だけだった。 古い話だが、更級日記(平安中期)に足柄山のあそびめ(遊女)の話がある。 「足柄山は暗く、空のけしきは、はかばかしくみえず、えもいわず茂りわたっていて恐ろしげであった。麓に宿ったが、月もなく暗い夜に、闇にまどうように、遊女が3人、どこからともなく出てきた。50ばかりの者、20ばかり、14か15の女であった。庵の前に、からかさをさし据えた。男どもが火をともして見たところが、髪がたいそうながく、額にうまい具合にかかっていて、色が白く汚げなく、相当の良い家の下仕えとしても務まりそうだと人々が哀れがった。昔に名のあった「こはた」という遊女の孫であるという。 声は似るものがないほど、空に澄み渡って、めでたく歌をうたった。 ひとびとがたいへん感動して、身近に来させてもてはやして、 「西国の遊女はこうはいかない」などと言っているのを聞いて、 「難波わたりにくらぶれば」と即興でめでたく歌った。 見た目にもきれいなうえに、声も似るほどがないほど良い声で歌ったものが、 このように恐ろしげな山中へ帰っていくのを、ひとびとはあくことなく見送った。 わたしは幼い心に感動して、この宿りを立ち去るのさえ嫌だった。」 東からの旅の帰りの少女の日記が更級日記である(脇田春子による現代文) 江戸時代になると、小唄や端唄、長唄などに洗練されて歌われるようになった。 林芙美子と、粋の構造の作者九鬼周造が北京の滞在から戻って、京都の自宅で小唄のレコードを聴き、林が「小唄を聴いていると何にもどうでも構わないという気になる」世のことはどうでもいい気分になる、それを聞いて一同共鳴して涙がにじみ出てくる。 自分に属して価値のあるようにおもわれていたあれだのこれだのをことごとく失ってもいささかも惜しくないという気持ちになると、九鬼は書き足している。 遊郭の環境は、そのようにできている。 家業も家族も生業もすべてを忘れることができる。 遊郭と言わず僕たちは、この環境から幾たりとも離れられないだろうか? 最終章でそのことに行き着けばとこの文章を続けることにする。 小唄も端唄も何度聞いても感動できないが、僕らが庶民でしかないから遊び女の世界に溺れることがなかったから理解不能ではないかと思う。 だが、確かに海外からは芸者・富士山が日本の象徴ととらえられている。 なぜ芸者なのか解らなかったが、日本の文化として忘れてはならないものなのだろう。 芸者の世界から九鬼周造は「粋の構造」を執筆する。 東京帝国大学哲学科の大学院を出た後,大正10年ヨーロッパに留学し、フッサールやハイデッガーに学び、フランスではベルクソンに教えを受け、サルトルには家庭教師と通訳をうけ、8年間の海外留学でも西洋哲学は彼に答えをあたえることはできなかった。 生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならない。と、芸妓であった母親の生き方を含めて、「粋とはわが民族に独自な生きかたの一つではあるまいか」と書き、 「日本人の生き生きとした意識のあり方の本質がある」と宣言する。 粋とは、女を囲うとか、芸者や花魁や遊女といった異性との関係の中でのことであると考え、男女の間にある、なまめかしさ、艶っぽさ,色気こそがいきであり、小原庄助さんの妻女のように上品さはいきではないと述べる。 互いに思いあいつつ、極限ぎりぎりまで近づきながらも互いに執着せず、淡々と瀟洒な心持でいる。そうした垢抜けしたところがあってこそ粋だという。 しかも、男女間に存在する「媚態」と、武士道に由来する「意気地」、仏教を背景とする「諦め」という、三つの形式を取り上げて粋に内包させることをしている。 ここで取り上げた粋について、九鬼周造を一時代前の考えだととらえることはできないと思う。 僕たちは、好きな異性に直接の行動は差し控える心性がある。 異性への色気は十分に感じても(媚態) 近寄って本心を話すには、(意気地)があって邪魔をする。 そして、遠くから眺めているしかないと(諦念)する。 彼の言っていることは、遊郭だけでなく生活に根差している。 釣りに粟島に行くと、年間ひと月近く同じ民宿を訪れる東京で個人営業のタクシー運転をしている男がいる。夏には無給で手伝いの番頭さんをしている。 昨年はすべての連休を使って訪れていたが大物の魚は一匹も釣れていなかった。 彼はそれでもいいのだと思う。口にこそ出さないが宿の女将にプラトニックな気持ちがあるからだ。女将には恋人がいる。それでもいいのだ。 なんと粋なことだろう。 確かに、小唄を聴いて涙をぬぐうことはできないが、音楽は僕たちの琴線に触れると、とりあえず言っておきたい。 粋には、宵越しの銭を持たない。 武士は食わねど高楊枝と言われるが、それは、意気地にふくまれることで、 九鬼周造は、あこがれ、求められ、際立っていくものを求め続けた。 そして、九鬼周造は一貫して、高み、遠さ、はかなさ,少なさを至上の価値として、簡単に到達できない、入手できない、出会えないものに深い価値を置いていたと、松岡正剛が日本人の美意識の中で述べている。 第2章次に、見田宗介という社会学者の、ロジスティック曲線について書いてみます。学者の文なのでうまく書けるかどうかお楽しみというところです。 ロジスティック曲線とは、生物を生存に適した環境に放つと、ある時点から爆発的に増殖するが、環境資源の限界に近づくとスローダウンし、安定した平衡状態に達することを表した曲線のことを言う。 その環境に入った生命は、 徐々に数を増す、それを一代目とし、 爆発的に増える段階を2代目とし、 環境が臨界に達すると安定期に入る、それを3代目とする。 現在人類は、爆発期の最終局面に入っていて、どうやったら安定平衡期を迎えることができるか大変難解な模索の時代で、限界に達した後も環境資源を食い尽くすと、衰退し滅亡する。地球という有限な環境に生きる人間も、この曲線からは逃れられない。 限界を過ぎても無理やり成長を続けようとする力と、持続可能な安定へと軟着陸しようとする力とのせめぎ合いの時代ととらえている。 成長をあきらめた社会に、よいイメージが持てないのは、近代の価値観にとらわれているに過ぎないという。 作者は、バタイユを例にとり、自由と贅沢な消費とを何より愛した思想家バタイユは、至高の贅沢として、「奇跡のように町の光景を一変させる、朝の太陽の燦然たる輝き」の体験を語っている。 生きる喜びは、必ずしも大量の自然破壊も他者からの収奪も必要としない。 禁欲でなく感受性の開放を行うことが、3代目の安定期を示唆していると言う。 1代目は、猛烈に稼いで豊かな財産を築きあげ、 2代目は、1代目の苦労を知っているからさらに稼いでお店を大きくする、 3代目になるとその辛苦を知らないので、文化や趣味に生きて散財する。 人間にとって究極の幸福が、金を稼いだり権力を持ったりすることではなく、文化や自然を楽しみ、友情や愛情を深める。それこそが、本来求めている価値だからである。 3代目の生き方は、資源消費も環境破壊もしない、共存する安定平衡的な生き方である。 1代目の貧困な価値観から見ると、怠けているように見えるが、3代目社会こそ人類が目指すべき社会と言う。 問題は、現代は2代目社会のため、まだ成長しなければならないと思っている段階であることだが、成長の足かせがなくなると、それぞれの個人が、自由に平等に自己実現しながら、家族の在り方を自由に選び、近代の理念の自由と平等が実現できる。 GMの破たんは、リッター5キロという燃費により販売数が激減したためであり、日本でもお金を使わない若者像がある。ブランドに関心がなく、高級車にも関心がない、海外ツアーも望まない。地球資源が有限であることのための、変遷であろうとされる。 人々は薄々とではあるが、3代目社会に移行しなければならない時だと感じている。 アンドレ・ゴルツというフランスの社会学者が、豊かな現代社会で必要な労働時間を算出している。 それによれば、週に10時間働けば足りると述べている。 無駄な労働を減らせばその時間になる。 戦争に備えた防備や訓練、生産と消費を結ぶ流通過程をローカルにする。 バーチャルな金融システムをやめる。 各会社が過剰な利益を上げない。 それらを除いて人々が食べて生きていくのに必要な労働量を算出して、健康な労働人口で割ると週10時間労働が可能になるという。5日働くとして1日2時間の労働である。 その他の時間は、趣味や楽しみや小原庄助さんのように朝寝朝酒朝湯についやできる。 農業や牧畜や漁業によって食べていかなければならないが、10時間労働でも手分けして就労すれば可能だというが、その時間割が精密に算定できれば、ノーベルの賞がもらえると書いている。 そういう社会が構築できるには、最低でも100年かかるだろうと述べる。 見田宗助の著作の理解できる範囲の転載になってしまいましたが、 ここに記載されていることで、世界はいつの日かバラ色になりそうに思えるが、いかがでしょうか? それとも、過剰な生産を続けて破滅に向かう方向を取るだろうか? おおよその人々が、安定平衡期を享受するには100年ということだろうが、 僕の友人は、10年近く前に、隠居生活に入っている。 これからは遊んで暮らすと会社をやめた。潔い選択である。 彼の問題は、(問題など考えなくともよいと彼は言うだろうが) ケチだということだ。 つつましく生活することは悪いことではないが、金銭が大切で、味覚は後回しということになると、これでは粋な生活はできない。 ほとんどの日本人は、感受性という優れた性質を享受せず、金銭感覚をたいせつにしている。そうして、感受性を放棄するものだから、音楽も文学も自然をも感じるまで至らない。 日本人には、粋という微小なものにも感受する心性がある。 粋として生活する場面は数え切れなくあるだろう。 例えば、スーパーマーケットは、心のこもったものを販売する場所ではない、最低に落とし込んだものを売っているところだ。それでも、経営的には、多大な利潤を出している。アメリカのウエルマートは、アメリカの企業の中、売上額は1位であるそうだ。石油企業をも抜いている。 大量に多品種を廉価に販売することで、利潤がある。だが、昨日の新聞には、イトーヨーカ堂の20店舗を閉鎖するとあった。それらの周りの商店は、軒並み廃業に追い込まれ、挙句、廃業させた等の会社が廃業してしまえば、住民はどこで生活用品を買うことになるのだろう。廃業決定したのは、当の幹部たちだが、廃業のいきさつは住民の購買行動によっている。はじめから地元商店で買い物をしていればこういうことにならずに済んだだろう。 粋な計らいが足らなかった。 人口減少が人類のすう勢だとしたら、大量販売しないと生き残れないスーパーは、まだ撤退し続けると思われる。 地元の商店を存続できるように応援しなければならない。 100円でも安い買い物のため、昨年の冷凍さんまを溶かしたものでなく、三陸産の昨日水揚げされたさんまを火鉢で焼いて食べる方が脂がのって美味しいだろう。 第3章少学2年生のはなちゃん・保育園の5歳のふみや君の二人の孫と、シェフの仕事をしているシェフと4人で粟島に魚釣りに行った。9月の涼しい時節に。子供たちには、それぞれの延べ竿を持たせ、沖アミを針につけるのは僕たち大人の役目で、子供たちは海中10センチから50センチの位置に針つきえさを漂わせると、石鯛の子供やアジの子供少し大きなカワハギ、ちょっと深みにおろすとベラがかかってきた。 二人は両手で竿を持ち真剣な面持ちで竿の先の感覚と、海面下の魚の動きを見ている。 すぐにえさは取られてしまう。魚はエサに飛びつくとすぐに反転して逃げる。 口の中に針が入れば誰にでも釣れた感触が分って釣り上げることができるが、反転するまでの瞬間に竿を上げなければならない。こんこんと竿先が震える。、その瞬時に合わせる。 だから、より真剣にならなければ釣れない。 はなちゃんは、 「早く付けて!」 「今付けているから待ってよ」 「もー、遅いんだから」 「そんなこと言ったって、おじいちゃんは腰が痛くって疲れたんだよ」 「そんなこと言っても信じないから早く付けて!」 と怒られながらテグスをつかみ針を持ちひどい匂いのするオキアミを尻尾からおなかにかけて付けてやる。 「釣れた!」 ほんの5センチぐらいの縞がくっきり目立つ石鯛の子供だ。 「さっきのより大きいよ」 「早く取って」 「逃がさないでね」 「早く早く、エサ付けてよ」 ハイ解りましたお姫様とつぶやくと 聞こえていたのだ「馬鹿にしないで!」と一言。 隣ではシェフが、ふみや君にエサをつけている。 「付けて!」 「早く!」 「はいはい」とシェフが付けてくれる。 ふみや君は、釣り上げると暴れる魚を上手につかみ針をはずして、 海水の入ったバケツに魚を入れては、シェフがエサをつけている間その魚を見に行く。 シェフが「竿を置かないで持っていなくちゃあ」と言っても、 釣れた魚が見たくてたまらない。 (シェフが最後に楽しかったというのを聞いて、安心した。) 帰りの車中,はなちゃんが、 「お魚釣りまたしたい」 「こんこんとお魚がするのが楽しいの」と、話し始めた。 「粟島でなくても、どこでもいいから連れてって」と言う。 それから、 「ふみやが小学生になるのが心配なの」 「ふみやは、ちょっかいだすから」 「学童で一緒の、さくらちゃんの弟がちょっかいすると、さくらちゃん嫌そうだから。 あたしもそうなりそうで心配なの」 「じゃあ、小学校で、ふみやが意地悪されてたらどうするの」と聞くと。 「知らんぷりする」 「それに、あたしは、5分の授業休みは準備とか本のかたづけをするから外に出ないし、 お昼休みは、外に出て遊ぶのは好きじゃあないの、汗はかくし疲れるし、 でも運動は嫌いじゃないんだよ」 「教室で本を読んだり、自由帳に書いたり、図書館で本を借りたりストレッチもする。 だから会うことはないと思うよ」 「ひとりでするの?」 「ちがうよ、お友達が4,5人教室にいるからだいじょうぶ」 「へー、そういう学校生活なんだ」と初めて聞いた。 「はなちゃんは、友達に意地悪されたどうするの?」 「知らんぷりして本を読んだり、自由帳に絵を描いたりしてる。 次の日には又仲良くなれるよ」 「男の子にもいたずらされない?」 「はなちゃんは、いたずらされるタイプじゃあないの」 「どういうこと?」 「男の子は、みんな優しいの」 帰りの車中でのこと。 子供たちのママが、車にニーナシモンのCDを置いていた。 高校時代、神戸から大阪に本物のジャズ喫茶があると聞いて、友人と二人で大阪まで出かけた。中二階にある小さな店で、ドアは開いていてドアまで人でいっぱいだった。入り口付近で最初に聞いたのがニーナシモンだった。男だと思っていたが、アルバムに黒人の女性が出ているのでびっくりした覚えがある、それから、ある一枚の彼女のアルバムを大切に聞き続けている。 シェフは助手席で眠っている。 CDをいれて数曲、聞いていると、 「ママ、キタ、パ」と悲しく歌う曲が始まる。 数回同じフレーズが繰り返されて、 もっと悲痛なメロディーになる。 たまらなく目が潤んでくる。 「はなちゃん、きっと「ママはどこ」って歌っているよ」 「はなちゃんは、4歳ぐらいまでおじいちゃんと二人でお山に行くときママを思い出して、 ママがいい、ママがいいと目を腫らせていたよね」 「そんな歌だよ、どう思う?」と聞くも、 ふーんと横をむいている。 「おじいちゃん涙が出るよ」と言うと、 顔を向けて、またっていう風な表情で顔を覗き込む 数回繰り返して聞くと「ネマ、キタ、パ」と歌っているようだ。 帰ってネットで調べると「行かないで」という意味だった。 僕には林芙美子や九鬼周造のように小唄には入り込めないが、 聞きほれる歌は何曲もある。 彼らが涙したようにこの曲の中に入ってしまいたいと思うこともある。 ことさら、世の何やかやをなくしてもいいとは思わないが、 曲の中に埋没した自分がいることはわかる。 埋没して世界は音楽だけに包まれる。 幸せとも、喜びとも言えないある境地があることは確かな感触である。 社会が、虚構で満たされており、人間関係だけを感じて生きるようになっている。 他人に認められないからだろう。 バーチャルな社会が普通になって、リアルな感覚が少なく、生きているリアルが不足して、強烈と言えるほどのリアルを求めるようになっている。 見田宗助によると、神戸の酒鬼薔薇事件では、少年は刺し殺すとき、こちらを向いてと言い、ありがとうと言ったそうだ。後ろ向きをさすほうが、さしやすいだろうが、あえて、向かい合ってありがとうと言いながら刺し殺したという。 神田の加藤智弘は、トラックでひき殺したほうが、楽だと思うが、降りて行って、血しぶきを浴びながら、何人をも刺し殺した。 二人とも、リアリティーの欠如が、最も強烈な感覚を呼び込み、犯行に及んだと書く。 家内の姉の娘が、大学卒業後福祉の仕事がしたいと、さらに福祉の学校で学んで、介護士になった。娘の両親は、そんな大変な仕事を選ばなくともと、説得したが聞き入れなかった。 密な関係の中にリアルを求めたのだろうと推測できる。 ボランティア、農業や林業、漁業に経験のない若者が就業し始めた。 先のお金を使わない若者たちは、海外旅行も行きたくないというが、協力隊などの海外での仕事だと結構集まるらしい。 どんな仕事でもリアルな実感は持ってきたと、大方の大人は言えるだろうが、今、若者には通じない。 寺田虎彦が、慈母のような自然と、厳父のような自然と言っている。 人との関係で破たんしたら、自然に慰撫してもらい、 厳父のような自然に襲われたら人とつながればいいと思う。 常に、人の周りには、人しかいないのではなく、リアルに自然がある。 数年前から、人口の減少が始まり、安定期までの移行期的混乱状態だと言われている。 石油もピークオイルといわれ、石油埋蔵量が、ピークを過ぎて、減少過程に入った。 地球の資源を、現人類で使い果たすことはできない。 未来の人々のために、上手に使わなければ、早晩奪い合いが始まるだろう。 金融業界では、金銭を動かすだけで巨万の富が手に入れられるという。 有限な資源を使わず循環させるだけで利潤がでる。 世界は庶民生活から遠いところで動いているようだ。 僕たちは、そんな夢を見るべきでない。 見るなら自然やアートや演劇に目を向けて、感受性を働かせるほうがいい。 最後に、僕の師匠の一人である渡辺京二先生が、女学生に捧げた講演を記載して終わりにしよう。 リルケが「人は何のために存在しているのだろう。どうしてこの世界は、人類を生み出したのだろう」と考えたという。 リルケはその答えとして「世界が美しいから」と考えた。 「空を見て、山を見て木を見て、花をみてごらん。 こんなに美しいではないか。 ものが言えない木や石や花やそういったものは、自分の美しさを認めてほしい。 誰かに見てほしい。 宇宙は、自然という存在は、自分の美しさを誰かに見てもらいたい。 そのために人間を創ったのだ。」と言う。 これは科学根拠などない。 しかし。 人間は、全宇宙、全自然的存在、そういうものを含めて、その美しさ、あるいはその崇高さに感動する。 それらに感動することは、事実である。 刻々と表情の変化する太陽に照らされた夕焼けの美しさに感動する。 人間がいなければ、美しく咲いている花も、誰も、美しいと見るもがいない。 だから、自然が自分自身を認識して感動してもらうために、人間を創り出したんだ。 そう思ったら、この世の中に存在意義のない人間なんて一人もいない。 人類がこの生命を受けてきて、この宇宙の中で地球に旅人としてごくわずかな間滞在する。その間、毎年毎年、花は咲いてくれる。 ああ、暑かった。 ああ寒かったと言って一年を送る。 それだけで人間の存在意義がある。 母親は、家を離れた子供には、ただ元気にいてくれることだけを願う。 願わくば、その上に、苦しい、悲しい目に合ってないことを祈る。 この社会に出て行って、立派な社会貢献をしたり、あるいは自分の才能を持って名前を輝かしたりしなくても、ごく平凡な人間として、一生を終わって、それで生まれてきたかいは、十分にあるのだ。 そして、人は生まれた時点で自己実現したのだ。 その後は、自分の気質に沿って生きるのがいいと、述べる。 卒業目前の女学生は、渡辺京二先生の言葉に安心して、涙ぐむ者もいたという。 そして。 「あなたが、知という扉を開いてしまったのなら、思想の世界、人類全体の問題に出会ったのだから、一生本を読んで生きなさい。平凡な社会人になっても、本を読みなさい。 そして、何かこういうことがやりたいと思ったら、一冊の本を書きなさい。 学者や研究者になるとか、あるいは変な意味での自己実現をすることでなく、一生何かを模索をしていく、人間とは何なのか。どうあればいいのか。社会はどうあればいいのか。一生模索していって、テーマをつかんだら、本を書くといい」と言う。 小原庄助さんの主人公は、たぶん帝大を出て、平等の教えを受けたのだろう。 実家に帰って、肥くみの話などをするも許されなかった。 主人公が「家柄がそんなに大事なものだろうか?」と、村人に語るセリフがあるが、彼は、人は皆平等であるべきだと考えており、金銭より思想に生きるまれな人だった。 僕たちは、経済成長という神話に取り付かれていたが、これからは「成長がそんなに大事なものだろうか?」と小原庄助さんの主人公のように、考え直さなければならない時だと思う。 第3代と言われる安定期に無事着地できるように、成長より感動を得る準備をしたほうがいいかもしれない。 近藤蔵人 平成27年9月24日
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