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プリンストン大学の学者によると、年収650万円以内の人は、幸せにお金が由来すると考え、650万円以上の人は幸せとお金には相関関係がないと報告しています。 中国に「ひとの幸せについて」の格言があります。 「一分間幸せになろうと思ったなら、たばこを吸いなさい。さもなくば飴でもなめなさい。一時間を求めるなら、お風呂に入ると心も体もリラックスします。一日なら、お酒を飲んで酔っ払うといい。一ヶ月なら、高い買い物をする。新車を買うと一ヶ月は幸せになれる。一年幸せでいたければ、結婚しなさい。一年間は誰でも幸せになれます。十年間幸せになりたければ、家を建てなさい。 (これまでの幸せは、年収650万の生活で味わえます。お金を稼ぐ動機です。) しかし、一生の幸せは、金銭に関わることではありません。一生幸せになりたければ、釣りを趣味にしなさい。」 と締めくくります。 日常から離れてしばし釣り糸を垂れる、そして、帰ってきて日常を生きる。その繰り返しが、幸せだというのです。この中国の話で肝心なことは、「ただいま」と言って帰る所があることです。「お帰り」と言ってもらえる家族があることです。それが趣味の意味です。 釣りはとても面白い。我々の出自が海民、海人で遺伝子に釣りの楽しみが記憶されている。生命の維持に必要な栄養取得の狩猟行為には快楽がついて回るからだと思われる。 「釣り大全」には、釣り師は良き家庭人にはなれない、とあり、家族にかまわず夢中になる楽しみです。男親は子供に、何の教育もできないが、釣りの楽しみだけは教えることができるとも書かれています。仙人は霞を食って生きているのに釣りをします。竿で宇宙と交信しているようです。 また、ジョンソン博士の世界最古の辞典には、釣り竿の項目に、釣竿とは先の細いところには、糸と針がついており、手元の太いところには、馬鹿がついていると定義されています。 馬鹿と言われ、居なくてもいいと言われても、いそいそと出かけていく釣りには、仙人が感じる、大空と、海(湖や、川でもいいのですが)や、大地や岩と渾然一体となって、天と土の間にひそみ、また、悠久の狩りの歴史をなぞり、生命維持の栄養源となる。我々の喜びの中でも図抜けていると思われます。かつて、王侯貴族は、狩猟に快楽を求め、獲物をしとめた時のエキサイティングな喜びを手放しませんでした。 このように、釣りには潜在的快楽がありますが、中国の格言は、釣りを趣味にしなさいです。趣味という言葉を考えれば、この格言は、釣りだけに限らなくても良さそうです。 自然と一体になれるものの条件のなかで、作ったり、獲得したり、思考したりする趣味なら、幸せはあるのではないかと思います。雷の光を浴びて、一句ひねりだす俳句でも、山野草を探し出し、庭に活け育てる園芸にも、体の神秘を求めて合気道に入門することにも、思うようにならないペットの飼育も、幸せになるでしょう。それには、心の中から喜べるほどに愛好することが出来なくてはなりません。 ■ 幸せに由来するもう一つの話は、仏教徒である説教師の話です。 その説教師が若いころ、田舎町のバス停まで歩いていると、前におばあさんと娘さんが歩いていたそうです。おばあさんは、娘さんに「ええか―とし子。向こうに行ったら水が変わるから飲み物、食べ物に気いつけてな」「人さまのものにはどんなにほしくても万劫にも手を出したらあかんでー」と言い聞かせています。 「お前は末っ子やから、帰ってきても家が困るから、どんなに辛いことがあっても辛抱せなあかんでー」しばらく歩くと、また「ええか―とし子・・・」と同じことを言っています。 とし子はうんうんとうなずいているだけです。だまって歩いているとまた「ええか―とし子・・・・」がはじまります。 やがてバス停について二人をながめると娘さんはおさげ髪で、ほっぺも赤くて、15,6歳ぐらい、おばあさんと思っていた人は、そう見えただけで、お母さんのようでした。バスが来るまでに「ええか―とし子・・」が始まりました。 やがて満員のバスが来ました。とし子さんは、窓のほうに行こうとするので、説教師が通路をあけてやると、とし子さんは窓を押し上げて体を乗り出しました。 お母さんも気が付いて窓のそばに走ってくると、一瞬見つめあって、おかあさんが「ええかーとし子・・」ってはじまったのです。 しかし今度は「つらかったらいつでも帰って来いよー」と言いました。すると、とし子さんは「おかあさーん」と、初めて声を出しました。 ■ 一生幸せになりたいなら釣りを趣味にしなさいという中国の言葉は、趣味の釣りですから時々釣りをし、日常は仕事や、やらなければならないできごとに精を出さなければなりません。 そのやらなければならないことは、母親の言いつけである、飲み水に気をつけたり、ひとのものを取らなかったり、いやだからと言って逃げて帰らなかったりすることも含みます。 日常の生業を誠心誠意務めはたしてその後、「帰って来いよー」と呼びかけてくれるそれに対して、僕たちは「お母さーん」とは答えられません。全てを安心して任せられるおかあさん的存在には、甘えるなと一蹴されるだけです。 しかし、説教師がこの話で伝えたかったことは、困ったときにお母さんと呼びたくなれば、阿弥陀仏やお釈迦様にお願いすることができると、教えるのです。 帰って来いよーという呼び声におかあさーんとわが身をお任せするのです。この呼応が宗教の原型といいます。 ● 私が、結婚する前の20ぐらいの時、実家を離れて夜勤の警備員の仕事をしていました。大きな事務所の中に、石油ボイラーが焚かれています。夜も12時を過ぎ私一人で朝までいます。ボイラーの火が消えかかっていたのか、何故だかわからないうちに、ボイラーを覗き込みました。すると、ボーと火が強くなり顔や髪の毛にまで火が伸びてきました。髪の毛は急いで消しましたが、顔があつくてたまりません。その時知らずに「おかあちゃーん」と叫んでいました。二十歳も過ぎた者が恥ずかしいと思いましたが、やむに已まれず叫んだのです。朝までタオルを濡らして顔を冷やしたので跡は残らなかったのですが、「おかあさーん」と、叫んだ言葉にびっくりしたのです。 説教師が教えるには、いたたまれない苦痛や悲しみには、無条件で受容される道が開かれているといいます。母に無条件で愛された経験を思い出して、「おかあさーん」と叫んだのでしょう。 「趣味の時間」、「生業の時間」、「お帰りと救いのある時間」とを循環することによって、そのどれかがかけていても、幸せとは言えないのでしょう。 2013/8/29 近藤蔵人
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