Go!伊勢崎
近 藤 藏 人 美術館

美術館(人物1)美術館(人物2)美術館(動物)美術館(風景)伊勢崎市街中遺産建築音楽と本プロフィールHome




怪 談

掲載日:2013/8/11
 東北震災の後、各地に亡霊の話が広まっている。
 娘が高校生のころ、僕の友人が幽霊スポットに「聖子行くぞ!」と誘いに来た。
 その車には彼の子供たちも乗っており、1時間程かかる所へ夜9時も過ぎたころに出かけて行った。確か僕も誘われたと思うが、興味がないので行かなかったはずだ。
 幽霊スポットに行く人たちは、幽霊の存在が気になって、また、普通に怖いから大いなる感動(恐怖も感動です)を味わいたいのだ。幽霊の存在を気にかけない人には楽しみとならないが、幽霊はいるとほぼ確信している人たちは、その恐ろしさに心惹かれる。
 サッカーのコーチをしているその友人は、昨日から苗場の山に小学生の子供たちを連れて合宿に行っている。夜になると、コーチは、子供たちに肝試しをさせる。低学年は便所まで行ってくる。森の中にあるほこらに、自分の名前を書いた紙を置いてくると、学年によって種目分けしている。それより子供たちは、コーチに最初に行かせて肝試しをすればと思うができるだろうか。



 東北では、多数の目撃例がネットで見ることができる。
 タクシーに乗車した女性が、津波で流された地名へ行ってほしいと言う。運転手人家ないのにどうするのだろうと思案し、お祈りでもするのだろうかといぶかって、座席を振り返ると乗客はもういない。
 水たまりを見ていると多数の目がこちらを向いている。海上に歩いている人がいる。

 東北学の赤坂憲雄が、
「東北では、亡霊話がいたる所で聞かれる。被災地の交番で、人を轢いてしまいましたと飛び込んでくる人がある。おまわりさんは、どこですか?と聞くが、あそこなら大丈夫ですよと答えるそうだ。何人も轢いたと言ってくるが、現地にはその気配がないので亡霊だと結論したそうです」
 赤坂は、文筆家の玄侑僧侶と国の諮問委員をしている。思いを残して、旅立ってしまった人たちは、家族に恋人に伝えたいことが山ほどある。子供たちはお母さんにひと目会いたくて、死者である自分を死者と認識できない。亡くなった次の日も、会社や学校に行こうとするだろうし、愛する子供たちに話しかけるだろう。しかし、肉体は活動していない、脳も停止している。
 死者である彼らを死者と認識できないのは、生きている人たちも同じだ。生きている残された人たちは、亡くなった彼らを亡くなったと認識できない。今そこから現れると信じている。2年たち3年たっても現れると思い続ける。
 残された者たちは、彼らを慮(おもいはかる)って伝えたいことがあるだろう、会いたいだろうと考える。残された者たちは、亡くなった者たちに「痛かっただろう、苦しかっただろう」と、話したいことが山ほどあり、一目会いたくて毎日泣き崩れる。会いたい、会いたい、と体の芯まで思い焦がれる。悲しいのは、旅立った彼ら彼女たちを忍ぶ生き残った者たちだ。鎮魂の儀式は、亡くなった者たちに捧げると同時に、生きている者たちに向かって祈らなければならない。



 人は幻肢をする脳を持っている。片方の手が無くなったがその手に痛みがあるという。幻肢を書いた「脳の中の幽霊」には、幻肢痛を止める方法が書いてある。無い手を鏡である手と思わせて痛みを消す。実際の手は存在しないので感覚を持たないが、ない手の痛みは感じる。今まで感じ続けた脳処理の為である。無い手でも在ると思わせるように脳処理をしているのだ。
 脳には、現実と見誤るほどのリアリティーのあるユメを見る能力がある。驚いて目を覚ますような夢がある。
 そのように亡霊は亡霊として存在するのではなく、亡霊を見た人は脳処理によって見るのではないだろうか。現実に亡霊は存在しないが、あるきっかけで脳の映像装置が虚像を作り、幻肢によって無い手が強烈な痛みを感じるように、リアリティーを伴った像となって自分の車の前を横切り、衝撃音があるかどうかも分からず、轢いてしまったと、錯覚ともいえない実在感があるのだろう。亡霊は、運転する人の顔を見つめながら轢かれていくのだ。



 神戸の震災の後十数年たって、フランス人女性監督が神戸の震災で亡くなった人の亡霊の映画を作った。主人公はフランス人女性記者で、15年目の震災の行事に自国から記事を書きに来ている。阿部寛が震災で娘を亡くした父親の役で、生きる意欲をなくして孤独死した。孤独死した彼は、娘と自分を記憶して欲しいと記者に憑りつく。
 彼女の通訳は、亡霊と分かって会わないよう説得するが、記者は通訳を避けて会い続ける。「私は西洋の考えを持っています。亡霊など信じません」と、通訳の言葉をさえぎる。
 父親は、お守りの中に亡くなった少女の遺影を入れて、記者に預ける。記者は、自国で失恋事件があり自死を図って神戸に来た。その心の隙間に亡霊が入り込んできた。亡霊を見るスイッチが入ったのだ。
 亡霊を見る人には、何かのきっかけで脳にスイッチが入って映像を見ることになるのだと思われる。亡き子を思い続けたお母さんが、泣き続けた挙句道路に誰かわからない亡霊を出現させる。幽霊でもいいから会いたいと願望する。シンクロという現象は、会話のできない距離にいる二人が、同時に一つのことに思い致す現象だ。魂があってそれが瞬時に飛翔して相手の脳内に感覚としてもぐりこむ。その魂は、匂い物質のような未だ図られない物質と考えられないことはない。



 今年の7月、山にオスの7センチになろうとする深山クワガタが現れた。喜び勇んで町に連れ帰ると、家内が二階で「ごきぶり!」と、大声で叫び、仕方なくつかまえに行くと、それがメスの深山クワガタだった。両者とも人生初めての獲物である。車で3,40分かかる山中から、オスを目指して飛んできたのだろうか?南米から北米まで飛翔する蝶々がいるように。その上、カブトムシが、町の家の近所に、小さな灌木の蜜を吸いに来る。一昨日3匹、今日7匹、3組交尾している。名前のわからない灌木の蜜の匂いは、風に流されてどこまで追認できるだろう?2キロも3キロも離れたところから、この町にそれだけのカブトムシが匂いにつられてやって来るのだ。

 未だ知らされていない飛翔する物質によって、脳に人物の映像が映写される。その物質が、海の上を歩く人物を見させたり、水たまりの多数の目を見させたりする。カブトムシが匂いの感受性が優れているように、映像を自己制作できる人物は、作る能力が存在しなければ見ることはできない。その見る能力は、なき子を忍ぶ感覚の中から現れるのではないだろうか。多数の亡霊が現れるには、その何倍もの苦しみを背負った生き残った人たちの悲しい感覚が存在するからだろう。



 ちなみに、私は亡霊に会ったことはない。ただ一度、昼間、2階の友人の事務所で遊びの話に興じていたとき、椅子に座っている左足のふくらはぎのところ、友人のうちの犬が体を擦り付けてきた。気にしないで帰り間際、「あれ、ワンコウはどこに行った?」と尋ねると、「亡くなったよ」という返事。「怖いという感覚のない何かが、夜2階で歩いている音が時々ある」と友人述べる。ふくらはぎに擦り付けてきたその犬は、自分の存在を僕に伝えたかったのか、なれなれしくした経験のない犬なのだけども、僕の犬好きにチャンネルがあったのだろうか。

 さきのフランス映画は映画的には成功したとは思わないが、おさめることのできない事件を「物語で鎮めること」は歴史が必要としている。では、なぜ、日本人が日本人の手で鎮魂の物語を作るのでなく、フランス人だったのだろうか?震災の後、10年も20年もかからないと物語にできないと、作家たちは言った。しかし、時はまだ至らずなのだろうか?



 通夜では、亡き人の思い出を語り尽くすことによって供養するように、亡くなった人の失敗話、誰も知らない話、そんなこともあったのか話、えーと絶句する話、長い間身近にいたのに知らなかった話、彼が自慢にしていた話、彼の子供のころの話、失恋の話、恋の話を一晩かけて思いだし語り尽くす。死の床では、皆がそばに居て安心して旅立つ準備ができる。

 かつて、日本では、亡くなると霊魂は山に登ると信じられていた。山の見晴らしのいい場所に墓地とこれを供養した寺を作った。墓地のある寺に山の号がつくゆえんである。比叡山や高野山の山岳霊場は、死後の霊魂の行く聖地だった。
日本人は村から離れた山麓に埋葬され、肉体は消滅するが、霊魂は山の頂や高所にとどまって子孫を見守ると信じてきた。
 大伴家持が「海ゆかば水漬く屍、山ゆかば草生す屍」と歌ったように処理できない亡きがらを見続けた被災者たちこそ、鎮魂し、祈り、治めなければならない。
「災難にあふ時節には災難にあふがよく候
死ぬる時節には死ぬがよく候
是はこれ災難をのがるる妙法にて候」と、
良寛は境地にいたが、悲嘆にくれる人たちへ和歌を歌った。

ますらおや共泣ききせじと思えども煙見るときむせかえりつつ、
人の子の遊ぶをみればにはたずみ流るる涙とどめかねつも、
いつまでか何嘆くらむなげけどもつきせぬものを心まどひに
なげけどもかひなきものを懲りもせでまたも涙のせき来るはなぞ

 良寛は亡くなった子らを思って、数多くの哀歌や挽歌をうたった。良寛には、生きている者への慮りが大切と分かっていたのだろう。

 今も、幽霊スポットへ出向く人は多いだろう。
 柳田國男が遠野物語を編纂したとき、お化け会と呼んで聞き取り調査をした。地震・干ばつなどの被害を受けた東北の人たちの物語は、七割がた、幽霊や妖怪の物語になっている。そうして、心の奥深くに残る人々の記憶の中に、死者と残された人々の思い出が長く息づいている。
 さきの交番に届けた場所など格好の怪談スポットとなっているだろう。不謹慎なと怒りを表す人がいるかも知れないが、怪談をも物語ることによって、死者をそして生者も記憶にとどめ、亡くなった者たちを喚起し続ければいいのかも知れない。平家物語を語った琵琶奏者は平家の落人に感情移入出来たが、現在の読み手には無理な話だろう。それでも平家物語や遠野物語は読み手を欲していると思う。

2013/8/8 近藤蔵人







▲ページTopへ