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このページは「Go!伊勢崎」管理人・丸男が日ごろ思う事を不定期に書き綴るもので、掲示板「管理人の独り言」の番外編です。
ご意見等ありましたら「管理人の独り言」からいただければ光栄に思います。

2014/10/20(月)

先週末、イベント盛りだくさんでしたが・・・
今年は、日光湯元へ紅葉狩。


 先週末の10月18日(土)と19日(日)は伊勢崎市ではイベントラッシュでした。
 18日(土)が宮郷公民館コスモスまつり、18日と19日があずま・コスモスまつりと龍頭神舞の千本木神社秋祭り、および明治館通りと時報鐘楼が燈籠で灯される燈華会(とうかえ)、19日(日)が波志江沼のけやき広場にたくさんの団体や店が集まる絣の郷交流まつり。それと伊勢崎ではありませんが、隔年開催の富岡どんとまつりも今年は開催の年。富岡製糸場が世界遺産決定後初の記念行事です。特に、夜、人形や彫り物が見事な21基の山車が国道254号に結集し、お囃子の競演を繰り広げる光景は圧巻です。
 例年ならば、午前、午後、夜と区切って各所を飛び回るのですが、今年は、な、な、何と、どこにも行かず仕舞い。
 東京、千葉、埼玉の友人4人との年恒例の旅行会が、今年は正に18日と19日。例年ならば11月に入ってから行っていたのですが、旅先が、群馬北西部や栃木、新潟、長野辺りが中心で、紅葉に遅過ぎたり、年によっては突然の大雪に見舞われたりしたので、今年はこの両日に決定。決定後、「あ、しまった!」と思ったのですが、まさかこんなにバッティングするとは思っていませんでした。
 と言うことで、今年は伊勢崎市内のたくさんのイベントの代わりに、奥日光の紅葉便りをお伝えします。

●初日●

「望郷の湯」、りんご園、丸沼湖畔、日光湯元

 目的地は奥日光・湯本温泉。往路が関越道〜丸沼〜金精峠コース。湯元温泉で一泊して帰路が日足トンネル経由の足尾・渡良瀬コース。

 初日。我が家で早めの昼食。最も遠い友人は3時間前に家を出発しているので、伊勢崎までで既にミニ旅。昼食は定番の登利平の鳥めし弁当。我がカミさん、「お弁当なんかでいいの?」と心配しますが、友人たちは「毎年一回鳥めし弁当を食べるのが楽しみ」と言ってくれます。それに旅先でご馳走が待ってるし。
 久々の再開でついつい長引くお喋りを切り上げて、波志江スマートインターから北関東道〜関越道経由で沼田市へ。友人の一人が「沼田に眺めのいい日帰り温泉があるらしい」と言うので、「それは多分『望郷の湯』だよ」と、一風呂浴びることに。露天風呂に入り眼下の片品川の流れを眺めて早くも旅気分。

 風呂の後、道の駅で新鮮野菜を眺め、寄り道ついでに沼田のりんご園へ。りんご園は『望郷の湯』周辺にもありますが、沼田市佐山町の「大橋りんご園」へ。つい先日、友人のKさんに連れられて訪問したばかりですが、園主ご夫婦が明るくて気持ちのいい方で、再会を楽しみにお邪魔しました。手作りの漬物や地酒をふるまっていただき、色々なリンゴを試食して、自分達でりんご狩りして、同行した友人達も大喜び。
 自分でもいだリンゴやお土産にいただいたリンゴで車のトランクを一杯にして、川場村ののどかな風景を走り抜けて次は丸沼へ。旅先が群馬や周辺の場合、頼りないながら何となく私がツアーガイド。ガイドと言うにはおこがましいゆる〜い案内です。


 丸沼辺りは紅葉が始まっていて、釣り人たちや三脚にカメラを据えたおじさん、おばさんたちがいっぱい。皆さん、午後の日差しを受けた紅葉を狙っているようでした。釣り人たちは腰の深さまで水中に入り、またボートで沖へ出て釣っています。何が釣れるのでしょうか。
 丸沼北端部の丸沼温泉・環湖荘周辺は日が陰り、夏でも涼しいこの場所は既に冬の気分。




 丸沼を発ち、菅沼を過ぎ、右手に日光白根山を垣間見ながら金精峠のトンネルを抜けると、目の前にそびえる男体山が感動的な存在感。眼下には今日の宿泊地「湯ノ湖」が見えます。



●二日目●

日光湯元、戦場ヶ原、足尾銅山、富弘美術館、大間々


 「休暇村・日光湯元」に宿泊し、硫黄泉の源泉を夜に朝に楽しみ、出発前に湯ノ湖周辺の遊歩道を散策。
 朝日を受けた男体山が湯ノ湖に映り、周囲の紅葉はちょうど見ごろ。湖畔の休憩施設には早朝にも関わらず既に大勢の観光客が訪れ賑わっています。
 撮影スポット近くの道路は、カメラおじさん、おばさんの車が駐車し、やや渋滞気味。



日光・湯ノ湖周辺の黄葉

 日光湯本を後にして、紅葉に染まる風景の中をドライブし、次は「戦場ヶ原」へ。戦場ヶ原のカラマツの黄葉はドンピシャリの見ごろで見渡す限り金色。観光客で賑わう三本松周辺や戦場ヶ原をちょっと離れて、志津林道を走って、カラマツ林を上の方から眺望。

日光戦場ヶ原・三本松周辺のカラマツの黄葉

日光・戦場ヶ原

中央後方は日光白根山(多分)

日光・戦場ヶ原。草紅葉は終わった様子。

志津林道の途中から眺めるカラ松林
 
 
志津林道の途中で紅葉・黄葉のトンネルの中
 ●
 日光湯元、戦場ヶ原と日光の紅葉・黄葉をを存分に満喫した後、中禅寺湖周辺の渋滞に巻き込まれて、しばしノロノロ運転。いろは坂の下りルートは順調に下り、日足トンネルを抜けて日光市足尾町へ。友人の一人が「ぜひ足尾銅山を見学したい!」と言うので、トロッコに乗って足尾銅山の坑道に入り社会科勉強。ちょうどバスで訪れた50人の団体の後になり、トロッコ駅でしばしの待ち。コースは20年ほど前に家族と一緒に見学した頃よりも更に充実した感じです。
 足尾銅山は、400年間にわたり掘り開いた坑道延長は何と1,234km、高低差は1,140mとのこと。以前、二度ほど登山した備前楯山の下まで掘り進められているとのことで、今更ながら驚きです。

発着所のホームに入線するトロッコ

先頭機関車の切り離し場所

坑道内のモデル人形。昭和時代。

坑道内のモデル人形。江戸時代。
 足尾銅山で社会科勉強した後、せっかく122号を下るならばと「富弘美術館」へ案内。友人たちは星野富弘さんのことは知らなかったようで、多少強引に立ち寄りましたが、富弘さん描く草木や風景画のそれぞれの前に立ち止まり、絵の隙間に書かれた詩を丁寧に読んでいる姿を見て、一安心。私も何度訪れても変わらぬ感動を受け元気づけられます。特に富弘さんの「かあちゃん」に対する思いを伝える詩は、熱いものがこみ上げます。あれこれと忙しく過ぎる日々、そんな時には思い出したい「富弘美術館」です。
 富弘美術館周辺では草木湖を眺め、周辺を少し歩き、草木ドライブインで昼食をとったり、お土産を買ったりしながら観光気分を味わいました。群馬側の渡良瀬川沿いの紅葉は数週間先になる様子でした。

 草木湖を後にして、次は大間々へ。ちょっと強引に「日本一醤油」の醸造元へ案内して、醤油のソフトクリームを食べ、醤油を買い、蔵を眺めたりして一路我が家へ。

「日本一醤油」の蔵

「日本一醤油」の赤レンガ煙突
 
 我が家に到着し、大橋りんご園のもぎたてりんごを食べ、熱いコーヒーを一服した後は、早くも来年の計画を相談。40年近い付き合いなので、お互いにあうんの呼吸で簡単に決定。「あうんの呼吸」などと言うと恰好付け過ぎかも知れません。誰かが候補地を上げれば、「あ、そうだね、そこ面白そうだね」と特に異論なく決定。幹事も分担も何となく決定し、そのゆる〜い感覚が楽しく、長く続いている理由かも知れません。「今年は6つのイベントが重なっちゃいました」と私が言うと、「じゃ来年は一週間ずらそう」とこれまた簡単に決定。

 今年は「望郷の湯」、沼田のりんご園、丸沼湖畔、宿泊地・日光湯元、戦場ヶ原、足尾銅山、富弘美術館、大間々・日本一醤油醸造元・・・と盛りだくさんでした。天候にも恵まれ日光周辺の紅葉・黄葉を楽しみ、源泉に浸かり、美味しい料理を食べ、楽しい旅行でした。(2014/10/20 記)

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2014/8/30(土)

0120と03からの電話はほぼ迷惑電話

その内容と対策


 ここ数年、事務所や自宅の固定回線の電話番号宛てにかかって来る電話の内、0120と03で始まる電話はほぼ迷惑電話です。ご存知のように、0120はフリーダイアル、03は東京からです。

 電話の内容は、事務機器の販売営業、保険勧誘、先物取引勧誘、通信回線の値引きプラン営業、携帯割引プラン営業、ヤミ金融資営業、物販営業、貴金属買い取り、事務用品通販営業、LED照明販促営業、太陽光発電営業、不動産鑑定や販売営業・・・などなどです。

 保険はアメリカンホーム、セゾン、アフラック、チューリッヒ、オリックス、ニッセンライフ、メットライフアリコなどで、外資系のカタカナ名保険会社が大半で、昔からの日本の保険会社からの勧誘はありません。また同じ保険会社でも別の電話番号からかかって来ます。

 通信回線はNTTやKDDIの代理店を名乗る会社。呆れてしまうのは、とうの昔に光回線に変更しているのに、未だに光回線プランを勧誘して来るので、「代理店ならばユーザの状況は掴んでいるんじゃないですか?」と尋ねると、突然に切られたりします。

 物販は馬油や水、ロイヤルゼリー、化粧品、財宝など、普段全く関心のない商品ばかりです。

 これらの電話に対して、最初の内は出ていましたが、今は基本的には出ません。受話機にナンバーディスプレイ機能を設置しているので、0120と03に出ないで済んでいます。共通しているのは「留守番」電話に切り替えると、その途端に切れます。以前、受話機を取った途端に切れる、いわゆるワン切りのことも少なからずあって、理由が分かりません。窃盗犯などは、これで在宅確認すると言う話も聞いたことがありますが、0120や03ではそうも行かないので、一体何の目的なんでしょう。

 最近知った新手の電話は、「FAX代行業者」なる業者が存在し、FAXで営業案内を送付するだけの業者で、物販やヤミ金などの会社から請け負って、行き当たりばったりにFAXを送り続けると言う業者です。依頼する会社も、自社の電話番号がブラックリストに入らないようにするための対策なのでしょうが、この代行業者はどんな会社からも請け負っているようなので始末に負えません。

 これらの状況を知ったのは、インターネットの「迷惑電話登録サイト」からです。電話番号を入力してウェブ検索すると、いくつかのサイトが見つかり、それらを覗くと、迷惑を受けた人たちの口コミが表示されます。良く利用するサイトは numberhi.com やjpnumber.com です。

 着信拒否しても、やっぱり気になるので、最近は電話番号とその口コミの一覧リストを作成し、電話がかかって来るとまずそのリストを参照し、迷惑電話の場合には放置しています。受話機の機能で電話番号ごとに受信拒否する機能もあるようなのですが、一日にせいぜい3,4回程度なので、取り敢えずは放置作戦で対応しています。現在リストされた電話番号は0120が58本、03が39本で、中には同じ番号から2桁を超える回数かかって来ています。先方も仕事なのでしょうが、「迷惑電話登録サイト」に登録されていることに早目に気が付いて、そろそろ電話営業は諦めた方がいいように思います。

 固定回線の電話番号が、光回線のためだけの役目になりつつある現在、固定回線不要の通信手段が一般的になれば一掃されてしまうトラブルで、そんな日も遠からずやって来るように予想しています。

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2014/8/24(日)

広島の大規模土砂災害はなぜ起きた?

その教訓は?


 広島市安佐南区と安佐北区の大雨による土砂災害は、5日目の本日10時の時点で、死者50人、行方不明者38人の被災者を出しました。亡くなられた方には心よりご冥福をお祈りいたします。

 この災害に対し、テレビ各局は連日様々な報道を続けていますが、先日、ある民放番組で某大学工学部の教授がとても気になる発言をしていました。
 番組では、まず今回の土石流発生のメカニズムを説明。要約すると、現場の斜面が風化した花こう岩「まさ土」で覆われ、まさ土はサラサラとして、水を含むと崩れ易く、今回の集中豪雨が原因となって土石流を発生させた、とのこと。
 今回の被災地の地形や地盤の土質を見ると、明らかに土砂災害危険区域で、起こるべくして起きた災害とも言えます。

 番組が災害原因を説明し終える頃、コメンテイターとして出演していた芸能人が、「危険と分かっていて何で事前に対策しなかったんですか?」と質問し、その教授がコメントした発言がこうでした。

 「災害が起きる前に砂防ダムなどを造ろうとしても、『税金の無駄遣い』とか、『無駄な公共事業』などと批判を浴びて公共事業がやり難いので、結局、事故が起きてから対策することになる

 この発言を聞いた時、全く素直に納得してしまいました。専門家や行政が事前対策を説明しても、”現在が安全”ならば人々の同意を得難く、時には公共事業無用論に撃沈されるケースは数多くあります。まして長引く不況の中で、公共事業は逆風の中にいるのでその傾向は顕著です。更に道路事業のように人々の目に触れ易く、事業効果が分かり易い分野ならば理解を得易いものの、河川や砂防、森林、電力、環境など、人々に直接触れ難い分野は、事故や災害が発生しない限り、人々の関心が薄く立場が不利です。

 そして、素直に納得した暫く後に、何とも複雑な心境に陥りました。
 全国の危険地域に事前対策を行えないのは、十分な公共事業が行えないから?
 その原因が公共事業を批判する世論
 もちろんそれだけが原因ではないとは思いますが、必要な公共事業に対してさえそれを阻止するのが人々自身の意見だとしたら、言い換えれば自分達自身で自分達を危険に陥れていることになり、何とも皮肉で切ない世相です。

 ところで、今回、死者や行方不明者がこれだけ多かったのは、避難勧告の発令が遅かったことも大きな要因のようですが、そもそもこれだけの土砂災害が起きた原因は何だったのでしょう。

災害危険区域に住宅地開発を行った。
開発業者が危険を認識していなかった。あるいは認識しながら販売した。
行政が開発許可を出す時に、指導しなかった。あるいは見逃した

 そして、その責任は誰にあるのでしょうか。

●砂防ダム築造等の対策を行わなかった行政側の責任?
●公共事業に批判的な世相、世論?
●危険区域を宅地開発し、販売した業者?

 どんなに原因や責任を追及しても失われた人命は戻って来ないので、責任の追及は本論ではありませんが、今回のこの災害は、危険区域に住む人たちへの早めの自主避難を促し、さらに基本的なこととして、危険区域の宅地開発行為を抑制し、マイーホーム計画については建物だけでなく、地形や地盤、基礎構造にも同様に配慮することの重要性を教えてくれました。

 個人の自由に任されている住む場所の選択、これからの時代、個人と言えども、その場所の生活の利便性や風景、環境だけでなく、地形や地盤に対する専門知識を身に付け、建物については間取りやデザインだけでなく、基礎工や土質、地質などについても調べ、重要視する必要があるようです。
 公共事業が行わなかった分、あるいは公共事業に任せることができなかった分は、人々自身が負担し対策するしかないと言えるでしょう。

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2014/1/1(水)



 明けましておめでとうございます。

 昨年中は、当サイトをご覧いただき、日々の交流や当サイト掲示板を通じて、サイトの感想やご意見、情報等をたくさんお寄せいただき、誠にありがとうございました。

 昨年を振り返るに、イベントにつきましては、年恒例のイベントに加えて、4,5月に「ぐんまづくり 2013 in伊勢崎が開催され、9月には「日本きもの文化美術館」所蔵の大胆で華やかな伊勢崎銘仙30点の展示「The・銘仙 里帰り」、10月には東武伊勢崎線高架化完成記念イベントが開催されました。
 「花と緑のぐんまづくり」では、伊勢崎市初めての試みとして市民の皆さんが参加した「オープンガーデン」が開催され、参加10軒のお宅を訪問し、花に囲まれた楽しいひと時を過ごすことができました。


 建設工事につきましては、東毛広域幹線道路境工区韮塚工区玉村伊勢崎バイパス工区の暫定形開通やその後の4車線化工事、また国道462号・本関町区間の4車線化工事などを中心にいくつかの公共工事を紹介しました。
 店舗や施設関係では、大型ショッピングモールの建設について「フォレストモール新前橋」と「ベイシアゲート本庄早稲田」、IKEA(イケア)が進出を決めた「前橋みなみモール」を紹介後、他に目立った動きはなく、代わりに、最近進出が目立つコンビニの出店やサ高住(サービス付き高齢者住宅)建設、太陽光発電施設などを紹介しました。

 公園や「花と緑」については、紹介済みの公園について桜や紅葉など、別の季節の風景を追加し、花と緑では、主に郊外に咲く野の花を中心に紹介して、覚えた野の花の名前が増えました。伊勢崎市と近隣地区に咲く野の花図鑑のようなものに仕上げようか・・・などと思っています。

 サイクリングロードでは、早川サイクリングロードについて終点の太田市まで足を伸ばし、「高崎伊勢崎自転車道」と「利根川自転車道」を新たに追加し、範囲を広げました。伊勢崎の範囲を超えていますが、道や川に取って境界はないので、足の向くまま、気の向くままに。
 取材の足として欠かせないサイクリングロード、時には車移動よりも早く現地に到着するサイクリング。しかも途中の道草が自由自在で足腰を鍛えるにも最高。粕川サイクリングロードは昨年また舗装範囲が延長され、未舗装道を無理やりガタガタと走っていた苦労が解消され、たくさんお世話になりました。

 「山座同定」では、主に三国方面の白銀の山々を中心に新たな山を追加し、特に「伊勢崎から富士山が見えるか?」ではたくさんの皆さんを巻き込んで富士山探しを楽しみました。その結果、伊勢崎市の最高峰・峰岸山から微かに山頂付近を眺望することができ、伊勢崎から見える日本百名山が16山になりました。「日本百名山を最も多く見える市」の可能性もありか!なんて夢も持ちました。

 昨年の暮れも押し迫った頃、「日光例幣使道」や「女堀」のページで、やはり掲示板を通じて皆さんから貴重な情報をいただきながら、当時の痕跡を古地図や航空写真で確認し、数百年前に想いを馳せ、「遺産」のページを充実させることができました。

 まだまだ語り尽くせない昨年の状況。
 継続すればするほど新たな関心が湧き、まだまだ増殖中の「Go!伊勢崎」。健康管理と趣味の延長で開設した当サイトも今年で8年目を迎えました。過去のページについては、新たな記事を追加し、間違いは訂正し、重いページは分割し、表示スタイルもより読み易いスタイルに変更するなどの見直しをかけ、新たな話題やテーマについては積極的に新規ページを起こし、そして記事の行間からじんわり、やんわりと何かが伝わって来るような、そんなサイト作りができればと思っています。
 抱負は大きいながら、取材から写真撮影・加工、記事の執筆からホームページへの編集作業など、全て一馬力なので、皆さまから寄せられるご意見や情報は非常にありがたく、貴重です。皆様には本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
平成26年元旦
「Go!伊勢崎」
運営管理人 丸男



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