2010/12/26(日)
比較して悲しくなるのはつまらない
上でもなく、下でもなく
私の子供たちが小さい頃、こんな問答をしたことがあります。
子供の一人に
「おこずかい500円もらったら嬉しい?」
「うん、うれしい♪♪」
「それじゃ、その後、○○に1,000円あげたら?」
○○はもう一人の子供です。
「・・・う〜ん、ちょっとヤダ!」
「だって、500円もらえるんだよ」
「・・・う〜ん、でも〜・・・、両方同じか、両方もらわない方がいい!」
子供の正直な気持ちですが、大人でもその心境は余り変わらないように思います。
東京にいた時に勤務していた会社で、同じ職場で気が合った友人のTさんが、別の部署に務める同期のKさんがこんな事を言っていたと半分怒ったように言ったことがあります。
「Kが『僕は慶応だったからクラスの中じゃ落ちこぼれさ、皆なほとんど東大へ行ったからね』って言うんだけど、嫌味な話だよな。俺なんか駅弁大学だしさ」
Kさん、東大進学率で有名な進学高に通っていたとのことで、仲間内じゃ慶応大学でも肩身が狭かったようです。本音なのか虚栄なのか実際のところは確認しようもありませんが、本音だったのかも知れません。いつも「駅弁大学」と卑下するTさんが卒業した大学は国立大学ですが、地方にあったので本人がひょうきんに「駅弁」の冠を付けていました。
昇給や賃金などももらった賃金に感謝すべきところを、同期との差が気になったりします。昇格についても同様で、昇格に喜びながらも同期の中で遅れ気味だったりすると複雑します。ましてや後輩に追い越されたりすると、モチベーションが下がったりもします。「あんなに頑張ったのに、どこで差が付いたんだ」とか。
国家資格なども同じで、三級がある試験ならば二級や一級が欲しくなり、「補」が付く試験ならば「補」の付かない資格を目指します。
オリンピックにおいてさえ銅や銀メダルじゃ満足せず、金メダルを取れなかった悔しさで涙するシーンを見ることがあります。オリンピックに出るだけでも常人には成し得ないことですが、当人にしてみれば、金以外は自分を認め難いことなんだと思います。そんな中で、1996年アトランタ五輪女子マラソンで見事銅メダルを獲得した有森裕子さんが「自分で自分をほめたい」と語った言葉は感動を呼びました。みんな、「そうだよ、それでいいんだよ」と思ったのだと思います。
もっと身近な話題でも、もっと高く、もっと高級で、もっと上位で、もっと多く、もっと速く、もっと大きく、もっと贅沢に・・・と枚挙にいとまがありません。
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それ自身は素晴らしいことなのに、なかなか絶対的な価値観をもって受け入れる事ができずに、何かと比較してその相対差によって悲しくなったり、落ち込んだりするのが日常の世界。
世の中に存在する序列や等級は人々のモチベーションの設定に必須な事と思いますが、その設定を成就するための努力は素晴らしいことと思いますが、その結果に対して他者と比較して悲しむことなどはつまらないことと思います。努力したこと、頑張ったこと、それだけで十分なんじゃないかと思います。表彰台に乗れなくたって、肩書や資格が上位じゃなくたって、自分で設定した目標に対して精一杯努力したならば、有森さんの「自分で自分をほめる」姿勢でいいんじゃないかと。
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話がちょっと変わりますが、私が子供の頃の話しを少しばかり。
私が子供の頃の昭和の中頃は、どの家庭も一様に貧乏でした。貧乏と言っても今の時代から比較しての表現であって、当時は誰も貧乏と言う自覚はなかったように思います。
家は機密性が悪くて隙間風が自在に入り込み、車やエアコンを所有する家などどこにもなく、暖房と言えば練炭炬燵だけ。しかも練炭が消えればそれでその晩の暖房は終了です。今のような機密性の高い家ならば、二酸化炭素中毒で死んでしまいますが、都合良く隙間風が入って換気するので大丈夫です。
家の中には土間があってかまどがあり、燃料は薪です。いまでこそ「かまど炊き」なんて言うと美味しそうな響きですが、食事の度に薪から火を熾(おこ)す訳ですから、タップリと時間がかかり、家の中は煤(すす)で真っ黒です。
トイレはもちろん「掘り便」で、四角いチリ紙のトイレットペーパーがあれば上等で新聞紙も活躍しました。風呂は焚き木を燃やし、釜は五右衛門風呂が標準。中にはドラム缶風呂で設置場所は家の庭、雨が降れば傘を差して入ると言う家もありました。お風呂ブームの今ならば「露天風呂みたいで楽しい、しかも薪で沸かした風呂は温まる」なんて呑気な声が聞こえて来そうですが、好んでドラム缶風呂にした訳じゃなく、それ以外に方法がなかった訳です。今、意識ある人々の間で話題の「スローライフ」そのものでした。
食事と言えば麦飯と米飯が交互で、おかずは野菜や納豆、卵、漬物。肉や刺身は年に数回。ややもすると野菜の値段が肉や刺身とあまり変わらない現在ならば、「健康的で贅沢」なんて言う意見も飛び出しそうですが、当時はタダ同然の野菜に対して肉や刺身は桁違いの高値。嗜好の問題じゃなく必然的に健康的な食事でした。
部屋の照明も部屋の中央に三角の白い傘が付いた裸電球が一つぶら下がっているだけで、部屋の隅などは薄暗く、遅くまで起きていても仕方ないので、結局は早寝早起きで健康生活。
そんな状態から脱却するかのようにテレビ・洗濯機・冷蔵庫が家電の『三種の神器』として登場し、以来、止まるところを知らずの勢いで電化製品や車が普及し、オリンピック景気からバブル景気に至るまで、新幹線網と高速自動車網が全国をカバーし、核家族化と住宅建築需要を背景にGDPを伸ばし続けました。
お陰で全国各地にイタリア風やスペイン風、あるいはカナダ風の家が建ち、トイレはウォッシュレットで世界一お尻のきれいな日本人になり、風呂もボタンひとつでいつでもOK。レトルト食材と電子レンジで料理不要の食事がいつでも用意できて、車も成人になれば一人一台。何でも売っているコンビニで買物も24時間365日いつもでOK。
この半世紀の生活レベルの変化は語り尽くせぬ程に便利になりましたが、残念なのは今から比べれば比較にならないほどに貧乏だったはずの50年前の方が、大人も子供もゆったりと豊かな気持ちでいられたように感じることです。幸せにするはずだった物質文明がエンドレスの欲求を刺激し、なかなか幸せのゴールが見えて来ていないような状況です。
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今、日本は元気がありません。かつて日本が世界一だった市場が次々に中国や韓国に取って代わられています。特に中国経済の急成長は日本の数十年前の様子を見るようで、日本だけじゃなく世界中が中国マネーに媚を売り、翻弄されているようにさえ感じる昨今です。
中国から発信される映像を見ると、次々に物を欲しがる光景が、かつての日本の姿を見るようで、他人事ではありません。
中国が今後、物質の豊かさと共に平和と幸福も手にするのか見守りたいと思いますが、私たち日本においてはグローバル経済の煽りを受けて、物質文明を追求する時代は峠を越したように思います。この機を勉強材料として捉え、物がなくても幸福だった時代を検証し、新たな価値観を創り出す必要があるように思います。
みんなが一様に貧乏だった時代、比較するにも隣家も同様に貧乏なので無駄な競争が発生せず、顔を見れば「今日はいいあんばいだいね〜、お茶でも飲んで行かね〜かい」と、白菜やナス、キュウリの漬物、きんぴらごぼうを摘まみながら、縁側に坐って他愛ない事をひとしきりお喋りします。近所の人は誰彼となく交流し、どの家も開けっ広げで、ちょっとの留守には鍵も掛けませんでした。盗む物がない時代だったと言うより、泥棒がはびこる世相じゃなかったのだと思います。
立派な家を建てて物が増え、その分閉じまりも慎重になって家財を守ります。「守る」と言う事は他人を排他する側面もあり、お互いに心を施錠した社会を作り出します。
物が増え、生活レベルを上げ、更に上を目指す事。人々の多くがその流れを支える継続力に自信を失いつつある現在、新たな価値観による幸せを探し出す過渡期のような気がしています。
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2010/12/8(水)
長引く不況・一旦肯定してみれば見えて来る社会
地方の優位性
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「見えて来る社会」などと偉そうな発言をしてしまいましたが、あくまで地方都市・伊勢崎に住む一市民の素人考えとしてお読みください。
まず、現在の社会のサイクルをキーワード連鎖でざっと説明してみます。
長引く不況→個人の収入が減る→物を買わない・売れない→価格が下がる→それでも売れない→企業が疲弊→グローバル経済で生産コストの安い国へ生産拠点を移動→国内の雇用機会が減る→個人の収入が減る→不況に輪をかける。
企業の疲弊→税収が減る→公共事業が減る→社会保障が減る→教育費補助が減る→出産や老後の不安→人口減少→住宅ニーズが減り空家が増える→住宅供給過剰→オフィススペースや工場が余る→不動産価格の下落→地方は過疎化し都市へ利便性と職を求めて集中→都市間格差→地方経済の低迷。
実際はこんなに単純ではなく、様々な連鎖が発生するでしょうが、大方の流れはこのようではないでしょうか。
今まではこの状況を悲観し「何とかしなければ」と言う焦りと不安の気持ちで捉えましたが、ここで、一旦これを全て肯定して考えてみました。
■新しい価値観、新しいライフスタイルの出現■
最近、マスコミで「草食系男子」の若者が増えたと言う話を聞きます。物を欲しがらない、物を消費しない、欲張らない、闘わないと言う特徴があるとのこと。貨幣経済を支えた物質や出世への欲求が希薄なので、不況時代への適合性大です。恋愛に対しても無理しないとか。
世の中が全て「草食系男子」になってはそれで社会が成立するのだろうかと不安がありますが、これを極端な例として位置付け、現在の世相を眺めてみると・・・
●自分で自分の事や地域の事をする
雇用機会が減り勤務時間が減ると時間が余ります。その分、お金をかけない生き方ができる(せざるを得ない)ので、自分の家の事を自分でするようになり、家庭菜園や日曜大工・和洋裁等生活を補う趣味が定常化し、日常の仕事の一部に。
我が家の付近の農地は、農家の方が無料で貸しています。雑草を管理する手間が省けるだけで助かると、むしろ借りると喜ばれます。また、我が家は季節ごとに近所の親しい知り合いから路地物野菜や柿や柚子、栗などをいただき、いつも助けられています。
●税収が減って公共事業が減るので、地域の事を自分たちでする社会に
自宅脇の道路や近所の公園等は自分の家の一部と捉えて、街路樹の下枝の剪定や落ち葉・雑草管理、側溝のゴミ拾い等は地域住民が行えば、常に快適な環境を維持できます。市役所にクレームを入れている暇に自分でやってしまえば、早めに解決するし気分も清々しいものです。
その結果、ボランティア活動を促進し、地域交流を促進します。公民館など地域の公共施設の管理も同様です。
この流れによって、人と触れ合う機会が増え、野菜や手作り料理などの物々交換が増えたり、得意な事を教え合ったりの相互扶助も促進します。私が子供の頃の昭和の中頃まではこんな風景が日常的でした。
●自然のサイクルを利用し自然と共生
生物の多様性を見直し、森林・里山や休耕田、空き地を見直し、自然と触れる時間が増え、自然と共生することができるようになります。ゴミの再利用(燃料や堆肥)によりゴミの減量化を促し、有機農法で循環型農法が復活し、自然環境も回復します。農業生産性は落ちますが、人口減少傾向と食糧不足問題に対してはむしろ適合。エコロジー問題は自然に解決。いわゆる、持続可能な循環型社会を創出(回復)します。
■都市と地方の優位性が逆転■
以上のように、現況を肯定する考え方で捉えると、そう言った社会も悪くはないと思えるようになって来ます。そしてこの流れは実は自然が多く残され、広い土地がある地方に取って有利で、都会では種々の課題が残ります。
●都会では都市機能をいつまで、そして誰が維持するか
舗装と構造物で覆われた地表面はヒートアイランド化の原因になり、地表面の流失係数は高くなり、地盤の浸透係数は下がり、その結果、雨水に弱く都市型集中豪雨も増えて都市の課題になっています。
高層ビル群や網の目交通機関のエネルギ補給と維持管理費は膨大です。これらを需要と供給の関係でいつまで維持できるのか。密集住宅街の非常時安全対策も必要です。
都会のシニア世代や職に就けない人たちが野菜や米作り・畜産を行おうとしても、軒がぶつかり合うような狭い住宅地やマンション街では、実現の可能性は低いです。
空いたオフィススペースで24時間365日、照明と温度管理を施して野菜作りをしていると言う話題も耳にしますが、それも人工的エネルギを供給して成立しているので、そのエネルギ供給をいつまで継続できるか。地方のような太陽の恵みを受けての生産ではないので、無理があります。
地方の視線で地方を見ると、地方の優位性はなかなか気が付きません。都会の弱点を検証することから、見えてくるものが多分にあります。
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長引く不況で暗い気持ちからなかなか脱却できませんが、ここまで長引くと数十年前の好景気の復活は望むべくもなく、それならばこの状況を全て肯定し、新たな生き方を模索した方が賢明と思い、あれこれと考えた次第です。共鳴した点がありましたでしょうか。
2010/11/25(木)
前橋市新清掃工場整備事業に思う
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本日付で、前橋市新清掃工場整備事業の関連で進められている「駒形下増田線」と「前橋市道00-330号線」の建設現場近況を掲載しました。
その中で、隣接する伊勢崎市の区域で建設反対のポスター等が新たに増えていることにも触れ、「Go!伊勢崎」の掲載姿勢についても述べました。以下の文章はそのページに掲載した内容ですが、当ページにも転載しておくものです。
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「Go!伊勢崎」は、そのカテゴリの中で、伊勢崎市と近隣の建設事業を多く取り上げています。当ページの新須永橋の拡幅や道路新設工事もその一環での掲載です。
当道路事業が前橋新清掃工場建設に伴う事業である事は掲載以前から掴んでいましたが、伊勢崎市民の住民感情的に過敏なこの状況下で敢えて掲載しているのは、「公共事業とは何であるか」を関係者だけでなく、広く市民が考えるいい機会であると考えているからです。
道路や上下水道の整備、または公共施設の建設など、いわゆる公共事業は公共の利に供するための社会基盤の整備が主目的です。ところが、清掃工場や下水処理場、斎場などのいわゆる迷惑施設の建設の場合には、それが必要な施設でありながらも、ほとんど例外なく地元住民から反対運動が起こります。これらの所管自治体が建設候補地に悩んだ挙句、境界ギリギリの区域を選定するのは、管轄内住民の反対をギリギリに抑えたいためです。昔の家屋がトイレの事を「ご不浄」と言って、家の隅の方に追いやったのと同じ発想で、自分たちの権利区域の中でギリギリ遠くへ追いやる考え方なのでしょう。
今回の前橋新清掃工場の建設地は、広瀬川や荒砥川を挟んだ対岸は伊勢崎市と言う境界ギリギリの場所で、前橋市に取っては南東端部の過疎地であっても、対岸の伊勢崎側は商業地および住宅地として発展目覚ましい西部地区で、また竜宮浄水場と言う水質的に監視が厳しい区域を下流に控え、景観的にも荒砥川や広瀬川の合流地点で自然が守られている場所です。
このような状況下でこの地へ清掃工場を建設することは反対運動が起きて当然と言える流れですが、この背景には人間が共通に持っている本質的な気質が原因しているようで、解決は簡単ではありません。
境界問題は今正に国の外交問題でも重要課題で、尖閣諸島、竹島、北方四島などは未解決でかつ難儀な課題です。お隣の韓国と北朝鮮の38度線では11月23日、ヨンピョン島で相互に砲撃を行い、世界中に話題を発信しています。
地方自治体レベルでも、地元周辺を見ても、桐生広域圏の清掃工場(カリビアンビーチ)は旧赤堀町に接し(小菊の里)、波志江一丁目(私の町内です)の伊勢崎市斎場も旧伊勢崎市ギリギリの位置で、建設当時は旧赤堀町に隣接していました。当時も「霊柩車の行列を見たくない」と、建設地周辺には建設反対の看板が立ちました。伊勢崎市の新しい清掃工場も利根川を挟んだ対岸は玉村町で、平塚の下水処理場も伊勢崎市の南東端部です。
もっと簡単に個人レベルで語ってみれば、宅地の境界にブロック塀や堅固な構造物を築造するのは自分の境界を守る理由が大きく、この意識が過ぎれば隣家の枯葉が落ちて来ても気になります。住宅地内の公園の紅葉は多くの人が「紅葉が綺麗だ」と言うでしょうが、「枯葉が家に入って来て迷惑だ」と言う人もいます。
自己の権利をギリギリ一杯主張すると言う気質が人間にある限り、自治体や国とは言え、所詮は人間が治めていることなので、今後も永遠に繰り返す事と思います。それは有史以来の歴史を見ても明らかです。
前橋市の新清掃工場の建設地決定がいつ頃、誰の考えで行われたのか調べていませんが、また、現時点で建設地が白紙撤回になるのか予想できませんが、「他人には迷惑でも自分の利を主張する」と言う人間の本質的な気質、これが今回の清掃工場の問題であり、残念ながら前橋市に限らず多くの場面で古今東西繰り返している事です。
当サイト訪問者は伊勢崎市、あるいは伊勢崎市の関係者の方が大半だと思いますが、どこかには造らなければならない他の自治体の公共迷惑施設について、皆さんがどのように考えるか、あるいはひょっとして前橋市の関係者の誰かの目に触れて、その方達がどのように考えるか、その辺について大きな関心があることと、また、事業の背景はとにかく、新須永橋や下増田の地区内道路が整備される事は、伊勢崎の商業集積地に近接しながらも、2つの川に挟まれた過疎地のような場所だった地区に大きなインフラが整備され、それはそれで地域発展には寄与するのではないかと言う単純な視線があるため、当サイトではこれらの話題提供として掲載しています。
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「他人の幸せや利益を最優先にする」・・・このような社会がいつの日か訪れれば、外交も経済も上手く回るのでしょうが、果たしてそのような日が訪れるのでしょうか。
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