2009/8/28(金)
群馬県の観光力、観光に期待するもの
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皆さんは栃木県出身の漫才コンビ・U字工事(ゆーじこうじ)をご存知でしょうか。
私はこの二人がNHKの深夜番組・オンバト(『爆笑オンエアバトル』)や
民放の「エンタの神様」に出ていた頃から
栃木弁丸出しでアップテンポにボケツッコミを繰り返すのが面白くて
良く見ていました。
最初の頃は栃木県の自虐ネタが多く、
最近では隣の茨城県を敵視するネタが中心です。
先週の「エンタの神様」では
「夏といったら 海か山か」と言うネタで
海がある茨城県、海がない栃木県から始まり
全国の海なし県を取り上げ、
憧れの奈良や埼玉を丁寧に取り上げ、
続いて長野、山梨など他の海なし県を無難にコメントし
最後に「そんじゃ、隣の群馬県はど〜すんだ?!」
ってことになり
「群馬なんか最初から戦力に入れてねぇ」とオチが。
オ〜イ、そりゃないよ。
キリストだって「汝の隣人を愛せよ」って言ってるだろ。
ま、オチに使われるだけでもいいとしましょう。
●
数年前、お笑いタレント総動員のバラエティ特番があり、
その中で、各人が床に大きく書かれた日本地図から
自分の知っている都道府県を1つずつ消去して行くと言うコーナーがあり
その時に最後に残ったのが栃木と群馬。
皆がその二つを当てるのを尻込みする中
最後に誰かが当てずっぽうっで栃木県を当てて
ついに最後に残ったのが群馬県でした。
も〜、お笑いタレントさん、レベル低いぞ〜。
お笑い番組、見てやらないぞ〜。
また、群馬県は日経リサーチ社の2008年「地域ブランド力調査」で最下位でした。
(群馬県が最下位!これは考え直さないと[2009/2/17])
日経と言う権威ある会社の調査で最下位となると、流石にキツイ。
でも、45位〜47位が北関東三県。
(同病相哀れむ)
●
ここで、私が東京にいた13年半の間、
職場の仲間と行った社員旅行や登山、
慰労会等で行った先を思い出してみます。
■まずは群馬県
草津温泉
榛名湖のスケート教室
尾瀬ヶ原のハイキング
片品村テニス合宿
■西隣の長野県
北、南アルプス登山
八ヶ岳登山
軽井沢テニス合宿
■東隣の栃木県
那須三山登山
日光中禅寺湖
■南隣の埼玉県
秩父(大峰山登山など)
■静岡県
伊豆半島(下田や西伊豆)
熱海
箱根テニス合宿
■山梨県
奥秩父縦走
乾徳山、黒金山登山
西沢渓谷ハイキング
三つ峠、富士五湖周辺ハイキング 石和(いさわ)温泉
■千葉県
勝山「海の家」
南房総
鋸山
■神奈川県
横浜中華街、大桟橋
丹沢登山
■東京都
八王子サマーランド
都内有名中華店などでの食事会
都内劇場での歌や演芸ショー
浅草、葛飾柴又周辺散策
■茨城県
なし
・・・と挙げてみると、特に群馬県が劣っている感じはしないのですが。
特に千葉や埼玉、神奈川から比べれば、
格段に観光気分になれます。
(ちょっと自然志向が強いですが・・・)
ただ、東京にいた頃、友人が
「ダサイ玉(だ埼玉)とか「千葉の女が乳搾り」って東京から馬鹿にされるけど
まだいいよな、群馬なんか話題にもならないぜ」
と言いたい事を言ってた事も思い出します。
そう言う彼らは福井県、長野県、茨城県出身の友人です。
「福井、長野、茨城だって変わらねぇだろ〜」
●
先日、ある番組で毎年温泉日本一になる「草津温泉」について
若い女性に街中インタビューしたところ
「え?え?草津温泉?長野県ですかぁ?」との回答。
オイオイ。
かつてウチの会社に関西出身の女性がいまして
「草津温泉って滋賀県の草津温泉って思ってました」
ガックリ。
●
戦後、首相が四人も出た県だよ〜、
温泉日本一の草津温泉があるんだよ〜、
国定忠治の赤城山だよ〜、
雷と空っ風の上州だよ〜、
中山秀征と井森美幸が親善大使だよ〜・・・
・・・といくら言っても全国には届かないようです。
●
北関東三県は工業出荷額や野菜の生産量としては
関東圏でも抜きん出ていますが、弱いのが観光。
良く考えてみると北関東三県は不思議な関係。
観光力で最下位争いしたり工業出荷で競ったり、
「近親憎悪」感覚と「安心できる身内」意識と。
JR両毛線や北関東自動車道で繋がり、
最も気になる隣人として、
今後更に新密度と競争を繰り返すことになるでしょう。
●
とにかく最下位でもトップでも話題に乗って知名度が上がれば
人々の関心を寄せます。
同じ群馬県でも北部・西部の山岳地域と
南東部の平野部とでは街興しの施策も異なり、
特に今更草津温泉にはなれない伊勢崎市などでは
あれこれと頭を捻って魅力を創出しなければなりません。
県内の他地区に比べ工業団地が多く、工業出荷額も多く、雇用機会も多く
これはこれで伊勢崎市の優位性ですが、
働いているのは人間ですから、潤いや楽しみを感じることができないと
「伊勢崎市は働くだけの場所」になってしまいます。
「土地が安いから、物価が安いから」も重要な魅力ですが
そう言う金銭換算の価値観だけでなく、
楽しくて面白くて個性的で、文化や芸術の匂いも漂って
癒されて潤って・・・
・・・とちょっと贅沢ですが
このような要素も期待したいものです。
そのために重要な位置付けとなるのが
観 光
です。
遺跡や古墳、城跡、
日光例幣使道や東道、東山道などの古代の道、
伊勢崎出身の偉人、文化人、芸術家、歴史上の人物、
神社仏閣、路地裏、花の名所、
川や沼、公園、
郷土芸能や八木節、獅子舞、祭り、イベント、
伊勢崎銘仙や伝統工芸、
もんじゃや焼きまんじゅうのB級グルメ・・・、
全国区レベルの知名度のものは見当たりませんが、
これらのものを見直し、組み合わせ、新たに加工して次なる売りを創出し、
安定した魅力を作り出せればこの上ない喜びです。
2009/8/7(金)
空き家問題・考
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「Go!伊勢崎」の記事の多くは、
休日を利用し、運動を兼ねてのサイクリングで各所を訪れ、
取材した情報や写真を元に書いています。
車の方が移動するには簡単ですが、
当然ながら道路がない場所や未整備な場所、狭い場所には行けません。
路地裏や街中の狭い道路、田んぼ道や堤防の上、
工事現場の近くや建物の建設予定地・・・
これら、私が行きたい場所に対しては車はほとんど無力です。
しかも、走行中、突然に停車したりUターンしたりすることもできないので
きめ細かに行きたい場所に行けません。
お陰で、休日には1日50kmを超える距離をサイクリングし
伊勢崎市や近隣の田園や街中の隅々まで走ることになります。
このような状況の中で、かねてより気になっている風景があります。
それは・・・「空き家」です。
●
と言っても
かつて栄えた旧商店街の空家ではなく
私が気になっているのは、通りから奥まった場所や田園地帯の集落、
また新興住宅地などで見かける個人住宅や店舗の空き家です。
●
例えば・・・
昔からの集落の中にあって、既に閉じた小さな雑貨屋やスーパー。
店先に並んだ自販機も朽ちかけ、看板や窓枠も外れ廃墟化しています。
○
また、未舗装道路の奥まった所に立ち並ぶアパート群。
総戸数にしても20戸を超えるアパート群が人の気配もなく佇んでいたり
入居者がいたことも疑わしい古いスタイルのアパート。
また、全棟が空き家でなくても、
空き家率が半分を超えるアパート群は珍しくありません。
比較的、古い建物のアパートの空き家率が高いようです。
○
また、昔からの農村地帯にあって、
伸び放題の雑草や樹木に覆われ、
敷地の入口さえ塞がれてしまった大きな家屋敷。
○
あるいは、住宅地の中できちんとした佇まいなのに人の気配がなく、
良く見ると玄関周りなどに雑草がはびこっている住宅。
中には、新興住宅地の一画にあり
築数年以内と思われる立派な住宅もあります。
●
個人の住宅や店舗なのでカメラを向けることは遠慮していますが、
見るたびに何か複雑で重い感情が湧きます。
壊すなら壊して空き地にするとか、
建物を修繕して再び命を吹き込むことができれば
その家に取っても、所有者に取っても、近隣の住人に取っても
しいては街全体に取っても素晴らしいことなんじゃないかと
そんな風に思うからです。
現実的には権利関係が複雑だったり、
所有者が解体や修繕費用を賄えなかったり、
あるいは権利者が遠く離れた所に住んでいて放置しているなど、
あれこれ難しい問題が想像できますが
それに何より他人様の所有なので
「大きなお世話」と言われれば迂闊に口出しできません。
これらを踏まえた上でも
「何とかならないものか」
と考えてしまいます。
こんな事を考えている昨今、ちょうどこんなニュースが流れました。
■
総務省が7月28日、2008年10月1日時点の
全国の「平成20年住宅・土地統計調査」結果を発表。
それによると、全国の総住宅数は5,759万戸で、
平成15年からの5年間で370万戸増加。
空き家は756万戸で、総住宅数に占める割合は13.1%に増加し、
過去最高を記録(平成15年は12.2%)。
また、高齢者単身世帯数は、前回から22.4%増の414万世帯で、
76万戸増加してこれも過去最高。
都道府県別では、空室率が最も低いのは沖縄県(10.2%)。
続いて神奈川県(10.5%)、埼玉県(10.6%)、山形県と愛知県(11.0%)。
一方、空室率が最も高いのは山梨県(20.2%)。
続いて長野県(19.0%)、和歌山県(17.9%)、高知県(16.5%)。
この調査は、1948年(昭和23年)から5年ごとに実施されていて
今回は350万戸を対象に調査が行われた。
■
どうやら私が気付くのも当然のことだったようで、
今、全国で空き家問題が課題になっているようです。
山梨県の20%は5軒に1軒が空家と言う事です。
ネットで調べてみると、国も対策事業を推進していて
「空き家再生等推進事業」なるページが見つかりました。
http://www.chiiki-info.go.jp/measures/detail/1318
[ このページを拡大 ]
これを適用した参考例も国土交通省のサイトに掲載されていました。
http://www.mlit.go.jp/yosan/yosan08/yosan/sosikibetu/jutaku.pdf
[ 参考事例を拡大 ]
●
一個人でその所有者でもない私に何ができるかと自問してみると
はなはだ無力であることに気が付きますが、
それでも何とかならないでしょうか。
どこかの企業がビジネスモデルを構築し、
豊富な成功事例が出てくれば動き出すのかも知れませんが、
そう言うビジネスライクなアプローチじゃなく、
もっと単純でドロ臭い、一個人でも取り組める草の根運動的な方法、
そんな方法がないものかと、そんな風に思っているところです。
事業で推進するには金銭的試算が現実的ですが、
この不景気な時代、事業者たちも慎重この上なく
リスクが少しでもある計画はなかなか実行できません。
そう言う正攻法でなく、何かちょっとしたことから
例えば、ご近所の助っ人やら
古い建物に想いを寄せる人を探し、住人になってもらうとか
ワークシェアリングで空家管理隊を結成するとか
NPOを立ち上げるとか、
とにかくそんな住人レベルでできて取っ付き易い方法
そんな方法が欲しいと思っているところです。
*
・・・・・と書き進めてきましたが、
この話題、1回では完結できそうにありませんので
次回以降に続編を・・・
2009/7/22(水)
トムラウシの遭難事故、中高年登山ブームに思う
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7月16日の「管理人のつぶやき」で、
私が子供の頃の夏の様子を書きました。
親が子供達の遊びに対して監視や管理をせず、
結果的に野放図に育った子供時代。
でもその中から逞しく学んだ事がたくさんあった
と言うことを伝えたつもりでした。
もっとも、当時はどの家庭も選択肢がないままに
子供達を自由にさせていたのだと思います。
●
その日記の末尾で、このように書きました。
「蛇足ですが、最近流行の中高年の登山ブーム。
ブームに比例して遭難事故も急増とのこと。
こちらは「中高年登山は危険に付き禁止」
とはならないですねぇ。」
この日記の翌日、
北海道の大雪山系トムラウシ山(2141m)で
中高年の登山ツアー客8人と単独行の一人、合計9人が亡くなりました。
まずは亡くなられた方々に衷心よりご冥福を祈ります。
そして常日頃心配していたことが現実になり、
自分の日記の翌日だっただけに、
その偶然に自分で驚いているところです。
日記でこのように書いた意図は
体力が有り余っている子供達が
近所の自然の中で冒険をしながら逞しく遊ぶことは
それなりに有意義な事がたくさんあるものの、
体力的には衰え、
しかも気候の変化の激しい大自然を相手にする中高年登山は、
もう少し見直した方がいいのでは
と言う気持ちがあったためです。
●
実は、私も二十歳ごろから登山を始めて、
足を骨折した(あ、登山中ではありませんので)4年前までの35年間余り、
主に尾根歩きや軽い雪山を楽しんで来ました。
この間、色々な登山を楽しみましたが、
時には危険な体験をしたり、無茶な行動を取ったこともあります。
そして、今回、日記で書いたコメントに関連する
疑問な光景に遭遇したこともあります。
そんな中から一つを紹介します。
それはこんな事件でした。
●
2001年の夏、
同行者3人と鳳凰三山(薬師、観音、地蔵)を二泊三日で縦走しました。
その時の我々の平均年齢は55歳、私が最も若くて52歳でした。
縦走2日目の地蔵岳からドンドコ沢を下るコースは、
地蔵岳から青木鉱泉まで、ただただ下るだけのコースです。
途中の昼食や休憩時間を入れて7時間余り。
「ただただ下る」と聞くと、一見楽そうですが、
登山経験者ならばお分かりのように、
長時間下るだけのコースは相当にキツいものです。
下りの一歩を出すたびに、
自分の体重とリュックの重さがズシンと膝の関節に負荷を与え、
身体全体の筋肉に余裕があっても、膝の関節が悲鳴を上げます。
仲間と登山した時は、お互いの荷物を分担し合ったりして協力し合いますが
それでも一度膝をやられると、ちょっとの休憩ではなかなか回復しません。
この時には、下山コースを半分過ぎる頃、仲間の一人が膝の痛みを訴え始め
それなりに休憩を増やしたり、残り3人で荷物を分け合ったりして下山し、
事なきを得たのですが、疑問な光景に出くわしたのは
我々が登山道脇の木陰のスペースで昼食を取っている時でした。
●
車座になって昼食をしていると、
登山道の上の方からザワザワと足音が近付きました。
樹林帯の傾斜コースの途中で、音はすれども姿は見えず。
やがて我々の脇へ到達すると
メンバー全員が我々よりも更に年配者のパーティー。
想像ですが、平均年齢が60代半ばだったような気がします。
その人達が、我々の脇のスペースで休憩するかと思いきや
そのまま黙々と下山して行きました。
どなたもお喋りする余裕もなく、焦燥し切った顔付きで
山での挨拶「こんにちは」の返事もギリギリ。
全員がツアーバッジをシャツの胸や帽子に付け、
明らかに旅行社の登山ツアーの団体。
総勢で15名くらいはいたでしょうか。
先頭と末尾にはガイドが付いていましたが、
そのガイドさんは二人とも背が高くて体格のいい若者。
ちょっと言葉が悪いですが、中高年ツアー客が
羊飼いの犬に追いかけられる羊のように見えました。
下るペースも意外に思うくらいに足早で、
我々全員が
「大丈夫かなぁ・・・」
と心配したものです。
昼食を済ませた我々がその後を下山しましたが、
途中で追い抜くこともなかったので、
無事に下山したのだろうと思いますが、
中高年団体の登山ツアー、色々と考えさせられました。
若い体力があるガイドに中高年の疲労が実感できるのだろうか、
送迎バスや山小屋、旅館のスケジュールが決まっていて、
途中でのスケジュール変更の自由度が低いのではないだろうか、
お互いに初対面に近い団体客、
荷物を分け合ったりの協力体制は取り難いのではないだろうか、
それに、参加者自身が中高年、他人の面倒を見る余裕は少ないのでは、
また旅行社主催のツアーと言う事で、
自分自身で計画する登山に比べて、
参加者が周囲に暗黙に依存する気持ちが強いのではないだろうか・・・
●
今回のトムラウシの遭難の原因は
主に防寒対策不足で低体温症になったためと聞きます。
装備リストは参加者に配布されていて、旅行社の社長は
装備を怠った「本人責任」の考えを示し、
北海道の山岳ツアーガイドの責任者も同様な発言をしていました。
私も、率直なところその意見を理解できます。
それは、登山にはそれだけ本人の厳しい自覚が必要だと言う意味です。
一度山に入ってしまえば、
自分の荷物は自分で背負って、自分の足で歩くしかありません。
途中で倒れた場合、自力で回復するか仲間に助けてもらうしかありません。
たった一杯の水だって、無い時には無く、
水筒の底で温まってしまった僅かの水を分け合う時さえあります。
(これ、実体験です)
時には助ける側も巻き込まれる二重遭難などの悲劇も起こります。
●
一方で、自己責任とは言え、
旅行社に対しても責めを負うべき事柄がたくさんあると思っています。
旅行社ならば、最近の中高年登山ブームの負の面は熟知しているはず。
参加者の依存心、装備の不備、中高年の体力レベル、
初対面同士の団体の特徴。
これらを承知してビジネスをしている訳ですから、
この負の面を補う責務があると思っています。
「伝えたので後は自己責任」では現実を無視し過ぎです。
注意したって徹底されない事はたくさんあります。
注意すれば何でも片付くならば、世の中簡単です。
分かっていても手を抜く、またそこまでの意識がないなど、
不備に至る要素は全く日常的に存在します。
旅行社やガイドにはそう言う現実を補う責任があると思っています。
それが登山ガイドをプロとしている者の持つべき資質、自覚だと思います。
「体力もあって、装備も真面目に準備し、登山経験も豊富」
こう言う優等生の中高年ならば、
ツアーのお世話にならずとも自分達で登山するはずです。
いや、若い時に体力気力が充実していた登山愛好者でさえ、
ツアーに参加した時点で、何割かの依存心が発生していると思います。
●
高齢化社会の進行に伴い益々増え続ける中高年登山者。
そして、毎年のように繰り返される遭難のニュース。
今、じっくりと見直して、健全なブームにしたいものです。
2009/7/16(木)
再び昔話でスミマセン。昭和30年代の水浴び。
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前回に続いて昭和30年代の夏。
今回は、夏休みの水浴び。
私が通った三郷小学校と三郷中学校には
残念ながらプールがありませんでした。
多分、当時は、市内の他の小中学校でも同様の状況だったと思います。
で、特に小学校の低学年の時の夏休みにはどこで泳いだかと言うと、
華蔵寺沼か粕川。
水泳と呼ぶには格好付け過ぎで、単なる水遊び。
これを当時は水浴び(みずあび)と呼んでいました。
近所の友達の家の庭先から、
「○○ちゃ〜ん、水浴び行くんべぇ〜!」
と大声で怒鳴ると、
その内にパンツに穿き替えた友達が出て来ます。
家はどこの家も開けっ放しなので、
中でゴソゴソ準備しているのも丸見えです。
家にたまたま大人がいれば、
「気を付けるんだぞ〜」
と声を掛けるくらいで、心配して付いて来る気配はありません。
そんなようですから、泳ぎ方を教える大人がいる訳じゃなく、
見よう見真似で犬掻きやカエル泳ぎをし、
パシャパシャ、バシャバシャと水と戯れているだけで
夕方遅くまで遊んでいて、唇が紫色になってしまい、
母親に叱られるのが常でした。
泳ぎ方と言えば、多分、当時の大人たちも
きちんとした泳ぎはできなかったのじゃないかと思います。
学校にプールさえない時代、
農村地帯で泳法をキチンと学ぶ余裕も発想もなかったと思います。
そう言えば、大人達がス〜イスイと颯爽と泳ぐ姿を見た記憶がありません。
●
華蔵寺沼などは水が緑色に濁っていて、子供心にも
「あまりきれいじゃないなぁ」
と思いながらも、
沼の隅からドボンと飛び込み、
沼に入った途端に足をバタつかせ、
中の島に辿り着くまで溺れないようにそれはもう必死で泳ぎました。
キチンとした泳法じゃないので、
きっと無駄な動きばかりのハチャメチャ泳法だったでしょうが、
それでも、何とか泳ぎ切るものです。
沼のグルリは石垣で、水深も背が立たず、
泳ぐための足場もある訳じゃなく、
しかも大人の付添もないので、今考えてみると
随分と危険な事をしたものだなぁと思います。
たまには水をガブッと飲んでしまい息を詰まらせることも。
お腹を壊せば富山の置き薬の「赤玉」を飲んで一丁上がり。
●
粕川には家から水泳パンツに穿き替えて、
手ぬぐいを1枚持って裸足で出掛けました。
当時はバスタオルどころかタオルなども貴重品で、
体を拭くのは手ぬぐいでした。
今は、サンキやシマムラで
タオル地の着替え用スカートと兼用みたいな製品を売っていて
「ほ〜、なぁ〜るほど」と感心しています。
当時の子供達は、人前でフルチンでパンツを穿き替えるのは普通のことで、
それどころか、前日泳いで濡れた水泳パンツを干し忘れたときなどは
普通のパンツで出かけ、フルチンで泳いだものです。
川までの距離は500m程でしたが、途中の石ころ混じりの道で
大きな石を踏んでしまうと、炎天下で焼けた石が熱い熱い。
アチッアチッと飛び跳ねながら
その分川まで急ぎ、川に飛び込んだ時の気持ち良さがまた格別でした。
たまには、家からスイカや瓜を持参して、
川の底から湧き出る清水に浸して水浴びの途中で食べます。
冷蔵庫の冷たさには適いませんが、
河原で車座になって食べるだけでワイルドで美味い。
いつも裸足なので、ガラスのかけらや金属片を踏んで
切り傷を付けることもたまにはあって、
でも、そんなものはメンタムを塗れば一丁上がり。
本人も驚かないし、親も驚かない。
逞しいと言うのか、野放図と言うのか、いい加減と言うのか。
で、粕川で泳ぐ場所がこれまた大変な場所で
普通の浅瀬で大人しく泳げばいいものを
水が沼のように溜まった堰で泳ぎたくて
危険覚悟でコンクリート堰の上に飛び乗って
堰で溜まった深い場所にドボンと飛び込み、
堰の角につかまりながら恐る恐るゲートまでにじり寄り、
ゴーッと音を立てて吸い込まれる水流に足をかざし
「お〜、おっかねぇ〜!」
と楽しさと怖さを飽きもせずに繰り返したものです。
ゲートから離れた浅瀬ならば安心できるのですが、
そこでオタマジャクシや小魚を追い掛けたりしていてもすぐに飽きてしまい、
結局はゲート付近の水が渦巻く場所や、
越流した水が流線型に流れ落ちる堰の下が遊び場の中心でした。
危険と楽しさの度合いは一致していることを、
子供なりに体得していたようです。
●
大人の監視が一切ない夏の粕川の堰、
周囲は50年後の今でも人家がないような場所で
河川改修も行われていない時代なので川の渕は雑木や雑草で覆われ、
今、思い出すと大人でも躊躇するような風景。
よく何の事故もなく過ぎたものです。
今そんなことをしたら
世間から「無謀」のレッテルを100枚くらい貼られそうで
私も、大人になってから水泳をキチンと習い、
それも手伝って(自分も楽しみたくて)、子供達が幼い頃、
夏となれば県内のプールにあちこち連れて行きましたが、
川に泳ぎに連れて行った事は一度もありません。
一体いつ頃から
「川は危険に付き近寄るべからず」
の場所に変わったのでしょうか。
川そのものは昔も今も変わらずに流れ、
むしろ河川改修が行われ、私たちが泳いでいた場所などは
今の方がずっと安全に改修されています。
川が危険になったのじゃなく
世の中の視点が変わったと言うことです。
●
今の子供達の夏休みは、
エアコンの効いた室内でテレビゲームや漫画で遊び、
時間が来れば親の車に乗せられて
あっちの習い事、こっちの学習塾。
水泳だってキチンとスイミングスクールに通うから
みんな上手でスーイスイと格好がいい!
勉強の方も、
「夏休みが友達を追い抜く絶好のチャンス!」
などと言われると、子供達より親が真剣になって
親はその分小遣いを減らし、パートの勤務時間を増やし
親子一体の長い受験戦争へ突入。
●
監視員付きのプールで泳ぎ
自分が起こした事故も管理者責任を問う時代。
これはここ数十年の大きな時代の流れで
私は「進歩」とも思っていなくて、むしろ「退化」の部分も多く
自然と戯れたことから学んだ危険察知力や逞しさ、
自己責任の考え方などはその最たるものです。
守る事には限界があります。
守れば守るほど、本人が自然に学ぶ能力が低下し、
周囲への依存度が高くなり、
結果的に事故に至り、危険が増えること。
そんな側面が置き去りにされているような今の社会。
夏、誰も遊んでいない川や沼を見ると、
特にそんなことを感じます。
◆
蛇足ですが、最近流行の中高年の登山ブーム。
ブームに比例して遭難事故も急増とのこと。
こちらは「中高年登山は危険に付き禁止」
とはならないですねぇ。
2009/7/11(土)
昔話でスミマセン。昭和30年代の伊勢崎の夏。
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昔話をするとオジサン臭いと言われそうですが、
私が子供の頃の夏の話を少しばかり・・・
(のっけから脱線しますが、
何でオジサンっぽいことを「オジサン『臭い』」って言うの?
お嬢さん臭いとか、オバサン臭いとか、青年臭いとか言わないのに。
青臭いとは言うけど・・・
オジサン臭いも青臭いも差別??・・・だよね)
●
・・・っと、気を取り直して話題を本題に戻し、
私は華蔵寺公園に近い波志江町の生まれですが
生まれた時にはまだ佐波郡三郷村で
幼稚園の時に伊勢崎市に編入され、この時から伊勢崎市民。
周囲は大半が農家で
我が家もその例外ではなく農家。
当時、我が家にはガラス戸なるものが少なく
障子で仕切った座敷の外には幅一間の縁側があり
縁側の外は庭。
縁側の縁には溝を切ったレール状の敷居があり
その溝を板戸が走り、夜間のみこの板戸を閉めます。
時代劇に出て来る田舎づくりの木造家屋を想像していただけば
当たらずとも遠からず。
・・・で、夏の間はこの板戸も閉めないことがたまに。
現在と違って、泥棒に入られる心配がなかったので
玄関だって施錠しないことも。
もっとも、泥棒が入っても取る物もなかったのですが。
ガラス戸もないくらいなので、網戸などあるはずもなく
縁側に蚊取り線香を焚いて、全部開けっ放し。
現在のように下水も整備されていなくて、
農薬の使用も少なかった時代なので
家の周囲は蚊がウヨウヨ。
蚊の餌食になり、ポリポリ、ポリポリとあちこち掻きながら
夜になると毎晩のようにやって来る雷の稲光を
花火代りに眺めながら
家族みんなで縁側に座ってポリポリ、ポリポリ。
流石に寝る時には蚊帳を吊るしてその中で寝ましたが
蚊帳の中に仰向けに寝そべって
足をピョンピョンと持ち上げて
足の指先で弛んだ蚊帳にタッチできるかどうかが寝る前の楽しみ。
たまに、蚊帳が足に絡まって四隅の紐が外れてしまうと、
どこからか親父の拳骨がガシッ!と脳天に。イテッ!
蚊帳は今のアウトドアのテントに似たワクワク感があり
毎晩がアウトドア。
●
テレビゲームどころかテレビさえないので
時間の流れがのんびり、ゆったり。
当然深夜番組など想像外のことで、
夜更かしすれば電気代がもったいないし、基本が早寝早起き。
正確には覚えていませんが、
と言うより、時計で生活のリズムを刻むと言う発想がなく、
多分夜9時頃には寝ていたような?
エアコンなどはもちろん未知の世界で、扇風機も贅沢品。
代わりに団扇でパタパタ、パタパタ。
兄弟同士でジャンケンをして、負けた方が50回扇ぐ罰ゲーム。
ずっと負け続けると夏の暑さが倍増。
でも、勝った時には極楽、極楽。
タイル張りの風呂場で、いつでもお湯が出るシャワー・・・
などと言うものは、想像を遥かに超える存在で
風呂に入りたければ、夏でも冬でも焚き木で沸かし、
湯釜への入り方にコツを要する五右衛門風呂。
母親床屋のバリカンで刈った坊主頭を
黄色いレモンの形をした石鹸でゴシゴシと洗い、
風呂から出ればパンツ一丁でやっぱり縁側に出て
団扇でパタパタと。
たまに風が吹けば、風鈴がチリ−ン、チリーン♪
涼しい。・・・気がした。
●
庭には蚊もたくさんいましたが、
昼間は庭の柿の木や名前も知らない雑木にセミが飛んで来て
夜になれば、蛙がグエッ、グエッ、ゲコゲコと鳴き
たまには蛇もウロチョロと。
夜には室内の裸電球の灯りを目指して
カナブンや蛾が飛んで来ても誰も騒がない。
その内、出て行くし。
よっぽど気になれば、丸めた新聞紙でバシッ!っと。
ご愁傷様。
夏の間に庭で遊ぶ時は基本が裸足。
そのまま家にピョンと飛び込んで、
縁側に白い足跡を残してバレて、
やっぱりどこからか飛んで来る親父のゲンコツ。
イテッ!
食事も腹いっぱい食べれればそれだけで上等で、
味は二の次、三の次。
麦飯とキュウリとナスの漬物が主食。
庭で飼っていた鶏が産むタマゴは家族で順番だから3日に1個のお恵み。
もっとたくさん産めよ、鶏〜。
肉など、1年に数回。
それも、卵の産みが悪くなった鶏を親父が潰して食べた鶏肉。
鍋の中で、丸丸一羽の鶏が茹っていて、
大きな卵から小さな卵が数珠つなぎに並んでいる光景が
子供心に不思議でした。
だから、メタボになどなる訳がなく、
皆な試合前の計量時のライト級ボクサー。
(今では無残なメタ坊ですが・・・)
車を持っている家は、波志江町でたった2軒。
その内の一軒は友人のI君の家で車種はトラック。
一度荷台に乗せてもらった時の感激は今でも忘れません。
◆
こんな昭和30年代の夏の生活。
食生活も生活環境も電化生活も
今から比べれば比較しようもなく貧相でしたが、
それでも、
「不幸だなぁ〜」と感じだこともなく
「貧乏だなぁ〜」とも思ったこともなく
悲壮感も疲労感も寂しさもなく、
不満でストレスを溜めることもなく
明日の心配をするでもなく、
ただその日その日の繰り返しでしたが
今思えば
毎日が夢のように楽しく
永遠の時間のように感じられました。
◆
今では我が家には部屋ごとにテレビがあり
部屋ごとにエアコンがあり
シャワーだっていつでも入れるし、
家の中に蚊が一匹でも入ろうものなら
家族みんなでギャーギャーと大騒ぎ。
今さらあの頃に戻れと言われたら
ちょっと厳しいものがありますが、
何もなかったあの頃の方が
今よりゆったりとした幸福感に包まれていた
と思うのは、
錯覚なのでしょうか。
2009/7/2(木)
グーグルページランキングの謎?!
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ウェブサイトの賑わいの指標として
グーグルページランキング(Google Page Ranking)なるものがあります。
ランク付けのアルゴリズムは公表されていませんが、
それをITエンジニア達が予想を含めて真面目に語っているサイトや
批判、賛同したりのページはたくさんあります。
今、「google ranking」のキーワードで検索したところ
「google ranking の検索結果 約 101,000,000 件・・・・」
と表示され、1億を超えるページがありますが、
ウェブ上ではこれ程の関心が寄せられています。
私も「Go!伊勢崎」始め、いくつかのサイトを運営している立場から、
これを気にしたり気にしなかったりですが、
やっぱり高い数値が出ると嬉しいものです。
一般的には
訪問者が特定の人たち向けのサイトの場合や
ブログで趣味や日記等を綴っている方達は
このランクをあまり気にしていないようですが、
不特定多数の人に閲覧してもらうことが商売に直結する
例えば物販サイトなどは、このランクで一喜一憂しているようです。
また、広告費もこのランクで決める広告代理店もあります。
ちなみに「Go!伊勢崎」のトップページは開設時は当然0、
数ヶ月後に1にランクされて、「お〜!」と喜び、
それから2,3と上がり、その後しばらくして4まで行き、
「やったぞ〜!次は5だ」と密やかに期待しながらも
4が長い間続き、それはそれでいい気になっていましたが、
最近は3になったり4になったりで、意気消沈モード。
「Go!伊勢崎」のトップページ以外のページは、1つの例外を除き、
大半が2か1で、0のページもあります。
0が最低かと言うとそうでもなく、
その下は「このページはランキングされていません」
とランク外の表示がされ、新設間もないページは大体これです(涙)。
◆
他のサイトをいくつか参考に紹介します(2009/7/2時点)
伊勢崎市公式サイトのトップページ=5
伊勢崎市観光協会公式サイトのトップページ=3
華蔵寺町公園公式サイトのトップページ=4
群馬県公式サイトのトップページ=6
経済通産省公式サイトのトップページ=8
◆
話の本題はここからなんですが、
先ほどの「1つの例外を除き」の話です。
そのページは、最近作った
「漫画、無料ゲーム集」のページで、
作って1ヶ月も経たない内に3になったのです!
最初は目を疑いました。
実はまだ疑っていて、
先ほどグーグルランキンゲチェッカーなるサイトでチェックしたのですが
やっぱり3でした。
「Go!伊勢崎」のトップページは4にランクされるまで、苦節1年と半年。
毎週休日に取材をし、日々コツコツと記事を書き
写真を掲載し、それでやっと4。
それなのに、広告をペタペタ貼り付けただけのページが
1ヶ月も経たない内に3に・・・。
このページ、作成時間はせいぜい2時間でした。
私が漫画やゲームに対して駄文を書いていますが、
そんなことはほとんどのページに書いていますので、
ランキングを上げたのは広告バナーのせいです。
このページは「Go!伊勢崎」のトップページからしか誘導していなくて、
「Go!伊勢崎」のトップページの訪問者(最近は1日330人前後です)の皆さんが
「漫画、無料ゲーム集」のページを閲覧することも考え難く、
また閲覧したとしても、全員で1日330回、しかも1ヶ月以内なので
作成後1ヶ月以内にグーグルページランク=3
の謎は明らかに別の理由です。
●
そこで名探偵、コナン・明智・丸男が考えるに、
これは、全国のゲームファンが、検索を利用して
直接にゲーム集のページをアクセスしているのではなかろうか??と。
全国でゲーム集を検索する人は
「Go!伊勢崎」の一地方都市のローカル記事への関心は低いでしょうから
トップページを含む他のページを見る必要はありません。
「きっとそうに違いない!」
・・・と言っても、あくまで想像ですので、
実際はグーグルの検索機能が突然バグったとか、
一時的に猛烈なアクセス数が発生し、
たまたまその瞬間にランク付けされたとか、
もっと単純な理由だったかも知れません。
(ここから先は7/3日の追記です)
やっぱり、奇跡はありませんでした。
今日、「漫画、無料ゲーム集」のページを見てみると、
何と、何と、
「このページはランクされていません」
え゛〜〜〜〜!!!!
昨日まで3だったのが、今日突然ランク外に??
どぼじて〜?!
グーグルの気まぐれだったのかなぁ?
バグだったなんて言うと睨まれそうだし。
トホホ・・・ |
●
今回の件は広告バナーだらけのゲーム集ページなので、
笑って済ますことができますが、
不特定多数の人に閲覧してもらって商売繁盛を期待し、
真剣に真面目に力を注いで作成した場合、
笑って済ますことはできません。死活問題ですから。
このランクを上げるための専門コンサルタント会社もあるくらいで、
(「SEO対策行います」と言う広告は大体そのような会社です)
多くの企業がウェブサイトを商売の武器にしつつある昨今、
ページランキングは無視できない話題になりつつあります。
●
(蛇足ながら、グーグル社に対し、1私企業ではあっても
これだけ世間の関心を集めている状況なので、
是非とも判定基準を公にしてもらいたいものです)
2009/6/27(土)
タイム○、ワーク○、ルーム○、カー○、・・・そしてハウス○
○に入る言葉は?
・・・シェアリング、分け合うと言うこと
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今から30数年前、
コンピュータと言えば汎用大型機(メインフレームと言います)が全盛の頃、
これを複数の人が共有して使用する技術として
TSS(時分割システム:Time Sharing System)と言う方法が普及しました。
これは中央演算装置(CPU)の時間(Time)を
複数の端末機に少しずつ分け合う(Share)システム(System)で、
擬似的には
1台のコンピュータが同時に複数の処理を行っている
ことになります。
人間に例えれば、
親(メインフレーム)の財産を子供(端末機)が分け合えば、
皆が平等に恩恵を受けることができる
と言ったようなことです。
会社の利益を全社員が分け合うとか
国の予算を地方が分け合うとか、
色々な応用編があります。
(ちょっとベタでしたが・・・)
●
今年の1月、隣の太田市では職員の残業を減らし、
新たな雇用を創出するワークシェアリングを始めました。
自動車工場などを解雇された市内在住者を対象とし、
土木現場や窓口業務の臨時職員を20人ほど採用したようです。
ワークシェアリングとは、
勤労者同士が雇用を分け合う(シェアする)ことで
何通りか方法があるようですが、
一人ひとりの労働時間を短くして
勤労者を増やす方法が典型的のようです。
不況下の昨今、全国の自治体や企業で採用され、
ワ−ク(仕事=お金)を多くの人に分け合う(シェア)
と言うことです。
●
37年前、オーストラリアに行った事があります。
1豪ドル=400円の時代で、
飛行機代が片道18万円くらいした記憶があります。
月給が6〜7万円の頃ですから、月給の3倍が飛行機片道代。
今なら月給以下で往復のチケットどころか、
ツアー料金全部を賄えますから、
隔世の感があります。
オーストラリアの国内便2回分を含めて、
総費用63万円の内、40万円が飛行機代でした。
・・・と、実はお金の話じゃなかったのですが、
その当時、オーストラリアにはフラット(Flat)と称す
家具付きのアパートのような貸し部屋(家屋)があって
私のPenpalの友人がその友人とルームシェアをしていました。
その二人の友人は二人とも女性でしたが
それなりに上手く共同生活をしている様子でした。
「何でこんなに広いの?」と思うくらい広くて、
広いベッドルームとリビング・キッチンの他に
洗濯機とトイレがあるだけの部屋が20畳くらいあって、
そこに洗濯物が干せてしまう。
日本の部屋のように狭い間仕切りがないのが驚きでした。
「ふ〜ん、オーストラリアにはルームシェアって発想があるんだ」
と当時は思っていましたが、
実は今、東京辺りじゃ学生やOL達の間で
ルームシェアが流行っているらしいです。
他人同士がルームシェアの相手を募集するネットの掲示板もたくさんあり
検索してみると、全国津々浦々に渡り、
貸したい側/借りたい側/シェア仲間を求める人
たちが情報交換をしています。
●
次なるは、
最近、主に都会で話題のカーシェアリング。
公共交通網完備の都会では、
普段はあまり自家用車のニーズがありません。
私の千葉に住む友人は自家用車を持っているのですが、
本人がユニークな計算をして、
毎回タクシーを利用しても、自家用車を所有する経費より安い
とのこと。
サンデードライバーの皆さんがいれば、
ちょっと計算してみてください。
実は、私も全く同じ状況で
休日は自転車、平日の職住距離は徒歩数分、
車は毎日車庫で眠っていて、週数回の出番をじっと待っています。
先日、定期点検で
「余り乗っていないようなので、摩耗・消耗はないんですが、
バッテリーがちょっと・・・・、たまには乗ってください」と。
子供たちが小さい頃には、
休日のたびに無目的にあちこちドライブしたのですが。
こんなニーズに答えたのがカーシェアリングです。
1台の車を会員登録した複数の人が使い合う。
レンタカーに比べて、貸し時間が短い、
乗り捨てる場所を身近に設置できる、
など、利便性が高い。
このシステム、ヨーロッパで数十年前に発生したシステムとのことです。
残念ながら、人口密度が低い地方では現実的ではなさそうですが。
●
・・・と
いくつかのシェアリングの例を取り上げてみました。
分け合う(シェアする)と、自分も得して、相手も得して
恩恵を受ける人が増える。
不況を背景とした実利的な理由、
地球環境を守るエコロジー的発想、
これら計算あるいは計測可能な理由は非常に分かり易いことですが、
実は
もっと違う側面の効果が大きいのではと考えています。
例えば、
高齢者世帯と子供のいる家庭がハウスシェアリングをし、
子供と高齢者が孫と祖父母のような関係で交流し
若い母親は子供の面倒を見てもらい、
高齢者は急な病気や怪我の時に面倒を見てもらう、
たまには、手作り料理の交換なども。
また、住宅地にカーシェアリング基地を設置し、
サンデードライバーと休日通勤者が相補完関係を確立すれば、
コスト低減のみならず、各家庭の車庫スペースも不要になり、
家庭菜園やガーデンが作れる。
シェアする人たちとの交流も増え、コミュニティーづくりをアシストします。
また、ワークシェアリングにしても
少人数の人が仕事に忙殺される一方で、仕事を追われる人がいる昨今。
仕事量は収入に連動するので、
このことが貧富差を生む社会問題にもなっています。
●
シェアすると言う事
この行為から得られる利点は数多くありますが、
一方では、お互いが協調し、譲り合い、我慢する必要が出て来ます。
それを自然にできる人、絶対に無理な人、様々でしょうが
皆が少しずつの努力で、多くの人が幸せになること、
今後、益々社会のキーワードになって行くでしょう。
2009/6/24(水)
アフィリエイトの世界から見る世相
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当サイトにはアフィリエイトと称する仕組みで、
色々な広告を貼っています。
(→アフィリエイトの詳しい話はこちら)
これらの広告は広告主を仲介する組織(ASPと言います)経由で、
あるいは直接に広告主から
毎日何十通と言う依頼メールが入ります。
大半の広告は、広告をいくら貼り付けても
成果が出ないと収益にはならないのが悲しいところで、
(その辺の悲話はこちら)
私も、これらのメールにいちいち対応していませんが、
成果はさて置き、
メールの内容で時代の背景が多少見えて来ます。
●
お中元やお歳暮、お正月の時期、
あるいはバレンタインデーや母の日、
またはボーナスの時期や旅行シーズン・・・、
これらの時期に商品販売の広告依頼が来るのは
非常に分かり易い流れなのですが、
これら毎年の決まった流れとは別に
数年と言うオーダーで変化している広告があります。
●
まず、求人広告に関して、
看護師、介護士、医師の求人広告が特に増えて
代わりに建設現場等のガテン系求人が減りました。
(こちらに求人広告を掲載してあります)
世間では、介護や看護現場の人手不足のニュースが流れますが
そのまま、アフィリエイトの世界に連動しています。
ガテン系が減ったことと建設業界の不振とも一致します。
次に、一時多かったFX投資などの広告依頼が、
世界不況の中、投資神話が崩れる頃と同期して
一挙に減りました。
また、最近増えた広告として、
本やCD/DVD、パソコン、貴金属等の
リサイクルの広告依頼が増えました。
ブックオフは有名ですが、ライブドアなども専門サイトを持っています。
これも、リサイクル店があちこちに出来た街中風景と同期しています。
それと、一挙に減ったのが金融ローンカードの広告。
有名な俳優を起用して一時は溢れるほど多かったのですが、
気が付いてみればほとんど消えていました。
そう言えば、テレビで夜の11時台に多く流れたこれらの宣伝も
今は鳴りを潜めています。
●
意外とテレビや新聞の広告に流れないのが
ネットショップに力を入れている企業。
例えばパソコンのアップルやHPなどは、
数日に1回は広告依頼メールが届きます。
これらは家電量販店には並ばない低価格商品なので
インターネットユーザに的を絞っているのかも知れません。
家電量販店に並ぶ国産大手メーカの数十万円の価格から比べると
3万円台、4万円台〜と破格の値段です。
量販店に並ばない破格の値段のパソコン。
これって、皆さんご存知なんでしょうか?
実は、私はパソコンは過去20年、全て通販あるいはネットで購入しています。
(ビジネスユースなので、余計なソフトがなくてサッパリしていいのですが、
音声もなかったりしますので、一般的な使用には不向きかも知れません)
(パソコンの広告を覗いてみたい方はこちら)
●
ネットショップに力を入れると言えば、
意外と皆さんがご存じないと思われるのが
大手デパートのネットショッピング。
大丸、阪急、東急、近鉄、高島屋、伊勢丹
ほとんどの大手デパートが独自のネットショップシステムを構築していて
居ながらにしてデパートの商品を購入できます。
首都圏にでも住んでいれば、日常的にデパートに買い物に行けますが
地方の住人にはそれは無理。
どんな過疎地に居ても、インターネットが繋がりさえすれば
有名デパートの商品を購入でき、便利な時代になりました。
それと、デパート側も売上不振とスーパーの攻勢に負けを取らないよう
ネットショッピングに力を入れているのかも知れません。
(ネットショッピングのデパートはこちら)
●
・・・と、ざっとアフィリエイトの世界から世相を見てみました。
世の中の経済をそのまま反映している面、
ネット世界固有のビジネスの面、
アフィリエイトと言う、一般的には馴染みの少ない世界から、
世相を掴むことができます。
2009/6/21(日)
中高年の趣味と健康管理
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私の兄と義姉が卓球を趣味にしています。
二人ともオーバー60のシニアです。
また、友人・知人にも卓球を楽しんでいる人が少なからずいます。
中には、数年前に、
上毛新聞のスポーツ誌のトップを大きな写真で飾った
身内のような70歳過ぎの大先輩もいます。
卓球が今秘かなブームなのか、
たまたま私の周囲だけなのか良く分かりませんが、
兄が通っているあるサークルは趣味の範囲を超えていて、
弁当持参で毎日やって来る「熱中・真剣オジサン」もいて、
その熱中振りには
本人も若い時から卓球の名(迷?)プレーヤーを自負している兄をもってしても
近寄り難いとのことです。
初心者が、現役引退後の健康管理としてちょっと卓球でもと思い立ち
「よろしくお願いしま〜す」なんて入門しても、
なかなか優しく受け入れてもらう雰囲気ではないようです。
ちなみに私は右足が少し不自由なので
フットワーク重視の卓球は無理です。
●
そう言えば、私がたまに行く温水プールでも同様な光景が・・・。
水泳は、30年以上も前に始めた趣味で、
メタボの改善が見られないのが悲しいところですが
運動神経の鈍い私でも続いている趣味です。
私の場合は、個人レッスン1回、スイミングスクール4ヵ所で一から習い
一応四種目をマスターし、
今はフリーコースで気ままにプヨプヨと泳いでいますが、
このスイミングの世界でも
スピードや距離を目標に真剣に黙々と泳ぐ中高年が少なからずいます。
・・・かく言う私も、もう少し若い時には
プールサイドの時計をチラリと横目で見てプールサイドを蹴り
1秒2秒の短縮に闘志を燃やしたこともあります。
心はオリンピック選手です。
ただ、私がバタフライをすると近所迷惑のようで、
一緒に行った家族は「他人の振り」をするので、
バタをする時は波を立てないよう、神経を使います。
(でも、波を立てないバタなんて無理だ〜・・・)
●
中高年登山も今ブームで
近場の軽登山をのんびりと楽しむ範囲を過ぎると
「日本百名山」を目標に
全国の山々を登り続ける中高年登山者がたくさんいます。
登山は私は20代からの趣味で、主に東京時代にたくさん登りましたが
当時は、今ほど中高年者とは出会わず、
「日本百名山」もそれほど意識の中にはありませんでした。
今は、日本百名山の2周目を目指す人や
全山踏破の日数短縮を図ったりとか
シニアライフの時間とお金を費やして頑張っている人がいます。
私は6年前の「雨飾山」が38山目で、今後も増えそうもありませんが
それと、ここだけの話・・・
ちょっと皮肉れ者なので、富士山には登りたくないので
100名山踏破は私にはできません。
(富士山は、長野や山梨の山を登るとき、
「お〜富士山が見える!」と、
はるか遠方の雲上に見える上品な姿に感動はしますが
私に取っては、そこまでの山であって、それ以上の山ではありません)
●
趣味と言えども、他者との競争心が
その動機の大部分を占めることは人間の本質で、
加齢と共に、少しずつそのエネルギも減少するかと言うと
そうでもないようで、
これが、今の中高年の特性なのか、全世代共通なのか何とも分かりませんが
健康に悪影響を与えないならば
燃える趣味を持つと言う事は大いに喜ばしいことだと思います。
(ただ、早寝早起き、静かな行動が基本の山小屋で
周囲が寝静まった雑魚寝部屋で
いつまでもお喋りをしているオバサン集団、
酒盛りのオジサン集団はノーサンキューです。
個室の旅館や民宿じゃないんだぞ〜!)
●
厚労省も中高年者が適度な運動をして健康を維持し
医療費負担が減ることは大歓迎のようで、
いや、大歓迎と言うより、
団塊の世代の加齢と共に、
2025年には高齢者人口がピークを迎え、
高齢者が「健康寿命」を延ばすことは
医療費抑制面からも重要課題のようです。
「医療費負担が大変だから健康でいなさい!」
と言われるとカチ〜ン!と来ますが
とは言え、現実的な問題として、
本人も楽しく、生き甲斐を持てて、人との繋がりもでき、
かつ健康管理ができるのならば、
全てめでたし、めでたしです。
ただ、くれぐれも度が過ぎないように、
競争心や闘志はホドホドに。
ゆっくりとのんびりとマイペースで・・・
2009/6/12(金)
歳を取ると言うこと
団塊の世代からのメッセージ
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歳を取ると言うことはどう言うことでしょう。
思い付くままにその現象を列挙してみましょう。
■「ドッコイショ!」等の独り言が増える。
■最近覚えた人の名前がすぐに出て来ない。 ■「あの、ほら、あれ、あれ」と代名詞が増える。
■病気の話が挨拶代わりになる。
■怪我や病気が自慢話になる。
■年金の話題を聞き逃さない。
■平均寿命が気になる。
■頑固になる。 ■昔話が増える。 ■人の話を聞かなくなる。
■同じ話題を繰り返すようになる。
■「老人」と言う言葉にカッチ〜ンと来る。
■気力が萎え、体力が落ちる。 ■咄嗟の判断力が鈍くなる。
■白髪が増える。
■髪の毛が薄くなる。 ■肌のツヤ、張りがなくなる。 ■咳払いや痰切りの回数が増える。
■眼尻、口元、首回りのしわが増える。
■加齢臭が増える(華麗な臭いならいいのですが)。
■身内や知人友人が亡くなる。
■知っている有名人が亡くなる。 ■自分より若い有名人が亡くなる。
■滑舌が悪くなる。
■動作がスローになる。
■ゴロンと横になりたがる。
■以前と同じように走っても足がもつれる。
■脂っこい物よりあっさりしたものを好むようになる。
■階段とエスカレータが並んでいるとエスカレータを選ぶ。
■海外旅行より近場の温泉地でゆっくり・のんびりがいいと思う。
■身支度やお洒落に手を抜くようになる。 ■ファッションが地味になる。
■視力が落ちる。近場の物が見え難くなる。
■読書メガネ(老眼鏡)を何個も持つようになる。 ■読む本の数が減る。
■社会に対する関心がピークを越える。
■要らない物がタンスや物置にいっぱい。
■友人、知人が退職し、年金暮らしに突入する。
■友人、知人が早期退職勧告を受けるようになる。
■友人、知人が親会社から関連会社に出向、転籍になる。
■妻(夫)に対して優しくなる。
■妻(夫)に対する期待感が薄らぐ。
■妻(夫)の関係が空気のような存在になる。
と、あれこれ好き勝手に列挙しましたが
皆さんもいくつか共感していただけましたでしょうか?
●
昭和22年〜24年生まれの団塊の世代が
今、順次定年退職を迎えています。
60歳を過ぎても現役で頑張っている人も数多くいると思いますが
歳を重ねると若い時のような活躍はできません。
西暦 |
元号 |
今年の
満年齢 |
出生数 |
出生率
(*) |
1947 |
昭和22年 |
62歳 |
267.9万人 |
4.54 |
1948 |
昭和23年 |
61歳 |
268.2万人 |
4.40 |
1949 |
昭和24年 |
60歳 |
269.7万人 |
4.32 |
2005 |
平成17年 |
|
106.3万人 |
1.25 |
(*)出生率=1人の女性が一生の間に産む子供の数。
世間では団塊の世代の預貯金・現金を狙うのが
この不況時代のビジネスのキーワードとか言われていますが、
当の本人たちにしてみれば懐を狙われて先細り感に陥るよりは
健康でありさえすれば、まだまだ社会との繋がりを持ち
社会貢献をしたいはず。
少なくとも昭和24年生まれの私・管理人丸男は
そのように思っています。
そのためには、
本人たちも社会も高齢化の特性をしっかりと受け止めて
仲良くやって行く必要があります。
高齢化現象をお笑いのネタにしている間はギャグで済みますが、
これを本人たちや周囲が嫌悪してしまうと中々前に進めません。
「歳を取るとはこう言うことなんだ」
と実態を認識して初めてスタートを切ることができます。
●
先週末、友人たちと草津温泉へ一泊旅行に行きましたが
ホテルのカウンターで宿泊カードに署名する時、
読書メガネを忘れた事に気づき困っていると
カウンタの女性が
早速に2個の度数の異なるメガネを用意してくれ
無事対応できました。
昨日はJRで東京へ出張しましたが
東京フリー切符は裸眼で何とか購入できましたが
切符の字が小さく、どちらが「ゆき」か「かえり」か判読できず
(ピンボケでスミマセン)
自動改札機の前で立ち止まり、仕方なくバッグを下ろしてメガネを出しました。
急いでいる時なら電車に乗り遅れてしまいます。全く不便。
切符の細かい記述など不要なので
「かえり」が大きな字で書いてあれば嬉しいです。
ちなみにこんな感じ。
いつも困るのはレストランのメニューでほとんど裸眼では読めません。
いちいちメガネを出すのも面倒なので
写真が掲載してあるものを選んで
「これください」と。
「当店は大きい字のメニューがあります」
なんて看板があれば入ってしまいます。
毎週末、「Go!伊勢崎」の取材でデジカメを使いまくっていますが
メニューやダイヤルのアイコンや字など全く判読できず、
ほとんど感で撮影しています。
(でも、慣れれば何とかなりますが)
視力の低下(老眼化)による不便さが最も顕著ですが、
高齢化により社会に不適合になる現象は
実はまだまだたくさんあります。
●
高齢者の預貯金を直球で狙っても
警戒こそすれ財布の紐は解きません。
また、物で誘惑しても既に棄てるほど物を持っています。
逆に買い取ってもらいたいくらいです。
高齢者の立場になって、その弱点を受け入れ、
それを補ってくれるような「何か」でないと、心が動きません。
高齢者なりの気力、体力で社会に貢献でき、
生き甲斐を得られること。
年金と医療費で税金を消費する迷惑な存在でなく
社会の一員となってできる限り活躍できること、
そんなモノやシステムが必要とされています。
2009/6/4(木)
北朝鮮のミサイル発射、盧武鉉前大統領の自殺、漢字検定理事長問題、
そして牟田悌三氏の生き方やジャックアタリ氏の予想、
これらの事から思うこと。
▲ページTopへ
最近、北朝鮮のミサイル発射や核実験の動きが
隣国である私達日本人だけでなく、世界中に不安を与えています。
警告を発し続ける国際社会を無視し、
一人暴走して闘っている北朝鮮に対して、
不気味さを通り越して、悲しみが湧いてきます。
テレビ放映で、
いつも怒ったように硬い表情でニュースを読み上げる女性の顔も
すっかり覚えてしまいましたが、
彼女のアナウンスを聞いていると、
静かで優しいトーンの韓国映画のハングルと同じ言語なのだろうか、
とさえ思ってしまいます。
●
一方、先月、南の韓国では、盧武鉉前大統領が自殺しました。
夫人や息子など家族の金銭疑惑に追いつめられた結果のようで、
葬儀の時、死を悲しんで泣き崩れる韓国の人々の多さを観て
「何でそんな悲しい選択をしたのだろう」
と改めて思いました。
日本では、同じく先月、
「日本漢字能力検定協会」の前の理事長と副理事長が、
ファミリー企業に架空の業務を発注し、
協会に2億5000万円の損害を与えたとして逮捕されました。
一昨年までの2年間に15億円以上の利益を出し、
今年1月以降、「不透明な取引」や「もうけ過ぎ」などが次々と明らかになり、
ついに逮捕に至った訳です。
公益法人でなく「私益」法人化していたと言うことです。
●
今年の1月には
俳優・牟田悌三(むたていぞう)さんが80歳で亡くなりました。
牟田氏の後年のボランティア活動は有名な話で、
氏の残した文章の中で
「人々がお互いを愛する事を幸せと感じる社会になって欲しい」
と言う主意の文章があります。
ボランティア活動を共にした人たちは、
「私達にとっては、『俳優』牟田悌三氏でなく、
一緒にボランティア活動をしてくれる「普通の人」・牟田さんでした」
とのことです。
今年のGW中には、NHKの「ジャックアタリ氏緊急インタビュー」の番組で
現在の世界不況を救うのは
相手の幸せを喜ぶ博愛の精神による超民主主義であり、
それが2060年頃に訪れると予想しました。
●
今から50年後、
牟田氏の願う社会、ジャックアタリ氏が予想する社会が実現するのか
この目で見届けたい気がしますが、残念ながらいくら頑張っても
今年還暦を迎えた私は既にこの世にはいないでしょう。
そして、そのような社会が実現するまで、
これから先も、
人々はいくつもの戦いや殺戮を繰り返し、
私腹を肥やし、
相手の幸せでなく自分の幸せを願い続け、
色々な失敗を重ね続けるのでしょう。
これを愚かと言うのか、人間らしいと言うのか
この歳になってもまだ分かりません。
多少は哲学的な賢い事でも言いたいところですが、
残念ながら能力が追い付きません。
ただ、財産などと言う言葉と縁の少ない私は
モノ・物を失えば失うほどに
日々の幸せ感が増して来ている
と言うことだけは実感があります。
これには開放感に近い感覚も含まれています。
部屋を片付ける時、結局あれこれを棄てて
「あ〜サッパリした!」
と思う感覚と似ています。
この感覚の延長線を考えるに、
全てを不要とした時、あるいは失った時が
一番の幸せなのかも知れません。
「相手が欲しがるならあげてしまえばいい」
諦めるのじゃなく、その方が「自分が」幸せになれるから・・・
国対国、企業対企業、色々な場面で闘いを放棄したら
社会も成立しないのでしょうが、
ただ、このような感覚が
牟田氏やジャックアタリ氏が言う
「相手の幸せを願うことが社会全体が幸せになること」
に繋がるような気がしています。
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