アメリカの貪欲な消費力が支えた世界経済? 世界不況の話題がいつになっても消え去る様子がありません。こうも毎日不景気な話題が続くと気が滅入るばかりです。1929年に始まった世界恐慌以上の不景気に陥るとの予想も聞こえてきます。 |
こんな所にもスマーク効果 ▲ページTopへ 「こんな所にもスマーク効果」って一体どこに? 周辺に早くも何かの店ができたのかな?それとも近所の土地の価格が急騰でもしたのかな? な〜んて、そんな生々しい話じゃなくて、このサイトでのことなんです。まずは下図を見てください。 これは当サイトのトップページへの日々のユニークアクセス数です。 土日のアクセス数が少ないことは毎週のことなのですが、10月の平均が384人だったのに、11月10日からアクセスが毎日400を超え、金土日と減ったもののいつもの土日ほどには減らずに、17日には500人、翌18日には559人になりました。そして、昨日の19日は572人。これって一体なぜ? そう、スマーク効果以外の何者でもないですよね。 スマークのオープンの話題が広がるにつれ、ネットで「スマーク」を検索する人が増え、「Go!伊勢崎」のサイトを訪問する人が増えたと、こう言う流れです。 下図は今日時点で、グーグルで「スマーク 伊勢崎」をキーワードに検索した結果で、21,100件のサイトが見つかった中で、当サイトがスマーク自身のサイトに次いで2番目に出てきます。 当サイトでスマークを取り上げてから2年余り、 ただの水田地帯だった頃からこの度のオープンまで、振り返ればそれなりに感慨深い2年間ではありますが、自分で勝手に掲載し続けただけのことが、それが縁で今度は逆にこのサイトが元気付けられること、巨大事業と一個人が作るウェブサイトでは比較するにも桁が違い過ぎますが、世の中の「お互い様」の精神をつくづくと感じている次第です。 肯定から入れば相手は近付き 否定から入れば相手は遠のく 当たり前のことかも知れませんが、そんな当たり前の事を2年の歳月が教えてくれました。 ユニークユーザ数とは同じ方が1日に何回訪問しても1とカウントする方法で集計した数 交通路の変化と集落の盛衰 ▲ページTopへ 私が今回の観覧車建設問題を語る時に基盤となっている考え方があります。それは「交通路の変化と集落の盛衰」 と言う考えです。「変化」は「変遷」と、また「集落」は「都市」と置き換えることもできます。例えば「交通路の変遷と都市の盛衰」としても同じ意味です。 難しい話ではなくて、簡単に言えば 「交通路が整備された所は栄えて、そうでない場所は衰退する」 と言う意味で、都市の発展衰退過程で古今東西に渡り実証されてきたことです。私がこの言葉に最初に接したのは中学一年の時の社会科の授業で、今では故人となったS先生に教えてもらいました。 授業では事例として松前町(北海道)と三厩村(みんまやむら:青森県)が挙げられました。この町と村は本州と北海道を繋ぐ最短距離に位置し、大きく栄えていたものの、青函連絡船の開通によって衰退したと言う例です。 今ではこの考え方に対し、仕事柄、公共事業論等で肉付けはしていますが、原点的な意味と解釈は全く変わっていません。 江戸時代の東海道の沿線が港や宿場町を中心に栄え、東海道線ができて鉄道駅を中心に新たな都市ができたり再整備が行われ、地元伊勢崎市を見ても、駒形バイパスができ、周辺の区画整理が進み、連取町や宮子町が新たな市街地として生まれ変わり、国道17号が上武道路(国道17号バイパス)の開通後、熊谷〜高崎間の交通量が減って沿線が衰退したりと、事例は枚挙に暇がありません。 古代シルクロードのオアシス都市として栄えた楼蘭が、その後衰退して砂漠の下に眠っていたことは冒険家や探検家、考古学者のロマンの的で、これはこれで知的好奇心を大きくくすぐる話ではありますが、現実の話題に戻ると、交通路の変遷はその後の都市の発展に重要な影響力を持ちます。 交通路の種類としては首都圏では鉄道やバス等の公共交通網の影響が大ですが、人口が少なく、車社会の地方では道路交通網がその中心的影響力を持っています。 このように地方都市の発展基盤として道路交通網が存在する時に、今回の観覧車建設地は幹線道路網の要衝としてのポテンシャルを持っていて、しかも、その投資費用は北関東自動車道や上武道路、国道462号、北関東道の側道等、伊勢崎市の単独予算でなく、国や県を主体とする広域圏の整備計画で長年月に渡り準備したものです。 これら、国や県のバックアップを得て整備されつつある幹線道路網の真ん中に今回の建設地が位置しています。 観覧車その物は道路交通の円滑化を促進する訳でもなく、市の税収増を約束したものでもなく、観覧車以外の何者でもありませんが、家に例えるならば玄関、マンションやビルのエントランス、イベントのゲートのようなもので、「ここが玄関です」と周囲に周知せしめるための構造物と理解していました。 ● 今回の観覧車建設に対しては、私が考える上記のような技術的な理由の他に、
等のプランがあったようで、これは私に取って非常に理解しやすく、自分の考えを更に補強してくれるものでした。 今回、観覧車事業が中止にはなりましたが、今後、地方都市において車社会が存続し続けるならば、かの地とその周辺が交通路のポテンシャルを利用して栄えて行くであろう事は過去の古今東西の事例が証明しています。 来週には、この地から直線距離で5キロ南東の地に大型ショッピングモールがオープンします。北関東道本線と側道、上武道路等の交通アクセスの利便性を見込んでの事業とのことです。この事業がこの周辺発展の1つの起爆剤として捉えることもできるでしょう。 昨今の世界不況の下、この地の開発事業の話が再び起きるのがいつ頃のことなのか、またその事業主体が官庁なのか民間なのかも予想できませんが、それまで静かに見守りたいと思っています。 観覧車建設の責任問題について思うこと ▲ページTopへ 昨日の議会運営委員会で、観覧車問題の責任問題について市長、副市長、教育長の3か月の給料月額を減額する条例案が提案されたとのことです。このことについて思うことがあります。 2年前、観覧車建設の反対運動がエスカレートしていた時、重要な事がエキセントリックな勢いに押し流され、不本意な方向に展開してしまうような不安を感じたのですが、今回も「反対運動が果たして正義であったのか」と言う重要な検証課題を放置したまま責任問題等の話が進んでいることに、当時と同じような不安を感じています。反対派の人達の継続的な自信が、どのような根拠を拠り所としているのか掴めないでいます。 当時を振り返ってみます。 その頃、伊勢崎市の観覧車問題は市民だけに止まらず、ほとんどの中央のマスコミが取り上げ、結果的には反対署名運動と、その結果、総務省が合併特例債を適用できないと判断しましたが、当時、私は反対署名した人達何人かと話したことがあります。彼らの反対理由は 「観覧車が2つも要らないから」 「不景気なのにハコ物行政はダメ」 「夕張市の二の舞になる」 などと、ちょうどマスコミが挙って報道していた観点と同様な理由でした。中には、自分が反対なので子供たちにも名前を書かせたと言う人もいました。 その時に、 交通の要衝として変貌しつつある波志江沼周辺地域の地理的特徴、 またそのことが今後の経済発展に寄与するであろう潜在力、 観覧車はそのためのランドマーク的位置づけが強いなど 私が掴んでいた情報と考え方を説明すると、「だって、そう言う説明は誰からも聞かなかった。今頃そうやって説明されてももう署名してしまった」、「テレビじゃそんな事を言ってなかった」と言う人達がいました。 反対署名者の中にこのような人がどれだけの比率でいたのか不明ですが、今もって非常に気掛かりではあります。 それは説明側の手順や本人の情報収集力など、物の本質の外回りの手順に関するものであって、時間を掛けて再準備すれば解決できることが多く、この事の不手際によって目的が達成できないとすれば、反対賛成に関わらず禍根を残すことになります。 公共事業は「長期的に公の利に寄与する」事業で、地元住民の「総論賛成・各論反対」の反対運動は古今東西多くの事例がありますが、今回、かの地の近隣住民の戸数からしても、それが発端だったにしても、全国区レベルまでエスカレートしたのは、明らかに地元反対者以外の人達の活動やマスコミ報道の影響によるものです。 ただ単にハコ物行政バッシングの論調で公共事業を糾弾するならば、事業を頓挫させたことによって得られなかった利益についても今この時期に謙虚に見直すべきではないでしょうか。 国、県、市と巨額の投資で整備して来た幹線道路網と「波志江沼環境ふれあい公園」、古来より「交通路の変遷と都市の盛衰」とが密接であることは周知の事実ですが、その観点での高いポテンシャルを得たこの地に対し、建設反対だった人達はどのように理解し、今後の伊勢崎市の発展のためにどのように活かそうとしているのか、そのプランを伺ってみたいものです。 ● ところで・・・今回の責任問題の報道に触れて、上記とは別の観点で今後の市の行政や議員活動に対して非常に心配することがあります。それは、 この不景気な時期、お金の掛かる事業や反対者が出るであろう事業は 企画しない 推進しない 意見も言わない いわゆる事なかれ主義で無難にこなす方が賢明であると言う風潮を助長しないかと言うことです。何もしなければ褒められもしませんが、責任も追求されません。 群馬県内のほとんどの自治体が人口減少に頭を抱える中、伊勢崎市のみ屈指の人口増です。それは伊勢崎が元気であり、住み易いと言うことの証明ではないでしょうか。伊勢崎市の地理的優位性も要因でしょうが、このような基盤づくりを推進した行政や政治の成果が大であることも明らかです。この流れが、余計な事はしない日和見主義的な自治体に変わってしまったとしたら、非常に残念で悲しいことです。 ● 観覧車建設問題に思う ▲ページTopへ 昨日、新聞各紙が一斉に「伊勢崎市の観覧車問題の解約金」の事を記事にしました。私は、観覧車問題は、当時の反対署名運動が、みのもんた流の「ハコ物行政バッシング」の流れに乗って過激に進展し、最後は中央のマスコミの的になり、最終的には、総務省が「住民反対運動が起きてる事業に合併特例債を適用できない」と難色を示し、伊勢崎市も断念したと理解しています。 事業内容の説明責任やその時期と情報量、伝達方法等、市側にも不備があったと考えていますが、それらの不備は、新聞や市の公開情報を個人で調べても相当に補えた情報です。重要なことは、 交通の要衝に変貌しつつあったかの地に建設する ランドマーク的存在の観覧車の意義を全市民が良く考えるべきだった と言う事だと思います。 ● かの地を交通の要衝と考える理由を具体的に整理すれば、 ■伊勢崎ICから至近距離 ■波志江PAスマートICからは鼻の先 ■北関東自動車道は(当時)太田まで延伸工事中 (現在は更に全線開通に向けて工事中) ■2車線+歩道付きの側道も太田まで整備中(現在は完成) ■高規格道路の上武道路と交差 (これも渋川までの延伸工事中) ■国道50号や462号からも車で数分の距離 これだけ幹線道路が集中しアクセスが便利な場所は県内外の地図を見渡しても少なく、その経済的発展に対する潜在力は計り知れません。しかも、これらの事業は伊勢崎市の予算だけでなく、国や県の予算で長期的展望で計画・実施されて来た事業です。観覧車建設問題が沸騰している時には、これらはまだ工事途中でその姿を見せていませんでしたが、既に計画は公になっていて、当時でも国や県庁、伊勢崎市のサイトや広報誌、新聞等で容易に入手できました。(このサイトでも関連ページにはいくつか紹介しました) とても分かり易く言えば、車交通のターミナルに変貌中の場所でした。 この状況を理解したときに、これだけ稀有な地理的価値を有した場所に企業誘致や観光誘客のために、広告塔的な建造物を計画することはごく自然な発想だったと思っています。 私は「波志江沼環境ふれあい公園」の工事中にはほぼ毎週のように訪れていて、私がカメラを持っていたためか散歩中の地元の人達に良く話しかけられました。反対運動が起きていたため、地元の皆さんも話しかけるのに疑心暗鬼のような雰囲気で「おたくは反対かい、賛成かい?」と前置きされましたが、話してみると皆さんが建設賛成でした。 と言うより、むしろ大きな期待を寄せていて、中には「波志江町のこの辺は、ずっと未開発だったので、冥途の土産に観覧車を見てみたい」と話すお年寄りもいました。 ところで、昨日の新聞記事の中に、建設反対派の市民団体が更に市側の責任を追及するとの記事がありましたが、 反対団体がこの時点でもまだ「自分達が正義である」と言う強気なニュアンスを感じ、その真意を測りかねています。むしろ、あれから2年経った今、 あの反対運動の是非を冷静に評価すべきで、 建設を中止したことによって失った(得られなかった)経済効果が いかほどのものなのかを議論すべきじゃないのかと思っています。 ● 先日、緑化フェア中の波志江沼を取材中に、 「この辺に丸いものが建ってたらなぁ、 だだっ広いだけで何か物足りないんだよなぁ。 緑化フェアが終わったらただの公園だよなぁ」 と来園者の中年男性がつぶやいているのを立ち聞きしてしまいました。率直な感想だったのでしょうが、多くの人の代弁をしていると思って聞いていました。 ● 話が少し逸れますが・・・ 今、アメリカを震源とする世界的な不況の嵐が舞っていて、日本経済もその渦中にいます。その状況下でお金の掛かる事業が全て敬遠されていることは十分に理解できますが、必要なお金を生み出すためにも事業投資が必要なこともまた歴然とした事実です。家電や車の日本の基幹産業が、こぞって「不景気だからこそ研究開発投資に力を入れたい」と方針を語っています。 また、昨晩の経済ニュース番組・WBSで、シルク・ド・ソレイユの紹介がありました。シルク・ド・ソレイユは昔の「サーカス」を総合エンターテイメントに仕上げたショーですが、その年間売上が750億円とのこと。21万都市・伊勢崎市の年間予算に近い数値です。ちなみにシルク・ド・ソレイユ東京のチケット代は7,800〜18,000円。 東京と伊勢崎市を単純に比較できませんが、 人間、いくら不景気だからと言って 毎日苦虫をつぶしたような不景気面をし、悲観的に過ごしている訳ではありません。 お金がなくても面白可笑しく、元気を生み出すエネルギ源は必要です。 趣味や娯楽、買い物、旅行やドライブ、食事・・・、回数や金額は減らしても やっぱり生きて行く上で必要なことです。 逆にそれがなければ何のための人生かとも考えてしまいます。 みのもんたさんはお金の掛かる事業を「ほっとけない!」と声高に叫んでいれば視聴率を稼げて、高収入を得られるでしょうが、それが引き金で事業を潰され有形無形の利益を失った自治体や組織は大変です。 ある日、みのさんが、(事情を良く調べもせず無責任な発言をしていると)追及されたとき、「私は台本を読んでるだけですから」と言いましたが、その時の私の落胆はやり場のない情けなさでした。 今回の観覧車問題は不況下における公共事業に対して事業者側や住民、市民が学ぶべき多くの課題を提供してくれました。今回の諸々の決着は一過性のもので、反対運動の是非についての評価は今後の歴史が答えを出すのかと思っています。 ● あなたは都市鉱山と言う言葉をご存知ですか? ▲ページTopへ 9月26日、この「管理人の独り言」でも記事にした「電気・電子機器廃棄物は重要な資源」の中で、電気・電子廃棄物について
"買取" → 51,700,000サイト "買取 パソコン" → 547,000サイト "買取 家電" → 4,920,000サイト と膨大な数のサイトが出て来ました。中には最適な買取サイトを調べるためのサイトなどもありました。リサイクル法が施行されてから家電やOA機器などが不要になった場合は処分費用がかかるのが相場と思っていた人が大半だと思います。 でも、その時流の中で 「家電としては壊れたけど、この部品、丸々使えるんだよな〜」 とか 「これ、金属だけ抽出すれば結構価値があると思うんだけどな〜」 「でも、自分じゃどうすることもできないし〜」 などと 価値がありそうな物をリサイクル代を払って処分してもらうことにちょっと複雑していた人が多いのではないですか? ● ところで、 皆さんは都市鉱山(としこうざん)と言う言葉を聞いたことがありますか? Wkipediaによれば
そしてWikipediaは更にこう続きます。
全世界の現有埋蔵量の約16%の金が、そして約22%の銀が日本の廃棄物に入っている! 数値の根拠を正確に確認した訳ではありませんが、つくば研究学園都市の国の研究機関が発表した数値です。 少なくとも外国の地下鉱脈から掘削した原石を輸入しなくても、産業廃棄物の中に膨大な量の金属が眠っていることは確かです。逆に輸出国にだってなれるかも知れません!だから、本当は家電やOA機器は使えなくなったからと言って、邪魔者どころか、価値があるものなんです。 処理費がかかる産業廃棄物か? 有価値な鉱石か? 買取企業の数の多さがその答えを出したようです。 都会のサラリーマンを伊勢崎に呼ぼう大作戦・第2弾! ▲ページTopへ
○:本人 ■:お任せ
と言うことで、これらの肉付けはまた次回。アットランダムにアイディアが出た順序に、また皆さんのご意見が入り次第、適宜まとめます。実現するには、利用者、農家の皆さん、運営者・・・三者間の情報を上手に結びつけることができるシステム(会の組織やネット上のシステム)が必須ですね。 都会のサラリーマンを伊勢崎に呼ぼう大作戦 ▲ページTopへ
首都圏では・・・・ 伊勢崎の生きる道(地方自治体の生き残り) ▲ページTopへ |