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更新日:2018/2/27 写真下段の日付は撮影日
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煙筒山開拓団 殉難者慰霊塔の碑

(伊勢崎市市場町)

伊勢崎市道(赤)112号線拡幅工事にともない移築。今年2月完成予定。

掲載日:2018/2/27 ▲ページTopへ
 伊勢崎市道(赤)112号線拡幅工事(→記事はこちら)に伴って移転工事が進んでいた煙筒山開拓団 殉難者慰霊塔。2月22日時点で、工事がほぼ完了した様子で、前回紹介した礎石の上に慰霊塔、両側に石灯篭が設置され、慰霊塔への石畳の通路脇には石のベンチ等も設置されました。
 ところで、この慰霊碑の元の場所はどこだったのでしょう。今回の拡幅工事に伴った移転なので、すぐ近くだったとは予想しているのですが、全く記憶にありません。市内中を暇に任せてサイクリングしているので、道路から見える範囲ならば大概の史跡は目にしているはずなのですが。すぐ東側を南北に走る市道(赤)112号線は、歩道もない道路の割には、周辺に工業団地があるせいか、大型トラック等の通過も多く、サイクリング時に敬遠していたせいなのでしょう。
 また、拡幅工事着手前には、松やクヌギの樹林帯があったので、それらに隠れていて見え難かったこともあったようです。「ひょっとして?」と思い、Google streetviewを調べてみると、2015年11月撮影の画像の中に、それらしき建造物が見つかりました。場所は、移転後の場所の北東すぐ近くでした。(2018/2/27 記)

煙筒山開拓団 殉難者慰霊塔 2018/2/22


煙筒山開拓団 殉難者慰霊塔。右側:市道(赤)112号線。 2018/2/22

移転前の煙筒山開拓団 殉難者慰霊塔。 Google streetview(c)、2015年11月撮影の画像に加筆

掲載日:2018/1/10 ▲ページTopへ
 昨日紹介した伊勢崎市道(赤)112号線拡幅工事(→記事はこちら)。その欄外で紹介した煙筒山開拓団 殉難者慰霊塔移転の碑。現地では、1月9日時点、一段高く盛土された区画の前面中央に階段が設けられ、区画の真ん中には礎石と思われる大きな自然石が置かれています。壁と階段は御影石、全面の壁には碑文が刻まれています。碑文によれば竣工は今年2月のようです。
 今回の工事で初めて知った煙筒山開拓団殉難者のこと。さきの戦争について、戦地の陸海軍の状況を伝える情報量に比較して、開拓団の情報に接する機会は多くありませんでした。この機会にウェブで調べると、満州開拓団殉難者の慰霊碑は全国各地にあることを知りました。敗戦時の開拓者家族は女・こども・老人しかいなかった場所が多く、なかには集団自決した人たちも多数いたようです。南京虐殺や慰安婦問題で中国や韓国から未だに糾弾される日本ですが、開拓地においては、その逆の暴虐もあったようです。この碑文でも伝えているように、悲惨な戦争を再び繰り返さないためにも、戦争の記憶を後世に伝えることは重要なことです。完成後にはまた紹介したいと思います。(2018/1/10 記)

碑文 2018/1/9

煙筒山開拓団 殉難者慰霊塔移転の碑 2018/1/9

煙筒山開拓団 殉難者慰霊塔移転の碑。右側:市道(赤)112号線。 2018/1/9

碑文全文 2018/1/9


水難者供養塔

掲載日:2011/2/17 ▲ページTopへ
 昭和22年9月14日から15日にかけて、関東地方や東北地方に大きな被害をもたらしたカスリーン台風
 当地伊勢崎市においても広瀬川や粕川の堤防が決壊し、当時の旧伊勢崎市内では42本の橋が流失し、死者40人、重軽傷者875人、流失家屋259戸、全半壊家屋290戸、床上浸水5,230戸、床下浸水1,898戸の大災害となりました。
 最近、当時の様子を広瀬川下流域に住む何人かの年配の方から聞く機会があり、歴史の記録だけでしか知らなかったこの大災害が心のどこかに引っ掛かっていましたが、そんな矢先の昨年末、偶然にも広瀬川の堤防に水難者供養塔があることに気が付きました。
 この脇のサイクリングロードは数え切れないほどに通っていますが、今頃に気が付くとは我ながら何とも情けない。今回気が付いたのは、三ツ家橋〜水管橋の堤防強化対策工事のためにサイクリングロードが通行止めになっていて、工事現場を歩いてみたためです。車のスピードでは見えるモノが少ないとの理由で取材はサイクリングを基本としていますが、自転車の速さでも気が付かないモノもたくさんありそうです。(2011/2/17 記)

昭和22年9月15日大水害
水難者供養塔
2011/2/13


石碑の背面
2011/2/13

供養塔 2011/2/13

供養塔の背面に記された
水難者40名のお名前
2011/2/13
建立は昭和28年8月15日
建設委員:市長 大沢三郎
議長 久保田円次、他

供養塔 2010/12/12


供養塔脇の広瀬川サイクリングロード
2011/2/13
水難者40名の町名

西園町 16名、川久保町 9名、川岸町 1名、南町三丁目 6名、福住町 2名、茂呂町一丁目 1名、美茂呂町 1名、住吉町 1名、本町四丁目 1名、栄町 1名、上町 1名

伊勢崎市内の史跡

史跡長尾館外堀(逆堀(さかさっぽり)) →こちらのページへ移動しました。


酒盛地蔵の碑

掲載日:2010/9/5 ▲ページTopへ
 書上げ浄水場の北西の田畑の中を走っていると、T字交差点の隅に小さなお社が建っているのに気が付きます。大きな建物でもないので、特別な関心も寄せずにいつも素通りをしていたのですが、猛暑が続く2010年の夏、ちょっと気になったので撮影して来ました。このお社、酒盛地蔵を祀ってあり、中にはお賽銭箱もあり、花や飲み物が供えられていました。
 由緒については下記の説明板を拡大表示してご覧ください。(2010/9/5 記)
   酒 盛 地 蔵 に つ い て

 村の北方には源義経に関した面白い話を伝えている処が沢山ある。之等の伝説は其処を通る細い道、即ち東海道が昔奥州へ通ずる主要な街道であった事や承安四年に源義経は関東を過ぎて奥州へ下った事実に照合して義経がこの地を通ったのかなと想像され一層興味を覚えるのである。
 上植木の酒盛と言う処には畑中に小さな石地蔵が草に埋もれて立てられてある。これが謂ゆる酒盛地蔵で、酒盛の地名もこれから名づけられたのである。この酒盛地蔵には二つの話が伝えられている。義経が奥州へ下る時、この地の勝軍地蔵に戦勝を祈って酒宴を催した処ともいい、又は鵜生川某なる豪族が郎党を率いて奥州へ向かう義経の旅情を慰め申す為に酒宴を開いた処ともいう。
殖蓮郷土読本より
昭和五十二年十一月吉日
【現地説明板を転記】 原文は下記をクリックしてください。

酒盛地蔵 2010/8/22



2010/8/22


建物全体 2010/8/22

建物の中にある説明板
2010/8/22


建物を南側から 2010/8/22

米岡の姥石

掲載日:2010/9/5 ▲ページTopへ
 数年前、伊勢崎境の街中から境平塚へ向かった時、途中の北米岡会館の前に「米岡の姥石」の案内標識が立っているのに気が付き、「姥石?何だろう?」と付近を探してみたのですが、探し方がいい加減だったためかその場所が見つからず、それから随分と久しく経った後、再度探しましたがやっぱり見つからず、ほとんど諦めかけていた2009年11月、今度は念入りに探して見ると、見つかりました、見つかりました。姥石は大通りから狭い通りに入り、更に民家の間に挟まれた小路の先にありました。
 姥石の由緒は下記の説明板を拡大表示してご覧ください。(2010/9/5 記)

姥石 2009/11/23


2009/11/23

姥石と並んで建つ道祖神
2009/11/23

説明板 2009/11/23



姥石へ入る小路 2009/11/23

弁慶の掛矢清水ゆかりの地

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2007/6/16

【標識を転記】

一里塚の所へさしかかった義経は、のどが渇いてきたので弁慶に水を探させたところ、天からお告げがあったのです。
「汝の立つ所、力強く叩いて見よ。そこに泉あり」
とお告げ通り大地を七つ道具の一つ掛矢で力強く叩いた所、不思議にそこからこんこんと水が湧き出してきたので、義経にその水を飲んでもらったのでした。
義経はたいそう喜んで、それ以来この清水を弁慶の掛矢清水と呼ぶようになったといいます。

(この清水は北関東自動車道の道路敷きになったので、今は場所だけがわかっている)

元文書上帳による  伊勢崎市殖蓮史談会

弁慶の掛矢清水ゆかりの地。
発掘時の写真が標識に印刷されています。
左側が北関東自動車道・伊勢崎ICのランプ部盛土。
2007/6/16

弁慶の掛矢清水ゆかりの地
2007/6/16

[L]

↑宮古の古文書
(伊勢崎市指定重要文化財)

←宮古村外四ケ村戸長役場跡

2007/3/25

街中の外国風景

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 伊勢崎市は群馬県内において最も多く多国人が暮らしています。群馬県公式サイトによれば、平成25年1月1日現在の群馬県内の外国人住民登録数・上位5市町村は下記の通りです。( )内は、外国人住民数全体に占める比率。
 そのため、伊勢崎市内各所には外国人が経営するレストランや施設などがたくさんあります。このコーナーではそのような伊勢崎市の街中で見かけた外国風景を紹介します。
 経年変化に伴って閉店・閉鎖した施設や店舗もあると思いますので、悪しからずご了承ください。
1.伊勢崎市 9,984人(24.7%)
2.太田市 7,333人(18.1%)
3.大泉町 5,859人(14.5%)
4.前橋市 4,117人(10.2%)
5.高崎市 4,019人( 9.9%)

タイ料理タナマツ(連取町)
2008/11/23

タイ料理 KRUA(緑町)
2008/11/15

2008年末、→の教会が改装
2009/1/18



ASIA HALAL FOOD
Asia Roast Chicken
大手町 2008/8/30

JESUS CRISTO, Isesaki
イエスキリスト 桐生県道沿い(昭和町)のブラジルの教会
2007/11/17


ブラジル?ペルー?
学校とレストラン
以前、生協の店がありました。
2007/11/3
平和町のペルー人学校 【イスパーノ アメリカーノ】
2007/6/23

学校案内

桐生県道沿いから


看板
5゜ ARRAIAL NA BEIRA DO RIO. ISESAKI/GUNMA
広瀬川サイクリングロードを走行中、たまたま「うぬき公園」の西側でブラジルの人達のイベントに遭遇。 2007/6/16
7°Arraial de Isesakiは2010年7月、波志江沼で行われました。

テントの中では色々な商品を売っていました。 2007/6/16

カラフルなテントとカラフルなTシャツと。音楽に乗ってダンスも乗り乗り。 2007/6/16

うぬき公園の西端が何やら賑やかに。ビートの利いた音楽がドン、ドドン♪と響きます。
2007/6/16

法務局の東に案内板
2007/6/16

伊勢崎駅前のベトナム料理屋さん。市内には他にもベトナム料理屋さんがあります
(2006/10/1)

喜多町のモスク。以前は平屋のバラックのような建物でした
(2006/9/30)

華蔵寺公園・野外ステージ
ペルーの人達のフェスタ
(2006/9/17)

その他の風景

掲載日:2014/10/21 ▲ページTopへ

自転車専用信号

 皆さんは自転車専用の交通信号があることをご存知でしたか。歩行者用信号は珍しくありませんが、自転車専用信号はなかなか見かけません。
 先日、群馬県道2号・前橋館林線のオートバックス伊勢崎の交差点(連取町)を自転車で横断する時、ふと信号を見上げると「自転車専用」と書かれています。調べてみると、自転車専用信号を設置するのは、横断歩道橋や地下横断歩道が設置されていて歩行者の横断を禁止している交差点などが対象のようです。この交差点は前橋側(西側)に横断歩道橋があるので、そのためかと思います。
 そう言えば、路面に横断歩道の区画線が引かれていません。この交差点、自転車では数知れず通過していますが、歩いて通過したことはありません。Googleストリートビューで確認すると、2012年7月の映像で既に自転車専用信号となっていました。当たり前のような日々の風景、なかなか認識スイッチが入っていないようです。(2014/10/21 記)

前橋館林線交差点(伊勢崎市連取町)。歩行者横断禁止。
2014/10/15

自転車専用信号(伊勢崎市連取町)
2014/10/15

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砂利採取でできた巨大な穴に土砂を埋めていました。
2007/5/12

その後、「JAからか〜ぜ」が
建ちました。

玉石採取場。元は普通の水田でした。採取後の穴に地下水が溜まって沼になっています。
2007/2/24

←の工事案内板
2007/2/24

タップリの水量が流れる用水
(宮古町)
 2007/3/25

オートレース場の西側駐車場
バイクの音が聞こえない日はオートレース場は閉場しているのかと思っていましたが、場外券の販売とテレビ中継を行っているようで、駐車場はとても混雑していました。(2007/3/10)

広瀬川サイクリングロードの
休憩所で咲くトサミズキ
2007/3/10


→サイクリングロード一覧

「うぬき公園」近辺の
広瀬川の鴨達
2007/3/10


のページ

宮子大橋上流の広瀬川河川敷の隅の不思議な細工。左の道は全て木のチップ、小川の淵には大きな木の切り株。
2007/2/25

伊勢崎駅の少し南西に
こんな場所が(愛老園の東側)
(2007/2/24)

三ツ家橋から見た街中
(2007/2/24)


→伊勢崎の街中風景

「絣の里」の玄関脇に「全国緑化フェア」の案内板が立ちました
(2007/2/10
) 地図

全国都市緑化フェア

駒形バイパスで信号に事が激突し、折れた信号を撤去中
(2007/2/3)

広瀬川と市民病院
左は「うぬき公園」
(2007/1/20)


→公園一覧

JR両毛線の平釜川のアーチ橋
(2006/12/16)


レンガアーチ橋

大きな鳥のペアが田の畦に
何と言う鳥でしょうか?初めて見ました(2006/12/16)


のページ

波志江の蕎麦畑
(2006/9/24)


街中の花と緑




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