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旧伊勢崎市の古い街中風景

平成17年市町村合併前の旧伊勢崎市街地の古い建造物を紹介します
洋風建築・・・(いせさき明治館村越美容院日本基督教団・伊勢崎教会
古民家や和風建築レンガ構造物路地裏や街中の自然など街中に残る自然・おなべっ川・伊勢崎城跡
更新日:2015/2/13 ●画像下の日付は撮影日
 地方都市の人々の足が車に代わった時、街中から人の歩く姿が少しずつ減って行きました。駐車場と建物の入口の間だけを歩くだけなので、街中の景観を改めてゆっくり眺めることも減りました。
 旧伊勢崎市の市街地には、車のスピードではなかなか気が付かない歴史的建造物や風景、また車が入るには狭過ぎる路地などが残されていて、皆さんがゆっくりと見に来てくれるのを待っています。
 このページでは旧時報鐘楼やいせさき明治館等の認知度が高い建物だけではなく、目立たないけれど貴重な建造物、また街中のちょっといい雰囲気の風景等を紹介して行ければと思っています。(2009/12/2 記)

洋風建築


いせさき明治館

更新:2013/1/18 ▲ページTopへ
いせさき明治館特集はこちら

いせさき明治館(南東側から) 2009/11/7
伊勢崎銘仙特集  いせさき明治館100年物語

いせさき明治館(旧・黒羽根内科医院旧館)
(東側から) 2009/11/7

群馬県内初の美容院「村越美容院

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 「いせさき明治館」で、今、「昭和の花嫁御寮展」が開催されています。会期は2013年1月2日~2月/11日です。先日のいせさき初市の日に立ち寄ってみると、煌びやかな花嫁衣装30数点と帯や装飾品等が展示され、その豪華さに目を奪われましたが、これらの品々は群馬県内初の美容院「村越美容院」が所蔵していたものとのこと。
 「ん?村越美容院?・・・・、ひょっとして?」とパソコンのフォルダを探してみると、ありました、ありました、昨年の3月に撮った写真が見つかりました。
 村越美容院の建造は昭和2年(1927年)。85年の風雪に耐えて建っているこの建物、2011年3月11日の東日本大震災による雨漏れ等の被害により、残念ながら今年(2013年)の春に取り壊すとのこと。街中からまた一つ古い建物が消えて行きますが、個人所有の建造物なので、何とも仕方ありません。いせさき明治館の通りに移築して、他の現存する洋館なども移築して、これらが建ち並ぶ「いせさき・洋館通り」なんて通りができれば、街中に新しい名所が誕生したかも知れません。(2013/1/18 記)

アーチの化粧や窓枠がいかにも洋風建築らしい
2012/3/3


■企画展■
村越美容院所蔵の
花嫁御寮展

2013/1/2~2013/2/11開催
昭和の花嫁御寮展


正面の窓枠部分は改修されたようですが
往時の外観がほぼそのまま残っているようです。
2012/3/3

往時は「村越で髪を結えば『女が光る』」と
言われた村越美容院。 2012/3/3


往時の村越美容院。店の前の車は何でしょう?

日本基督教団 伊勢崎教会(伊勢崎市中央町)

掲載日:2014/1/22 ▲ページTopへ

旧教会堂のイメージを継いだ新しい木造教会堂

 東日本大震災で被災し、解体された築後75年の日本基督教団・伊勢崎教会の建物。その歴史ある木造教会建築の解体は教会関係者だけでなく多くの人々から惜しまれましたが、先日、跡地に立ち寄ってみると新たな教会堂が完成していました。昨年(2013年)末に完成し、12月1日には定礎式が開かれたとのこと。
 新しい教会堂は木造平屋建て。旧教会堂同様に玄関の後ろに尖塔があり、濃い目の木材の壁が特徴的で、重厚感と風格がありながら親しみや温かみを感じます。屋根や壁など、個々の部材を比較すると旧教会堂と異なりながら、全体の雰囲気は以前のイメージを伝えているように思います。新しい木造教会堂、また新たな歴史を刻んで行くことと思います。
(2014/1/22 記)

日本基督教団・伊勢崎教会。遠藤尚幸牧師。伊勢崎市中央町18-15。TEL/FAX:0270-25-0570

爽やかな青空に映える日本基督教団・伊勢崎教会。電線がちょっと残念です。
旧教会堂と同位置の玄関。木の温もりを感じる壁。2014/1/18

旧教会堂の特徴のひとつであった南側の大きなガラス窓は
新しい教会堂には見られません。 2014/1/18

冬の足の長い日射しのため、南側に建つマンションの影が
足元を暗くしますが、その分、太陽の陽を受けて輝く
十字架の存在が際立ちます。 2014/1/18

カメラを向けて気が付いたのですが、尖塔に立つ十字架が
眩いばかりに輝いていました。 2014/1/18


住宅街に建つ日本基督教団・伊勢崎教会 2014/1/18


通り側に立つ掲示板 2014/1/18

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築75年の木造教会建築。東日本大震災の被災により、2012年11月、解体

 東武伊勢崎線の新伊勢崎駅のすぐ西にある日本基督教団伊勢崎教会。1938年(昭和13年)の建造です。築後75年が経つこの建物、東日本大震災で被災し、建物への立ち入りが禁止され、昨年6月には取り壊しを決定し、同年11月下旬からは取り壊しが始まったようです。
 「ようです」と頼りない表現になったのは、解体の様子も解体後の様子も確認していないためですが、たまたま昨年の4月1日に撮影した写真がパソコンに眠っていたので、今回紹介することにした次第です。いつまでもあると思っていた古い洋風建築物。今更手遅れですが、もっと写真を撮っておけば良かったと悔やんでいます。
 「絣の郷」や「村越美容院」と同様に東日本大震災の被災による貴重な建物の取り壊し、仕方のないこととは分かっていても、つくづく残念なことです。(2013/1/18 記)

尖塔が付いた木造一部2階建ての日本基督教団伊勢崎教会 2012/4/1

古民家や和風建築

養蚕農家特集はこちら ▲ページTopへ

旧森村家住宅 2007/12/1


壁や柱、入り口の屋根、下屋などに歴史を感じる個人宅
(曲輪町)2009/10/25

親玉饅頭本店(いせさき明治館の南) 2009/11/7


個人のお宅の白壁の塀(太田町)
2009/11/15

櫓は付いていませんが、どっしりと落ち着いた主屋と、石積基礎の上に瓦屋根付きの塀、
屋敷内の別棟、門構えなどに惹かれ、思わず立ち止まって撮らせていただきました。
(旧伊勢崎地区) 2012/12/15

■特集■
伊勢崎市と近郊に点在する養蚕農家特集
伊勢崎市と周辺の養蚕農家や古民家

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武孫平さんのかやぶきの家


武孫平さんのかやぶきの家
(南側のどっしりとした木の門から) 2009/9/5


門の太い柱に付いた3桁の電話番号。
字の方向も右から左。
2009/9/5

武孫平さんのかやぶきの家(広瀬川の永久橋の東)
2009/9/5

伊勢崎河岸の石灯籠 2009/9/5

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町田佳声生誕の地


町田佳声生誕の地の案内 2009/10/25



町田佳声生誕の地(北東側の入り口付近から)
良く見ると、屋根勾配が緩いカーブを描いています。
2009/9/5

町田佳声生誕の地(北側の郵便局側から) 2009/9/5


町田佳声生誕の地(南東側から) 2009/9/5

町田佳声生誕の地(北東側の入り口付近から)
蔵の壁の白と木造家屋の黒褐色のコントラストが
和の落ち着きを醸し出しています。 2009/9/5

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特集はこちら

レンガ構造物

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旧時報鐘楼特集はこちら

メモリードの建物の西端部に残るレンガ
レンガは建設当時のものと思われます。
(南西側から) 2009/10/25


メモリードの建物の西端部に残るレンガ
(北西側から) 2009/10/25

メモリード通路の壁に残されるレンガ屋根
2009/12/5

スバル360発祥の地・富士重工赤レンガ壁

富士重工赤レンガ壁 特集はこちら

スバル360発祥の地・富士重工赤レンガ屋根
(北西側から) 2007/10/7

スバル360発祥の地・富士重工赤レンガ屋根
(南西側から) 2007/10/7
平和町ショッピングモールの南東にあります。

JR両毛線のレンガアーチ橋

レンガアーチ橋 特集はこちら

JR両毛線・赤坂川のレンガアーチ橋
明治22年(1889年)建造
(南側から)2007/2/3

JR両毛線・平釜川のレンガアーチ橋
(北側から) 2006/12/16

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レンガ塀レンガトンネル

 伊勢崎駅前通りの結婚式場(元田原屋さん跡地)のすぐ西側の露地裏に、赤レンガの塀が残されています。塀に囲まれた敷地の中は見えませんが、南側にある木戸なども朽ちていて、垣間見える敷地内には人が住んでいる様子はありません。
 街中のぶらりサイクリングの時にたまに通るので、かねてより気になっていて、この日、青い空と赤いレンガ、緑の蔦が口を揃えて「今日撮らなきゃ撮る日はないよ」と訴えていたので、撮影して参りました。
 民家の脇の狭い路地に面しているので、通りを通過する車からは確認できません。(2009/9/7 記)

塀の中央付近にある赤い木戸
2009/9/5

塀の南端にも木戸があります
2009/9/5

伊勢崎図書館の北西にあるレンガのトンネル。このトンネルをくぐると異次元の世界
2008/2/17

→旧設楽医院さんの赤レンガ塀


路地や横町の変遷

掲載日:2014/11/19 ▲ページTopへ
 皆さんは伊勢崎市の中心市街地の路地や横町を歩いたことがありますか。中心市街地と言っても、現在の商業の中心は西部地区や茂呂地区へ移動しているので、概ね半世紀前頃の商業の中心、現在の町名で言えば大手町や曲輪町、平和町、本町辺りです。
 かつては、大通りだけでなく、路地や横町の隅々まで店舗が軒を連ね、郊外からバスや自転車で集まったお客で賑わっていたこれらのエリア。モータリゼーションの波を受けて、商業の中心が郊外に移動した現在、空き地が広がり、空き住宅や空き店舗が連なっています。
 駅前通りや本町通りのような大通りを通過するだけでは見え難い路地や横町ですが、ぶらりサイクリング族の私は大通りを避けて走るので、移動時の風景は、主のいなくなったこのような街並みです。空き家とは言え、その多くが個人所有のはずなので、ほとんど写真は撮りませんが、通る度に将来の姿が気になっています。
 伝統的建造物や懐かしい街並み、あるいは貴重な歴史など、再生復活のための要素が残されていればいいのですが、昭和あるいは大正時代の一般的な建物群で、既に廃墟化している建物も少なくはありません。

結婚式場「フレアージュ伊勢崎」(旧THE ROYAL DYNASTY 伊勢崎)の北側の道路に面した区画が、3階建の集合住宅として生まれ変わりました。
 今や人口減少と空き家率増加は全国どの自治体でも共通に悩める問題です。
 そんな視点で気になっていた一画が、先日新たな形に生まれ変わっていました。場所は大手町の結婚式場「フレアージュ伊勢崎」(旧THE ROYAL DYNASTY 伊勢崎)の北側の道路。駅前通りが途中でカーブしている場所(*)の西側です。この場所にはかつては閉鎖した鉄筋コンクリートの建物(ビジネスホテルまちだ)が残され、その西方には空き家が連なっていましたが、現在3階建ての集合住宅が建ち、道路と敷地との境界も外され、広く明るい雰囲気に生まれ変わっています。人の気配を感じなかった通りに生活の場が蘇ったこと、画期的なことと思います。
(2014/11/19 記)

(*)このカーブは戦国時代の戦法の名残と言われ、かつては雁木のように直角に折れ曲がっていたようです。雁木通りとも呼ばれるとのこと。

閉鎖した建物が撤去されて3階建集合住宅に生まれ変わった一画 2014/11/16

駅前通り沿いにはエクステリアと植栽が施されました
2014/11/16

2014/11/16

参考にGoogleストリートビューで撮影された以前の画像を掲載


西側から東方(Google ストリートビュー。撮影:2012年7月)

東側から西方(Google ストリートビュー。撮影:2012年7月)

この住宅の南側に建つ結婚式場は、その昔、田原屋さんのデパートがあって、
閉鎖後、マンション計画が立ったこともあります。 →詳しくはこちら

路地裏や街中の自然など

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路地裏
2009/11/15



春にはこの場所で
いせさきアーティストフェスタ
in 路地裏

が開催されたことがあります。

庚申塔(曲輪町)
安永7年戊戌年(1776年)建立
2009/10/25


庚申塔の東側 2009/10/25
 ここを流れる川は、その昔「おなべっ川」と呼ばれ、橋の名は「城北橋」。上を通る道は明治時代、伊勢崎陣屋と太田村(*)とをつなぐ「廓新道」として造られました。「城北」と言う由来を考えると、この当時は赤石城の城跡が残っていたのかも知れません。
 おなべっ川は2011年に改修され、現在はこの竹林などの木立は残っていません。

おなべっ川や改修工事詳細おなべっ川沿いの風景

(*)太田村:後に安堀村、波志江村と合併し三郷村となる)

昭和30年代の子供の頃の憧れの店「ハヤブサ堂」。
HOゲージの鉄道模型を、買うお金がないのに
ただただ眺めるだけで訪れていました。
2012/3/3

「村越美容院」近くにあった洋風建築
今は廃墟状態になっています。
2012/3/3



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