伊勢崎市内をのんびりとサイクリングしていると、日常見慣れた風景が別の顔を見せてくれることがあります。 それは、夕焼けや虹、雲の流れ、雨上がり等の気候現象の演出であったり、新緑や花の咲く時期、冬枯れ等の四季折々の変化であったり、地域の風物詩であったりと、様々な演出材料が揃った時に、少しの間だけ見せてくれます。 このページでは、管理人・丸男が「お〜っ、ちょっといいなぁ!」と感じたそのような風景を紹介します。 |
スカートをはいた鉄塔と赤城山郊外をぶらりサイクリングしていると、時々、とっておきの光景に出合うことがあります。不思議な空模様、まん丸のドデカイ太陽が沈む瞬間、珍しい鳥たち、イタチやタヌキ、キツネとの出会い。残念ながら、イタチやタヌキ、キツネはカメラに収める前に逃げ去ってしまいましたが。 今回のとっておき風景はスカートをはいた鉄塔。重要な役割を負っていながら、普段はなかなかその存在を意識しない高圧線の鉄塔。でも、スカートをはいた鉄塔は否が応にも目立ちます。ましてや、名山赤城山が引き立て役となると尚更です。場所は赤堀・曲沢町の早川沿いです。(2013/10/16 記) |
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スカートをはいた鉄塔と早川の流れ、後ろに控える赤城山(伊勢崎市曲沢町) 2013/10/13 ・・・オモシロ鉄塔の話題のついでに、帽子をかぶった鉄塔もどうぞ。 緑の帽子をかぶった高圧線の鉄塔(平塚バイパス)(伊勢崎市境米岡) 2013/3/3 |
昨日(7月10日)、いせさき明治館へお邪魔し、「夏いろ銘仙展」と「伊勢崎の電話番号物語」を見学していると、偶然にもパワフルな女性集団に遭遇。伊勢崎銘仙の会会長の杉原みち子さんと明治館のKさん、それと吉田敬子さん。 3人で100人分くらいの元気オーラを発していて、そのエネルギーの強さに気圧されて隅の方で小さくなっていようと思ったのですが、その目論みは見事に打ち砕かれ、あ〜だこ〜だとお喋りの輪の中に。 この時会った吉田さんとは初対面。前橋市出身で東京にお住まいの建築写真家さん。長年建築写真を撮り続け、特に鋸屋根については一方ならぬ思い入れをお持ちで、今でも全国各地に鋸屋根探しの旅を続け、講演や写真展を行っています。 小柄でボーイッシュな姿は遠目には少年のよう。会ったばかりなのに10年来の知己のように気さくに話し、その小柄な身体全身から溢れ出るように流れ出る鋸屋根の話題は、枯れることのない泉のようで、私のまったりと鈍麻した感性もジューサーミキサーで撹拌されたかのように蘇り、少なくとも10年分の感性エネルギを充電できました。 吉田さんは、ここ「いせさき明治館」の曳屋移転のコーディネーターで建築家の栗原さんとも十年来の親交があり、その縁で、富士重工のスバル発祥の地(旧伊勢崎製作所第2工場)の鋸屋根がまだ残る頃、栗原さんに教えられてたくさん写真を撮ったとのことで、その時の解体現場監督とのエピソードなどは宮崎駿のアニメ映画を見ているようなイメージが浮かび、映画代を一回分得した気分でした。 話はあっちこっちへ盛り上がり、話題が尽きませんが、その中で、桐生市の鋸屋根はたくさん撮ったものの、伊勢崎市ではあまり撮っていないので、どこかに残っていない?とのことで、私が過去に見かけた伊勢崎市内の鋸屋根を紹介することに。桐生市の数百と言うオーダーには全く敵いませんが、伊勢崎市にもまだ何棟か残っていて、この機会にこのページをまた少し整理した次第です。(2013/7/11 記) ここで紹介した5棟以外にも、主に旧境町地区で何ヶ所か見かけた記憶があるのですが、場所をすぐに思い出せないでいます。当サイトご覧の方で、これら5棟の他にご存知の方がいらっしゃいましたら、こちらの掲示板から教えてくだされば嬉しく思います。私の方から、吉田さんにお伝えしようと思います。よろしくお願いします。 |
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のこぎり屋根の工場と言うとすぐに思い浮かぶのが桐生市。自分でも何回か見学に行ったこともあり、とても懐かしく温かいものを感じました。 ご当地伊勢崎でも、かつては多くの鋸屋根の工場があったようで、自分の子供の頃のかすかな記憶をたどっても、イセボー(伊勢崎紡織のことだったのでしょうか?)の工場がそうであったりします。このイセボー、今のメモリードのホール内に残っているレンガの壁がそれだったのでしょうか? また、平和町の伊勢崎ショッピングモールの南東の隅には富士重工の鋸屋根が移設されて残されています。 元富士重工跡地に記念として残されたのこぎり屋根(伊勢崎市平和町) 2009/12/5 →スバル360発祥の地・富士重工赤レンガ屋根 |
東武伊勢崎線・新伊勢崎駅の東側 の住宅街に残されているノコギリ屋根 2013/7/10 メモリード建物内に残された鋸屋根 (伊勢崎市太田町) 2009/12/5 先日は東本町の長尾館の逆堀を紹介した時に、鋸屋根の工場を紹介しました。 →史跡長尾館外堀・逆堀(さかさっぽり) |
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今回紹介するのは、伊勢崎境町伊与久(いよく)に残る鋸屋根の工場です。 2010/9/19、三ツ木の彼岸花の里への帰りに偶然に遭遇しました。ぶらりサイクリング中だったのと、周辺の道路が住宅街の狭い道路だったので、場所を詳しく教えられませんが、境伊与久の雷電神社の南の方です。(2010/9/23 記) |
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鋸屋根の工場(境伊与久(さかいいよく)) 2010/9/19 |
工場の入口周辺 昭和初期の映画のセットのようです 2010/9/19 |
煙突昭和30年代頃までは各家庭にもあった煙突。かまどでご飯を炊き、薪を燃やして風呂を沸かすためには必須の細工です。私も子供の頃、風呂釜の煙突に溜まった煤を取り除く作業を手伝ったことがあり、その度に着衣や手が真っ黒に汚れた事を思い出します。いつの間にか薪が灯油やガス、電気に代わり、煙突も役目も終えて姿を消しました。当時は灯油やガス、電気により、炊事や風呂を沸かす作業が格段に便利になり、家の中も煙で煤ボケることもなくなったので、クリーンエネルギへの変化は大歓迎でしたが、皮肉な事に、今ではかまど炊きのご飯や薪で沸かした風呂などと言えば最高の贅沢です。 そんな昔の煙突を街中で見かけると、懐かしくてついレンズを向けてしまいます。(2012/3/26 記) |
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伊勢崎市緑町の 銭湯「寿美乃湯」の煙突 2012/3/20 西側の道路に面した入口。 「寿美乃湯」はまだ現役です。 2012/3/20 旧時報鐘楼 →旧時報鐘楼はこちらに移動 |
この煙突は伊勢崎市内じゃありません。 世界遺産登録を目指す 富岡製糸場内にあります。 2011/5/14 昭和14年(1939年)建設 高さ=37.5m、直径=2.5m 2011/5/14 伊勢崎駅。この姿を見ることができるのも後僅かです。 2008/11/23 伊勢崎駅木造駅舎はこちらに移動 |
富士重工伊勢崎工場の煙突 2011/3/13 あらゐけいいち氏の 「日常」のカットで登場しています。 閉鎖した染物工場の煙突 伊勢崎工業高校の南東(東本町) 2009/6/27 |
東武伊勢崎線・新伊勢崎駅 [ 一口メモ ] 2007/10/7 新伊勢崎駅木造駅舎はこちらに移動 |
今回紹介するのは、伊勢崎境町伊与久(いよく)に残る鋸屋根の工場です。 2010/9/19、三ツ木の彼岸花の里への帰りに偶然に遭遇しました。ぶらりサイクリング中だったのと、周辺の道路が住宅街の狭い道路だったので、場所を詳しく教えられませんが、境伊与久の雷電神社の南の方です。(2010/9/23 記) |
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ふちな配水場(さかい下渕名) 2010/9/19 2010/9/19 |
[ L ]2010/9/19
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秋晴れの空に映えるふちな配水場 壁には旧境町のシンボル花・水仙 (さかい下渕名) 2010/9/19 |
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2009/7/26、連日の真夏の風景をお送りします。 | |||
静かな水面を湛える波志江沼 2009/7/26 |
波志江沼の水道タンク 2009/7/26 |
ちょっと画像を濃いめに 2009/7/26 |
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書上浄水場のタンク この辺、脇の道を何度も通りながら、なかなアップで撮る事がなかったので、たまには。 [ 近くの公園→書上公園 ] (三和町) 2009/6/21 |
波志江上沼の干潟と水道タンク 2008/1/13 波志江上沼|川と沼 |
ちょっと画像を薄めに 2009/7/26 |