Go!伊勢崎 スバル360発祥の地・富士重工赤レンガ壁 [ 伊勢崎市内の建造物遺産]  [ Home ]




スバル360の生まれ故郷・富士重工赤レンガ壁

富士重工業(株)旧伊勢崎製作所第二工場のレンガ壁

更新日:2019/6/29
 伊勢崎市平和町の「伊勢崎ショッピングモール」。この地にはかつて富士重工伊勢崎製作所第二工場が操業し、「てんとう虫」の愛称で親しまれた軽自動車「スバル360」が開発されました。富士重工業はこのことを記念し、ショッピングモールの敷地の南東隅にノコギリ屋根工場の赤レンガ壁の一部を移築し、モニュメントとして残しました。高さ6.5m、全長29m。
 ショッピングモールが建設される前、桐生県道と足利県道の間の広い敷地に建つ工場は全体を塀で囲まれ、当然部外者立ち入り禁止でしたが、塀の外や粕川堤防の道路から見える範囲では、閉鎖数年前には、自動車の姿より、プレハブの建物が何棟も並べられていた姿を覚えています。恐らく富士重工業関連会社の富士重工ハウス株式会社の製品が展示されていたのでしょう。
 壊されて始めて知った赤レンガの鋸屋根工場。今振り返るに、建物が現存している時に、工場内を見学させていただけば良かったと残念な想いが残っています。
 街なかぶらりサイクリングの時、時々立ち寄るこの施設。訪問の度に写真を撮っても仕方ないのですが、先日久々に撮ってみると、何だか以前の姿とちょっと違います。「何で?」。答えは簡単でした。粕川堤防で自生する樹木が伐採されているだけでした。本日、過去の写真も含めて再編集しました。(2014/10/3 記)

【歴史】
1912(明治45)年に 旧・上毛撚糸の紡績工場として建設
1941(昭和16)年に「中島飛行機」が買収し軍用機を製造。戦後 中島飛行機は「富士産業」と改称し、
    スクーターやバスの生産を開始。
1948(昭和23)年、「東京富士産業」に社名変更
1950(昭和25)年、「富士重工業」に社名変更
1958(昭和33)年、この地で軽自動車「スバル360」を開発
2001(平成13)年、工場移転のため閉鎖。跡地はショッピングセンターとして再開発。

スバル360発祥の地・富士重工赤レンガ壁の地図

Google地図(別ページで開くこともできます)

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正面の注意喚起の看板が撤去され、左脇の説明板が新しくなりました。 2019/3/31


説明板 2019/3/31


爽やかな青空を背景に建つノコギリ屋根工場の赤レンガ壁。 2014/9/13
 下記に現地案内板の記事を掲載します。

名車「スバル360」の生まれ故郷

富士重工業(株)旧伊勢崎製作所第二工場のレンガ壁

 富士重工業株式会社 旧伊勢崎製作所第二工場は、1912年(明治45年)に旧上毛撚糸の紡績工場として建設されたレンガ造り鋸屋根構造の建物です。1943年に富士重工の前身「中島飛行場」に売却され、戦後は富士重工の生産工場としてバス、コンテナハウスの生産に活用されました。昭和30年代始め、モータリゼーションの先駆けとして世界的に評価された軽自動車「スバル360」を最初に生み出した工場でもあります。このレンガ壁は第二工場の東側の壁面で、竣工当時の状況が良く保たれているため「スバル360誕生の地」のモニュメントとして、また明治から大正期にかけての工場建築の象徴となる歴史的建造物として2003年(平成15年)5月、この地に移築保存されました。

国民的名車スバル360発祥の地の案内板
2007/9/24

せっかくの富士重工の好意が心無いいたずらで汚損されたことがあるようです。皆の貴重な財産として大切に守りましょう。2007/9/24

掲載日:2014/10/3

芝生広場には木製のベンチやテーブルが配され、くつろぎのスペースが創られています。
2014/9/13


壁だけの姿もモニュメントとして見ると個性的です。 2014/9/13

重厚感溢れる鉄の扉。レンガの積み方はイギリス積み。
2014/9/13


壁の一部を拡大

ノコギリ屋根と鉄の扉。2014/9/13


掲載日:2013/10/8

2007/10/7

2007/10/7




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