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五目牛町の牛石

(伊勢崎市五目牛町)
牛石遠景牛石近くに横たわる別の巨石牛石伝説
更新日:2020/1/19
 上武道路と北関東自動車道の立体交差点付近から北方を望めば、樹木が生い茂ったお供え餅のような形の小山の存在に気付きます。胴山古墳です。平坦地が広がり、林や森が少ない伊勢崎市において、古墳と言えども数少ない貴重な自然です。
 この山の南東側にはいくつかの巨石が横たわっていて、農道と畑との境界に横たわる巨石は「牛石」と呼ばれ、源義経由来の伝説が残っています(→現地説明板)。この巨石の付近に同様な大きさの石を2つ(屏風岩ほか)を確認できますが、ほかにもいくつかあるようです。

 伊勢崎市波志江町やそれ以北の赤堀地区には、下記に示すように何ヶ所かで同様な巨石を確認できます。
石山(石山観音北側と山門南側)
峯岸山(峰岸山)(斜面に点在)
毒島城跡(西側入り口脇に巨石。伝説あり)
華蔵寺山(山頂の北から東にかけての斜面)
地蔵山古墳の東方(ダルマ石
グリンパーク(西側の数ヶ所に点在)・・・以前は「三郷の権現山」と呼ばれ、山頂に梵字が刻まれた巨石が
          ありました。この文字を読めれば白馬が飛び出すと言う伝説がありました。

 「桐生・伊勢崎・前橋周辺の流れ山」(群馬県立自然史博物館掲載の学術調査書、調査者 澤口 宏さん)(*1)によれば、これらの巨石は全て赤城山の流れ山(*2)で、当牛石もその一つです(同調査書のP89〜90)。同書によれば、牛石のデータは下記の通りです。
 流れ山の規模・・・長径=200m、短径=150m、長軸の方向=N65E、標高=102m、、比高=16m
 巨石の露出部・・・長径=11m余、高さ=2.2m、幅=2.7m。
 本来はもっと大きかったが、用水路工事で変形したという。牛石西側の山麓には長さ9m、高さ2.4mの「屏風岩」が露出し、その上の斜面にも径2m台の岩塊が5,6個散在する。堂山(この山は堂山とも胴山とも記されています)の地層は見えないが、牛石は堂山をつくる岩屑なだれ堆積物から粕川が洗い出したものと推察できる。

 同書によれば、毒島城跡西側の多田山や毒島城跡の東方の轟山、北方の西野神社の山、前橋市の産泰神社も赤城山の流れ山とのこと。

 実は我が家は華蔵寺山の北方にあって、敷地の土中から直径1m規模の巨石がいくつか出土し、大方は埋め戻し、一つだけ門の外に記念として置いてあります。長径50cm規模の石は多数出土し、ガーデニングの土留め材として重宝に利用しています。北隣の兄宅の庭には、長径5,6mはあったかと思われる巨石が横たわっていて、露出部は削岩機で崩しましたが、土中にはそのまま残っているよう。家の隣を走る道路に伊勢崎市が下水管布設工事を行った時には、地中2,3mの位置から巨岩が現れ、度々工事を中断していました。
 周辺一帯に流れ山が存在する地域なので、恐らく地域のあちらこちらが赤城山崩壊時の流路となり、石山や産泰神社のような露出した巨石が多数並ぶ流れ山のほかにも、土中には大小様々な石が埋まっているのでしょう。”流れ山の巨石探しの地元散歩”なども楽しいことでしょう。(2020/1/19 記)

(*1)「桐生・伊勢崎・前橋周辺の流れ山」(群馬県立自然史博物館掲載の学術調査書、調査者 澤口 宏さん)
   →この文書のリンク先(→リンク切れの時にはこちらから
(*2)流れ山:山体崩壊によって崩れ落ちた土砂が山麓に流下してできた大小さまざまな小山のこと。千葉県流山市の地名は、赤城山の流れ山であることに由来するとのことで、赤城山の崩壊の大きさが想像できます。流山市には「赤城神社」もあるとのこと。


桐生・伊勢崎・前橋周辺の流れ山」 P83(下線部と色付け、一部の通称名の記載は筆者・丸男)

洞山古墳の地図

牛石遠景

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胴山古墳と牛石(山の東側から) 2019/12/29

胴山古墳と牛石(山の東側から) 2019/12/29

牛石(左側の大きな石)。右側にも巨岩があります。 2016/4/29

牛石

露出部の大きさ・・・長径=11m余、高さ=2.2m、幅=2.7m。
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牛が伏せたような姿の牛石(東側から) 2007/2/24

周囲の風景画なければ、岩壁連なる山脈のよう(南西側から) 2019/12/29

岩の北面は平ら。地中部の状況を確認してみたくなります。(北西側から) 2006/12/24

牛の背中のような上面(東側から) 2019/12/29

切断しようとしたのか、”たがね”で開けたような穴があります 2019/12/29

圧倒される広さの上面 2019/12/29

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近くに横たわる別の巨石

  牛石の西側十数メートルの位置と、牛石の北側数メートルの位置にも巨石が横たわっています。牛石伝説によれば「にぐら」、「つづら」、「びょうぶ」のどれかのようです。「桐生・伊勢崎・前橋周辺の流れ山」を参照すれば、西側の巨石が「屏風岩」のようです。北側の巨石の背中端部には石の小さな祠が据えられています。

牛石北側の巨石(南側から)。背中端部に意志の小さな祠が据えられています。2019/12/29

牛石北側の巨石(南東側から) 2019/12/29

牛石西側の巨石(南西側から)。「屏風岩」のようです。 2019/12/29

牛石伝説

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牛石の伝説(現地に立つ掲示板)




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