当サイトでは、主なテーマの一つとして橋梁の建設現場を紹介しています。紹介した現場を数えてみると、竣工した現場や現在工事中の現場も含めて13橋ありました。 これらの橋梁は交通量が多い幹線道路用だったり、形状や形式がユニークな公園内の橋だったり、あるいは施工技術的に着目したい拡幅橋梁だったりと、何らかの特徴を持っている橋梁が大半ですが、伊勢崎市内や近隣をサイクリングしていると、人知れず地元の人だけに利用されているような、あるいは誰も通ったことがないんじゃないかと思われるような、そのような目立たない小さな橋梁に出会うこともあります。このような橋梁を取り囲む風景は、ほとんど例外なく昔懐かしいような、ホッとするような、ノスタルジアに近い何かを感じます。 このページでは、主にそのような小さな目立たない橋梁を紹介して行きたいと思います。(2011/8/3 記) |
古い形式の橋 |
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粕川鉄橋 |
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荒砥川鉄橋 |
上武大橋 |
JR両毛線のレンガアーチ橋 |
伊勢崎市と周辺の橋 |
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橋の名前は様々な理由で付けられます。 ■元号から:大正橋、昭和(大)橋、平成(大)橋。 ■川の名前から:粕川(大)橋、利根橋、広瀬(大)橋、韮川橋、早川橋、宮川橋、西桂川橋。 ■沼の名前から:波志江沼大町、蟹沼橋。 ■地域の今昔の名前から:伊勢玉大橋、剛志大橋、茂呂大橋、豊受橋、殖蓮橋、武士橋、五目牛橋、伊与久橋、 赤堀橋、間之山橋、保泉橋、木三橋(木瀬村+三郷村)、うね女橋、国定橋。 ■付近の神社仏閣、史跡等の名前から:華蔵寺橋、天増寺橋、陣屋橋、神社橋、城橋、城前橋。 ■イメージから:新開橋、永久橋、レインボーブリッジ |
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ところが、これらの分類では由来が分からない名前の橋梁もたくさんあります。この八千代橋もその一つです。赤堀地区の共同橋などもその例です。郷土の歴史等を調べれば分かるのでしょうが、すぐには分かりません。 前回紹介した稲荷町の城東橋が、当初その理由が分からなかったものの、橋の南西方260mに今村城跡があったためと判明しました。そのような謎解きも楽しいことで、郷土をより深く知ることにもつながります。 ・・・と言うことで、名前の由来が分からないまま紹介する八千代橋。場所は県道高崎伊勢崎線の北側、東上之宮町と稲荷町の境界で韮川放水路に架かっています。 城東橋に良く似た形式の橋で、側面から見ると、H型鋼単純桁橋、幅員も地覆幅も狭く、高欄も車両用防護柵もなく、簡易的なガードレールがあるだけの小さな橋です。 いつもサイクリングで渡りますが、人や車に出会ったことはありません。昔懐かしいホッとする橋です。 八千代橋の名前の由来の謎解きにご参加いただけるか方は、こちらの掲示板からお願いします。(2015/2/28 記) |
八千代橋の地図 韮川放水路に架かる橋梁の銘板を調べると、利根川合流近くの下流域では「宮川」と呼んでいるようです。 |
八千代橋を右岸側(西川)から 2015/1/25 |
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下流左岸側から 2015/1/25 橋から眺める韮川放水路上流。 2015/1/25 |
下流右岸側から 2015/1/25 橋から眺める韮川放水路下流。 2015/1/25 |
伊勢崎市稲荷町の韮川に架かる小さな橋・城東橋(じょうとうはし)。名前の由来は分かりませんが、かつては橋の西側に城があったのでしょうか。(南西方260mの位置に今井城跡あり) 側面から見ると、H型鋼単純桁橋のようです。地覆幅も狭く、高欄も車両用防護柵もなく、簡易的なガードレールがあるだけで、現在の橋梁示方書には適合しませんが、現在まで使用に耐えているということは、現実的には支障ないのでしょう。もちろん親柱もありませんが、ガードレールに貼り付けられた橋名板は素朴でレトロ感が漂っています。 (2015/1/17 記) |
城東橋の位置 |
城東橋の東側(左岸)下流側から 2014/8/30 城東橋の東側(左岸側)から西方 2014/8/30 |
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橋から眺める韮川上流。薄らと見えるのは赤城山 2014/8/30 |
橋から眺める韮川下流 2014/8/30 |
伊勢崎市の西部・東上之宮町(ひがしかみのみやまち)を流れ、現在建設が進んでいる東毛広域幹線道路(354BP)の南側で利根川に合流する宮川。 この宮川は3面がコンクリート護岸で改修された深い堀状になっていて、川幅が狭い割には親水性が低い川ですが、この川に架かる橋は、高崎県道(群馬県道24号高崎伊勢崎線)に架かる橋を除くと、どれも小規模の昔懐かしい橋です。 周辺は農業地区で、耕地整理された水田や畑が広がっていて、昔ながらの住宅地に一歩足を踏み入れると、ちょっと昭和の中頃にタイムスリップしたような気分になります。 上の宮橋は高崎県道を宮川沿いに少し北側に入った場所にあります。竣工は昭和42年(1968年)2月です。橋の下まで確認していないので、確信はありませんが、橋梁形式はRC床版橋のようです。(2011/8/6 記) |
コンクリート製親柱・橋名(漢字)付き 黒御影石でしょうか。 2011/4/2 |
通常、橋梁の4隅(高欄の端部)には親柱が建ちます。 各親柱には「橋名(漢字)」、「橋名(ひらがな)」、「川名」、「竣工年」が付きます。 |
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車一台がちょうどの幅員です。西側から。 高欄も手作り風です。何とも懐かしい風景です。 2011/7/24 上流右岸側から。配水管が添架されています。 2011/7/24 コンクリート製親柱・竣工年付き 竣工は昭和42年2月 2011/7/24 |
堤防で生い茂った草木が川を覆い、ちょっと渓流の雰囲気。 (上の宮橋の下流) 2011/7/24 コンクリート製親柱・橋名(ひらがな)付き 2011/7/24 コンクリート製親柱・川名「宮川」付き 2011/7/24 |
パソコンのフォルダを整理していたところ、昨年の冬に撮影した北明神橋の写真が見つかったので、紹介します。 北明神橋は、その名の通り下で紹介した「明神橋」の「北」に位置する宮川に架かる橋です。親柱や高欄、橋梁形式共に明神橋と同一のようですが、幅員は明神橋より狭く、車一台分程度の幅です。 形式は橋面の下から確認していませんが、側面から見る限り、RC床版橋のようです。 北明神橋や明神橋辺りは、築堤盛土になっているので、周辺の住宅地や道路、田畑の高さが堤防の高さより低く、これがまた風景に変化を与えています。 宮川に沿った南北の道路は、倭文(しどり)神社や東毛広域幹線道路の利根川新橋架設現場へ出かける時にサイクリングで利用します。(2013/7/2 記) |
コンクリート製親柱・橋名(漢字)付き 2012/2/12 |
北明神橋から眺める宮川の流れ(上流方向) 2012/2/12 北明神橋と宮川の流れ(下流側から) 2012/2/12 橋の両サイドはちょっと坂になっています。 2012/2/12 川名「宮川」付き親柱 2012/2/12 |
北明神橋と明神橋の地図 北明神橋を西側から。車一台分の幅員です。 2012/2/12 下流右岸側親柱の脇から 河川敷へ降りる斜路が付いています。 2012/2/12 →倭文(しどり)神社 |
明神橋は、上で紹介した「上の宮橋」に良く似た橋です。親柱や高欄、橋梁形式が同じようですが、上の宮橋よりも幅員が広いようです。 すぐ東側には倭文(しどり)神社があります。 (2011/8/6 記) 位置図は「北明神橋」をご覧ください。 |
コンクリート製親柱・橋名(漢字)付き 2011/4/2 |
西側から。後方は倭文(しどり)神社 2011/7/24 |
コンクリート製親柱・川名付き 2011/7/24 |
あかぼり蓮園や天幕城址を訪れた人ならば、北側から南西側にかけて川が流れている事に気付く事と思いますが、この川は蕨沢川です。蓮園や天幕城址付近は3面コンクリートで改修されていてあまり風情はありませんが、もう少し下ると少し変化のある流れになります。 野町から赤堀今井町まで下り、粕川に合流しますが、その途中区間にいくつかの橋が架かっていて、蕨沢橋はその中でも、特に利用者の少なそうな、そんな忘れ去られた感じの橋です。 H型鋼橋の小さな橋で、昭和47年(1972年)3月竣工です。竣工年から判断しても、現在の橋梁荷重や耐震基準は適用されていないことと思いますが、幹線道路橋としての舞台には立てずとも、たまの出番でご近所の人に役立っていることと思います。(2011/8/3 記) |
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2011/4/2 西側から。左後方に天幕城址やあかぼり蓮園、 更にその東には磯沼や小菊の里があります。 2011/4/2 ガードレールに刻まれた橋名 ガードレールの錆がレトロ感を誘います。2011/4/2 蕨沢川は砂防指定地です。 2011/4/2 |
下流左岸側から 擁壁(左側)の玉石積み風な仕上げも味わいがあります。 一般的にはコンクリート製のウィングで収めます。 2011/4/2 上流左岸から 2011/4/2 下流側の階段状の堰 2011/4/2 昭和47年3月竣工 2011/4/2 |