先日、伊勢崎市稲荷町の韮川に架かる城東橋(じょうとうはし)を記事にした時、「名前の由来は分かりませんが、かつては橋の西側に城があったのでしょうか」と紹介すると、早速、当サイト掲示板に鳩ぽっぽさんから「かつては橋の西側に確かに『今村城』といった城がありました。」と教えていただきました。 実は、今村城のことは、城好きの知人から聞いたことがあり、その時、「今村城は倭文神社の北辺り」と早合点してしまい、すっかり候補者から外してしまいました。 そんな経緯も手伝って、先日、現地周辺を一回りサイクリングして来ました。現地には今村城跡を示す石碑と説明板が立っているものの、城跡らしい痕跡は確認できません。耕地整理以前は土囲いや堀跡などを確認できたようです。迅速測図で探してみると、その形状がしっかりと記載されています。 取りあえず石碑や近隣の現況、および迅速測図で確認する位置などをご覧ください。(2015/2/7 記) |
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下記は現地に立つ説明板を転記したものです。 伊勢崎市指定史跡 今村城跡昭和41年4月12日
今村城は、戦国時代に佐位、那波の両群を領有した那波氏の居城の一つで、城郭は韮川の蛇行点の北西に、東西・南北約400メートルの範囲に縄張されたものです。本丸は台地を利用して三角状に築かれ、これを中心に輪郭式に諸郭が囲むものとなっていました。そして、本丸の三隅には古墳を利用した櫓台があったと伝えられています。伊勢崎風土記によれば、那波宗俊が築城したものと伝え、天正期に一時上杉勢の金山城攻撃の拠点となりました。耕地整理以前は土囲いや堀跡などが認められましたが、現在は本丸跡のみがわずかに痕跡を残しています。現存する城郭遺構の少ない中世平城遺構として大変貴重です。
平成2年3月15日 伊勢崎市教育委員会 |
現況。石碑と説明板。 |
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今村城跡石碑 2015/1/25 石碑の西側。現在は水田。 2015/1/25 |
今村城跡石碑 2015/1/25 石碑と説明板付近。 2015/1/25 |
今村城跡南側の道路線形は迅速測図作成時代(明治初期~中期)の地図と一致しているようです。 2015/1/25 |
迅速測図で確認する今村城跡の位置 |
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迅速測図(*1)に今村城跡が記述されています。現況航空写真(*2)に当時の地形が残されていると思われる地点を何ヶ所か選び(*3)、これらを合わせ点として両者を重ねてみました。 (*1)明治時代初期~中期に作成された地図。 (*2)2014年3月ごろ撮影(推定)のGoogle地図。 (*3)メルクス西側の道路や当時の前橋町道、韮川など。 |
Goo地図とGoogle航空写真、迅速測図を重ねたもの |
迅速測図とGoogle地図(2014年3月ごろ撮影と推定)とを重ねてみました。 |
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迅速測図に見る今村城跡(局所地図) |
迅速測図 広域 |
今村城跡東側の道路脇に残る社と道標 |
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何のお社と道標か不明ですが、近くにあったので掲載します。後日、歴史や由緒等が分かった場合には、改めて紹介します。(2015/2/7 記) | 2015/1/25 |
今村城跡南東端部付近(推定)に残されるお社と道標2柱。 2015/1/25 |