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六道の道標とあずま道

あずま橋と二十三夜塔湧水あまが池JR国定駅書上公園国定公園北関東自動車道
掲載日:2013/12/9
 伊勢崎市の三和工業団地の東、湧水あまが池の北東100mほどの場所に六道の辻と呼ばれる六差路があります。メインの通りは南西から北東へ伸びる群馬県道293号・香林羽黒線で、西北西方向の道路を除けば、他の5方向は車両が通ることができます。
 この辻を最初に知ったのは、それほど昔のことではなく、2009年11月3日のこと。ぶらりサイクリングで三和工業団地周辺を走った後、東方へ向かって未舗装の小路を走り抜けて大通りに出た場所、そこがこの六道の辻でした。
 大通りに出てみれば、以前に車で何度も通っている道(香林羽黒線)ですが、車で走行中に気付いたことはありません。この日気付いたのは、旧東村指定史跡(*1)の説明板”六道の道標とあずま道”があったためで、取り敢えず写真を撮り、今日までずっと放置していました。

 今回紹介したのは、先月初旬、奇しくも11月3日、早川サイクリングロードを走って東橋(あずまばし)の史跡脇を通過した時、説明板を読むと「あずま道」の由来が記述されていて、この2地点が繋がり、かねてより抱いていた三和周辺の古道への関心が高まったためです。いざ掲載となると、2009年の写真では現況をお伝えできないので、不足分を含めて昨日、再度撮影して来ました。

 六道の道標は2基あり、両者とも六角柱の形状で、東側の小型のものは元禄10年(1697年)、西側の大きなものは天明元年(1781年)の建立です。現在、メタル製の柵で囲まれています。
 桐生(きりう)や新田(につた)、熊谷(くまかい)、高崎(たかさ起)、前橋(前ばし)、大間々、足利、伊勢崎、二之宮などの地名が200~300年前には既にあった地名であることを知り、更に関心が深まりました。いつの日か、旧東村や伊勢崎市三和町や殖蓮地区などに残される古道の遺跡を辿り、ひとつにまとめることができれば、楽しいことと思います。(2013/12/9 記)

(*1):現在伊勢崎市指定史跡となっています。  指定日:昭和44年2月21日。
 名称:六道の道標とあずま道。位置:伊勢崎市上田町249
 元禄の道標

「南 平つか通 いせさき通」
「西 ニノミヤ通」
「北 山かみ通 あすま大原通」
「東 かのえくよう奉納 くわんおん通
   元禄十丑年上田村」
天明の道標

「四国 きりう 大間々通」
「坂東 につた 足利通」
「秩父 中せ くまかい通」
「奉納 伊勢崎 たかさ起通」
「西国 二之宮 前ばし通」
「北供養 赤城湯のさわ通」

六道の道標とあずま道”の説明板。内容は下記。
2013/11/3

六道の辻の地図

六道の道標とあずま道”の説明板の拡大(現地に立つ説明板の行間を詰めてあります) 2013/11/3

六道の辻の航空写真

六道の辻の航空写真(注記入り)

古地図に現れる6道の辻

六道の道標・現況

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2基の道標共に、刻まれた文字が未だに残っています。

六道の道標(東側から)
手前が元禄の道標、奥が天明の道標
2013/12/8

六道の道標(南側から)、天明の道標 2013/12/8

六道の道標(西側から)。手前が天明の道標、
奥が元禄の道標 2013/12/8

六道の道標(南側から)。元禄の道標 2013/12/8

道標の全体 2009/11/3

”六道の道がみちぼく東道”(あずまかるた) 2013/12/8

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現在の”六道の辻”周辺道路の様子


手前を横切る道路:群馬県道293号・香林羽黒線。左が南東へ伸びる道。六道輪店を挟んだ右は南方へ伸びる道。
(3枚の画像を結合) 2013/12/8

6つの道。左水平:北方。左斜め下:西方
右斜め上:南東。右横:南方
2013/11/3


西方へ伸びる道 2013/11/3

北方へ伸びる道 2013/11/3

南方へ伸びる道 2013/11/3

群馬県道293号・香林羽黒線 2013/11/3

”六道”が店の名前に残された「六道輪店」 2013/11/3

平成9年に復元された六道の道標




2013/11/3



2013/11/3



2013/11/3

2013/11/3

観音坂上の道標

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六道の道標(元禄の道標)に刻まれた”くわんおん通”と繋がるj観音坂上

東:山之神へ 2009/10/12

西:六道の辻へ 2009/10/12

南:観音堂跡へ 2009/10/12





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