Go!伊勢崎 あずま橋と二十三夜塔 [ 伊勢崎市の建造物遺産 ]  [ Home ]



牛石六道の道標とあずま道早川サイクリングロード

あずま橋と二十三夜塔

群馬県伊勢崎市国定町一丁目1243-1
掲載日:2013/12/12
 群馬県道291号・境木島大間々線を走り、みどり市や大間々方面へドライブする時に、東橋の袂に何やらの史跡。車のスピードでは気にも留めない規模で、しかも道路もカーブ中なので駐車する訳にも行かず素通りしますが、早川サイクリングロードを走ると間違いなく気が付く史跡です。
 何やら名前を明かさずに、しかもサイクリングのススメのような前書きになってしまいましたが、早川に架かる東橋の左岸上流にあるこの史跡が、”東山道”(*1)、後の”あずま道”の由来を示す”あずま橋と二十三夜塔”(*2)です。
 かく言う私も、最初に出会った時から関心を持った訳ではなく、最初に立ち止まったのは2013年11月3日、あずま産業祭の帰り道です。
 今回紹介したのは、先日紹介した”六道の道標とあずま道”と同じく「あずま道」の位置を示す史跡で、少なくともこの2地点が繋がったためです。
 あずま橋の由来は現地に建つ説明板に詳しいですが(下記に全文を引用)、奈良時代(710~794年)や平安時代(794~1185/1192)に既に日本を縦断する幹線道路として整備された東山道がこの地を通過していたこと、そして当時の史跡が未だに残されていること、そして正直に告白すれば、今までこの史跡の存在を知らなかったことなど、あれこれと感慨深いものがあります。
 ウェブサイトで調べると、安中市や太田市における高速道路予定地の遺跡調査で、東山道の大規模な遺構が発掘調査されたようですが、800年~1300年に築造された幹線道路が、今日、上信道や北関東道などの高速道路ルートとラップすることもまた興味深いことです。
 群馬県庁公式サイトによれば、東山道は、現在の長野県から安中市へ入り、高崎市~前橋市~伊勢崎市~太田市を通過して栃木県へ抜けていたと推定され、県内は坂本、野後、群馬、佐位、新田の5つの駅路があったようです。この内、佐位駅は現在の伊勢崎市上植木本町にあったようで、この辺には、三軒屋遺跡恵下遺跡上植木廃寺などが発掘され、古代伊勢崎市の中心地だったことを考えると、更に関心が深まります。
 あまり話題を展開すると収拾がつかなくなりますので、今回は取り敢えずこの辺にして、まずは「あずま橋と二十三夜塔」をご覧ください。(2013/12/12 記)

推定東山道駅路(群馬県庁公式サイトから参照)

(*1)東山道(とうさんどう)は、五畿七道の一つ。本州内陸部を近江国から陸奥国に貫く行政区分、および同所を通る幹線道路(古代から中世)を指す。(Wikipediaを参照)
(*2):伊勢崎市指定重要文化財。
名称:復元あずま橋と二十三夜塔。指定日:昭和63年3月4日。所在地:国定町一丁目1243-1
(*3)群馬県庁公式サイト内の東山道の記事はこちら(リンク切れの場合はご容赦ください)

東橋の広域地図
(牛石や酒盛地蔵は源義経や東山道と関連があるようですが、調査不足に付き、記事は控えます)

あずま橋と二十三夜塔”の説明板。内容は下記。
2013/12/8

東橋の局所地図

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現地に建つ「あずま橋と二十三夜塔」の説明板

 古代ではこの付近を東山道という道路が東西に通っていました。 東山道とは当時の都である奈良や京都と東北地方とを結ぶ重要な官道であり、途中岐阜、長野、群馬、栃木、茨城、福島を通っていました。その後近世に至りあずま道と呼ばれる様になり、私達の住む東村の語源ともなりました。
 このあずま道が早川を渡る場所には古くからの土橋がかけられており、人々からあずま橋と呼ばれていました。 しかしながら早川の氾濫によって流失を繰り返し、その度に人々に不便をかけていました。そこで文化八年(1811)に至り当時の田部井村の人々によって石橋にかけかえられる事になり、同時に橋供養が行われて二十三夜塔が建てられました。塔には人馬の安全と橋の顕在とを願う村人達の気持ちがこめられています。
 近年土地改良事業が行われてあずま橋も消滅の危機に瀕しましたが、幸い大正用水東部土地改良の協力によってここに移築復元し、永遠に保存される事となったものです。 
昭和五十六年三月   伊勢崎市教育委員会

あずま橋と二十三夜塔”の説明板の拡大(現地に立つ説明板の行間を詰めてあります) 2013/12/8

推定東山道ルート

史跡・あずま橋と二十三夜塔

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 群馬県道291号・境木島大間々線が早川を渡河する橋梁「東橋」の左岸上流袂にあります。

史跡・あずま橋と二十三夜塔。石の桁と石碑が残されています。
元々土橋だったものを石橋に架け替えたとのことで、この石の桁が石橋の一部だったと思われます。
2013/12/8

2013/12/8

2013/12/8

2013/12/8

石碑の南面に刻まれた
”二十三夜塔”の文字
2013/12/8

石碑の西面に刻まれた
”橋供養”の文字
2013/12/8

史跡・あずま橋と二十三夜塔の石の桁 2013/11/3

現在の東橋(あずまはし)

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東橋から眺める早川上流。名峰・赤城山。手前に水道タンク。 2013/12/8

親柱に刻まれた橋名
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左岸上流側から 2013/11/3

橋名(漢字)
2013/12/8

竣功年月:平成元年3月
2013/11/3

橋名(ひらがな)
2013/11/3

河川名:一級河川早川 2013/12/8


左岸下流側(東側)から 2013/11/3





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