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伊勢崎市誕生10周年記念事業・世界遺産登録記念イベント祝・世界遺産を活用したまちづくり |
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【期日】 8月1日(金) 【会場】 境総合文化センター 【参加費】 無料。事前の申し込みは不要。直接会場へ。 【プログラム】 13:00 受付開始 13:30 開会 八木節「上州島村」 上州島村 新地八木節愛好会 14:00 基調講演1 「住民が支える文化遺産」 矢野 和之氏 15:00 基調講演2 「あの島村に、行こう」 大下 茂氏 16:00 休憩 16:10 パネルディスカッション 「世界遺産を活用したまちづくり」 伊勢崎市境島村まちづくり推進会議委員ほか 17:00 閉会 【問合せ】 企画調整課:0270-27-2707 |
地元商店の世界遺産関連商品の販売
伊勢崎銘仙や銘仙小物の販売 会場となる境総合文化センターのホールでは、当日の昼頃から、地元の商店「つねやモンドール」さんや「水戸屋」さんなど、5つの店舗や企業が世界遺産関連商品を中心に展示販売し、「いせさき明治館」からは伊勢崎銘仙の着物や銘仙小物などの展示・販売を行います。 講演会の前後などにお立ち寄りください。 |
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目指せ!世界遺産の伊勢崎市講演会と映画「ブリクとシマン」観賞会主催:みちくさ塾 |
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伊勢崎市境島村の「みちくさ塾」では、昨日4月7日、島村公民館において講演会と映画「ブリクとシマン」観賞会を催しました。 「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産登録を目指す各候補地においては、ここ数年様々な活動が活発に行われ、伊勢崎市においても田島弥平に関する講演会や映画試写会、旧田島弥平旧宅見学会やパンフレット、散策マップ作り、また田島弥平旧宅資料館設置や公園設備の拡充などが進んでいます。これらは主に伊勢崎市の行政サイド主体の動きですが、民間団体や個人レベルにおいても様々な活動が行われ、中でも顕著な活動を行っているのが「島村蚕種の会」と島村に活動拠点を置く「みちくさ塾」です。
● この日、約60名の参加者を得て、まずは主催者「みちくさ塾」代表・金井拓美さんの挨拶のあと、富岡製糸場世界遺産伝道師協会会長の近藤 功さんが『富岡製糸場と絹産業遺産群』と題して約1時間半に亘り講演しました。
近藤さんは、まず世界遺産の意義や目的、世界各地の代表的登録事例を説明し、更に国内事例として、平泉や石見銀山の登録経緯、現在登録・審査作業が進んでいる富士山や鎌倉の現況や課題を説明しました。富士山登録で指摘されている「三保ノ松原」を加えるか否かの話題などは、抱えている自治体にとっては由々しき事態で、今後の経緯に大いに関心を持ちました。また、富士山の世界遺産登録が順調に進まなかった場合の、その後に続く遺産候補への影響なども語られ、富士山も他人事ではないことを認識しました。
各遺産を抱える市や県、国が足並みを揃えて取り組むこと、また遺産周辺の住民意識の重要性などを加えて、講演を終わりました。 ● この日の次の催しは映画「はじめの始まり ブリクとシマン」の鑑賞会。
続いて、この映画制作を監督した地元出身の映画監督・桜井真樹さんが、制作の背景や経緯、エピソードなどを説明。特に、レンガ造りが富岡製糸場建築の重要な課題であったこと、「レンガ」と言うカタカナ言葉が富岡製糸場建築に当って日本で初めて生まれた言葉である話は印象に残り、また群馬県自主製作映画「眠る男」とその監督・小栗康平氏に対する軽妙な批評などは思わず納得と笑いを誘いました。
この映画は木骨レンガ造りである富岡製糸場に取って、高品質のレンガを造ることがいかに重要課題であったか、またその製作にどれほどの苦労を重ねたかを伝えるドキュメンタリ−映画で、同校の学生約20人が、桜井さんの指導の下、課外時間を利用して約半年かけて制作したものです。出演者の内、プロの俳優はたった3人で、他は学生や系列校の外国人教員、職人とのこと。 富岡製糸場と絹産業遺産群が世界遺産登録へ向けて歩んでいる時、正にタイムリーな映画で、そして栄えある「プラチナ」賞を受賞したことは、富岡製糸場と絹産業遺産群の世界遺産登録の成功を示唆しているかのようです。 (2013/4/8 記)
(※) 副題のブリク(Briques)とシマン(Ciment)とは、フランス語で、煉瓦(レンガ)とセメントのことです。 |
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金井さん制作のオキヌさん人形と、繭から座繰りで紡いだ絹糸で制作した蛇の飾り(当日、会場受付脇に展示) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オキヌさん人形 |
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下のパンフレットは、昨年あずまホールで行われた「ブリクとシマン」試写会の時に配布されたものです。 参考にご覧ください。 ※上記案内を印刷する方法→(1)案内文のどこかで右クリック (2)「画像を印刷する」 ※上記案内を印刷する方法→(1)案内文のどこかで右クリック (2)「画像を印刷する」 |
芭蕉の句碑巡り(金井邸の庭)”降らずとも 竹うゆる日は みのと笠”2012年7月28日、伊勢崎まちガイド主催 |
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2012年7月28日、伊勢崎まちガイド(伊勢崎市観光ボランティアガイドの会、代表・伊比(いび) 正榮さん)主催の芭蕉の句碑巡りが行われ、島村の金井家に句碑の一つが建立されていることから、私も事前に金井家にお邪魔し、句碑巡りの様子を取材して参りました。 お邪魔したのはいくつかの偶然が重なったためで、金井家の奥様とは「みちくさ塾」や伊勢崎市内のイベント取材を通じて以前から交流があり、金井家の先祖である南画家・金井烏洲については、当サイトでも特集を組んで取材したり、まちガイドの伊比さんとは、現在進行中の「いせさき明治館100年物語」で同じスタッフだったり、また、世界遺産登録になりつつある島村については、「地元発信で何ができるか、何をすべきか」をテーマに、金井家のご主人や奥様、赤帽ふるさと運送さんらと、常日頃ワイガヤを繰り返していて、この日にもそんなお喋りを交わそうと集まった次第です。 島村は知れば知るほど引き出しや切り口が多く、頭の中は相変わらず未整理状態ですが、どんな状態であっても、「知る」ことは重要なこと。まずは、金井家の庭に建立された芭蕉の句碑について紹介します。なお、この日の参加者は34名でバス一台で巡ったとのことです。(2012/8/8 記) |
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標識(金井邸の庭) 2012/7/28 |
芭蕉句碑(金井邸の庭) 2012/7/28 |
句碑部分のアップ画像 2012/7/28 |
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句碑の由来群馬県発行の「芭蕉の句碑を訪ねて」(*)によれば、当句碑の由来は下記の通りです。
句の意味同じく「芭蕉の句碑を訪ねて」(*)によれば、当句の意味は下記の通りです。
(*)芭蕉句碑ガイド 俳句のふるさと伊勢崎・玉村「芭蕉の句碑を訪ねて」 ■監修:安保 博史 ■協力:伊比 正榮 ■発行:群馬県中部県民局伊勢崎行政県税事務所 ■初版発行:平成24年2月29日 |
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句碑巡り見学者。右端が句碑。 2012/7/28 句碑巡り見学者と説明する井上さん 2012/7/28 句碑巡り見学者 2012/7/28 |
説明を聞く句碑巡り見学者 2012/7/28 まちガイドメンバーも後ろで待機 2012/7/28 句碑巡り見学者と金井邸(右) 2012/7/28 |
句碑を説明するまちガイドの井上さん 2012/7/28 「蚕種の会」の栗原さんも駆けつけました。この後、一行を田島弥平住宅へ案内するとのことです。 2012/7/28 |
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南画家・金井烏洲画室「呑山楼」と現在の金井邸 | ||||
「呑山楼」の案内標識 2012/7/28 |
金井烏洲画室「呑山楼」 前島からこちらに移築 2012/7/28 現在の金井邸は養蚕農家造りと 京都の町屋様式を取り入れた 建築様式とのことです。 屋根には清涼育法に取って重要な 2つの櫓(通風用高窓)がありますが 家屋は重厚感タップリです。 |
南面 2012/7/28 東面 2012/7/28 |
『田島弥平に焦点を当て』 −富岡製糸場の創設をひも解く−講師 鈴木芳行(すずき よしゆき)氏2012年6月3日、伊勢崎市境島村公民館 |
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「ぐんま島村蚕種の会」(会長 田島健一氏)では、昨日6月3日(日)、境島村公民館ホールにおいて平成24年度総会を開催し、総会終了後の午後1時45分から「蚕にみる明治維新・渋沢栄一と養蚕教師」を著した鈴木芳行氏(下記注1)の講演会を開催しました。 講演会の演題は「『田島弥平に焦点を当て』−富岡製糸場の創設をひも解く−」。 総会からの出席者と講演会から加わった出席者、総勢60余名の聴講者が、田島弥平と富岡製糸場との接点を見出す謎解きに耳を傾けました。 講演は、鈴木氏の著書「蚕にみる明治維新・渋沢栄一と養蚕教師」を参照しながら行われ、講演の冒頭、田島弥平は清涼育法を生み出し、ヨーロッパとの交易を促進するなど数々の功績を残しながらも、富岡製糸場との接点を見出せない、と謎解きの命題を提示して、まず聴講者の関心を集めました。 以下、田島弥平が養蚕業に残した偉大な功績や江戸から明治へかけての養蚕・蚕種業に関する国の施策、当時の蚕種大惣代制のこと、また廃藩置県前の岩鼻県(下記注2)の位置付け、島村の南(現・深谷市血洗島)で生まれ、明治3年5月、富岡製糸場の主任に任命された渋沢栄一との関連などを絡めながら、「田島弥平を日本で最初の養蚕教師として位置付けることで、富岡製糸場との接点を見いだせる」との結論を説明しました。 この日、私は総会から出席し、受付で購入した鈴木氏の著書に総会中もそれとなく目を通し、講演が始まってからは鈴木氏が指摘する要所を目で追いましたが、圧倒されたのは、著作に当って鈴木氏が調査した歴史的史実の量の多さ。 私も、過去4年に亘り、島村に関する書物には機会を掴んでは目を通していて、島村を特徴づける多くの言葉には相当に精通していたつもりでしたが、この日、その自負は全く無惨に砕かれてしまい、今年の5月、松ヶ丘開墾場を見た時の感動と自信喪失とを、再び体験してしまいました。 ミーハーと言われそうですが、講演後、鈴木氏が蚕種の会の皆さんとのやり取りを終えるのを待って、著書にサインをいただきました。読み応え十分の「蚕にみる明治維新・渋沢栄一と養蚕教師」、じっくりと読んで、またまた遠くへ行ってしまった島村マイスターへの道を少し取り戻したいと思います。 (2012/6/4 記) (注1)鈴木芳行氏 ・1947年 新潟県に生まれる ・中央大学大学院修士課程文学研究科国史学専攻修了 ・現在 税務大学校税務情報センター・租税史料室研究調査員 (注2)武蔵国(現・埼玉県)と上野国(現・群馬県)の下記郡内の一部の村が属す。 武蔵国:男衾郡、 榛沢郡、 児玉郡、 那賀郡、 賀美郡、 幡羅郡、 埼玉郡、 高麗郡、 秩父郡、 横見郡 上野国:吾妻郡、 山田郡、 緑野郡、 多胡郡、 新田郡、 佐位郡、 那波郡、 利根郡、 碓氷郡、 甘楽郡、 勢多郡、 群馬郡 |
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総会は五十嵐伊勢崎市長や小暮市議会議長始め多くの来賓を迎え、滞りなく執り行われました。また、会場入り口には、現在、金井拓美さんと境島小で飼育中の蚕が展示され、参加者の注目を浴びていました。 | ||||
「島村蚕種」会長・田島健一氏の 開会の挨拶 来賓として五十嵐伊勢崎市長のご挨拶 総会風景 |
[拡大] 金井拓美さんが飼育する蚕。金井さん飼育の蚕が少し成長が早いようです。 |
[拡大] 島小で飼育する蚕 |
『ぐんま島村蚕種の会』の読み方は?『ぐんま島村蚕種の会』平成24年度総会後の質疑時間に、会場から「『蚕種の会』の読み方は「さんしゅ」と「さんたね」のどちらか?」と言う質問が上がりました。田島健一会長や事務局の関口政雄さん、栗原知彦さんらの説明によれば、創設時においても議論がありましたが、結果的に現在は「さんたね」と呼ばれているとのことです。「種(たね)」と呼ばれる理由として、蚕の卵の形が菜の花の種(たね)に似ていることなどもあったようです。一方、養蚕業を営んで来た人からすれば、蚕のことを「お蚕(かいこ)さま」や「おこさま」と呼び、人間同様に大切に育てるので、それを「種(たね)」とは呼べない、また蚕を「さん」と音読みとし、種を「たね」と訓読みするのもおかしい、などの見解も存在していたようです。 この日、これらの説明が行われる中、会場からの「過去においては新聞や記述物だったので構わなかったかも知れないが、世界遺産登録などになった場合、テレビやラジオで放送される時に不統一では問題がある」との意見が決め手になり、結果的に「さんしゅ」と呼ぶ事に決定されました。事前に用意された議題ではありませんが、総会での決定事項として、今後は『ぐんま島村蚕種(さんしゅ)の会』と呼ばれる事になります。(2012/6/5 記) |
田島 民(たじま たみ)”宮中養蚕日記”から、島村の歴史を語る講師 高良 留美子(こうら るみこ)氏2010年6月6日、伊勢崎市境島村公民館 |
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蚕を風通しの良いところで加温せずに育てる飼育法「清涼育」を理論づけ、その実践書『養蚕新論』を著して養蚕家の指導を行った田島弥平(やへい)氏(1822〜1898年)。その長女である田島民(たみ)さんは他の女性11人と共に宮中に滞在して養蚕を行い、その滞在記を日記に記しました。日記には養蚕に関する日々の記録の他に、吹上御苑や明治天皇夫妻の様子、また当時の東京や横浜の様子などが記録されています。 この日記を「宮中養蚕日記」として本にまとめて出版したのが、民さんの子孫である高良留美子(こうらるみこ)さん。 2010年6月6日、伊勢崎市境島村公民館のホールにおいて、「宮中養蚕日記」の著者である高良さん自身による講演会が行われました。演題は「田島 民(たじま たみ) ”宮中養蚕日記”から、島村の歴史を語る」。 この日の講演は「ぐんま島村蚕種の会」の平成22年度総会の記念講演として行われ、会場を約60名の参加者が埋めました。 高良さんが日記を通じて紹介する民は自由闊達な女性。 養蚕の記録もさることながら、横浜や東京の街中を好奇心一杯で見物した様子、渉外担当として同行した田島茂平氏が折を見て東京の街へ出掛けて行く細かな記録があることから、それを羨ましく思った民の好奇心、宮中をひそかに探索する様子、これら民の自由闊達な様子を、その背景にある当時の島村の歴史を織り交ぜながら語ってくれました。 高良留美子さんの母は参院議員を務めた高良とみさん(1896〜1993年)でアメリカ留学経験者。留美子さん自身は東京のお生まれで、詩人として女性史研究者として活躍。H氏賞や現代詩人賞などを受賞され、2002年には「高良とみの生と著作」(全8巻)を編纂(へんさん)しています。 田島 民さん、高良とみさん、高良留美子さん・・・この日の講演は島村の歴史を紐とく内容ではありましたが、島村が産み出した自由で強く逞しい女性像を感じた講演会でした。 (2010/6/7 記) この日、会場受付で高良留美子さん著作の「宮中養蚕日記」を販売していましたが、残念ながら売り切れてしまい、購入することができませんでした。また別の機会を待ちましょう。 ところが、「ひょっとして」と思い、島村渡船フェスタの時に購入した書籍「上州・島村シルクロード」を持参したところ、その予想が当たり、著者の橋本由子さんとお会いすることができました。もちろん、すぐにサインをお願いしました。 「上州・島村シルクロード」は島村の蚕種の歴史、利根川との闘いの歴史、横浜やヨーロッパとの交易の様子、キリスト教会のこと、これらスケールの大きいテーマを一部ラブストーリーを加えて楽しく伝えています。ジュニア向け文学ではありますが、大人が読んでも十分に読み応えがあります。(2010/6/7 記) |
島村の歴史を伝える展示パネルの紹介ぐんま島村蚕種の会では、様々な機会を掴んで島村の養蚕の歴史を伝えています。毎年恒例の島村渡船フェスタを始め、昨年(2011年)6月にはイオンモール高崎で、今年1月にはイオンモール太田で展示・解説が行われました。また先日の2月5日には第7回市民ボランティアフェスティバルに参加し、パネル展示と解説を行いました。 去る1月25日には、伊勢崎市教育委員会が、文化庁に対して「田島家住宅」を国史跡に指定するよう申請しています。この申請は「富岡製糸場と絹産業遺産群(4資産)」の世界遺産登録を見通しての一ステップで、既に田島家住宅を除く3資産は国史跡に指定されています。 報道によれば国は2013年の世界遺産登録は「富士山と鎌倉」を目指し、田島家の国史跡指定が今年中に通過すれば、2014年には「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産登録の可能性が出て来ます。 ぐんま島村蚕種の会の皆さん始め、多くの関係者の永年の尽力が今ここに結実し、伊勢崎市南端部の大河利根川によって南北に寸断された小さな集落・島村が、世界に向かって羽ばたこうとしています。島村にかねてより密やかな想いを寄せ、関係者の何人かを知る者として、心の昂りを覚えています。 今後の経緯を見守り、当サイトでの紹介などを通じて微力ながら応援することを誓いつつ、今回は、先日の第7回市民ボランティアフェスティバルの展示パネルを紹介します。(2012/2/7 記) |
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第7回市民ボランティアフェスティバル の会場で |
蚕種のイタリア直輸出 |
吹上御苑におけるご養蚕 |
田島彌平家(現田島健一氏) |
明治18年7月の上野国佐位郡嶋村 (こうずけのくに・さいぐん・しまむら) |
島村の大型養蚕家屋群 |