横幅20間ほどの木造3階建ての巨大な建物。 事前に、この建物が明治時代初期、伊勢崎市境島村の田島家養蚕農家を模して建造されたと言う情報を得ていたので、既に何度も見学している島村の養蚕農家群をイメージして訪問したのですが、形こそ同じでありながら、その姿は私に取って全く別物でした。見た瞬間に戦慄を覚えたと言えば誇張が過ぎますが、少なくとも鳥肌が立つ思いでした。 訪れたのは2012年5月1日。その想いが自分でも未整理のままこの記事をまとめていますが、この衝撃の理由に付いて今言えることは、松ヶ岡開墾場の養蚕農家群は、未だに当時の庄内藩士3,000人の魂が建物に封じ込められているように感じたことです。 霊感の持ち合わせはないので、スピリチュアルな話をしている訳ではなく、いずれ時が立てばこの感覚も分析できると思いますが、もう少し率直に言ってしまえば、松ヶ岡開墾場の養蚕農家群は島村の養蚕農家の建築を手本として建造されながらも、本家を超え、更に、当時の姿がそのままの姿で保存され、建造時の姿を本物と言うならば、この建物が本物の島村式養蚕農家と称するに相応しいように思いました。 島村においては、現在も子孫の方たちが住居として住み、窓や雨戸、玄関戸がサッシなどに代わり、屋根瓦も今様の新しい瓦に葺き替えられ、それはむしろ生活環境改善のために必須な対応だったと思いますが、松ヶ岡開墾場の養蚕農家は個人住居としての役割がなかったのか、雨戸も瓦も恐らく建設当時のまま保存されているようで、そのことが建物全体を木造の渋い巨艦船のような姿に留めるに繋がったと思います。 屋根瓦の色合いは斑入りの植物の葉っぱのように斑で、艶もなく、雨戸は長年の風雪に耐えたせいか黒褐色に変色し、しかも力を入れて押したら壊れてしまうかと思われるように頼りなく、それらのことが、建物に140年の歴史の風格を加えて、近寄り難いような重厚さや頑固さを漂わせています。 このような建物が現地に5棟残る松ヶ岡開墾場。 この開墾場の存在を教えてくれて、しかも見学計画まで立ててくれて、更に車で連れて行ってくれたのは友人のふるさとさん。島村についてあれこれと学ぶ内、明治初期に東北のある地方から島村まで養蚕の清涼育法を学びに来た事実があった事を知りながらも、以来、記憶の片隅に追いやり、それ以上の調査をしなかった場所、それがこの場所、松ヶ岡開墾場でした。ふるさとさんは島小の校長に赴任した翌年の冬、雪の日にここを訪れ、目撃した瞬間に衝撃を受けたとのことで、私にとってもその気持ちを十分過ぎるほどに理解できる光景でした。 振り返れば4年ほど前、島村に対して不思議な感覚を持ち、2年前に当時島小の校長先生だったふるさとさんと面識を得て加速が付き、当サイトにも「島村特集」のページを開設するに至り、自分なりに島村マイスターの道を歩み続けていると自負していましたが、今回の松ヶ岡開墾場の見学でその自信が自惚れであったことに気が付き、すごろくゲームで言えば、「振り出しへ戻る」コマを踏んでしまった気分です。 島村を勉強する人、島村に関心を持つ人全ての人に伝えます。島村を知ろうと思うなら、松ヶ岡開墾場が現状を留める内に是非とも見学してみてください。(2012/5/5 記) →松ヶ岡開墾場のデータについて、いくつかのウェブサイトの情報を引用しこちらに整理しました。 |
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松ヶ岡開墾場に残る島村式養蚕農家 2012/5/1 |
松ヶ岡開墾記念館入口左手に大きく聳える松ヶ岡開墾記念館。現存する5棟の大きさを正確に調べていませんが、最初に眼に飛び込むこの建物の印象は強烈です。 |
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島村式養蚕農家。現在は松ヶ岡開墾記念館 2012/5/1 島村式養蚕農家。現在は松ヶ岡開墾記念館。 2012/5/1 |
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2012/5/1 2012/5/1 松ヶ岡開墾記念館 2012/5/1 松ヶ岡開墾記念館 2012/5/1 |
葉ザクラになった桜越しに見る養蚕農家 2012/5/1 建物の真ん中を通る道路と、両脇の桜並木 桜の満開時期には見事な風景になるでしょう。 2012/5/1 松ヶ岡開墾記念館の説明板 2012/5/1 |
庄内映画村資料館この地でいくつかの映画が撮られたようです。あの「おくりびと」や「十三人の刺客」のロケも行われ、映画を記念したお土産販売やロケで使用した道具や衣装が展示されていました。映画作りは地域の文化レベルを上げ、知名度を上げるのに重要な取り組みであると思います。伊勢崎周辺でも本庄市や深谷市、高崎市や桐生市など、映画作りに力を注いでいます。伊勢崎市にも是非とも欲しいフィルムコミッションです。 |
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2012/5/1 2012/5/1 田中兄弟コレクション 全国の土人形、土鈴などを展示 2012/5/1 |
2012/5/1 2012/5/1 桜吹雪に覆われる養蚕農家の庭 2012/5/1 この桜の幹の太さ。きっと幾多の歴史を見続けたのでしょう。 2012/5/1 |
往時の姿。巨大戦艦の縦列のようです。 2012/5/1 |
静かに佇む松ヶ岡養蚕農家 2012/5/1 2階建ての上に取り付けられた通風換気用の越屋根が特徴です。 2012/5/1 半間ほどの下屋 2012/5/1 |
待カフェ |
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2012/5/1 建物の外はオープンカフェ 2012/5/1 |
杉の木立に囲まれた養蚕農家 2012/5/1 開墾場の東側はなだらかな勾配の低地になっています 2012/5/1 |
建物の中に和風カフェがあって、窓外の景色を眺めながら寛ぐ事ができます。自販機の色に注目。 ミルクたっぷりのソフトクリームを食べました。 「島村の伊勢崎から来ました」と伝えたところ、笑顔いっぱいで感激されました。 2012/5/1 |
松ヶ岡本陣 |
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2012/5/1 松ヶ岡本陣の玄関 2012/5/1 松ヶ岡本陣の東側で咲く枝垂桜 2012/5/1 松ヶ岡本陣北側の沼と庭園 2012/5/1 松ヶ岡本陣の南側の小山 2012/5/1 |
松ヶ岡本陣の説明板 2012/5/1 松ヶ岡本陣を西側から 2012/5/1 松ヶ岡本陣東側の庭園 2012/5/1 松ヶ岡本陣の西側に立つ物置小屋風の建物 2012/5/1 小山の東面にあった横穴倉らしき入口 養蚕の関連施設でしょうか? 地中の温度を利用した保冷庫/保温庫とか? 2012/5/1 |
旧貯蔵土蔵 おカイコさまの蔵 |
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旧貯蔵土蔵 おカイコさまの蔵 2012/5/1 |
旧貯蔵土蔵 おカイコさまの蔵 2012/5/1 |
新徴屋敷 |
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2012/5/1 新徴屋敷の門 2012/5/1 |
新徴屋敷の説明板 2012/5/1 新徴屋敷の建物と庭 2012/5/1 |
月山松ヶ岡開墾場は北方に鳥海山(2236m)、東に羽黒山(414m)、南東に月山(1984m)があります。今回のツアーでは、秋田県の角館から国道46号、秋田自動車道、日本海東北自動車道、仁賀保本荘道路、国道7号、山形自動車道を経て到着しましたが、途中のほとんどの道路から見えたのが鳥海山でした。北面はまだ冠雪で真白だった鳥海山も南側からは多少の雪解けが見えました。 松ヶ岡開墾場へ近付くと、主役は鳥海山から月山に代わり、この地が開墾時代から今に至るまで、変わらずに月山に見守られていたのだろうと、そんな思いが過る風景でした。 |
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残雪に覆われた月山と桃畑(開墾場のすぐ東の桃畑から) 2012/5/1 この風景を見て、月山は山形の人たちにとって、 心のふる里なんじゃないかと思いました。 2012/5/1 |
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松ヶ岡開墾場入口。 桜が満開の時期はどんな風景でしょうか。2012/5/1 門柱 2012/5/1 松岡蚕種製造所 2012/5/1 |
平成元年、文化庁が 「日本開拓史上きわまて貴重」 と国指定史跡として告示 2012/5/1 2012/5/1 |
松ヶ岡開墾場内松ヶ岡開墾記念館(鶴岡市)刀を鍬にかえ月山山麓の大原始林に挑んだ旧庄内藩士たちの開墾の魂『松ヶ岡開墾場』は明治維新直後の廃藩置県の折、旧藩家老菅実秀が旧藩士の先行きを考え、養蚕によって日本の近代化を進め、庄内の再建を行うべく開墾を行ったものである。 【沿革】 松ヶ岡開墾場は、1871年(明治5年)に旧庄内藩士3,000人によって開墾され、明治7年には311ヘクタールに及ぶ桑園が完成し、明治8〜10年には大蚕室10棟が建設された。その後鶴岡に製糸工場と絹織物工場が創設された。 【現況】 新徴屋敷(松ヶ岡開墾場) 松ヶ岡本陣(松ヶ岡開墾場) 1989年(平成元年)国の史跡に指定され、大蚕室5棟、藤島より移築された本陣(開墾創業時に松ヶ岡本陣とした)、新徴屋敷(庄内藩江戸取締の際その配下となった浪士組織新徴組のために藩が建てた100棟の住宅のうち30棟を松ヶ岡に移築し、開墾士の住宅とした)などが保存されている。また蚕室は開墾記念館、ギャラリー、侍カフェ、くらふと松ヶ岡、庄内農具館などに利用され、庄内映画村資料館も併設されている。 第一蚕室(開墾記念館) 松ヶ岡開墾場の蚕室を建築した棟梁は、当時の名匠高橋兼吉ら2名で、養蚕業の先進地であった上州島村田島家の蚕室を模して建造したといわれている。 大きな柱、大きな梁をもつ和風構造形式の建築で、桁行21間(37.8m)、梁間5間(9m)。2階の腰窓には和風建築独特の無双窓をつけ、また2階建ての上に通風換気のための越屋根をとりつけた、通風のバランスを考えた構造である。屋根には同8年にとりこわされた鶴岡城の瓦が使われている。 【年表】
名 称:松ヶ岡開墾場内 松ヶ岡開墾記念館 竣工年:1875年(明治8) 所有者:社団法人 丕顕会 設計者:高橋兼吉 施工者:高橋兼吉 構 造:瓦葺、上州島村式の三階建蚕室 指 定:国指定史跡 【埋薪(まいしん) 「清涼育と温暖育」】 埋薪とは、床下の炉に生木を敷き詰めて上からあくをかけ、その上に炭火を置いて暖房とするもので、生木が徐々に燃えることによって長時間の暖房効果が得られるものである。 松ヶ岡の蚕室では、これらの埋薪により養蚕サイクルである一蚕期を、燃料補充なしの床暖房ができた。 養蚕では、暖房を使用しないで自然の温度で蚕を飼育する方法を清涼育と言う。 明治15年頃から、埋薪などの床下暖房によって温度や湿度の管理を行い、蚕を飼育する温暖育が導入された。 松ヶ岡では、高めの温度が必要な一齢から三齢までは埋薪を利用した温暖育を行い、その後に清涼育に変え飼育期間を短縮した。 |
松ヶ岡開墾場の現況利用状況松ヶ岡開墾場は、明治維新後、庄内藩士たちが拓いた緑豊かな大地。その中に瓦葺上州島村式三階建の蚕室が五棟現存しており、一棟が修復されて松ケ岡開墾記念館となっている。この他に、食事処一翠苑、庄内の米造り用具収蔵庫、庄内映画村資料館などがある。(国指定史跡)■松ヶ岡開墾記念館 1階/開墾、農業、蚕糸関係資料を展示。 2階/開墾士の末裔であった田中兄弟が収集した全国の土人形、土鈴など郷土玩具コレクション約25,000点を展示。 ■庄内農具館 乾田馬耕や稲の品種改良の資料、昔の農作業の様子を知ることが出来る風俗人形などを展示。農耕儀礼や収穫祭などの時に用いるアフリカ(コギリ等)、インドネシア(ジェコグ等)などの楽器等の資料も。 ■米作り用具収蔵庫 国指定重要有形民俗文化財「庄内の米作り用具」1,800点を収蔵。 ■新徴屋敷 庄内藩士とともに江戸の治安を守った新徴組。庄内藩の江戸引きあげに伴い、新徴組隊士とその家族も随行。鶴岡、大宝寺、道形に建てた137棟の住宅を新徴屋敷と称し、そのうち約30棟が松ヶ岡開墾の組小屋として移されました。その後開墾士の住宅となり、1986(昭和61)年に現在地に移築復元されました。石置屋根平屋建て。 ■松ヶ岡本陣 松ヶ岡開墾事業の本陣(管理事務所)となった建物。茅葺き、檜造り平屋建て。 ■庄内映画村資料館(電話0235-62-2080) 5番蚕室を活用した映画「蝉しぐれ」や米国アカデミー賞外国語映画賞を受賞した映画「おくりびと」などの資料館。DVDシアター(オリジナルメイキング映像等の上映)や、撮影で実際に使用された小道具や装飾品の展示の他に、映画の撮影の様子、名場面のスチール写真、台本等映画製作に関わる興味深い資料を展示しています。 ■待カフェ 待カフェは、月山や広大な自然の風景を眺望しながらお食事、喫茶を楽しむことが出来るお食事処。オリジナルの「絹麺」が人気。 ■松岡窯陶芸教室 湯呑みやコーヒーカップが作れるほか、素焼きの皿などに絵付けも出来ます。 ■くらふと松ヶ岡「こぅでらいね」(電話 0235-62-2888) 2006年9月オープン。クラフト作品の展示販売を行なうアートギャラリー。クラフト体験もできます(要予約) |
松ヶ岡開墾場の歴史を伝える書籍の紹介【書籍】 「気節凌霜道はるかなり」 −庄内武士の歩んだ糸の道− |