■ゴミ捨て場と化した廃墟■
2007/9/17掲載 [
▲Top ]
自転車で市内をブラリ旅している時に、いつも気になっている廃墟が何箇所かあります。
昔は誰かが暮らしていただろう廃屋、あるいはかつては多くの従業員が忙しく働き、賑やかな音を出していたであろう廃工場。これらの風景を見ながら、当時の暮らしや賑わいに思いを寄せると一つの心象風景として心に残り、私に取っては必ずしも否定するばかりではなく、絵心さえ誘う要素も存在しているのですが、ただ一つ廃墟として認めがたい点があります。
それはそこがゴミ捨て場と化している場合です。
先週の土曜日、いつものようにサイクリングに出かけ、あちらこちらを見て回るうちに、日頃気に掛けていた廃墟の一つが遠目にも姿が変わっているのに気が付き、近くへ行って見ると、どうやら火事に会ったようです。 |
|
この廃墟は歓迎しない廃墟の一つでした。鉄骨の骨組みと天井や壁板だけが残された工場のような中に、元々あったのか通りすがりの人が棄てていくのか、色々なゴミが積み上げられていたからです。道路との境界も曖昧で、また大通りではないので、いつしかゴミ捨て場のようになって行ったのでしょう。
そばへ寄って見ると、建物の中のゴミは焼け焦げて散乱し、鉄板の壁板に付いていた木が焦げ、天井や壁の多くが地面に崩れ落ち、細い鉄骨の骨組みだけがむき出しになっていました。自然発火なのか放火なのか不明ですが、すぐ東側から南東にかけて住宅地が広がっているので、きっと不安だったことでしょう。
所有者はどう考えているのでしょう。放置されている理由は色々とあることでしょうが、風景的にも衛生的にも、また安全面からしてもこう言った状況で長年月放置されるのは歓迎できません。
不動産の利用方法や管理方法に対して、所有者の自由が最大限認められている日本。簡単に言えば、「所有者の勝手」が通る日本。
一方、壁の色や建物のデザインなど、街全体の景観を守る方が個人の権利よりも優先するヨーロッパ。
どちらも度が過ぎるのは歓迎しませんが、何でも個人の自由が通る日本もそろそろヨーロッパの良い点を見習う時期なのではと思います。
■不法投棄のゴミ対策■
2007/9/9掲載 [
▲Top ]
今朝のNHKの番組「ご近所の底力」で街中のゴミ対策の話題を取り上げていました。
街中に不法に出されたゴミをカラスや犬猫が食い散らかしその対策に悩む住民。夜の内にそっと出してしまう「夜出し」やゴミ出し場の位置の問題等、あれこれと思い当たる原因を探り、いくつかの対策を施し、その成果を報告するものでした。
伊勢崎市や近隣を自転車でブラリ旅をしていると、車のスピードでは目に入らない色々な風景に気が付きます。当然ゴミにも目が行きます。でも街中ではゴミ収集の制度が浸透しているせいか、特定の何箇所かを除き、目立ったゴミに気が付きません。廃墟化した家の中のゴミまでは口を出せませんが、ゴミに気が付くのは意外や意外、郊外です。
限りない田園風景の中の舗装道の脇にコンビニの袋に入ったゴミが落ちていたり、上武道路の盛土の下に様々なゴミが散乱していたりします。時には家財道具のようなゴミが落ちていることもあって愕然とします。
田園の中でコンビニ弁当を気持ち良く食べることは自由ですが、そのゴミを棄てて行くのはいけません。また上武道路の盛土のゴミは多分走行中に投げ棄ててしまうのでしょう。国道50号と上武道路との交差点の中央分離帯の植栽の上に散乱したビニール袋や空き缶、ペットボトルと同じですね。
また、郊外でも街中でもなくゴミが気になるのは河川です。広瀬川、早川、粕川、どの川も発泡スチロールやペットボトル、ビニールのゴミが目に付きます。時には台所用品や自転車なども。
瀬になっているヶ所や中州にこれらのゴミが引っ掛かっています。これらのゴミが青や黄色、白だったりと自然の色ではないので余計に目立つのかも知れませんが。これらのゴミは流れに乗って来るので、どこで投棄されたものかも分かりません。地元かも知れないし、上流かも知れません。
南太平洋の孤島に世界中のゴミが漂流している話を聞きますが、川のゴミも因果関係が簡単ではありません。
こう言うゴミは街中の「ご近所の底力」でも解決するのは難しいでしょう。定期的なゴミ回収箇所でもないので、放置されている期間も長く、風雨に曝されてちょっと大変です。富士山麓のゴミも有名ですが、投棄者が不特定多数でかつ放置期間が長いと言う意味では同じ様です。
モラルの向上が基本でしょうが、それでは現実のゴミ問題を解決できないので、何らかの対策が必要でしょう。
「罰金の都・シンガポール」のようになっては行き過ぎですが、車の違反運転の罰金制度のように、ゴミ不法投棄に対する程よい罰金制度を制定し、そのパトロールを適宜実施し、不法投棄を解決する時代なのでしょう。
■涼化対策■
2007/8/30掲載 [
▲Top ]
昨夜はご当地伊勢崎では雨が降りました。
お陰でしのぎ易い夜でした。窓を開けっぱなしで寝たのですが、明け方は肌寒いようでした。この季節、一雨ごとに涼しくなって行きますね。
昨夜のビジネスニュースでも取り上げていましたが、現在、街を涼しくするためのビジネスが熱い話題のようです。
今夏、40.3度の最高気温を記録した群馬県館林市においても、『日本一暑いまちの涼化のための緑作戦』と称して街路樹の植栽や屋上・壁面の緑化促進を検討するとのことです。
東京都は、早くから高層ビルの方向に規制をかけて海風の通り道を作り、東京湾からの涼しい風を都内に流し、気温を下げようとしています。
昨夜のニュースでは特殊な薬剤をビルのガラス面に塗布し、上から水を流し(この薬剤を塗ると水がガラス面全体にへばりつくように貼りつく)、室内温度を下げる方法や、水を家の外に微粒子状に噴霧してその気化熱で気温を下げる方法等でした。昔から行っている水打ちと同じ発想です。
また、以前見た番組では、ある風鈴生産者が、今年は生産が間に合わない売れ行きだったとと嬉しい悲鳴を上げていました。
とここまで書いて来てはたと思ったのですが・・・・
涼化対策のキーワードは『緑』、『風』、『水』、『涼しそうな音』で、これらは良く考えて見ると日常の「自然」や「自然現象」なんですね。
東京や都市部では人工物のビルディングが密集し、アスファルトで地面を覆い、そのためビルや路面が蓄熱し、接近した建物の壁が風を遮断し、降った雨は地面に止まることなく側溝に流れ込んでしまうので、地表面に滞在して気化熱で周囲の気温を下げる効果を発揮できません。
そして暑い室内気温を下げるため、電力やガスを消費してエアコンを動かし、その温まった空気が戸外に排出されて更に大気の気温を上げ・・・
と、人口的に作り出した過密空間では悪循環に陥り、それを修復するのに自然の原理に戻る・・・・
自然との共生が重要であることを教えてくれた話題でした。
■東京対地方■
2007/8/7掲載 [
▲Top ]
一昨日の日曜日の番組で長野県王滝村を取り上げていました。
王滝村は8月1日現在で人口 1,025人、世帯数431の御嶽山のふもとの村です。同村は林業の不振と村営スキー場経営の失敗により多重債務を抱え、財政再建団体へ転落が危惧されているとのこと。村長以下全職員が減俸し、取材中も部屋の電気を小まめに消して行く村長の姿が映されました。
一方、TBSの「朝ズバ」で昨日と本日、「赤坂TBS再開発プロジェクト」の現在の様子を報道していました。高さ約180メートル、地上39階、地下3階建ての超高層ビルの3基の建設用クレーンがどのように解体撤去されるかを詳しく説明していました。来年1月にオープンとのこと。
赤坂第2期開発プロジェクトの総事業費は770億円。王滝村の負債は19億円。
地方行政が必死になって自立しようと頑張り、それでもまだ打開できずにいる一方で、東京の話題が同国とは思えないレベルの話題で賑わう。
ここまでの格差が顕著になると若年労働者層の都会への流出を抑えるのは相当に難しくなります。誰でもが先が見えずに苦労のみが続く状況からは脱出したいものです。都会ならば仕事の機会も多く、洗練された生活も楽しめ、若い人が望むのはごく自然なことです。
一方、都市部から地方への流れとして、リタイア組が自然環境に恵まれた地方に移り住む動きがあるようですが、リタイア組は基本的には地域の生産力には寄与せず、資金は年金と手持ちの現金で、医療費負担の事を考えると長期的には地方行財政に取って全て利点ばかりではないと思っています。
問題はもっと基本的な所に存在していて、マスコミの殆どが東京で作られ東京から発信し、東京が優位で東京が楽しいと言う現在の日本全体の流れの中に存在していると思っています。
大きな力で意図的に作られたシステムなのか、単に都市理論のようなもので説明が付く事なのか私には分かりませんが、この辺から見直さないと、「東京」対「その他大勢」のような力関係になり、やがては地方が活力を失ってしまうのではないでしょうか。それは最終的には地方があって成立している東京に取っても得策なことではないはずです。
東京に取って「群馬県は東京の水瓶、癒しの場」と評された事があるようですが、利水権や治水権等の権利関係を掴んでいないので無責任な発言になりますが、それならば、水1リットルを都民に100円で売ると言うようなビジネスは成立しないのでしょうか。「アラブの石油王」ならぬ、「群馬の水王」です。
ちょっと子供の喧嘩レベルの話になりましたが、地方の自立問題、活性化は本当に何とかしなければと強く思う昨今です。
■参院選■
2007/7/30掲載 [
▲Top ]
昨夜の参院選の報道番組で「塩じい」氏が自民党惨敗の理由の1つとして
「今回の選挙ではマスコミが大臣達の失言事件をしつこく報道し過ぎ」
と、マスコミが作り出した空気に負けたと言ったニュアンスのコメントをしていましたね。
安藤優子アナがすかさず「でも、事実は事実でしょ!」と語気強く突っ込んでいました。
でもねぇ、1つの失言でその人が持っている他の能力までスポイルしたり萎縮させ失脚させてしまうのも皆の損失だと思うのですが・・・。
私も、ここの所続いた自民党議員の失言問題についてはしつこい報道が多かったと思っています。その内、議員になるには「失言をしない訓練」が必須になって、可もなく不可もなくのお利口さん的発言が増えるかも知れません。
慎重に、無難に、あらゆるバッシングを事前に防ぐための発言、聞く方もちょっと窮屈ですね。たまに脱線して失言するのも人間的でいいと思いますが、国会議員には許されないのでしょうか。
一方で今回の選挙は年金問題選挙とも言われていました。
年金問題はその当時の担当行政庁(社会保険庁?)の不始末だったと思うのですが、それも何となく現在の自民党の責任で、民主党がその状況を「消えた年金」としてキャッチコピーにし、「自分達ならばきちんとした年金システムを作る」と言う風な説明を繰り返し、国民も「民主党に任せれば年金は大丈夫!」と言った気持ちになっていたと思います。
そもそも日本は人口減少で少子高齢化です。年金に関して言えば年金受給者が増え、それを負担する勤労者の数が減少すると言う事です。これを解決するには、今後支払うべき年金を勤労者から徴収し切れるのか、不足分を補うストックがあるのか、不足する場合どの財源を崩すのか、この辺の方程式を立てられるかどうかに依ります。
民主党が政権を取れば人口が増え、雇用環境も改善され、生産労働者が増え、税収も上がり財源が豊かになるのでしょうか。
結局はどんな政策も財源確保が重要課題になると思いますので、年金問題にしても最終的には国の経済基盤を今後どのように構築して行くのかと言う所に到達するのではないでしょうか。
イメージが先行し、しかも時流に乗った特定の課題を材料に空気や流れを作り出し、国民の賛同を得るのでは、遠からず批判を浴びることになります。
もっとも阿部首相のように「美しい国」を連呼されるのも頼りないのを通り過ぎてちょっと不快になりますが。誰もが「美しい」方がいいですが、連呼して得るものではないと。
最近の東京、名古屋、大阪の都市部と地方の経済格差、国民の収入格差、地方都市に住む立場としてこれらを考えた時、社会学や経済学、都市理論等を大得意とする党派ができて欲しいと考えています。
顔が売れた有名人が立候補して当選しますが、大企業を支えてきた産業界のベテランや経済分野の重鎮達がなかなか立候補しないのはなぜでしょう。
■廃屋や廃墟の解体■
2007/7/14掲載 [
▲Top ]
市内をブラリ旅していると工場や店舗、住宅等で既に使用していない建物、あるいは廃墟化した建物に出会います。
敷地内の樹木や雑草がジャングルのように繁り、屋根や生垣がツル性の植物で覆われていたり、工場の廃屋には壊れた壁やガラス窓、タイヤや廃車、誰が棄てたか不明な粗大ゴミ等が積み上げられている場所もあります。
貸家や貸事務所の看板や不動産屋管理の看板が立っているのはチャンスを待っている状態なので理解できますが、放置の理由が不明な建物にも出会うことが多く、なぜだろうと考えてしまいます。
・再利用を考えて保存している?
・差し押さえ物件、あるいは権利者がややこしくて手を付けられない?
・解体費用がもったいない、あるいは解体費用を準備できずに放置している?
・単純に面倒だから放置している?
理由は様々でしょうが周辺住民や周辺道路利用者に取って廃屋や廃墟はあまり歓迎できません。
昨年、六間道路の廃墟化した工場跡地が「寿モール」に生まれ変わり、平和町の富士重工の工場跡地が「平和町ショッピングモール」に生まれ変わり、最近は寿町のサンデンさんの大きな工場が解体されました。
サンデン通りは古い時代の道路なので幅員構成に余裕がなく、車道も歩道も幅員が狭く、また今回解体されたサンデンさんの大きな工場が敷地ギリギリに建てられていて車両も出入りしていたので、暗い雰囲気で自転車で通過する時などは神経を使う場所でした。
サンデンさんが粕川工場へ移転時、道路東側の多くの工場が解体されて芝生や樹木を植えた公園のような駐車場に変わり、更に今回道路西の工場が解体されたため、この周辺が随分と伸び伸びとした風景になって来ました。
解体するには費用もかかるので、企業側に取っては出費が嵩む事でしょうが、なくても間に合った工場だったとしたら、大きな工場が解体されてきれいに整地されることは、周辺住民や道路利用者として大歓迎です。
■地方のショッピングモール建設■
2007/7/10掲載 [
▲Top ]
最近群馬県内において、ショッピングモールの話題が賑やかです。
既に営業中や最近の開業、あるいは建設、計画中の主なモールを列記すると
■太田イオン
■太田カンケンプラザ
■高崎イオン
■けやきウオーク前橋
■スーパーモールいせさき(西部モール)
■(仮称)伊勢崎東部ショッピングモール(建設中。2008年開業)
■前橋南ICのベイシアショッピングモール(2010年秋頃開業)
■(仮称)太田吉沢地区街づくりプロジェクト(計画中)
等があります。
これ以外にも従来の街中の商店街と異なる郊外型の小売店集積ゾーンは県内各地にたくさんあります。
ネットで調べるとこの傾向は全国的な動向のようで、小売店業界のこととは言え規模が大きいだけに多くの産業にも波及し、雇用の促進や人口増加要因になったりもします。周辺道路整備等を考えると自治体の建設行政にも波及します。
全国報道では東京、名古屋、大阪を中心とする大都会型の発展が話題になり、その桁違いの話に驚くばかりですが、地方における大型SMの建設が地方発展の起爆剤になればいいと思っています。
いつかのテレビ番組を思い起こします。九州のある街の正月風景の街中インタビューのことです。若い家族の父親らしき男性がこう応えていました。
「田舎の正月はやっぱショッピングモールっしょ。家族で車で駆けつけて一日遊べるし、食事や買い物も一辺にできるし」
旧商店街との共存共栄が課題ですが、街中商店と郊外型SMはそもそも車社会への対応が異なるので、別の経営方針を立てないとダメなのでしょう。街中のマンション建設や区画整理等も進行中ですので、それによる人口増を期待した街中住民の台所を満足させる規模、あるいは街中住民が歩いて行ける距離の便利さ、小さいが個性的な店、等々、色々なキーワードが出てきそうです。
余談ですが、我が家、西友とイズ本店の間の信号の南西にある間口2間くらいの店、駐車場もないのですが、お稲荷さんや手巻き寿司を買いに行きます。美味いです。店主の手作りで早めに行かないと売り切れです。
■伊勢崎の市民性■
2007/4/26〜2007/7/1掲載 [
▲Top ]
《その1》(2007/4/26掲載)
■■日本の中の群馬県の認識は?「水と緑と温泉と山の県??」■■
20代から30代前半まで東京の会社に勤務していました。その当時、周囲での群馬県の認知度は次のようでした。
●中曽根、福田両首相の出身県(その後、小渕氏も出ましたが)
●温泉と登山とスキーの県
●谷川岳と尾瀬の県
●国定忠治と赤城山
●かかあ天下と空っ風
●都民の水瓶の水源
「他には?」と言うとこれぞと言う記憶がありません。しかもスキーは長野の妙高や新潟の苗場、山形の蔵王等の方が人気がありました。また、登山も谷川岳や尾瀬は人気でしたが、日本アルプスや八ヶ岳の人気には及びませんでした。観光地の軽井沢は人気でしたが、浅間山や軽井沢は長野県のイメージです。浅間山の北麓を北軽井沢と呼んでも少し無理がありました。
実際に東京の会社勤務時の社内行事で群馬県の観光地を訪れたのは
●榛名湖のスケート教室
●尾瀬ケ原登山
●片品村のテニス合宿
等で、小旅行と言うと養老渓谷や鋸山、丹沢、奥多摩、箱根、熱海、富士五湖近辺が主でした。今では関越道が完全開通し上信道も開通したので、群馬県は当事よりは身近になっているかとは思いますが。
簡単に言ってしまえば
■群馬県は水と緑と山と温泉の県■
のイメージが強く、少なくとも関東圏の中で、神奈川、埼玉、千葉のように都会としての話題で登場することは限りなく稀なことでした。対比されたのが栃木、茨城ですが茨城は「筑波学園都市」ができて大学や官民の研究施設が移転して以来、一馬身先に抜けた感じでした。
群馬で2つの大きな都市である高崎と前橋に関しても
「県庁は高崎だっけ?」「前橋って新幹線で行けないんだけど」
との質問をされて苦笑した回数は数知れずです。萩原朔太郎の知名度も前橋市全体を押し上げる力はなかったようです。
東京勤務時代はその会社の本社勤務で、本社には250名余りの社員がいましたが、その当時は群馬出身者は自分一人だったので周囲に任せたままの群馬評を素直に受け入れていました。その環境は日本全体に於ける群馬県全体を認識するのにとても貴重なことだったと思っています。
ところが、訳あって地元へUターンして見ると、そこには外からの視点と関係のない前橋や高崎を始めとする各市の日々の競争意識が存在していて驚きました。
《その2》(2007/5/6掲載)
まずは群馬県内各市の競争意識について。その最たるものは
前橋と高崎の軋轢。
東京の会社へ30代半ばまで勤務し、その後地元へUターンしてみると、そこに存在していた各市の競争意識に気付き大いに驚きましたが、その最たるものは前橋と高崎の軋轢でした。
かつて中央紙の群馬版か地元紙(上毛新聞)のどちらかだったか、高崎と前橋がなぜ仲が悪いかを特集記事にしていたのを読んだ記憶があります。
「新聞記事にするほどじゃ子供の喧嘩レベルではないんだろうな」
と野次馬的好奇心と呆れた気持ちとで読みました。
仲が悪い原因を簡単に言えば、明治初期の県庁誘致合戦に端を発しているようです。この点に関しては
「前橋市」のウィキペディアの記事に「高崎市との対立関係」が記載されているくらいですから、県内外に有名な話なのかも知れません。
前橋市の知人の発言などからすると、前橋市民は県庁所在地であることが誇りのようです。そして他市の人達にはなかなか窺い知る事のできない世界として
「群馬大学附属幼稚園〜附属小学校〜附属中学校〜前高・前女〜群馬大学(あるいは他の有名大学)」
へのルートを誇りとするスノッブな世界が存在しています。子供を附属幼稚園へ入学させることを生甲斐として頑張っている親御さん達に何人も接した事があります。
高崎が鉄道交通の県内の要衝であること、その事により発展の勢いが高崎の方が優勢であることは自尊心を傷つけられる思いのようです。それを「県庁所在地」の誇りで食い止めているように見えます。
前橋産まれのヤマダ電機が前橋本社を高崎へ移転することを発表し、現在その本社屋を建設している事、その理由が交通の不便さであることはダメージだったようです。
一方高崎も経済的発展は優勢であるものの、県庁を奪還できなかった過去の残念な思いが払拭できないでいるようです。
私共、他市の人間からすれば両市が合併してしまえば問題が解決するだろうと簡単に考えますが、両市の合併はあり得ないと両市の役所の人間に聞いた事があります。状況はそんなに簡単ではなさそうです。
それでは前橋、高崎以外はと言うと・・・・・
《その3》(2007/5/11掲載)
私見では沼田市や桐生市、安中市などはプライドの高さを感じています。
桐生市は「東の京都」と呼ばれるように過去に於いて繊維の街として発展しました。また群馬大学工学部や大川美術館等があり学術都市、文化の街の誇りもあります。ノコギリ屋根の工場群や明治時代の洋式建築等、他市にない建造物が保全され利活用されています。ただ、人口の伸び悩みや旧市街地の空洞化は県内屈指です。そのため平成の大合併に於いても隣接市町村への吸引力は微力で、今回の合併でも隣接自治体との合併ができず、飛び地合併しています。
桐生高校、桐生女子高校は桐生、群馬北東部の名門進学校です。
沼田市は約500年前の沼田城(現在は沼田公園)の築城以来、300有余年間城下町として栄えたこと、明治以降も北毛の交通の要衝として栄えたことが拠り所のようです。ただ、戦後、森林資源を基盤に木材関係の産業で支えて来たものの、林業不振の流れで街中の産業が衰退し、また現在も商業、工業の産業基盤は弱く、西の安中市と共に人口減少に悩んでいるようです。
現在は「玉原高原」や「吹割の滝」、赤城山や武尊山に囲まれていること、尾瀬への玄関口等の豊かな自然を利用した観光資源を売りにしているようです。
沼田高校、沼田女子高校は沼田、利根地域の名門進学校で、この地域で進学を目指す中学生達が目指す高校です。
沼田市が「群馬県の北の都市」とすれば
安中市は「群馬県の西の都市」です。
かつては東山道や中山道の宿場や関所が置かれた歴史的背景があります。現在では長野新幹線や上信道が通っていますが、新幹線・安中榛名駅は山の中に突然駅だけが出来た状態で、バブル時代の駅周辺の住宅地開発を抱えて、今後これらをどのように活かして行くか、大きな課題だと思います。都内の通勤者を狙っているならば、高崎駅周辺のマンションや住宅地が大いに気になる所です。
観光資源としては磯部温泉や碓氷峠、西上州の山々の登山口と言ったところでしょうか。沼田市と同様に自然はとても豊かですが人口減少が悩みのようです。かつて新聞で「沼田市(人口54,710(H19/4末))と安中市(人口64,594(H19/2末))が人口減少に対してお互いを意識している」と言う記事を読んだことがあります。
上記3つの市を考えた時、それぞれが山岳地を抱えていて平坦地が少なく、1〜3方向が更に山岳地に囲まれていると言う共通点があります。
山岳地は「豊かな自然」を生み出しますが、同時に宅地や工業団地の造成、また道路整備等を行う時に盛土や切土工事、擁壁敷設のコストがかかります。住宅地や企業・店舗の敷地を安価に造成し、幹線道路網を整備し、かつ近隣にも人口の多い区域に囲まれていなければ人口を増やし企業や店舗を誘致することは難しくなります。
それ以外の渋川市、藤岡市、富岡市に付いては良く分かりませんが、
館林市については「上毛カルタ」の「鶴舞う形の群馬県」の鶴の嘴の尖った場所に位置し、西側を除く全ての方向が茨城、栃木、埼玉の他県なので、そもそも群馬県人としての意識が少なく、県内他市とのライバル意識は低いのではないかと想像しています。館林の友人知人はいませんが、館林の方々にその辺の意識を聞いてみたい関心があります。
《その4》(2007/5/16掲載)
それでは太田市は・・・
太田市は伊勢崎市と多くの共通点があります。
■前橋のように県庁所在地でもなく、高崎のように公共鉄道網の要衝としての栄えもなく、桐生のように繊維の歴史等も弱く、商業、文化、政治、歴史、人口の分野では群馬県に於ける「三男か四男」の位置付け。
■群馬県全域の中で南東部に位置している。
■他県の市(本庄、深谷、熊谷、足利)と隣接していて、広域圏では県域を意識しない。例えば新幹線本庄早稲田駅誘致では伊勢崎や本庄は主要な市であったし、太田も足利や佐野を含めた「両毛広域都市圏」に属している。
■太田市には金山と双葉や鳳凰CCの山があるが、両市とも何箇所かの丘陵地帯を除くとほぼ平坦地である。
■両市とも県内では屈指の工業都市である(画像参照)。
■前橋や桐生の群馬大学、高崎の高崎経済大学のように市内に国公立大学がない。
(ただ、群馬大学工学部生産システム工学科はH19年度から太田キャンパスが新設されています)
■郊外型モールが多い
太田市(カンケンプラザ、ジョイフルホンダ、太田イオン等)
伊勢崎(西部モール、西友楽市、フォリオ安堀、東部モール(建設中)等)
■市街地に風俗店が多い。
話題としては伊勢崎が取り上げられる事が多いですが、太田市役所と太田市民会館の間の風俗店の数は伊勢崎以上なのでは? |
|
これら共通特性が何か明確な因果関係で導かれたものなのか、単純に自然の流れなのか、明快に分析した情報は掴んでいませんが、私なりの独断と偏見で評しますと下記のようです。
・前橋や高崎のように長男でも次男でもなく、
・歴史・文化も突出するものがなく、
・でも幸い平坦地が多いので工業団地や幹線道路を整備し企業誘致に成功して北関東の工業都市として成長し、
・地価も前橋や高崎に比べれば安く工場も多いのでいつしか人口も増えて、
・事業所が多いと言う事は生産労働年令層が多く高齢化社会に対しても耐力があり、
・人口が増えていると言う事はどんな事業や行政を行うにも重要な基盤なので、
・財務も健全でその分元気度が高い」
異なるのは、そもそもこのシリーズ記事を書く契機になった「地元の普通高校」議論に関連しますが、「太田高校」や「太田女子高校」は太田市区域の名門進学高校で、伊勢崎の成績優秀な中学生が他市の有名進学校を目指すことと比べると大いに異なります。「太田高校」が高崎高校や前橋高校と「東大進学率」で競う話は周知のことです。
また、マスコミでも有名な現・太田市長が率いる太田市行政は旧・道路公団や群馬県政との相性が余り良くないのも周知のことです。北関東自動車道の太田PA誘致や「英語教育特区」の問題も原因しているようです。市長個人の特性が顕著に現れてしまっていると言う感じもしますが。
太田市に関しては以上のようなイメージです。
H18年に笠懸と大間々、勢多東が合併してできた「みどり市」については合併前のイメージは
下記のようです。
●大間々・・・「ながめ余興場」や高津土峡。
子供の頃、「ながめ」の余興場や菊人形に連れて行ってもらえた事は楽しい想い出です。
●笠懸・・・相沢忠洋氏が岩宿遺跡を発見し日本の旧石器時代の文化を立証した遺跡の街、稲荷山のカタクリ、桐生競艇
●勢多東・・・詩画で世界中の人に優しさを伝えている星野富広さんの美術館。
草木ダムや渡良瀬渓谷鉄道。国道122号沿いの新緑や紅葉。足尾、日光への通過点。
「みどり市」が桐生市や太田市、伊勢崎市のベッドタウンとなるのか、独自の市として発展するのか残念ながら私には予測ができません。
《その5》(2007/5/19掲載)
いよいよ
伊勢崎に付いて。
地元、伊勢崎に付いてじっくりと考えてみます。ちょっと細かくてしつこい記事になるかも知れませんがご容赦を。
■まず「駅の存在」。主要駅は伊勢崎駅?それとも本庄駅?■
以前、会社の顧客がほとんど首都圏であった頃、月に4、5回の東京出張がありまして、その時の最寄り駅は本庄駅でした。赤堀町に住むサンデン勤務の身内がいますが、やっぱり東京への出張は本庄駅が最寄り駅で、国道50号のはるか北側から本庄駅まで車を走らせるとのこと。確か、サンデンさんは本庄駅の南に専用駐車場があります。
観劇やショッピング、グルメのために東京へ出向く奥様達や会社から新幹線利用が認められている企業の社員達は高崎から新幹線利用で上京するようですが、伊勢崎市民が上京する時の最寄り駅は本庄駅が多いようです。
いつも利用する駐車場の管理人さんに「群馬のお客さんが多いですか?」と尋ねたことがありますが
「何言ってんの、本庄駅の北口の駐車場はほとんど群馬ナンバーだよ」とのこと。 |
|
理由は簡単です。高崎経由では遠回りなので不便でかつコスト対効果が低いからです。新幹線を利用してもそのコストに見合った効果も少ないのです。
参考に伊勢崎駅〜上野駅間の経路を伊勢崎駅を朝7時過ぎ、本庄駅を朝7時半過ぎの条件で比較します。
【伊勢崎駅利用】
7:00(伊勢崎)〜8:38(上野)1時間38分(乗車80分)距離:124km
運賃:片道4,920円(乗車券2,210円 新幹線Max特別料金2,710円)乗り換え:1回
【本庄駅利用】
7:38(本庄)〜9:06(上野) 1時間28分(乗車82分)距離:82.4km
運賃:片道1,450円 (湘南新宿ライン特別快速利用)乗り換え:1回
(高崎経由新幹線利用より3,470円安い)
本庄駅の駐車料金を1,000円、ガソリン代を500円としても28分の時間差を得するために3,470円-1,500円≒2,000円のコストが高いか安いか個人差があるでしょうが、私の場合にはその分は節約したいものです。
しかも、行き先が池袋や新宿、渋谷へなら湘南新宿ラインはそれらの駅に直行なので、更に本庄駅利用が有利になります。またプロ野球のナイターや夜のコンサート等のように帰りが遅くなる場合には、高崎経由の場合うっかりすると高崎から伊勢崎へ戻れなくなります。
以前、大阪へ出向いたとき、新幹線を乗り継いで無事に高崎までは到着したものの深夜になってしまったため、両毛線の連絡が悪くて40分近く待たされて最終に乗ったことがあります。しかも新幹線の自由席は満席だったので立ったままで、弱り目に祟り目でした。
21:30以降、高崎から伊勢崎へ戻るには以下の3本のみです。間隔は約45分に1本です。
21:45(小山)、22:30(桐生)、23:14(桐生:最終)
私の住む波志江町は旧伊勢崎では北のはずれなので旧伊勢崎の住人はほとんど本庄駅に出た方が有利だと想います。伊勢崎の南端の長沼に住む友人はそもそも昔から「駅」と言えば暗黙に本庄駅を意味していたとのことで、伊勢崎駅より本庄駅の方が近いので30分の時間差を考慮する必要もありません。境町の人はなお更のことで、本庄や深谷を利用しているようです。
結果的に現在の伊勢崎駅は立場がありません。現状は東武線からの乗り換え客用、あるいは桐生〜高崎間の学校に通う学生や勤務先が駅周辺の範囲のサラリーマン達が主たる利用者のようです。
せめて伊勢崎市民が日常の県内への移動に鉄道を利用すれば伊勢崎駅の存在も大きくなるのでしょうが、マイカー天国群馬ですから日常はほとんどマイカー利用です。
前橋、高崎、渋川、沼田の住人が上京する時は多分地元のJR駅が最寄り駅で、桐生、太田の住人は東武線の地元駅が最寄り駅であることに比べると、伊勢崎市民と伊勢崎駅との関係は微妙です。
その昔計画があった本庄〜伊勢崎〜大胡の鉄道が実現していたら伊勢崎駅の状況も現在の姿と相当に違ったものになっていたでしょう。
《その6》(2007/5/24掲載)
■今回の着眼点は伊勢崎市の地理的特性■
群馬県において過去数十年間、主要都市として認識されているのは前橋、高崎、桐生、太田、伊勢崎の5市です。
それでは群馬県地図を広げこの5市の所在を確認してみて下さい。あることに気が付くと思います。まるで誘導尋問のようでしたが伊勢崎市がこれら5市の真ん中に存在します(画像をクリックしてみてください)。
このことは、伊勢崎に住んでいると他の4市へ通勤通学、買物、ドライブ等で移動することの抵抗が少ないと言う特性を産み出します。鉄道網では「陸の孤島」的存在ですが、県内道路網では中心的存在です。上武道路や北関東自動車道、国道50号バイパスの整備等が完了すれば益々その要衝的位置付けが強化されます。
余談ですが本庄の年配の知り合いが「市民病院で癌の手術をした」と言ったので
「あれ、本庄は市民病院ってどこにあるんですか?」
と尋ねたところ、「市民病院って言えば伊勢崎市民病院だよ」と。伊勢崎市民にとっても本庄駅が主要駅的位置付けだったりしますが(全号に掲載)、本庄市民にとっても伊勢崎市は県境を意識せず近い存在のようです。
そもそもこのことが「伊勢崎の市民性」を考えるきっかけになった「伊勢崎市には地元に普通科の進学高校がなくなってしまうの?」との当サイトへの問い合わせに密接に関連することと思っています。進学校の件に対しては後で述べるとして、県内主要5市の真ん中に位置すると言う事は伊勢崎市民の特性を語る時にとても重要だと思っています。
一方、伊勢崎市からこれら4市への移動が負担ではないと言う事は、4市から伊勢崎への移動も負担ではないことも意味します。東側の桐生、太田から西側の前橋、高崎の相方向への移動は「ちょっと気楽に」と言った気分にはならないでしょうが、真ん中の伊勢崎への移動は気楽に移動できると思っています。もちろん、感覚的なものですから個人差はあるでしょうし、また各市の境界近辺の人達は状況も異なるとは思いますが。
このような地理的特性により日常思うことを有体に表現するならば
・いい企業や学校、お店や観光名所があれば前橋、高崎、桐生、太田のどこだってこちらから行くよ。
・でも、そっちからも遠くないんだからたまには来てね。
・市内全域がほぼ平坦地で工業団地や宅地の地価も割安だから、店舗や工場事業者もどんどん進出してね。
・区画整理は県内トップクラスの整備状況だし、道路網も国、県、市あげて整備中だしますます車交通の便が良くなるから。
・鉄道立体化工事も平成22年には完了するので南北の通行も円滑になるし。
・お店のお客さんや企業の従業員さんが市外に住んでいて距離が遠ければ伊勢崎市に引っ越してしまえばいいんじゃない。
実際、旧伊勢崎と東(あずま)、赤堀地区は県内のみならず首都圏を除く関東圏でも突出した人口増加率ですので、これらの事を裏付けていると思います。
《その7》(2007/5/28掲載)
■普通科の進学高校■
過日、このサイトに「伊勢崎市には地元に普通科の進学高校がなくなってしまうの?」との問い合わせが入りました。この問い合わせが今回の「伊勢崎市民性を考える」記事を書く契機になりました。
伊勢崎の中学生が成績優秀でかつ大学進学を目指す場合、前高、前女、太高、太女、桐高、桐女を目指すのはここ半世紀の間、余り変わらない傾向のようです。高高、高女は学区外なので通常は対象外です。
この傾向の中にも、多少の推移、例えば太高、太女と桐高、桐女の位置づけが徐々に入れ替わってきたことや、国立群馬高専や中央高校がユニークな立場として位置づけられていること等もあります。5年生の国立群馬高専は元々進学高校ではありませんが、5年次終了後に国立大学工学部への編入ルートが開かれているため、国立理系狙いの中学生の密やかな狙い目とのことです。
伊勢崎市内の大学進学を前提とした男子校はかつては伊東(いひがし・伊勢崎東高校)、伊女(伊勢崎女子高)がありましたが、優先順位は両者共3〜5番手になっていたようです。このことは前橋、高崎、桐生、太田と大きく異なっています。これらの市に於いては、通常は地元の進学校を目指すことが目標となっているようです。
その理由は何でしょうか?
「地元にそれなりの進学校がないから他市に行くのか、優秀な生徒が皆な他市に行ってしまうから地元の進学校に歴史が育たないのか」
「鶏と卵」の議論と似ていますが、原因と結果の因果関係を無視して理由と考えられる項目を列挙します。
●まず、前号で述べた「どの市にも等距離で行ける伊勢崎市」もその一つの理由になっていると思います。他市の高校に通うのに長時間かかるとか、下宿したり住民票を移動しないと通えない等の制約があれば、「そこまで無理することもないか」となると思います。
●自分の市にプライドを持てない。前橋のような県都の誇り、高崎のような鉄道交通の要衝の自負や古くからの商都の誇り、桐生のような絹の歴史や群大工学部があることのアカデミックな自負。これらに相当する自負がない、あるいは希薄。
●伊勢崎がここ十数年区画整理や幹線道路網を整備し、商業ゾーンが活発になり、工業出荷額も増え、人口も県内他市から抜きん出て増加していますが、これらに対しても歴史の重みが少ないこと、また文化や芸術の土壌が少ないために自信につながらない。
●市民性として地元へのこだわりが少なく郷土愛が希薄。これは単独では語れませんが、他の理由が何であれ「何が何でも地元の高校へ」と言う熱くて堅固な郷土愛があれば状況が違ったと思います。
●市民が客観的でクールである。他市に既にあるのだからそこに通えばいい、無理して地元に通わない、と言った考え方。
また「伊勢崎は文化も歴史も何もない、風俗とモールばかりで下品」等の外部の風評に対しても、怒る代わりに「全くそうなんだよね」と納得してしまう。
素直?無駄な抵抗をしない?諦念感?超越?冷静?開き直り?
●広く自由に門戸を開いている結果、外国人の数(H17/12末で12,224人)や風俗店の数も多く、元気で賑やかな反面これらを嫌悪する層が存在する。ストレスを溜めた知識層の存在。下町対山の手の感覚?ひいては近親憎悪感。
●急成長の傾向に対して外部(他市や群馬県政、県外識者、マスコミ)の冷視や批判的視線があり、これに対して抵抗できない、あるいは萎縮する。反対に「お利口さん」になってしまう市民自身も少なくない。
過去何百年の世界の歴史を紐解く時、大英帝国イギリスに対する新興勢力アメリカとの関係を思い起こします。イギリスに対して新大陸発見後500年経ってもまだ「歴史がない」コンプレックスを抱くアメリカ。
過去の歴史にすがり付き固執し現在を直視しないで衰退することと、自由でオープンマインディッドな気持ちで開拓して行くこと。どちらがいいでしょう。
以上、「伊勢崎市には地元に普通科の進学高校がない?」ことに対する私見です。
《その8》(2007/6/4掲載)
■伊勢崎市の魅力は『混沌の魅力』■
先日、伊勢崎市を熱く語る仲間たちの懇親会がありました。その席の挨拶で私は「伊勢崎市の魅力は『混沌の魅力』」と述べました。その時にビッグバン宇宙誕生理論をイメージしていました。自由に何でもが存在していて、それが熱いマグマがうごめくように活動しその形も定まらぬ状態、でもいつかビッグバンのように爆発するためのエネルギを蓄えている姿、そんな事をイメージしていました。そこには自由と躍動のエネルギの存在を感じています。
ショッピングモールが次々とでき、外国人が増え、風俗もギャンブルもあり、企業が進出して工業出荷額が増え、人口も増え、幹線道路が整備され区画整理が進み・・・
どれが引き金だったのか分かりませんがこれらの現象が円状に結合していて現在に於いてもまだ回転している。その姿がちょうど躍動するマグマのように思える次第です。
混沌の対語に「秩序」があります。秩序を保つためには規制や階級社会、格式、形式を産み出します。そして規制や階級社会が過度に進むと人々は窮屈になり自由な心やエネルギーを失って行きます。燃焼する場のないエネルギは社会に取って大きな損失です。
伊勢崎は幸いにも前橋や高崎、桐生のような周囲に認知された過去現在の歴史や格式がありません。有体に言えば、「これが伊勢崎の顔」と言う物がありません。「幸いにも」と言うのはシニカルな表現ですが、現実的に考えた時、守るべき過去や現在があってそれに固執した場合、活性化の足枷になる場合があります。変革するため、あるいは過去を破壊するにも膨大なエネルギが必要で、それが大き過ぎると人は無力感に陥ります。
市街地開発を見直す時、既存の中高層ビルの存在は大きな懸案です。
公官庁や銀行、証券会社の高いビルが並ぶ県庁前の区域にスーパーモールや日帰り温泉、シネコン等の誘客施設を作る訳には参りません。まして風俗店など論外です。地価が高いと言う問題だけでなく県都の格式があるからです。
好景気の頃に競って建てた高いビルがバブル崩壊後に空室率が上昇し維持保守費が負担となり、更に2007年問題や2010年問題を抱え、しかも街中の空洞化により夜間人口も少ないとなると区域の活性化を考えた時に障害となります。首都圏では空いたオフィスビルをマンション等に改造しているようですが、それにしても資金が必要です。
またまた幸いにも伊勢崎市にはオフィスビルで高い建物を見かけません。県外企業の支店や営業所、伊勢崎に本社を置く企業、これらがビルの名前でその所在を周囲に知らしめる建物は私の知る限り見当たりません。市庁舎でさえ5階建てで、合併に伴う事務や市民サービスのための増床も5階建ての東館の新築工事です。郊外から市内を遠望した時に目立つ高さは市民病院といくつかのマンション、ホテルのみで、これらもせいぜい11、12階建てです。
過去において事業者達が伊勢崎市に対してそれだけの投資価値を認めなかったと言えばそれまでですが、結果的にこの街の風景がちょうど身の丈に合ったサイズとなり、現在の負担の少なさを与えてくれ、今後の再開発や整備に関しても自由度を与えてくれます。
このように、身の丈に合った街並みのサイズ、誰でも受け入れる寛容さ、守るべき既成の歴史や格式が少なく規制にも過度に囚われない自由な発想、そこから産み出されるエネルギが躍動している街、これが伊勢崎の魅力だと思っています。
《その9》(2007/6/7掲載)
■実は歴史の宝庫・伊勢崎■
前号まで伊勢崎には誇れる歴史や文化がない、ただ平坦地で変化に乏しいと言うようなことを述べました。ところが、実は伊勢崎には誇れる歴史や地形がたくさんあります。歴史については明治や江戸レベルの過去ではありません。旧石器時代まで遡ります。
【前期旧石器時代研究の引き金・八寸の権現山】
考古学者・相沢忠洋氏が昭和21年に笠懸村の稲荷山前の切通しの関東ローム層中から石器を発見し(後の岩宿遺跡)、この発見がそれまでの定説であった「日本に旧石器時代はなかったと」言う考え方を覆したことは余りにも有名な話ですが、実は相沢氏は岩宿遺跡の調査と前後して伊勢崎の八寸の権現山も調査していて、権現山からも3つの異なる地層から石器を発見しています。
岩宿遺跡は後期旧石器時代ですが、権現山から出土した一番古い石器は前期旧石器時代のものと考えられていて、約4万5千年前とのことです。気の遠くなるほど昔のことです。その頃に、土器さえも使用しない人々が伊勢崎に住んでいた訳です。
岩宿伊勢崎は国の指定史跡ですが、八寸の権現山も同等の遺跡で、時代的には権現山の方が古いと考えられています。
【お富士山古墳、原之城遺跡、上植木廃寺】
平成2年、伊勢崎市制施行50周年記念シンポジウムで「赤城南麓と伊勢崎の古代文化」が開催され、聴きに行きました。梅沢重昭氏(元群馬大学教授、当時群馬県教育委員会文化財保護課長)や大塚初重氏(当時明治大学教授)らが、伊勢崎市で発見された旧石器時代から古墳時代の遺跡を題材にして、考古学的見地から伊勢崎市における古代の歴史や文化を探るものでした。
その中で、お富士山古墳の長持形石棺が在地の首長なのか大和王権からの派遣者だったのか、原之城遺跡の豪族と丸塚山古墳に埋葬された主との関係、県下最古の寺院跡とされる上植木廃寺が奈良、平安時代にあって重要な役割を果たしたであろうこと、これらの話を聴き、当時の街並みや人々の姿を髣髴とさせ、それ以前にも多少の関心を持っていた考古学が更に身近なものとなりました。
これらの遺跡を始めとし、伊勢崎市は伊勢崎台地(おおまかには広瀬川と粕川の間)と大間々扇状地(粕川の東側)を中心に、旧石器時代や縄文、弥生時代、古墳時代、奈良平安時代の遺跡や古墳がたくさん発見されています。遊園地で有名な華蔵寺公園も「華蔵寺裏山古墳」は県内最古の古墳とされています。
これらに奈良の都を起点とする東山道の話題がからみ、群馬県内五駅の内の一つ「佐位駅」が今の三和町近辺であると推定されていること等を考えると、気分はとうに馬の背に揺られて東山道を走り、佐位駅で休憩し、上植木(廃)寺を訪れ、「あまが池」で喉を潤している自分がいます。
このように伊勢崎市区域は県内他地域に比べて決して広域ではありませんが、100年や200年の過去でなく、1700年前の過去から何百年もの間、文化的にも政治的にも中核的な位置にあったと考えられること、更に4万5千年前にも人々が暮らしていた事、この事は伊勢崎市民として誇れる事実だと思っています。
余談ですが、北関東自動車道と上武道路や国道462号が交わる交差点が三和町であることと、東山道の「佐位駅」が三和町近辺であると推定されること、このことが何とも言えず不思議な一致です。
《その10》(2007/6/13掲載)
■視点を変えれば憧れの地形・伊勢崎(現状)■
伊勢崎市は限りなく平坦で地形的な変化に乏しいと言われます。伊勢崎市のHPの「伊勢崎市認定路線網図閲覧サービス」で何箇所かの標高を調べてみました。下記のようでした。
(標高はm単位で四捨五入してあります)
※東(あずま)地区は画面の地図から読み取れませんでしたが標高的には赤堀と境の中間です。
【旧境町】
■境平塚(徳川橋西) 37m
■境平塚(県道平塚尾島線と伊勢崎深谷線の交差点近辺) 38m
■中島橋北側の畑 40m
■境駅北公園 42m
■境支所近辺 44m
■境上武士の公営住宅近辺 47m
■境北中学校 50m
■御嶽山公園山頂 54m
■境伊与久沼近辺 58m
■淵名神社 59m
■競馬トレーニングセンター跡 59m
■伊勢崎佐波第一工業団地(北端) 61m
【旧伊勢崎市】
■国領町 42m
■まゆドーム(園内) 45m
■まゆドーム(広瀬川堤防) 49m
■354バイパスと伊勢崎本庄線の交差点 56m
■ヤマダ電機 58m
■伊勢崎市役所 59m
■伊勢崎市民病院 61m
■宮郷小学校 62m
■ベイシアスーパーモール近辺 66m
■第三中学校 74m
■華蔵寺公園野外ステージ 75m
■三和工業団地周辺 80〜90m
■波志江下沼の南の堤防 87m
■波志江上沼の東の堤 92m
■華蔵寺山山頂 94m
■波志江上沼の東北東 95m
【旧赤堀町】
■五目牛(北関東自動車道南) 86m
■五目牛(地蔵山古墳) 98m
■五目牛(胴山古墳) 105m
■市場 108m
■国道50号(赤堀橋) 109m
■国道50号(西久保) 116m
■石山山頂 121m
■いこいの森(鹿島橋) 128m
■毒島城跡 130m
■磯沼 140m
■茶臼山遺跡 141m
■香林北部 152m
■西野神社 153m
■多田山 159m
■赤堀町上水道配水池(峰岸山・小菊の里山頂) 168m
市内で標高が一番低いのが境平塚の37m、一番高いのが赤堀町上水道配水池(峰岸山・小菊の里山頂)168mのようです。標高差は131mです。
地域別の区域内高低差は
■境 61-37 =24m(確かに限りなく平ら)
■伊勢崎 95-42 =53m(多少の勾配)
■赤堀 168-86=82m(自転車で南北に縦断すると結構勾配を感じます)
近隣市はそれぞれ著名な山や山麓を擁しているので標高差で比較する事は無意味かと思いますが、取りあえず調べましたので掲載します。
■高崎 60m(新町)〜1448m(榛名山) 凵1388m
■前橋 65m(下増田町)〜1572m(苗ヶ島町) 凵1507m
■桐生 70m(渡良瀬川付近)〜1828m(赤城山・黒檜山頂)凵1758m
伊勢崎と同様に平坦地が多い太田市でもほぼ中央に金山(標高235.8m)があり、尾島町の標高30mとの標高差でも206mあります。
このように標高や標高差で語ると伊勢崎市は近隣市に比べて確かに平坦地です。
それではこの地形を周囲からはどのように見ているのでしょうか。
《その11》(2007/6/22掲載)
■視点を変えれば憧れの地形・伊勢崎■
前号で、伊勢崎市は周辺他市に比べて起伏の少ない平坦地であることを書きました。それでは、このような地形を周囲からはどのように見ているのでしょうか。
以前、会社に榛名町(現在高崎市)出身の青年がいました。ある時、登山かハイキング会を計画しようと言うことになったのですが、その青年があまり気乗りがしない様子なので訊ねてみると、
「生まれた時から社会人になるまでずっと山の中で暮らしていたのでせっかくの休日にわざわざ山へ登る気がしません。子供の頃は伊勢崎のような平らな地形が憧れでした」と。
確かに榛名町方面へドライブすると、榛名神社や榛名山まで行かずとも地元商店街や小中学校のある周辺でも十分に勾配を感じさせます。私は道路沿いに建つ住宅のブロック塀の段差を良く数えますが、一軒の敷地間でも4、5段の高低差がある場合があります。1段の高さは通常20cmですから5段ならば1mの高低差です。
小学生や高齢者が自転車で坂道を登っていたりすると、「体力が鍛えられるだろうなぁ」と別の関心を抱きますが、そこに余儀なく住んでいる子供たちは実際は大変なのかも知れません。
また、子持村(現在渋川市)出身の青年が
「初めて坂東大橋を渡って本庄に行った時、利根川の風景に感動しました。利根川って平らに流れるんですね」
と新発見をしたかのように言っていました。渋川辺りでは利根川や吾妻川の流れは急峻とまでは言わないまでも坂東大橋近辺のように緩やかで広々とした風景ではありません。坂東大橋の橋長は約1kmありますので、伊勢崎の五料橋辺りから以北の利根川とは様子が異なります。
その青年とこんな問答もありました。
「朝晩、華蔵寺公園の坂を自転車で通るのは結構運動になるよ」と私が言うと
「え?華蔵寺公園のどこに坂があるんですか??」と解せない顔。
「ええ?沼と遊園地の間の道の南端に坂があるでしょう!」と説得口調で応えると
「え?あれは子持村では坂とは言いません」とキッパリ。
「子持村辺りじゃ、雪の降った日なんか車が滑って大変なんですから。そう言うのを坂と言います」、確かに納得。
伊勢崎に住んでいる私自身、「境平塚」辺りの利根川と広瀬川が合流する広大な風景を始めて見た時はやはり感動し、写真を撮りまくりました(でも広大な風景の写真は後で見てもその時の感動が伝わって来ません。え?カメラの腕前のせい?)。
広く平らに流れる利根川、しかも地図を小縮尺でなぞると気が付きますが、伊勢崎の五料橋から妻沼町の刀水橋辺りまでは非常に中洲が多く変化に富んだ河川風景を見せてくれます。
広くて平坦なことは立体的な山水画のような風景は望めない代わりに、伸びやかでたおやかな雰囲気を与えてくれます。しかもそれらの地に車や自転車で気軽に訪れることができます。
熊や猪、猿、カモシカが出没する奥深い山もなく、土砂崩れする山や傾斜地もなく、洪水であふれる河もなく、宅地や工業団地を造成するにも整地し区画割して上下水道を整備すればほぼ完了。高い盛土や切土、それを保護する擁壁もほとんど不要で、せいぜい塀を作る程度。雪の日に立ち往生する坂もなく、そもそも降雪が年に数回。
難点と言えば夏の暑さ。最近日本一の暑さを記録することもたまにあって、でもコンクリートに囲まれた都会の暑さと違って、朝晩はそれほどでもなく、緑を増やせばそれなりに凌ぎ易くなります。
「変化に乏しい」と言うことは「障害が少ない」こととも言えます。
両方を望むのが贅沢ならば広くて平らな地形を価値ある財産としたいものです。
《その12》(2007/7/1掲載)
■まとめ■
伊勢崎市の市民性を探るためあれこれと述べてきました。
前橋、高崎、太田、桐生、県内主要都市の真ん中に位置する伊勢崎。
どの市へ行くにも同じ距離感。他県の本庄や深谷へも同様な感覚。
「自分の所になければ他所へ行けばいい」と自分の市への拘りが希薄。
普通科進学高や高級品ショッピングの市外への依存。
他市へ出向くことが自由感覚ならば周囲から企業や人々を迎えることに対しても寛容。
地形は他市に比べてほとんど平坦地で宅地や工業団地造成に好立地条件。区画整理を推進し工業団地を造成し工場やショッピングモールが進出。労働力として外国人も転入。そして県内屈指の人口増加と太田市に次ぐ工業出荷額。
現在も駅周辺区画整理、駅連続立体化工事、北関東自動車道の本線と側道の整備、伊勢崎PAとスマートインター、波志江沼環境ふれあい公園整備、伊勢崎東部ショッピングモール工事、伊勢崎ICの三和工業団地への企業進出・・・と、官民合わせた大型工事が進行中でどれも完成までには1年、5年、10年、あるいはそれ以上の期間を要します。
立体的地形や自然に乏しい代わりに華蔵寺公園や「市民のもり公園」を始め、大きくて立派な公園が実に多い。広瀬川、粕川、早川が街中を流れ、西から南を囲むように利根川が流れ、それぞれにサイクリングロードが整備されて流れも緩やかで川と市民が親しみやすい。
歴史に関しても明治以降の歴史やその遺産には乏しいものの、旧石器時代、古墳時代、弥生時代等のはるか昔の貴重な遺跡が数多く発掘されている。地形が平坦とは言え赤堀地区を中心に丘陵が多く、これらの多くが古墳である。
雑駁にまとめるとこのような感じですが、伊勢崎市は今大きな変遷期だと思っています。
過去において、周辺他市に比べて何となく自信がなく、その気質が「何でも受け入れる」、「いいものなら他所へも出向く」と言う柔軟性と謙虚さ、周囲からは敷居の低さとして受け取られ、それが現在の伊勢崎の成長へ大きく貢献したと思っています。
その伊勢崎市が、今成長をし続ける中で「伊勢崎市は顔がない、没個性的、文化歴史がないし節操がない」との批判を受けることがあります。そもそも自治体は多面性を有するもので、その個性を一人の人間の個性と対比して語ることは適切ではないと思いますが、基盤となる住環境や経済的環境を整備中の段階において、秩序や個性への過度の拘りは伊勢崎の現在の元気な魅力を減少させ、成長の流れを抑制してしまうと思っています。
このシリーズの8回目で「伊勢崎市の魅力は混沌の魅力」と書きましたが、混沌の魅力を現在の伊勢崎市の個性と考える訳には行かないでしょうか。
ながながとあれこれ書いてきましたが、以上で私の「伊勢崎市の市民性」についての意見とさせていただきます。最後までお付き合いいただいた方、どうもありがとうございました。
■ハイウェイオアシスと観覧車■
2007/5/2掲載 [
▲Top ]
今朝8:30からのTBS番組「はなまるマーケット」で全国のハイウェイオアシスを取り上げていました。GWの「遊び場」の視点での紹介でした。
観覧車や天然温泉のある刈谷ハイウェイオアシスを始め、高級トイレがある施設や舟下りが楽しめる場所、美味しそうなステーキを提供する街中レストラン顔負けのレストラン、新鮮野菜のスーパーマーケットのような店舗施設、その他全国22箇所のハイウェイオアシスの特徴などを紹介していました。
中にはこの場所で6時間も過ごしてしまったお客のインタビューもあり、既にここ自身が観光地化している様子です。
ハイウェイオアシスの共通条件として、ETC車専用のゲートを設けインターチェンジとしての機能を有すること(スマートインター)、地元の道路からも施設が利用できることを説明していました。
この番組を見た時に真っ先に思ったのが
「まさにこれが伊勢崎PAの目指すところじゃないか」
と言う事でした。北関東自動車道や上武道路からアクセスした人達が伊勢崎PAや周辺の様々な施設で楽しみ、「波志江沼環境ふれあい公園」を散策し日がな癒しの時間を過ごす。これが波志江沼と伊勢崎PA周辺の整備事業の初期段階の目的ではないでしょうか。
最終的にはこのようなプロセスを踏んで伊勢崎市の知名度を上げ、伊勢崎市が商工業や観光地として発展するための基盤的役割を担うと願うものですが、まずは広く多くの人々に知らしめる事が重要です。
番組を見て次に思ったのが、「はなまるマーケット」の前の時間帯の番組である”みのもんた”氏の「朝ズバ」が、この地に建設予定だった観覧車建設を批判し世論を煽ったことです。
同じTBSが伊勢崎市PAと一体化した波志江沼への観覧車建設を批判する一方で刈谷ハイウェイオアシスの観覧車を誘客の目玉として持ち上げる。
TBSの報道に於けるこの方針の違いは何なんでしょうか?今更ながらにマスコミ報道の理念の無さに失望してしまう次第です。
ことろで、不二家の誤報報道に付いては、”みの”さんが「朝ズバ」を通じて謝ったようですが、伊勢崎市の観覧車建設についても、その長期的な経済効果を把握する前に建設を中止に追い込む一役を演じた責任はないのでしょうか。
■既成市街地空洞化の原因を探る■
2007/4/15掲載 [
▲Top ]
伊勢崎市は区画整理事業を積極的に推進している事で全国的にも有名です。
その範囲は既成市街地と郊外と全域に渡っていますが、住宅密集地で1区画が狭く地権者が数多い既成市街地よりも、農地が主体で1区画も広くて地権者も少ない郊外の方が、その整備スピードは格段に速くなります。
区画整理を行うと区域内の各区画が整形され、道路についても十分な幅員が確保され、また雨水排水や上水道機能が整備されるのは当然ですが、区域内を通る主要道路も整備されます。これはその地域内の住民が便利になるだけでなく、通過者も便利になるので遠方の人も車で簡単に訪れることができます。この変化が大型店舗事業者が狙う主要因です。
一方、車社会以前の狭くて走行性が低い道路の区域が残されると、外部の車が入って来にくいので住民に取っては静かな環境が保たれる代わりに、その区域全体の活性化が鈍ります。
大都市の下町の商店街のようにバスや電車の公共交通網が完備し、住宅地も密集している場合などは歩行者のみで十分に賑やかな街並みを作れますが、車が足代わりの地方においてはこのような区域の店舗にはなかなか出向かないので、商店はお客の獲得に苦労します。
その問題が解決されない内に郊外の区画整理地内に大規模ショッピングモール等が出店すると、既成市街地の小売店舗は余程の特徴がない限り存続が難しくなり、最終的にシャッターストリートになって行く訳です。所謂、「既成市街地の空洞化」、「ドーナツ現象」と言われている現象です。
これは伊勢崎市のみならず、県内の主要都市においては、高崎駅周辺等の一部を除いてほとんどの市街地で言える現象で、理由を整理すれば下記のように簡単なことです。
●地方においては車社会が大前提である。
●車社会では集客のためには道路整備と駐車場確保が必須条件になる。
●既成市街地では狭い土地の地権者が数多く、個々人の要望を満足させるための調整に時間がかかる。
●元々1区画が狭いのでそれを寄せ集めても大きな面積にするのは容易ではない。
●既成市街地は郊外よりも地価が高く、移転補償費や買取価格も予算がかかる。
●広い面積確保が難しいので、十分な駐車スペースを確保するのも難しい。
●以上の諸問題に対して郊外においては全てが優位である。
伊勢崎市においては中央土地区画整理の遅いスピードとその結果としての沈滞、それに対して「西部モール」や「西友楽市」、「フォリオ安堀」等の郊外モールの賑わいがこのことを実証しています。それぞれ西部区画整理、茂呂区画整理、三郷区画整理の区域です。
それでは「郊外」であることが必須条件かと言うとそうでもなく、これも簡単な理由で
●道路が整備されていて広い面積がまとまっていればいい
ので、大きな工場や施設、学校の跡地等のまとまった面積が空き、周辺にそれなりの道路があれば、全く同一条件になると思います。伊勢崎市内で平和町の「伊勢崎ショッピングモール」と寿町の「寿モール」がオープンしましたが、それぞれ区画整理地内ではなく、両者とも伊勢崎駅に近い工場の跡地です。
このように話を展開しますと、既成市街地の空洞化を防ぐには、単に市街地の区画整理事業が開始された当時、全地権者が積極的に協力し合って早めに広くてまとまった面積を確保し、そこにモール的な集合店舗を再整備すればよかったのではと言う結論が得られます。どこにでも自由に駐車できる広い駐車場が必須なことは言うまでもありません。そうすれば昔のように郊外のお客さんが街中へ車で買い物に出向いたのではないでしょうか。
「それは早い話が元の住民に出て行けと言う事ではないか」
と叱られそうですが、実際、そのような判断も必要だったかと思います。結果的に、街中の商店を閉じて郊外に引っ越した商店主達もいますので、事前に対処したかやむを得ず引っ越したかの差です。
理屈的には住宅密集地で広い面積を確保し、同時に住居区域も確保するとなると、住居は高層化するしか方法がなく、実際伊勢崎市も市営マンションを2棟建てて、入居希望者の倍率が20倍近かったとかで好評を得ているようで、また、街中に民間マンションも建設中だったり計画されている物件もあり、都会型の市街地開発も進行しています。
集合型大型店舗が全盛なる一方で既成の街中商店街の沈滞が問題視されて久しいですが、昔のように郊外の客を街中へ集客したいと願うならば、車社会である事から当然導かれる結論に対して地権者等の関係者が何らかの対策を取らない限り、過去の後悔を繰り返すことになると思います。
■都民の選択■
2007/4/9掲載 [
▲Top ]
第16回統一地方選が終了しました。群馬県でも県議選があり、地元伊勢崎では定員5人に対し6人の候補者が戦い、結果は下記の通りでした。
久保田 務 民新 10,843 (14.5 %) 当選
原 富夫 自現 11,667 (15.6 %) 当選
田島 雄一 自現 12,896 (17.2 %) 当選
塚越 紀一 無現 11,921 (15.9 %) 当選
五十嵐清隆 自現 17,048 (22.8 %) 当選
井下 泰伸 無新 10,395 (13.9 %)
合計=74,770
当選者も落選者も僅差でした。
ところで気になっていた都知事選ですが、現職の石原氏が圧勝し再選されました。
吉田 万三 無新 629,549
石原 慎太郎 無現 2,811,486
浅野 史郎 無新 1,693,323
黒川 紀章 共生新党 159,126
身内の登用や公金の使い方、強権的な政治姿勢に対し、選挙戦中もメディアや他の候補者からバッシングを受けていましたが、結果的には圧勝でした。オリンピック招致問題で他の候補者全員が反対する中、一人積極的だったので「オリンピック選挙」と呼ばれた事もありました。「強者中心に回っている都政を一般都民の庶民感覚で見直すべき。オリンピックどころではない」と。
財政難に悩む地方自治体を尻目に一人勝ち的様相を呈する東京。過去何十年に渡り東京への一極集中が批判される中、益々加速する東京への集中。石原氏も私的サイトで「東京への集中・集積は歴史の必然」と明言しています。
今回の選挙は強者の理論で展開する都政に対し、都民自身が賛成したと理解しています。
実質的には浅野氏との一騎打ちだったと思いますが、浅野氏は立候補する経緯で堅固な意志が見えなかった事、石原批判が鼻に付き自身の明確な施策が伝わって来なかった事等が敗因と思います。
また吉田氏が唱えた「庶民感覚」は一個人としては理解し易いものですが、日本の首都として世界の東京としての現在の役割を考えた時、既に東京は巨大過ぎて、統括できないと考えています。
石原氏再選により、懸案であった環状線整備も促進し、オリンピック招致も積極的に取り組むことになるでしょう。また民活主導で超高層ビルの建設ラッシュが続き、商業・経済が活性化し、地価が再上昇しバブルが起きている状況も更に進むと思います。ここまで巨大マンモスのようになりつつある東京に対して、東京一極集中の批判論議は益々影が薄くなり、東京大地震等の天変地異でもない限り実態を伴わない議論になりそうです。
私自身、東京の会社に13年余り勤務し、その後伊勢崎へUターンしましたが、Uターン後も主要取引会社は東京の企業です。せっかくUターンし、できれば地元の取引だけで成り立たせたいと切望していますが、現実的には厳しい状態です。
でもその立場からか、東京の話題は地元伊勢崎の次に密接で関心があり、東京が元気な
理由を常々考えます。そして人々が東京に集まるのは、東京が政治や経済の中枢にあると言う理由だけでなく、単純に「魅力」があるのだと考えています。
区内の車の平均時速が18キロとの事で、石原都政もその対策に苦慮していますが、それでも人々は東京へ集まります。街のど真ん中の2車線の道路を平均時速40キロ以上でさっと通過できる地方都市は話題にもなりませんが、6車線もありながら渋滞でイライラする東京の道路事情は話題を越えて活性度のバロメータであったりします。
間口が数mしかない鉛筆ビルが隙間なく建ち並び、敷地が十数坪の家が軒を連ねて並び、日照権と無縁な住宅街を歩き、私鉄の高架橋の下に迷路のように密集している店舗街を見ると、地方の人はたいがい「こんな所に住みたくない」と溜息を付きますが、それでも東京には住み続けたい理由がある訳です。それが東京の魅力なのだと思います。
「参加者が少ないお祭り」や「誰もいない遊園地」、「来場者の少ないコンサート」、これらを「独り占めができて良かった」と喜ぶのは少数派なのです。人々は単純に賑わいを求め、元気を求め、自身から渋滞や人込み、都会の喧騒を選ぶ傾向があると思います。
今回の選挙は、そんな東京都民自身が「庶民の東京」よりも「元気で強い東京」を願った結果だと理解しています。
■悲しい司会者(観覧車問題に際して)■
2007/4/4掲載 [
▲Top ]
昨夜(2007/4/3)、納豆のダイエット効果で捏造番組を制作した関西テレビが約70分の時間を割いて謝罪し原因の検証を行いました。孫請け制作会社は「視聴率のために捏造やデータ改ざんに手を染めた」と証言。
群馬県の前橋駅で起きたオートバイの集団暴走も「日本テレビ」が誘発したとして番組の取材スタッフが群馬県警に取り調べを受けているようです。
またTBSの「朝ズバ」も不二家報道で捏造疑惑があり、不二家も本格的に提訴を検討する方針のようです。
みのさんの「涙の夕張レポート」でも事実と程遠かったようで、番組の取材に協力した夕張市立総合病院アドバイザーがみの氏に怒りをぶちまけ「誤りを認めない場合適切な対抗措置を取り続けます」とのことです。
昨年秋頃からこの2月にかけて、当地伊勢崎市の観覧車建設問題に対して私の知る限りNHKとテレビ東京を除く全局が批判論調で報道しました。その論調は「ハコモノ行政はけしからん」、「税金のムダ」、「取材を拒否する伊勢崎市」、「夕張市の二の舞になるぞ」のようでした。
画面には反対住民の涙や興奮する状況を扇情的に映し、一方で取材を拒否して去って行く伊勢崎市長を映しました。「正しい反対住民、悪者の伊勢崎市」のシナリオがあからさまでした。
この建設に付いては当該地が幹線道路網の要衝に変貌しつつあり、伊勢崎市はこの地を新たな玄関口として捉えて、ランドマーク的な建造物として観覧車を計画した経緯がありますが、たったこれだけの事実をどの民放も報道しませんでした。番組を見ながら、事情を知らない全国の視聴者が単純に報道内容を信じたとしたら伊勢崎市民として余りに悲しく情けなく、私も微力ながらこのサイトのそこかしこで記事にし、TBSと日本テレビに対して「客観的で公平な報道を願う」との意見文を送りました。
これらの騒動が加熱し、総務省は「住民反対がある事業への合併特例債の適用は好ましくない」とのことで、伊勢崎市は合併特例債務の申請を取り下げ、観覧車建設は実質中止に追い込まれまたようです。
伊勢崎市が民放の取材拒否をする理由については、伊勢崎市の郊外の区画整理事業に対してある民放が数年前に報道した内容が余りにも偏重で作為的であったことが原因のようです。詳しくは別の機会に譲りますが、その事で伊勢崎市は民放に対して不信感を持ち続けているようです。今回も民放各社はその経緯を報道せず、単純に「取材拒否」と報道しました。
これら視聴率狙いの捏造や作為的な番組の事を聞くにつけ、いつも思うのはその司会者の立場です。
堺正章氏や志村けん氏、みのもんた氏、皆さんトップクラスの有名人です。その知名度と人気を武器にオーバーアクションで扇動的に報道されては、多くの視聴者がそのままに信じてしまい、取り返しの付かない被害を与える場合もあります。
報道番組とは言え台本があって多少の演技もあるのでしょうが、最近はNHKのように事実のみを淡々を読み上げる司会者や、テレビ東京のビジネスニュースのような番組の方が安心して見ていられます。
蛇足ですが、私が民放二局に対して年末年初に送付した意見文に対しては、未だに何の返事もありません。