ネット社会の功罪
2007/2/28、2007/3/5掲載 [
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(この記事は、「管理人の独り言」に2月28日および3月5日に掲載した記事を再編集したものです。)
先月来、二人の伊勢崎市議のHPやブログの掲示板で観覧車建設関係の掲示板が紛糾していました。
そこでは建設反対者の多くが論拠が不十分にも関らず、主観的な意見を断定口調で展開し、次々に市議に質問を浴びせていました。そして勝手にぶつけた質問であるにも関わらず早急に回答を求める自己主張。市議のHPやブログが私設であることを認識していれば、それらの質問に答える職責がない事は
簡単に理解できることですが、全ての質問と回答を迫る権利があると錯覚しているのか、半ば脅迫じみた口調で繰り返し問い詰めていました。
両市議は忍耐強く適宜回答していましたが、市議と言う職務の大変さを垣間見た気持ちです。
その掲示板の読後感は問題の本質を見極めようとする気持ちより先に、徒労感や疲労感が先行しました。
発言者の拠り所とする観点や背景、価値観など多くの事柄が異なっていて、その結果、観覧車建設に反対であることは各自の自由だとは思いますが、社会人同士が対話する時の最低限のマナーは守るべきだと思っています。
相互の顔も見えず、声も聞こえないネット上での会話においてはなお更求められる事です。
その後、片方では主観的な意見を執拗なまでに繰り返して掲載し、議員を追及し続けていたある人が、それをたしなめる他者の意見を受け入れてか、自分の非礼を詫び落ち着き、本人の希望でその間のやり取りは削除されました。
もう一方では、複数の意見が取り交わされる過程で、反対運動の引き金になった地元住民も登場し、
「地元の反対→署名運動→複数の団体が資金援助→マスコミの取材攻勢」
等の経緯が明らかになりました。
今回の伊勢崎市の観覧車建設計画に対して民放が一斉に取り上げましたが、その内容は
「ハコモノ作りを続ける地方行政→税金のムダ、夕張市との対比議論」
に始終し、今回の建設の全体計画を調べればその報道内容がいかに偏ったものであるかが分かりますが、地元住民の掲示板への登場によりそれらの謎が少し判明しました。
私も当初は静観していましたが、面白半分や主観的過ぎる意見、情報量不足の意見、マスコミを鵜呑みにした意見等、また、それ以前に匿名掲示であることによるネットマナー不足の無礼な意見、これらの状況に静観している訳にも行かず、適宜意見を述べさせていただきました。
誰もが何でも自由に発言できるネット社会の功罪とそれを利用し取捨選択する我々の姿勢が問われます。
「日曜討論」・格差
2007/2/26掲載 [
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昨日、NHKの「日曜討論」を聴きました。
「格差」を話題として取り上げていました。
東京と地方の格差、大企業と中小零細の格差、富裕層と貧困層の格差等について、与野党責任者や大学教授、大企業の経営者が語りました。そこで、大企業と中小企業の労働分配率、ニートや就職氷河期の就職弱者達の救済、教育の再生、最低賃金の引き上げ議論等が行われました。
番組を聴きながら、それぞれが主張する発言内容を理解はできるものの、何か実感が伴わない違和感を覚えていました。後で冷静に考えてみると、その原因は現在の景気回復の実態が明らかにされなかったためだと分かりました。
現在の景気回復は構造改革の成果もあるでしょうが、主たる原因は輸出に依存した景気、一過性として中国の北京オリンピックに刺激された一部の業界の好景気だと理解しています。しかも輸出は自動車や家電などの特定産業に限られ、全体の産業が景気回復している訳ではありません。その家電業界でさえ、価格競争のために国内生産施設を次々に閉鎖・縮小し、冷え込んだ国内雇用を回復しているのでしょうか。自動車業界においても、何万人とリストラした大手企業は、再び国内雇用を促進する力を得たのでしょうか。
簡単に言えば景気がいいのは外需で潤ってる一部の企業、それを取り巻く関連企業だと考えています。
構造改革の成果に付いても、「大」が「小」を切り捨ててシェープアップしただけで、切り捨てられた「小」達を弱者に追い込んだだけです。
切り捨てられた企業が自力で再生できれば問題ありませんが、簡単に転換などできません。急に外需型企業になれる訳はなく、またITやファンド等のニュービジネスを簡単に興せる訳でもなく、ひたすら内需の回復と拡大を待つしか道がありません。
そんな企業に身を置く者として、今回の日曜討論の展開は別世界の話のようでした。
観覧車建設に賛成意見
2007/2/18掲載 [
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最近、某伊勢崎市議(*)のHPで観覧車話題が白熱している事を知りまして、そこの掲示板にコメントを掲載しました。以下、その文章です。
(*)「某」の表記はご本人様への利益不利益が判断できないためです。
◆ ◆ ◆ ◆
私は観覧車建設に賛成です。その根拠は当該地が向う数年で幹線道路網の要衝に変貌しつつあると言う事実です。具体的に下記列記します。
●北関東自動車道(太田ICまでを整備中)
●上武道路(高規格道路。現在渋川まで延伸工事中。将来全線の完全4車線化。上沼と下沼の間を通過)
●国道462号(4車線化整備中。上武道路近辺は完成。沼の東方約2キロ)
●国道50号(バイパス計画進行中)
●北関東自動車道の北側側道(県道として整備中。一部開通)
●伊勢崎IC(太田ICまでの開通に合わせて整備中。三和工業団地内に継続的に企業進出)
●伊勢崎PA(スマートインターとして沼南端直近に整備中。盛土工事完了、現在埋文調査中)
このように当該地周辺では半径2〜3キロ内に国道3本と高速道路1本、県道1本、またICやPAを整備中です。このように幹線道路や関連施設が近接する区域は県内外に於いても比類なく、その整備が向こう数年間で一段落します。交通路整備が区域の発展に及ぼす影響が多大である事は過去の歴史を鑑みても自明の理で、今後この地域も大きく変貌して行くでしょう。
交通路整備に面的整備が伴えば更に強固になり、周辺では前橋城南工業団地、三和工業団地が企業誘致中です。商業地・住宅地としての大規模整備計画情報は掴んでいませんが、伊勢崎IC近くの上武道路脇に太田イオン同規模の大型店舗が進出すべく現地で現在埋文調査中です。
これだけの大規模幹線道路の要衝として変貌しつつあるこの区域に何らかのランドマーク的建造物を計画する事は歓迎すべき事業として考えています。分かり易く説明すれば、当該地の観覧車は区域全体の玄関アプローチ作りです。ドアがあれば玄関機能は満足しますので花壇や装飾物がなくても事足りるのは個人住宅と同様ですが、これらの設置は個性化要素です。誘客を狙うならばアミューズメント性の施設は必須です。
華蔵寺公園の現観覧車の老朽化や合併特例債起債の是非、観覧車の単独採算性等の話題は議論を白熱させるだけで、これらに対して正解を与える事前の科学的・工学的評価は不可能だと思います。現在の賛否意見の中でも、相互を糾弾する感情的ニュアンスは伝わって来ますが根拠付けが薄く、意見を述べている人達自身にもその不確実心理があるのか、それがまた新たに感情を刺激しているようです。これらはお互いの徒労感を招く効果は大ですが建設的な進歩への寄与は少なく感じます。著名なシンクタンク等に依頼すれば工学的に根拠付けされた報告書を得ることができ、それは興味ある対象となりますが、過去に、他県他市の街づくり基本計画案がどのように作られているかの情報を多少得ている体験からすると、そのコンサルタント費用対効果には疑問や不安を持っています。
行政側の説明責任や事前評価義務責任は問われても、客観性や先見性、公共的観点、正確さ等が欠けた住民運動が後に禍根を残す損失を招いたとしてもその責任は過去において問われた事例を掴んでいません。官側や政治家は「公人」として常に責任を問われますが、住民運動は「一市民」として保護されます。これは現在の住民運動の一つの欠陥として認識しています。住民運動に対しても公共的、客観的で長期展望に立った意見を求めたいと願っています。
以上、私の賛成意見です。紛糾した話題に対してこのコメントで全てを伝え切った気持ちはなく、また反対者の皆さんを説得する気持ちもありません。例えば「観覧車1つで誘客になるのか?」「観覧車の単独採算性は?」「税金のムダ遣いではないか?」「住民合意を得たのか?」「華蔵寺公園の観覧車の老朽化問題は詭弁ではないか?」、これらの糾弾理由は的を得た疑問ではあると思っています。ただ市側の計画と論点が異なっています。この計画は観覧車単独の誘客も採算性も見込んでいないし、あくまで拠点のランドマーク、道路や関連施設を利用した活性化への複合効果期待です。費用に関しては660億円の新年度予算を計上した伊勢崎市に取って10億円(内3億円)の公共投資がどれだけムダ遣いなのか私には検証できず、また既述の私の意見が正解である自信もありません。正解は今後数十年の当該地が回答してくれると考えています。地方行政と住民運動との紛糾事例として、今後の成り行きを静観したいと思っているのが率直な心境です。
最後に繰り返しますが、私の賛成根拠は
「当該地が比類なき規模で幹線道路網の要衝へ変貌しつつあること。
その区域を中心とする今後の発展のランドマークとしての観覧車の位置付け」です。
「景観まちづくりシンポ」に参加して
2007/2/15掲載 [
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昨日、伊勢崎市文化会館で「景観まちづくりシンポジウム」が開催されました。
小林亨氏の基調講演「風景浴のすすめ」で自然景観の様々な接し方・楽しみ方の話を興味深く聴きました。五感のそれぞれの感覚を非常に具体的で繊細なレベルな例を取って説明され、聴き終えた時に自分が自然浴をして来たかのような感覚に浸りました。例えば神社の砂利や土手の土の感触を足裏で感じ取ること、春先に野山に降り注ぐ雨が土や木々を濡らして行く温かい雨を感じること等、自己体験を思い出しながら心地よいイメージをしながら聴きました。雨一つを取っても、春雨、慈雨、恵雨、夜雨等色々な「名雨」があり、名水の楽しみ方も然りで、日常の風景が豊かに幅広く広がって来るようでした。
印象に残ったのは、物を味わうのに五感味の他に「知味」がある事でした。「知味」とは個々人が人生で得た様々なレッスンによって味わう事で、例えば作法や知識等がこれに当るのでしょうか。「学べばまた深くなる」と言うことだと思います。その人自身が天性として持っている感性で感じる味わいは五感味でしょうか、それとも「知味」でしょうか。
他の話題で八景式風景観賞方法や視点場の事、自然の音は言語脳である左脳で感じる事、「良い」匂いはアルファピネン系である事等など、今後の個人的な興味の対象が見つかりました。
この後、5名のパネラーと「伊勢崎市の景観について」のパネルディスカッションがあり、各パネラーの景観との関り、考え方等を聴く事ができました。皆さんが現存する古い建築物(伊勢崎駅舎や境町のレンガ建築物等)や自然景観(田園や自然)を保全して行くべきとの考え方を話していました。武蔵野の平地林を見慣れた鈴木氏が伊勢崎には平地林が少ない事を話され、私も日頃同様に感じていたので共感したりもしました。各パネラーの皆さんが、いかに日常的に周囲の自然や建築物に温かい思いを寄せているかが伝わって来ました。
ところで、現在は伊勢崎市に限らず多くの地方都市は街の活性化のために商業化、工業化、観光化を計画しています。その底辺には人口増の期待もあります。観光化は少し立場が異なると思いますが、商業化、工業化、人口増加計画等に付いては既存の田畑や自然区域を工場や店舗、住宅等の用地に変えていく必要があります。今回、「美しいせさき景観計画」が策定されるようですが、伊勢崎市が経済的に自立できる自治体を目指すときに、「商業化、工業化、人口増加」は必須の事と考えていますので、「活性化の方針と景観保全の姿勢との調整」が今後の課題なのかと思いました。昨日のパネルディスカッションで時間があれば、この事に対する小林氏始めパネラーの皆さんの意見を聞いてみたいと思いました。
財務諸表とキャッシュフロー(不況時の投資)
2007/2/15掲載 [
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今朝のTBS「朝ズバ」で財政危機の岸和田市を取り上げ、司会者が「(岸和田市は)財務諸表を読めないのじゃないか」と語っていました。会話の流れで言ったことなんでしょうが、ちょっとキツい表現ですね。財務諸表を読めない自治体はないと思います。
以下、浅学ながら自身の体験上の話として読んでいただければと思います。
私も、財務諸表とキャッシュフローは企業や行政体において経営状況を確認する時に重要な両翼だと思っています。自分でも小さな会社を経営し20年が経ち、その間、常にこの2つに一喜一憂しています。財務諸表はその組織における過去のある期間の「成績」で、学校の期末の通信簿のようなものです。キャッシュフローは簡単に言えば資金繰りです。どちらも重要で無視することはできません。
ところが、これらはあくまでその組織のその時点の経済力を把握するものであって、個性や事業への意欲、将来への姿勢等を見出すことはできません。特に財務諸表では「今期が悪かったからもうダメだ」と諦める必要もないし、「今期が良かったからずっと安心」することもできないものです。今後どのように開拓していくか、展開していくか、これらの意図は財務諸表やキャッシュフローには現れて来ません。分かり易く言えば「現在所有する資産が豊富でキャッシュの流れも健全なこと」が優秀な組織で、金融機関や官庁から高い評価を得ることができます。
現在、地方経済は長引く不況からなかなか脱却できず、誰しもが健全な財務諸表やキャッシュフローに守られて安心したい心境だと思いますが、守りの姿勢ばかりでは将来展望が開けずやがてはジリ貧状態に陥ると思っています。「投資しないで金儲け」をすることは誰しもが願う事でしょうが特別な才能や幸運に恵まれない限り不可能です。奇跡は起きません。保守的な姿勢が脚光を浴びているご時勢ですが、経済状態が厳しい状況においても将来展望を見据えた次なる投資は必須の事だと考えています。
余談ですが、昨夜のテレビ東京の経済ニュース番組で、東京では1時間1万円のIT系派遣社員も現れたと報道していました。1ヶ月160時間労働で月収160万円です。うっかりすれば地方の労働者の年収です。しかも企業側は正社員や派遣社員の争奪戦のために、あれこれと人集めの福利厚生、教育企画を取り入れて確保に躍起になっているとのことです。
東京は次々に投資を続け、今地方に対して一人勝ち状態です。「攻撃は最大の防御なり」を実践しているかのようです。10倍の賃金差があるとなると、地方の優秀な人材も「やっぱり東京」と東京へ流出してしまい、益々格差が広がります。
「不況時代の投資」は難しい課題ですが、真剣に考えて行きたいものです。
観覧車建設問題を考える
2007/2/14掲載 [
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今回の観覧車建設問題を契機に個人的に下記の課題を掲げ、考えてみました。
●「ランドマークが持つ誘客効果」
●「観覧車建設の投資(費用)対効果」
1.ランドマークが持つ誘客効果について
まずは適切な論文でもないものかとインターネットのGoogle検索で「ランドマーク 誘客」のキーワードで日本語ウェブを検索したところ642件見つかりました。
上位100件の発信元をざっと確認しますと
・国土交通省 → 7件
・都道府県 → 19件
・市町村 → 17件
・観光協会や外郭団体、新聞社、街づくり組織等 → 34件
・その他 → 23件
でした。
概要を斜め読みし、大別しますと
・既にある観光名所をランドマークとして位置付け、誘客を促進。
・ランドマークがない地域では新たに発掘あるいは施設を建設し誘客を促進。
と言った内容です。
観光名所とは概ね温泉、名山、名勝・景勝地、城、文化歴史資産、自然等です。
最初に断わっておきたいのは、今回話題となった波志江沼におけるランドマークとしての観覧車の意義について語るとき、各自が持つべき最も重要な共通認識として、当該地域を含めた半径4〜5キロの範囲が幹線交通網の要衝に変貌しつつあると言う事があります。道路網の事業者は国や県が主体で、これらの事業内容は情報公開されていますのでここでは言及しません。また実際に現地近辺を訪れればその動きを自分の目で確認することもできます。
この共通認識があると言う前提で伊勢崎市の発展を考えた時、当該地域の特性を利用して当市を内外にアピールしようとする行政方針は全く当然のことと考えています。この伊勢崎市の方針は上毛新聞で平成11年10月22日に報道されています。
1.1 伊勢崎市におけるランドマーク
ここで当市に既に存在するランドマーク的な候補を探してみます。着眼点は「温泉、名山、名勝・景勝地、城、文化歴史資産、自然等」です。
【温泉地】
民間の温泉施設が3ヶ所あります。古くから営業している「五色温泉」と数年前に開業した「湯楽の里」と「やすらぎの湯」です。
他にも温泉ではありませんが、「スパ銭」と呼ばれる民間施設がいくつかあります。
【名山】
「日本百名山」のような有名な山はありません。上毛新聞社発行の「群馬の山」をはじめ登山用ガイドブックに掲載されている山は見当たりません。
ただし東方から順に「吾妻山」「男体山」「袈裟丸山」「赤城山」「上州武尊」「子持山」「小野子山」「三国連峰」「榛名山」「浅間山」「妙義山」「八ヶ岳」「西上州の山々」「奥秩父」「埼玉北部の山々」が遠望でき、南東部(東京方面)に山がないだけで、高い場所に上れば、山々の大パノラマを遠望できます。
【名勝・景勝地】
私は個人的に気に入ってる場所がそこかしこにあり、当ホームページの「今日の風景」や「公園」、「里山」にもいくつか掲載していますが、いわゆる観光地として多くの客が集まっている場所は余り見かけません。
【城址】
「赤石城址」、「天幕城址」があります。
「赤石城址」は子供の頃の記憶では伊勢崎駅の南西の住宅地のどこかに石垣程度のものが残っていたような記憶があります。現在の状況は不明です。
「天幕城址」は「小菊の里」と「磯沼公園」に隣接し、城址と言うより蓮園として集客しています。城址には地形に名残を留めているものの、構造物的な物は見当たりません。
【遺跡】
伊勢崎市は古墳群で有名です。当ホームページの「遺跡と古墳」でも順次紹介していますが、現在、いくつかの古墳公園があります。
考古学的に貴重で有名な遺跡としてお富士山古墳の石棺や上植木廃寺等があります。お富士山古墳の石棺は現地でも見ることができますが、上植木廃寺は現在住宅地なので当時の姿をイメージすることは難しいと思います。
【文化遺産】
真っ先に思い浮かぶのは「島村養蚕農家群」です。世界遺産に登録という活動もあったようです。利根川の飛び地側であると言う地理的条件、交通網の整備状況、それと地元住民に取って日常の生活の場であること等が課題でしょうか。
他には埋蔵品の保管展示で有名な相川考古館や明治時代の木造建築である「黒羽根医院旧館」、その他いくつかの古民家が市内に散在しています。
ただ、規模や駐車場等に関して一ヶ所で大勢の集客を見込めるに十分な場所は見当たりません。複数の場所をリレー訪問として紹介すると言う手段もありますが。
【自然等】
遠望できる山々を除けば、赤堀地区を中心とする丘陵地帯、広瀬川、粕川、早川、韮川等でしょうか。
ここで、上記には分類できませんがランドマーク的な場所として集客している場所を探してみます。
やっぱり筆頭は「華蔵寺公園遊園地」です。市内をブラリ旅していて多くの人が集まっている公園は「華蔵寺公園」と「市民のもり公園」です。
「華蔵寺公園」はスポーツのイベントがある日、桜とツツジの時期、夏のプールの時期には周囲の駐車場が不足するほど賑わっています。
他の場所では例えば「あずま産業祭」や「あかぼり欅祭り」、「小菊まつり」のようにイベント開催時には多くの集客を得ますが、定常的な集客は見込めません。
単純に「集客」と言う観点で見ますと、「伊勢崎西部モール」が筆頭だと思います。
市内の風俗街を除き深夜まで多くの集客を得て、また休日には地元で「ベイシア渋滞」と呼ぶほどの混雑を見せるのは、西部モール地区のようです。全ての来訪者が食事や買い物、映画等だけではないでしょうから、何かのアミューズメント性を感じて訪れているのかも知れません。
以上、現在の伊勢崎市内に既に存在しているランドマーク的なものを探してみました。
1.2 新たにランドマークを発掘する
1.1で既に存在する市内のランドマーク的な場所・物を探してみました。
個人的には「はちす権現山遺跡」や「華蔵寺裏山古墳」、「原之城遺跡」など遺跡や古墳で伝え切らなかった気持ちが残りますが、全体のバランスを考えるとそればかりに囚われることもできません。
他に無形文化財的なもの、例えば各地で継承されているお祭りなどがありますが、一年に一度ないしは数度であることと、例えば「青森ねぷた祭り」や「札幌雪祭り」、「岸和田だんじり祭り」、「阿波踊り」のような大規模での集客は見込めないことなどにより対象外にしました。
また伝統芸能や工芸、職人技術等においても定常性、規模、施設整備度等の集客能力の観点から、これぞと言うものが見当たりませんでした。
それではここで今回の話題の内の「新たにランドマークを発掘する」について考えてみます。
1.2.1 建造物について
まず伊勢崎駅舎や新伊勢崎駅舎、鐘楼、旧黒羽根医院、両毛線のレンガアーチ群、等があります。
駅舎については、例えばデザインや歴史、大きさ等で十分な風格を有す「東京駅・丸の内駅舎」のようであれば外側だけを温存して内部を機能的に再整備する事も考えられますが、20万都市の駅として駅周辺の立体化を整備中の現時点では、温存への過度のこだわりや公共投資は財政を圧迫する事になると考えています。と言って前橋駅や桐生駅のように画一的なデザインの高架駅と言うのも味気ない気がしますので、民間資金力で移設や再利用の計画があればいいのですが。
旧黒羽根医院は今では「いせさき明治館」として常時利用されています。
両毛線のレンガアーチ群は多分その存在を知っている市民はごく一部なのではないでしょうか。当ホームページの「画像で紹介」-「伊勢崎のコトなら何でも」に数枚掲載してありますが、伊勢崎駅東西のJR両毛線が小河川を跨ぐ橋にははレンガアーチ橋がいくつかあります。位置的に目立たない場所であること、小規模であること等が課題です。「うすい第三橋梁(通称『めがね橋』)」のようであればいいのですが。
鐘楼は現在北小の前に保存されていて、当ホームページの「画像で紹介」-「今日の風景」にも掲載してあります。
これらはどれも貴重な歴史資産で、休日に市内をぶらり旅をする時には何回も立ち寄っていますが、改まって見学している人達に出会ったことは少なく、大規模集客能力は不十分と考えています。富岡製糸工場のような場所があればいいのですが。また桐生市ではノコギリ屋根の工場群に着眼しているようです。
建造物で最近頭に浮かぶのは「伊勢崎駅の南西のお寺群」です。
伊勢崎駅南西には多くの寺院が近接して存在しています。赤石城との関連があったのだと思います。城を守るための戦法上の策だったのか道路が狭くて車は通りにくい状況で、碁盤の目状に整備された京都のようではありませんが、道路に手を加え、洒落た土産物屋、割烹、甘処、和風カフェ等が立ち並んでいれば、ちょっとミニ京都の風情です。広瀬川の借景もできます。各寺院の意向が重要です。寺院の区域が賑やかになるのは好ましくないと言う考えもありますから。
1.2.2 自然について
「境南部の河川風景」や「赤堀の丘陵群」があります。
境南部は広瀬側や粕川、韮川が次々に合流し、最終的には利根川へ合流する広々とした伸びやかな風景です。これらの河川は街中を流れている時には人口護岸や防護工等が目立ちますが合流近辺ではそれらは陰に隠れてしまいます。現在はサイクリングロード、あるいは徒歩でしか楽しむことはできません。ただ個人的には気に入っていますが、多くの方の興味をそそるかと言う問題と、河川敷を利用するとなると河川管理者が県や国なので、調整が難しそうです。
「赤堀の丘陵群」には現在でも公園化されている場所もありますが、荒れ果てています。周囲は田園風景で人家も少なく、今のままでは物騒な雰囲気です。ただ、周囲が田園のためかゴミが不法投棄されている場所は少ないです。特に集客のための駐車場を整備している訳でもなく、休日にサイクリングしていても人と行き会うことは皆無に近く、現在の状況では広く関心を集めるのは難しそうです。前橋の大室公園のように整備すれば、多くの集客を得るでしょうが。
駐車場、頂上までの遊歩道、頂上の展望台、頂上からの渓流、近接する丘陵までの散策コース、そこかしこで咲く四季折々の草木や花、何箇所かの甘処、休憩所、食事所、とこんなイメージを浮かべています。
これらの場所は個人的には度々訪れていますが、ほとんど人と行き会わない事から多くの関心を寄せるかどうかが大きな疑問です。
1.3 新たにランドマークを建設する
1.1および1.2で観光名所(温泉、名山、名勝・景勝地、城、文化歴史資産、自然等)に着眼し、既に存在する伊勢崎市のランドマークを探してみました。
ここでは、「新たに建設するランドマーク」について考えてみたいと思いますが、最初にランドマークに付いて意味合いを再確認してみます。
都市の形状的な構成要素は点、線、面の二次元的要素に高さと言う三次元要素を加えれば説明できます。
●「点」はビルや住宅、施設等の建造物や交差点、駅等です。
●「線」は道路や川、水路、鉄道の線路等です。
●「面」は住宅地や商業地、田園地帯、丘陵地帯、山岳地等の区域です。
沼や公園も小さければ点ですが、広大な広さならば面です。橋は橋長が1キロもある坂東大橋ならば線でしょうし、数メートルならば点です。これらに構造物の高さや土地の標高を加えれば、全ての形状を定義できます。都市の形状的定義は以上の通りですが、これだけでは都市の特徴や個性を説明できません。
この特徴や個性を創出し、内外に主張できるのがランドマークの役割だと考えています。その形態は点、線、面、これらの組合せ等、自由な形を取ります。
ここで、ランドマークのウィキペディアの定義を要約します。
「ランドマークの元来の意味は、そこに戻ってくるための目印とする地理学上の特徴物を指す。モニュメント、特徴のある建物・構造物のような、容易にそれと気づくことの出来るようなもの。
ランドマークは方向を見定める手軽な道案内としての役割もあるし、その都市のイメージを決定付けるものとして重要である。どこまでも同じようなビルの続く街では人間は方向感覚を失い、その印象も残らない。
ランドマークはその都市の顔であり、住民に親しまれるとともに、来訪者に強い印象を与える。必ずしも高層建築や新しいものばかりでなく、自然物やその地域の歴史を感じさせるもの、地域の特徴的な存在も含まれる。」
この説明の中でキーワードを拾ってみます。
・目印 ・特徴物 ・モニュメント ・容易にそれと気づく ・道案内
・イメージを決定付ける ・都市の顔 ・住民に親しまれる
・来訪者に強い印象 ・地域の特徴的な存在
この中で概ね誰しもが共通に判断できる項目とそうでない項目を分けてみます。
■概ね誰しもが共通に判断できる項目・・・
目印、特徴物、モニュメント、容易にそれと気づく、道案内。
■そうでない項目・・・
イメージを決定付ける、都市の顔、住民に親しまれる、来訪者に強い印象、地域の特徴的な存在。
この「そうでない項目」についてが感覚的な分野なので科学や工学的なアプローチで説明しにくい項目です。感覚には表面感覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚のいわゆる五感と心象形成を図る感性(第六感)がありますが、五感については個人差があるものの大体分かり易く、悪臭・騒音・大気汚染・土壌汚染などの都市の環境問題でも概ねデジタルで判断を下せます。
問題は第六感で、これが個人差が大きく画一的には説明できません。しかもこれによって今回のように賛否が分かれる事がしばしばです。
趣味、嗜好、性格、信念、理念、モラル感、金銭感覚、美的感覚、宗教、生き方、知識の量や認識力、これらを司る頭と心が関連し、その判断によって善悪、上下の区別もできませんのでこれが民主主義の難解な課題です。
ある人には「是非欲しい物」が他者には「そんなガラクタ要らない」とか、
ある人には「芸術」でも他者には「醜悪、陳腐」の場合もあります。
骨董品や抽象画などは顕著な例です。私が気に入っているスペインのガウディ建築もその代表例だと思います。個人資産で行う場合には自分の考えで実行できますが、公共事業となると民主主義に則るのでこの点が壁なのではないでしょうか。単純に「そんなもの要らない」と言う意見でさえ一つの権利です。
以上、ランドマークは「都市の特徴や個性を創出するもの」と説明しました。実際、全国の多くの自治体がランドマークを発掘あるいは創出し、誘客を促進しています。ランドマークの選定時に時に厄介な存在になる個々人の第六感については一旦話題から下げまして、ここで国内のランドマークとして有名な例を挙げてみます。
●山:函館山(函館)、六甲山(神戸)
●タワー、展望台:東京タワー、通天閣(大阪)、神戸ポートタワー
●橋:レインボーブリッジ(東京)、横浜ベイブリッジ、明石海峡大橋 、本州四国連絡橋
●超高層ビル:東京都庁舎、横浜ランドマークタワー
●城:大阪城、名古屋城、姫路城、熊本城
●その他:東京駅、東京ドーム、大観覧車(横浜)、札幌時計台、TDL
どれも自然や構造物です。祭りや芸能・文化行事は定常性がないので除外しました。中には年1回の行事で1年分の観光収入を得るものもあるかも知れませんが。
これら全国のランドマークを見ますと、作ることが不可能なな山、国家的事業であった架橋工事、歴史がなければ意味がない城、各自治体で巨額の予算を掛けて建造してきた構造物、民間活力で建設した巨大な施設等に分類されます。
伊勢崎市を眺めたとき、これらに匹敵する自然や構造物は見当たりません。当テーマの「その2、3」で市内に既に存在する有形無形物からランドマークの候補者を考えてみましたが、そのどれもが集客力に関しては強力ではありません。
この状況で新たなランドマークを考えてみたいと思いますが、テーマパークや遊園地、レジャーランドが地方で成功している例も少ないので除外します。また、伊勢崎市は福沢一郎氏の絵画をたくさん所蔵しているのでそれらの常設美術館は魅力的ですが、これら美術館や文学館、また博物館や科学館等のアカデミックな施設も広く大衆を常時集客する施設ではないと思われますのでこれらも対象外とします。これらはランドマークとは別の観点で検討する施設だと思っています。
残されるのはモニュメント、展望台、タワー、超高層ビル等ですが、超高層ビルは20万都市では需要の関係で成立しないと考えます。
全くの笑い話で聞いていただいて結構なのですが、私は個人的に次のようなアイディアがあります。それは
「桐生市のどれかの山を丸々一ついただいて、伊勢崎のどこかに新たに山を作ります。その山は頂上までの道路があり、途中数箇所と頂上には展望台があり、頂上にはレストランやカフェ、日帰り温泉等があり、雨水を1箇所に溜めて沼を造り、そこからは渓流が流れます。麓からはいくつかの登山コースやハイキングコースもあり、岩登りを楽しめる場所も作ります。頂上からは全周の夜景を楽しめて、中腹には峠の茶屋のような店もあります。頂上には広い芝生広場もあり、野外ステージなどもあります」
桐生市は山が多く、宅地でも工場用地でも常に造成費用がかかります。人口減少の1つの原因だと思っています。2つの市に取って一挙両得のプランです。
少し話が漫画チックに脱線してしまいましたが、消去法で探して行きますと、当伊勢崎市でランドマークに相応しいものを探すのは相当に難しい課題ですす。
1.4 新たなランドマークとしての観覧車の特性
ここではランドマークに必要な要素に対して観覧車が適合するかどうかを検証してみたいと思います。
●周囲から見渡せること。端的に言えば高いこと。
例えば山頂や城、高層ビルや高いモニュメント。実例では横浜ランドマークタワーや東京タワー、六本木ヒルズ、通天閣(大阪)、神戸ポートタワー。地元では群馬県庁や高崎や太田の市庁舎、華蔵寺公園の観覧車、横浜大観覧車。
波志江沼近辺は標高も高く、立地条件も適地です。
●来訪者がそれを眺めるだけでなく参加(使用、利用)できること。
例えば屋上レストランや展望台、観覧車。
●アミューズメント性があること
観覧車1つでは大規模遊園地等には敵いませんが単体遊具としては幅広い層に利用されます。
●大衆性があること
学術的、研究的施設と異なり観覧車は「乗って眺める」だけの大衆的遊具です。
●そこから周囲を展望できること。
例えば山頂、展望台、観覧車。
観覧車は上記のようにランドマークとしての多くの条件を満たしています。ここで同様な特性を持った構造物として展望台付タワーやモニュメントがありますので、それらに付いても観覧者との対比で検証してみます。
【展望台付タワー】
《長所》
・他の施設(トイレ、レストラン、土産ショップ等)も設置できる。
・通信施設等と共用できる。
《短所》
・動きがなくアミューズメント性に劣る。(床全体が一回転する施設もありますが)
・建設費用は規模や内蔵施設にも依存しますが、88mの構造物となるとおよそ30階建ての高さなので、昇降施設その他施設で概ね観覧車より高い。
【モニュメント】
《長所》
・目立つこと(高さや大きさ等)だけに着目した構造物ならば建設費が安い。
・建設スペースが狭くてよい。
《短所》
・参加(利用、使用)できない。
・動きがなくアミューズメント性に劣る。
・例えば有名芸術家等に設計を委ねると設計費、建設費も高額になる傾向がある。
詳細な条件付での議論ではないので正確には結論付けられませんが、展望台付タワーもモニュメントも観覧車に比較すると総合評価は劣りそうです。全国で自治体や民間が運営する施設の中に観覧車が多い所以です。
余談ですが・・・・
あるサイトで調べますと、観覧車は「エッフェル塔」に対抗するために生み出されたとのことです。1889年、パリ万博でエッフェル塔が建てられ、高さ312mで当時世界一の高さでした。4年後の1893年、シカゴ万博が行われるにあたりエッフェル塔に対抗する建設物として建てられたとのことです。ちなみにGoogleで「観覧車」を検索しますと149万サイト見つかります。
このように考えますと、今回伊勢崎市が幹線交通の要衝に変貌しつつある波志江沼周辺に新たなランドマークを考えた時、観覧車を選定した事は非常に自然な結論だと考えられます。
2.観覧車の投資(費用)対効果について
最初に結論を言えば、今回の観覧車建設計画の事前評価として「費用対効果」を数値的に試算することは不可能です。
例えば、既に観覧車が誘客施設である「お台場」や「横浜MM21」、あるいは「葛西臨海公園」においてさえ観覧車が誘導する集客効果について評価する事は困難なことだと考えています。
突然に古い例になりますが、1970年の大阪万博の時に岡本太郎氏の「太陽の塔」が作られましたが、訪問者の訪問動機と「太陽の塔」の因果関係は事前にも現在でも分析評価されていないと思います。
今、伊勢崎市民に限らず全国の多くの方達がブログやホームページで伊勢崎市の観覧車に付いて批評・批判を繰り返していて、それらの中で「観覧車で収支が合うはずがない」と論じている記事を見受けます。それらの方々は観覧車の収支計算がそんなに簡単に行えたのでしょうか。
費用の内の初期投資や維持補修費は比較的正しく試算できるでしょうが、運営経費や利用料収入は利用者数に依存する動的要因が含まれています。収入は利用者のチケット代だけだとしても(話が細かくなりますがチケットへの広告収入や施設への広告や出店費用なども収入です)、やはり利用者数がそのまま反映されます。
つまり利用者数予測が重要な訳ですが、その事前評価は恐らくどんな手法を使用しても一般論の枠を超えた数値を推定できないと思います。現在の華蔵寺公園の観覧車利用者数や建設地の交通手段の円滑さ、駐車場スペースの多少、立地条件の適否、話題性、他地域の観覧車の利用者数、波志江沼公園全体の誘客力との関連、これらできる限りの集客要因を探し、それらの事象に確率を設定したとしても、最終結果は限りなく信頼性が低くなると思います。
例えば駅の切符券売機の必要数や休憩所のトイレの便器の必要数は数学的な推定ができます。これらは実際に該当地で調べた交通量調査や他の人的要因から待ち行列理論等が利用されます。ところが今回の観覧車問題に関しては、公園整備にしろ、周辺の幹線道路、PA整備等、全て同時進行か将来計画の公共事業です。
単一でもその効果を試算する事が難しい事に加えて、更にそれらの複合効果をも含めて観覧車の予想利用者数を試算すると言う事は、難しいと言うより意味のない事だと思っています。そして、最も重要な事は、観覧車建設の是非を論じる時に観覧車利用料の収支計算は一要因であって、全てではないと言うことです。
ランドマークの建立がそれ自身の誘客のみならず、その周辺地域への民活誘導やその利用者への道しるべ的効果、通過交通者への関心誘導等、むしろ区域全体への二次効果の方が多大だと思います。そしてこれらの効果の評価は観覧車の単純収支予測をはるかに越えて困難な事です。
この記事の最初に大阪万博の「太陽の塔」と訪問者の訪問動機との関係をを語ったのはそんな理由です。誰もが感覚的に「大阪万博と言えば太陽の塔」とシンボライズするほどに有名であっても、その位置づけを正確に議論する必要性は語られていません。
それは無責任なのではなく、意味のない事、必要のないことだからだと思います。
ランドマークの存在は家で例えるならば個性的なデザインや門構えや花一杯のアプローチ、化粧用の煙突や飾り窓等です。それらがなくても住む事はでき、個人住宅ならばそれも堅実なスタイルですが、新市の活性化のために幹線交通の要衝に変貌しつつある当該地を、新玄関口として創出しようと計画している時に、その地にランドマークを建設してそれを無駄な事業としないように皆で盛り上げる、皆で正解を築いて行く、その方針で十分なことだと考えています。
以上、観覧車問題に対する私の意見です。
駄文に最後までお付き合いいただいたこと、誠にありがとうございました。
ひとまずこの件に関しての意見掲示を終了します。
● ● ● ●
余談ですが、最近気になるブログの風潮に対して・・・
最近、批判・批評ブログの中に夕張市との対比意見を良く見掛けます。ブロガーの皆さんが経済学や地方行政に詳しいのでしたら失礼な発言になりますが、私は「ハコモノ行政で夕張市が破綻」だから「伊勢崎市もハコモノ行政とは遺憾」と断定する知識はありません。人口比率で20:1の両市の生産力比較、今後の人口趨勢、出生率、生産年齢層比率、税収の現状と今後の予測、これら市の経済力を語るに必須な数値でさえ正確に掴んでいない私は、とても意見を語る勇気を持ち合わせていません。少なくとも語る前に、これらの事前調査は行いたいと思っています。
感覚的な表現を許していただけるならば、テレビに放映される冬の遊園地は積雪に覆われ、年間営業日数の少なさが想像でき、また「石炭の歴史村」他いくつかの遊休施設同然の施設があり、これらを見ただけでも同じハコモノ行政として対比される理由が見つかりません。
TBS・「激ズバ」を見て
2007/1/25掲載 [
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昨夜のTBSテレビ・「みのもんた激ズバ・『血税タレ流し列島に喝』」でまた伊勢崎市の観覧車問題を取り上げていました。
番組の内容そのものについては、そもそも産業の歴史や人口の背景、地理的特性が全く異なる夕張市、伊勢崎市、大阪市等が全て同じ「ムダなハコモノ行政」論調で報道され、住民の涙の場面ばかりが多かったのは、その時点で事態を正しく理解しようとする意欲を阻喪され、相変わらずのワイドショー的掘り下げとしか言い様がなく、ただ閉口するのみでした。
また有名人のコメンテイターの意見も番組の進行の流れに粗雑に埋め込まれただけで、討論に発展する様子もなく、単なる野次馬的バラエティーショーを見たような気持ちです。
「税金のムダ使い」を取り上げるならば、例えば「経済低迷時期における公共事業のあるべき姿」とか「地方交付税のあり方」、「国政と地方自治の適切な関係」とか、今回の問題からでもまともな課題がいくつも引き出すことができたかと思います。
各コメンテイターがみのさんに統制なく意見を求められる中、枡添議員の「そもそも県制でなく道州制にすべき時期」との発言だけが耳に残っています。今の私にはその意見を理解するには知識が不十分で好奇心が湧きました。以前、県職の知人から「現在は県の数が多過ぎる」と言う話を聞いたことがありますが、どうやら関係がありそうで、今後の興味の対象になりそうです。
番組を見て、途中の思考過程を全部省略して言えば、「二極化」、「格差」と言う今の時代のキーワードを改めて実感するに至りました。
脳裏に浮かんだイメージとして超高層ビル群の六本木ヒルズだけでも地方都市に取っては異次元の世界なのに、今度は徒歩10分の距離に「東京ミッドタウン」がこの春オープンする首都東京。シンボルビルのミッドタウンタワーは地下5階地上54階、高さ248mとのこと。しかも同一エリアには何本かの超高層ビルもオープンし、驚くのはこの規模の需要が存在する首都東京の活力です。
一方、伊勢崎市が経済的自立を目指し、将来的展望で投資としての10億円の事業を行おうとしている時に、地元とマスコミからバッシングを受けています。
この格差の大きさを理解するに思考回路が全く追い付いて行きません。
「東京対地方」が「勝ち組みと負け組み」や「金持ちと貧乏」の延長線でないように知恵と努力で頑張るしかありません。
赤堀、東の住宅建設
2007/1/23掲載 [
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伊勢崎市が合併する前の赤堀や東地区をぶらりサイクリングしていますと、住宅建築が多いのに気付きます。
自宅からのサイクリングなので赤堀や東地区に行くには途中の波志江町、三和町、豊城町を通過する訳ですが、これらの旧市内の区域では、既存宅地や何か大きな工場跡地等が空かない限り新たな住宅建築の現場を見ることは少なく、広大な土地が空いていても大半が農地なので住宅建設は難しいのかなと想像しています。
赤堀や東地区に於ける土地利用の制約に付いて詳しく認識していないので無責任な発言はできませんが、大概の建設地が田畑の中にありますので、恐らく元は農地だったような気がします。周囲の道路状況に付いては、既に整備されている場所、まだ狭い農道程度の場所と色々ですが、このような場所に5棟〜20棟規模の住宅があちらこちらに建っています。現在盛んに建築中の場所も何箇所もあります。
一例を挙げれば、赤堀地区では赤堀南小学校の南西と北西、ベイシア赤堀モールの西側、更にその南の方です。赤堀を幹線道路で通過する人達にはまず気付かれない区域です。
ほとんどの住宅が洋風で明るく洒落た感じで、敷地も旧市内の住宅に比べて広い様子で、完成した住宅には既に人々が住み始めています。
そして個別には5棟〜10棟であったと思われる住宅地が、いつの間にか繋がり広い住宅区域に変化して来ています。
これらの風景に接しますと、伊勢崎市の人口増加が県内でも顕著であり、今後も増加すると国の研究機関で発表している一因を見たような気がします。
ただ、気になる点は土地利用の全体計画がないままに民活優先で建設し、それらを既成事実として積み上げて住宅地に変化して行っているのではないかと言う懸念です。
旧市内では市や組合が区画整理事業を行い、幹線道路や区道、あるいは上下水道を整備してから商業用や住宅用として供用が始まりますので、行政側のインフラ整備が後追いになる事は少ない訳ですが、このような開発形態だと適正な市街地開発が難しいのではないかと言う心配があります。
とは言え、余り理想論ばかりを追及し、「伊勢崎市全域で住宅建築する場合には、全て事前に全体の街区設計を行うこと」などと制約すると、民活が冷え込み人口増も促進できず、行政側も区画整理事業が大変になるでしょうから、簡単には語れません。難しい課題です。
民間レベルで出来ることは、宅地開発者や住人が適切な街づくりのために極力広域的な視点で協力的に建設を進めると言うことでしょうか。
金属の価格
2007/1/17掲載 [
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先日、NHKの番組で金属価格が高騰している事を取り上げていました。鉄、亜鉛、アルミ、金、軒並み高騰です。亜鉛などは一時の4倍にまでなっていて、亜鉛メッキの鉄製フェンスを製造している会社が「作れば作るほど赤字」の窮状を嘆いていました。
取引業者も、過去何回か値上げに応じてくれたらしいですが、そちらも「これ以上は無理」と。
中国がオリンピック景気に刺激された建設ラッシュで、それに関連して日本国内の建設や鉄鋼業界の様々な話題が聞かれるようになって数年経ちますが、こう言った話を聞くたびに思うのがパソコンや家電製品等の我々の日常の身の回りの廃棄物です。
リサイクル法ができてからパソコンは1パーツ2,000円の引取り料金がかかるとか、また不要家電商品の引取りの車が近所に回って来るのでいざ出してみると「4,000円いただきます」と言われたりして。
パソコンの集積回路から「金」のみを抽出して経営に成功している会社があり、また東南アジア方面へは日本のどんな中古パソコンでも送られている話を聞き、最近では金物収集のゴミの日に明らかに違法業者と思われるトラックが市の収集の前にさっさと持って行ってしまう風景も見かけます。
同じ廃物に対して処理費を取られる一方でそれが資源として価値がある状況。でも、個人としては市のゴミ収集にお願いするかリサイクル法を守って処理費を払って処分するしかない現実。
子供の頃、空き瓶や空き缶、クギや銅線はお小遣い稼ぎの貴重品でした。自分の保管場所に大切にストックしておき、いわゆる「古物屋」さんがリヤカーやトラックで通りかかるのを首を長くして待っていました。臨時のお小遣いは今で言えば宝クジが当ったような気分です。
この時代は今よりも物を大切にした気がします。200cc程度のジュースを飲むのに、洒落て可愛いガラス瓶1つを無駄にする事はありませんでした。粉末ジュースかコンクジュースでした。今ではこれらは死語ですね。
環境を守るためのリサイクル法もとても大切ですが、金属資源も地球上には限られた量です。特に資源を輸入に依存している日本にとって、金属を含む廃棄物処理について、昔のように個々人に還元する流れができれば、もっと物を大切にするようになるのではないでしょうか。
東京のビル建築ラッシュ
2007/1/9掲載 [
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今朝(1/9日)のTBSの「朝ズバ」で東京のビル建築ラッシュの事を取り上げていました。
赤坂、六本木、丸の内、日比谷に林立する高層ビル群の鳥瞰風景を映していました。ヒルズ族で話題になった六本木ヒルズを更に越えるタワービルを紹介し、今年だけで100mを超える高層ビルが都内に34棟も建ち、その内の1つに世界一高級なホテルがオープンし、そのスイートルームの料金が一泊200万円もするとのこと。
伊勢崎市のハコモノ行政でバッシングとも思える報道をし続けるテレビ局が東京の高層ビル建築ラッシュの話題にはただ「凄い」とそれを賛辞するかのようなニュアンスで報道しています。
ビル建築は民活だから歓迎なのでしょうか。
東京のオフィスビルでは団塊の世代が退職し始める2007年頃から徐々に作業スペースが不要になり(2007年問題の一つの影響)、主に中低層ビルの空室問題が顕在化すると予想されています。それを更に助長する高層ビルラッシュは、民活とは言え問題にはならないのでしょうか。
地方の郊外型店舗開発は旧市街地の空洞化を招き、地方の街づくり行政の失政として報道する一方で、東京のビルラッシュは賞賛口調で報道する。
どんな行政にも必ず正負の面があると思います。地方行政は負の面ばかりで東京や中央の行政は正の面ばかりと言った姿勢でないことを切に望んでいます。
伊勢崎市の報道に対して望むこと
2007/1/9掲載 [
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最近、伊勢崎市が観覧車建設や市街地開発、駅周辺開発等でテレビや新聞の話題になっています。その報道の姿勢や論調が一面的であることに大きな疑問を感じ、伊勢崎の一住民の立場からここに意見を述べたいと思います。
今、伊勢崎市が進めている市街地や駅周辺、波志江沼近辺の整備は将来を展望した長期的な事業と理解しています。それらは群馬県や国の支援も受け、現在はその中間段階です。これらに関する情報は伊勢崎市や県、国のホームページ、また広報誌や各種出版物で公開されていて、建設系や経済系の新聞にも適宜報道されています。
ところが、例えば現在マスコミが取り上げている観覧車問題では事業の全体計画やら個別事業の位置付けに対して十分な取材や報道がなされていません。単純に反対住民と取材を拒否する伊勢崎市の姿に焦点が当てられ、情緒的で感情的としか受け取れない感があります。ニュースキャスターやコメンテイターの口調は扇情的にさえ感じ取れます。
例を挙げます。
波志江沼周辺は現在いくつもの幹線道路を国や県、市が整備中で、県内外近辺においても特例的な道路交通の要衝に変わりつつあります。
具体的には沼の真ん中を通過する高規格道路である上武道路が渋川までの延長工事と立体化や四車線化を整備中で、北関東横断道路は2年後に伊勢崎IC〜太田ICが開通し、沼に隣接する伊勢崎PAも整備中です。
また、北関東横断道路の北側側道も順次整備中で、粕川沿いの国道462号も上武道路と北関東との立体交差部を四車線化し、交差点改良工事等を行っています。
国道50号も沼の数キロ北側を走っている事を加えると3つの国道と1本の高速道路、高速道路に接した側道、これらが沼の近辺数キロの範囲で交差します。
車社会である地方に於いて、幹線道路の要衝であると言う事が地域の発展に対してどれだけ寄与するのか説明の必要もないと思いますが、この要衝にランドマークおよび起爆剤的な役割を担って建設するのが観覧車であるとの説明は従来から発表されています。
ところが、最近の報道がこの位置付けをどれだけ深く掘り下げているでしょうか。
少なくとも、報道機関は上武国道や国道50号、462号、北関東横断道、あるいは沼を中心に半径数キロ範囲の各所に実際に車を走らせて沼近辺を遠望し、そこにランドマークとしての観覧車が立っている事を想像してみてください。
限りなく平らな地形の伊勢崎市が、新たな交通玄関口になりつつあるこの地に明るくて楽しいランドマークを建設しようとする意図が理解できるのではないでしょうか。
伊勢崎市の駅周辺を含む市街地開発の報道に関しても同様です。
市街地開発とは言え、その手順は個人住宅の建築と大同小異で理解し易いものです。個人住宅に於いては、用地を確保し、宅地として造成し、水下水道を引き、基礎を作り、建物を作ります。
ただ、既製市街地の広域開発に於いては、現在の住人との協議や移転補償、新たな用地の確保等のために大きな予算と長年月がかかることが大きな課題である訳です。
「総論賛成、各論反対」が常に付きまとう市街地開発において、これらの作業が容易でないことは我々住民も理解していることです。
今、駅周辺では市営マンションや区道の整備、空き地の確保、鉄道の立体化等、私達一介の市民が見ても順次進行中であること、そして今の状況が整備の一段階であることは十分に理解し納得しています。
ここで公共事業の是非は短期的には語れない過去の例を挙げます。
群馬県でよく高崎と前橋の元気度が比較されます。その時に常に駅の存在がキーワードとなります。現在、高崎駅には2本の新幹線、5本の在来線、1本の私鉄の計8本の鉄道が乗り入れていますが前橋駅は在来線1本です。
最近、前橋に本社を置く全国的に有名な電気量販店が本社を高崎駅前に移転することを発表しました。その理由が「県外からのビジネス顧客が高崎駅まで新幹線で円滑に到着しても、その後、前橋本社までタクシーで飛ばさなければならないから」と聞きます。東京に本社を構える企業が、高崎に県内営業所を設ける例も珍しくありません。
その昔、高崎線のルート決定に前橋と高崎がどのように絡んだのか詳しくは知りませんが、1883年に開業以来、群馬県の鉄道の要衝として工業や商業で栄える高崎市と、県庁所在地でありながら新幹線駅もない前橋市が存在してしまった訳です。公共事業の評価はこの例のように100年を超す期間で行われ、後に渡って禍根を残す場合もあります。
特に幹線道路網や鉄道の建設等はその影響が顕著な例です。県内各地に於いて、バイパス道路整備後の旧道の衰退とバイパス沿いの発展を見れば明らかな事です。
正確な情報を収集し、正しく公平に伝える事を理念とすべき報道機関が、なぜこのような大局的な観点での報道を行わず、批判口調で一側面のみを報道するのでしょうか。
報道が、地方に於ける車社会の実態、幹線交通網の役割、旧市街地と郊外との相互関係、人口の趨勢等に関して、理論的・工学的な考察と検証を加えた後に伊勢崎市の公共事業を語るならば、我々市民も冷静な気持ちでその是非に付いて語る気持ちも起きますが、ただ単純に「観覧車はムダ使い」、「市街地開発は空洞化とピンク街化」の論調では、正しい問題提起にはなりません。視聴率を上げ読者数を増やすことに効果的であっても、伊勢崎市の事を正しく知りたい人達はいずれ呆れて閉口してしまうのではないでしょうか。
しかも伊勢崎市のこれらの事業計画は民間活力を期待する部分が大きい時に、市のイメージダウンになり兼ねないこれらの報道が、進出を計画している事業者に誤解を与え、躊躇を誘引するとしたら、伊勢崎市の今後に取って大きな損害です。
報道が視聴者や読者に与える影響も大きく、観覧車の件ではテレビ番組が言った通りの情緒的な反対意見が多く見受けられます。市民が予算のムダ使いを心配するのはとても貴重な事ですが、公共事業予算に対して、何が無駄で何が無駄でないかを正しく評価するには基盤として相当の見識が要求され、安易には語れない分野です。少なくとも私自身は確信ある見解を持つことはできません。
報道機関は世論を左右する影響力を持っています。その力を持っているからこそ地方行政や公共事業に対する報道については一面的な報道に留まらず、より客観的、より大局的な見地で行っていただきたいと願っています。
公共事業の評価と地方バッシング
2007/1/3掲載 [
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唐突ですが、財務省のHPで確認しますと、本州四国連絡橋の総建設費は2兆8千4百億円です。概略は下記文書で確認できます。
(http://www.mof.go.jp/singikai/zaiseseido/tosin/zaitoa140625/21.pdf)
この一大プロジェクトの時にも多くの事前評価が行われました。環境アセスメントと言う言葉が生まれたのも多分この頃だと思います。橋梁の塗装色と瀬戸内海の景観がどのようにマッチするかでさえ橋梁専門誌の論文になったこともあります。
結果、四国と本州は3ルートで陸続きになり今では四国や山陽地方の経済活動の基盤になっています。
四国4県を陸続きにするための建設費として約3兆円の予算が適切であったのか、またこの事業後の現実の効果が事前評価とどれだけ一致しているのか、私にはそれを検証する手法さえ見当が付きませんが、多分、1受益者当たりの費用は相当な金額になるのではないでしょうか。
オリンピック景気の時も然りですが、新幹線整備や高速道路整備等に代表する公共事業は経済刺激策としての役割があって、幅広い産業を直接刺激し経済を活性化させ多くの産業活動の基盤を整備して来ています。
そして事業評価の対象期間はそれが広域的で巨大プロジェクトであればあるほど50年、100年と言う長期期間だと思います。
ところで伊勢崎市のH18年度歳入内訳を見ますと地方交付税=69億円、国庫支出金=64億円、県支出=29億円で、外部依存の予算合計=162億円で歳入総額648億円の25%です。
今、伊勢崎市がマスコミに「ムダ使い」的論調で報道されています。私が前回の記事で懸念している事と言いましたのはこの状況が『「ムダ使い」をしている自治体に交付税や支出金を出す必要がない』と言う流れに展開しないかと言う事です。
10億円の適否を議論している時に、その何倍もの外部予算計画に支障が出ては由々しき事態です。しかもその10億円が住民コンセンサスの取得手順の問題だとしたら、余計に哀しい話です。
私は自治体の予算組みに対しては素人の一介の市民ですが、この杞憂が的外れであることを心から願っています。
噂話ではありますが説得力があるので次の話を紹介します。
「今のマスコミの地方行政バッシングは、人口が集中している首都圏の人達に『自分達が納めた税金を地方がムダ使いしている』という認識を植え付け、行革や弱者・地方の切捨てを円滑に行う中央の発想」
と言う意見があります。そんな時に地方行政における内部トラブルは格好のバッシング材料になります。中央行政は信頼するに足る公平な姿勢だとは思いますが、東京と地方の格差が肥大化している昨今、納得してしまう部分もあります。
蛇足ですが少し乱暴な計算をしてみました。
本州四国連絡橋の総建設費2兆8千4百億円を2004年の四国の人口411万人で除しますと一人当たり69万円です。一方、観覧車建設費10億円を伊勢崎住民21万人で除すと一人当たり4,800円です。
「だから何だ!」と問われても困りますが、事態を客観視するために役立てばと・・・
TBS・「朝ズバ」
2006/12/20掲載 [
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今朝、TBSの「朝ズバ」で観覧車問題が取り上げられましたね。他局と同様に相変わらずの局所的・短期的視点での内容でした。
波志江沼周辺は交通網の観点から下記のような特性があります。
●上武国道(国道17号)が波志江上沼と下沼の間を通過。
●国道462、国道50号が近隣で上武国道と立体交差。
●北関東横断道路の北側側道が南広場(整備中)に接している。
●伊勢崎PAの整備が進行中。
●北関東道の伊勢崎〜太田が2年後に開通。
そして今、国道462は上武国道との立体交差点を中心に改良工事中です。また、北側側道も粕川を渡河する区間を整備中です。これらと同期するかのようにIC周辺の三和工業団地は進出企業が大きな建物を工事中で、また1例ですが、上武国道脇にはトラック関連の新しい大型店舗がオープンし、飲食関係の24時間営業の大きな店舗が工事中です。
このように3つの国道、1つの高速道、その側道、ICやPAが半径1〜2キロの範囲で交差し集中すると言うのがこの地域の特性です。
観覧車問題はこの特性を条件に、将来に渡る公共事業として語らないと的が外れたことになるのではないでしょうか?全国緑化フェアや合併記念事業は市側の説明通りに観覧車建設の理由だと思いますが、それらはあくまでこの地域の長期的発展のための起爆剤的役割だと理解しています。
不思議なのは、これらの事実はちょっと地図を広げ現地取材をじっくり行えば簡単に掴めるはずなのに、なぜこのように局所的視点での報道になるのかと言う事です。逆に中央の局ならば我々地元市民さえ知ることができない、もっと大きな計画等も掴めるのではないでしょうか?例えば観覧車建設予定地から上武国道を5キロ程南下した位置に東京企業が建設発表した「伊勢崎東部ショッピングモール計画」の話など、これらの情報の方がよほど重要な関心事です。
有名人のみのさんが、説得力のあるあの語り口調で多くの視聴者をそのまま納得させてしまったら、伊勢崎市民として複雑で悲しい気持ちになります。
反対者の涙を放映するならば、同一地区で「自分が生きている間にこの地域が元気に発展する姿を見てみたい」と夢を語る多くの長老達がいることも取材して欲しいものです。波志江町地区は、旧伊勢崎市の中でも農業区域のため開発が遅れていた地域で、それを残念に思い、開発に期待している言葉少ない人達も大勢います。
TVコマーシャルの広告費は数分で何千万円と聞きます。日テレ、テレ朝、TBSと伊勢崎市の話題を10〜20分放映していますから、広告費換算したら一体いくらになるのでしょうか。
東京に勤務していた時、職場で千葉や埼玉がお互いを批判し合う立場で話題になっていました。その時に悪友の二人が、
「おまえ群馬出身だよな。千葉、埼玉は話題になるからまだいいよな。群馬は話題にもならない」と悪たれをつきました。その友人は長野と茨城出身でしたが・・・。
なぜか、神奈川はいつもいいイメージで登場していましたね(余談ですが)。
話題になるのは元気な証拠、何十億円(?)の広告費をかけずに話題になるのだから、OKとしましょう、と言った見方で達観、静観するしかないようですね。
そもそも郊外って?
2006/12/19掲載 [
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伊勢崎市が今マスコミの話題の的です。
「大型ショッピングモールが郊外へ進出し、行政側がそれを後押ししている」と言った論調で、多分、西部モールが建設された頃の某テレビ局の番組以降、その視点が余り変わっていないようです。
ところで「郊外」の定義って何でしょうか?
ネットのウィキペディアによれば・・
「郊外とは、都市の外縁部に位置する人口の多い地域を指す。一般には、市街地から少し外れた住宅街を指す事が多い。このため、都市圏や先進国の人口の大半は、今や郊外に傾いている。」との事。
この定義の是非は兎も角、今や郊外には多くの住宅地があります。そこにショッピングモールがあって住民が便利になり、遠来の客も便利になることがなぜ批判されるのでしょうか。
それに、そもそも例えば「寿モール」や平和町の「伊勢崎ショッピングモール」は一体「郊外」でしょうか?波志江町に住む私からすれば昔から十分に街中です。
モールは建物と駐車場の十分なスペースがあり、それらの地価が適正で、近隣に住宅地を控え、円滑な交通を保障する道路が整備されていれば、それで十分な立地条件であって、郊外/市街地の区別が特別な条件になるとは思いません。
マスコミが報道番組を作る時には、社会構造の趨勢、現時点の当該地の状況や進行中の長期計画、これらの事を事前に十分調べていただきたいと思っています。
誤報されて不愉快になるのは行政側だけでなく、我々市民も同様です。不愉快が不利益に転じた場合、マスコミは責任を取ってくれるのでしょうか?
視点を一挙に変えて、伊勢崎市の広告宣伝をマスコミが無料で行ってくれていると達観するのがいいのかも知れませんが。
マスコミの姿勢と責任?
2006/12/18掲載 [
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私は若い時に東京で13年余り勤務していました。その後、地元へUターンしてある会社に3年間お世話になりました。その会社でそれなりの役職を与えられたこともあって、あれこれ改善できるものをと自分なりに一所懸命に努力していた時に、経営陣のある方に「会社のために頑張ってくれているのは十分に理解できるけど、東京の視点で語っても難しいと思う」とアドバイスを受けたことがあります。
昨日、伊勢崎市を取り上げたテレビ朝日の「サンデープロジェクト」を見て、20年以上も前のこのやり取りを思い出しました。その時と反対の立場ですが・・・
今、東京と地方の格差は私がUターンした時と比較にならないくらい、更に広がっています。極端な表現をすれば、地方から見たら、東京の都市化レベルは既に同じ国の都市とは思えない、と言った様子です。
瞬時に全国区に情報伝達できる中央のマスコミは、その力を持っているからこそ、もっと地方の立場で情報を調べて検証して多面的な視点で語ってもらいたい、中央の机上で構築する理想論を、一旦、地方の現実の現場に下ろして語ってもらいたい、またテレビ局の報道番組には、情報発信機関としてその責任を負っていると思っています。
昨日の番組(2006/12/17のテレビ朝日の「サンデープロジェクト」)を、同じ問題を抱える地方都市の人達がどれだけ有意義な番組として聞いたでしょうか。現実を直視し、有効な対策の提示されない批判は、逆に世論を混乱させるだけではないでしょうか?
テレビ朝日の番組
2006/12/17掲載 [
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今日(2006/12/17)、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」で伊勢崎市が取り上げられましたね。
見ていてちょっと伊勢崎住人として違和感を感じました。
番組の中で旧市街地の空洞化が取り上げられ、それを促進するかのような取り上げ方として主要な公共施設の郊外移転や大型ショッピングモールの郊外進出を位置づけ、それによって取り残されて空洞化した旧市街地、そこに売春まで行っている風俗産業が進出、そして旧市街地で商売や生活を営む人達の弱者的な登場、それに対して取材拒否を続ける伊勢崎市。番組の流れはこのようでした。
分かりやすく表現すれば、
「役所側が無計画に郊外移転を推進し、それによって取り残された旧市街地、そこに進出した風俗店が街の風紀を乱し、取り残された弱者。悪者の伊勢崎市と被害者の住民」
と言った感じでした。
そこに、番組作りの浅さを感じ取ったのは私だけでしょうか。
番組を見てあれこれと考え、自分なりに1つの結論を得ました。それは、番組が「交通網が整備されている都会での視点」であると言うことです。大型店や公的施設が郊外へ移転する現象を語るとき、地方においては車社会が背景にあると言うことを
認識しなければならないと思います。
車社会に至った経緯は重心が郊外へ移動する現象と同期しますから、片方だけを議論することはできませんが、人口に対する投資効果の低さ、簡単に言えば採算性の観点からバスや鉄道等の公共交通網が次々に撤退し、車に依存することを
余儀なくされた地方に取って、車社会の到来は受け入れるしかなかった現象だと思っています。高校への通学でさえ車に依存しなければならない地域があるのが地方の人口密度の実態です。バスや地下鉄、私鉄、JR等が網羅されている都市の状況とは全く異なる状況です。
伊勢崎市の旧市街地は他の地方都市と同様に住宅が密集し、車社会到来以前に作られた大型店舗や公的機関は駐車スペースが不十分で、また道路の幅員構成にしても車や歩行者が安全で円滑に通行するには全く不十分でした。
この状況において、例えば街中の大型店舗が経営を続けるとしたら道路渋滞を誘引し、買い物客へ
不便さを強い、最終的にはお客に敬遠されて経営が難しくなります。
大型病院にしても公的機関にしても同様です。病院に車で駆けつけた病人が駐車場がなくて病状が悪化してしまったら笑い事では済まされません。一刻を競う救急車や緊急車両が狭い街中の道路で立ち往生する訳には行きません。
移転前の伊勢崎ハローワークや法務局の場所をご存知でしょうか。そもそも車の双方向交通でさえ難儀するような場所に、駐車場スペースが不十分な狭い建物で市民にサービスを提供していました。長引く不況で、移転後においてさえ毎週月曜日にはハローワーク渋滞が起きている状況を、移転前だったらどう対応したのでしょうか。
これらの例は枚挙に暇がない状態で、あえて私がここで検証するべくもなく全国の地方都市がほとんど同様な状況に陥っています。
群馬県内だけを考えても前橋、桐生、太田等の主要都市も全く同様な現象だと思います。高崎市においては、新幹線駅と鉄道5線が集まる県内では例外的な交通拠点であると言う特性により駅周辺が活性化されていますが、それにしても一時の西口商店街の衰退は街づくりの話題でした。
このような状況下において、何で伊勢崎市だけが非難の的になるのでしょうか。多くの市民や市内業者、あるいは外部の企業や店舗等、更には社会構造が大きな流れで選択して来た郊外を利用した街づくり、しかも、このフェーズは伊勢崎市に取ってまだ過渡期です。旧市街地の活性化についても、今、御膳立て中だと思っています。番組では風俗産業の進出を取り上げましたが、市や民間業者が街中に建築している、あるいは計画しているマンションの事、それによって街中住民を増やすためのベース造りを推進していること等を取り上げたでしょうか?負の局面を取り上げるならば正の局面も取り上げるべきではないでしょうか?
今、伊勢崎市では駅周辺開発を中心に市街地活性化のために様々な計画を推進中です。これらは伊勢崎市のホームページや広報に詳しく、私が敢えてここで説明するまでもありませんが、今回の報道に対しては、伊勢崎市が長期的な計画を推進中に、全国区のテレビ局がその一過性の局面を捉えて批判的な報道をすると言う姿勢に、大きな疑問を持った次第です。これがマスコミの傲慢さでない事を切に願っています。
交通路の変化と集落の盛衰
2006/12/12掲載 [
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中学校の社会科の授業の時、S先生から「交通路の変化と集落の盛衰」と言う言葉を教わりました。例えとして青函連絡船の航路ができる前後の松前(北海道松前郡松前町)と三厩(みんまや:青森県東津軽郡三厩村)の盛衰を挙げて説明されました。本州と四国を結んでいた「宇高連絡線」も瀬戸大橋開通により今は廃止され、新たな交通は船から車へ移動しています。
身近な話題で言えばバイパス道路等の幹線道路ができると昔からの道路沿いが衰退して行く現象があります。特に商業区域としての発達は加速度的にブレーキがかかります。
伊勢崎市で言えば、西部区画整理、茂呂区画整理、三郷区画整理等、また駒形バイパス、354バイパス、北部循環道路等の幹線道路整備で街の重心が移動しています。大胡町などもバイパス開通前後の旧街中の盛衰は非常に顕著です。
これらの現象を交通機能の観点から見た時、「交通路の変化と集落の盛衰」と称し、古今東西変わらぬ現象です。
現在、波志江沼の観覧車建設が話題になっていますが、私は観覧車はあくまでスポット的な話題で、実際はこの地域を大局的、長期的に見てどう考えて行くかと言う問題だと思っています。
向こう数年間に整備、完成するであろう道路網で考えれば、高規格道路である上武国道が4車線化と渋川まで延長整備され、北関東横断道路が太田まで開通し、波志江沼のすぐ南には伊勢崎PAが整備、そして近接する国道50号、4車線化工事が進行中の県道伊勢崎・大間々線、北関東横断道路の北側側道の整備等があります。そして波志江沼近辺は正にその交差点的地域に位置しています。
また群馬県地図で伊勢崎市を見ると分かりますが、伊勢崎は高崎、前橋、桐生、太田等の主要市の真ん中にあり、相互交通の公平感を語るならば県内主要市の中心は伊勢崎になります。
これらの状況に関連してかどうかは分かりませんが、国立社会保障・人口問題研究所が発表した2030年の伊勢崎市の人口増加は群馬県内でずば抜けて大きく推定されています。
このような状況を考えた時、多くの御膳立てが揃うこの地域が向う十数年で加速度的に発達するであろうと推測することは必然の事だと思っています。そう言う意味で、観覧車建設はこの地域の発達の起爆剤的役割で、これ一つだけを取り上げて語っても冷静な結論は出せないと考えています。蛇足かも知れませんが、極端な事を言えば、観覧車が建設されなくても、官民共にこの地域を長期的に大きく開発して行くであろうことは変わらないと考えています。そうであれば、全国緑化フェアや北関東横断道路の伊勢崎IC〜太田ICの開通等にタイミングを合わせた観覧車建設を、地域発展の記念構造物として是非とも建設していただきたいと考えています。
公共事業の賛否
2006/12/03掲載 [
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公共事業は反対運動が起きることが少なからずあります。有名な事業では成田空港、諌早湾干拓事業、長良川河口堰、最近では長野県を中心にダム建設反対などがありますね。
反対する理由は様々のようですが、典型的な理由の中に住民の反対運動があります。
住民の反対運動は「総論賛成・各論反対」の場合が多いですね。特に迷惑施設建設の場合には、必ずと言っていいほど起きます。例えば原子力施設や、危険施設、悪臭や騒音施設などを建設する場合には、近隣住民に取っては由々しき問題ですから、大概反対します。
例えば、産業廃棄物処理施設の建設などは、市民全員のために必要なことは理解できても(=総論賛成)、自分がその近隣に住むのは避けたい(=各論反対)ですね。
このような施設が住宅が少ない区域に建設されるのもこの所以です。
今回の観覧車反対運動について、観覧車を迷惑施設としているのか良く分かりませんが、私個人は、華蔵寺公園のすぐ北側に住んでいて、毎日観覧車とジェットコースターを眺めて暮らしていて迷惑と思った事は一度もありません。むしろ遠来の客に場所を教えるのに「観覧車を目指して来てください」と重宝したり、この時期の青と白の電飾のライトアップを楽しんだりしています。
迷惑以外の反対理由として、予算の出所、配分方法、環境問題に関連付ける場合がありますが、この理由を真正面から議論するとなると、その事業の投資対効果の試算や将来的ビジョンの策定とその継続的な評価、環境アセスメント等、作る側も理解する側も相当な勉強と努力と覚悟が必要になると思います。この理由の解決は理論対理論が基本でしょうから。
上記以外の反対理由として、感情的に反対とか、友人知人に依頼されたので反対とか、政治的理由で反対とか、何となく流れで反対とか、またやっかいなのは揉め事が好きなので反対とか、実に様々な理由があると思います。
私は、マスコミの基本姿勢は局の視聴率獲得の立場優先で反対住民と同じ立場ではない思っています。マスコミの基本は「事件」ですから。
古い話で、また噂話レベルでの話で恐縮ですが、波志江町の旧・三郷中学校の前に市民病院誘致の話があって、反対運動で実現しなかったそうです。
私は、入院やら手術、健康診断でここ20年来、市民病院には大変お世話になっているので、波志江町にあったら便利だったなぁと残念な気持ちです。今では、市民病院のある連取町は大きく発展して、まるで市の中心部のようです。
もっと古い時代、前橋市への鉄道誘致に対して養蚕農家が反対したため迷惑施設として「高崎」へ振ったこと、赤城山麓への学園都市誘致も「赤城山麓の水が不足する」と言うことで反対し、その結果「つくば市」へ行ったことなども聞いたことがあります。
波志江沼が観覧車だけの話題で閉じるのか、伊勢崎PA等と共にこれからの市の発展のキーポイントとして将来に渡って話題になるのか、公共事業はその是非が30年後、50年後、100年後に審判を下されることもあり、賛成も反対も可能な限りの長期的ビジョンで語りたいものです。
日本テレビの番組
2006/11/29掲載 [
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昨夕、日本テレビで伊勢崎の観覧車についての番組があったようですね。残念ながら見ることができませんでしたが、たまたま何人かから聞いた範囲では、住民の反対で紛糾する建設計画、それを強行する市側と言った論調だったようですね。
伊勢崎市は以前にも西部モールと旧市街地の商店を対比した取材番組が正確な情報を伝えず、行政側を不利な立場に追い込んだ例もあるようです。また現在でも駅周辺開発に対しても反対視線での取材攻勢があるようです。
今回の番組は実際に見ていないので何ともコメントできませんが、私の周囲での観覧車建設に対する感触は、賛成、反対、無関心と言った分類において反対派はごく少数派なので、何でそのような論調になるのか理解できません。この番組が単なる視聴率稼ぎの姿勢でないように願っています。
以前、ロバートデニーロが刑事役で主演した映画を思い出しました。その映画の中で、刑事の「親友」を自認するテレビ局の幹部が、刑事が殺人鬼に殺される映像をその犯人から買い取って放映すると言うストーリーです。その幹部は、犯人からの誘いを断われば刑事を救うこともできる立場でした。結果的には視聴率を選択し、刑事は殺されました。
テレビ局が実際にこんな世界でないことを願います。
広報いせさき
2006/11/18掲載 [
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2006.11.16発行の「広報いせさきNo.46」に観覧車建設についての記事が掲載されていましたね。
建設の目的や今までの計画の経緯が分かりやすくまとめられていました。基本構想は平成7年に構築され、平成10年には新聞紙上にも掲載されたとのことですから、随分と長年月を掛けて計画されていることが分かりました。
現在の「ひまわり」が21歳であること、建設費が約9億9千万であること、また直径が88mであること、財源や運営経費の事などの具体的な数値も記述されていました。
市長が波志江町出身であることから、巷ではワイドショー的な噂話が無責任に流れていましたが、市が発信するこれらの情報を市民一人一人がまずきちんと収集して理解すべきかなと思いました。
観覧車のこと・建設費について・・・
2006/10/20掲載 [
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観覧車を波志江沼に新設する事業について、あれこれ取り沙汰されているようです。
その中で、建設費が高いとの意見があるようです。「その建設費を福祉等に回せ」とか。
建設費は当初予算が20億円で、その後、規模を縮小し12億円くらいになったとの噂があります。まだ、正式に建設費の積算は済んでいないのかも知れません。
私はこんな風に考えてみました。
H18年度の伊勢崎市の一般会計当初予算は620億円です。観覧車が12億円とすれば、1.9%の支出です。
個人の家庭で年収500万円の例で言えば、10万円弱の投資です。10万円と言うと、300円のタバコを1日1箱吸うとして1年分。あるいは車検1回分。皆さんのお宅では・・・? いずれ月額1万円弱の支出に相当します。
12億円は個人レベルでは巨額ですが、21万人の都市に取っては上記レベルの金額です。個人のお宅で向こう20年間の投資としての10万円をどう考えるか、こんな風に考えて見るのもいいのではと思いました。
波志江沼整備について
2006/10/18掲載 [
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伊勢崎市は温泉観光地でもなく、山河に囲まれた立地でもなく、高崎市のように鉄道の交通拠点でもなく、前橋のように県都でもなく、長い間工業や商業で活性化して来た街です。
そのような伊勢崎において、華蔵寺公園とそのシンボルである大観覧車「ひまわり」は、近隣及び県内外からの誘客に大きな役割を果たして来たと思っています。当地が作り上げた観光資源と言えます。
ところが現在の華蔵寺公園は、真ん中を市道が通り、東側は粕川が流れ、周囲は住宅地に囲まれ、これ以上の拡張は困難で、かつ、観覧車も栃木博の中古を設置して以降、老朽化も進んでいるようです。
このような状況の時に、全国緑化フェアや北関東横断道の波志江PA誘致、伊勢崎IC〜太田IC整備、上武国道の4車線化等が進行しており、今回の市の開発計画はこれらの事を全て関連付けて立てた将来プランだと理解しています。
このような状況を考えた時、地元民として「ひまわり」の認知度を継承し、市の発展のために、観覧車のみならず、波志江PAや波志江沼整備、緑化フェアが起爆剤になればと願っています。
区画整理とモール
2006/10/14掲載 [
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伊勢崎市は区画整理事業を積極的に推進している事で全国的にも有名です。
区画整理を行うと区域内の道路整備は当然ですが、区域内の主要道路も整備され、地域住民が便利になるだけでなく、通過者も便利になるので遠方の人も車で簡単に訪れることができます。車社会以前の狭い道路の区域は、外部の車が入って来ないので住民に取って静かな代わりに、街全体の活性化が鈍ります。
首都圏の下町のようにバスや電車の公共交通網が完備し、住宅地も密集している商店街などは歩行者で溢れるので、むしろ狭い道路の方が元気で賑やかさを作れますが、地方においては付近の住人の購買力だけでは商売が成立しません。できるだけ広い範囲から集客することが必須になります。
市内の大型ショッピングモールを見ても、西部モール、フォリオ安堀、西友楽市などは区画整理と主要道路事業と同期して整備・発展して来ているのはそんな理由からなのかと考えています。