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Go! いせさき 島村の掲示板
 世界遺産登録候補・「富岡製糸場と絹産業遺産群」のひとつ、伊勢崎市境島村の養蚕農家・田島弥平住宅。

 島村には田島弥平や田島武平を始め、何棟かの養蚕農家が今なお住宅として残され、江戸時代後期の南宗画家・金井烏洲の生家や金井一族の墓、また、斉藤喜博の教育で有名な島小など、全国にその名を馳せた多くの歴史や文化があります。
 ところが、その島村地区が世界遺産登録に向けて始動した現在、見学者や観光客などに対する受け入れ態勢は、ハード・ソフト両面において、不安なものがあります。具体的には・・・
・トイレの数、駐車場スペース、説明スタッフ、見学コースや散策コース設定、弥平家や他の養蚕農家への立ち入り許可?金井烏洲一族の墓へのコース/作品の常設展示?北向地区へのコースは?渡船場からの案内はどのように?(河川敷に案内板を建てられるか?)
・地区内の住民の足並みは?「蚕種の会」と一般住民との間の認識差は?他の養蚕農家の位置付けやご本人たちの意思確認は?
・市や県、国との調整窓口の組織は?「蚕種の会」の位置付けは? 新たな地元組織が必要か?
・現在、地区内に一軒も店がないが、お土産屋や食事処は?何をお土産に?(繭玉人形?繭ストラップ?野菜?これから創出?誰が?)
・宿泊施設は必要?(民宿、公共施設?)
 上記は、あくまで当サイト管理人・丸男が考えた課題であって、既に解決済みな事もあるかも知れませんが、この掲示板は、これらの検証を始め、 島村地区に対する希望、期待、夢、企画、提案など、色々なことを語り合うために設置しました。サイト訪問者の皆さまにおかれましては、どうぞご自由に、また活発にご利用ください。なお、過去に「イベント」掲示板に投稿された記事は、こちらに移動しておきました。(2012/6/26 記)


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世界に馳せた田島弥平 投稿者:春松 投稿日:2012/09/16(Sun) 21:06 No.955   
丸男さん、こんばんは。
今日は講演会の帰りに、資料をポストに配達致しました。

講演会場の模様は名ブログほぼにちパート2さんで、すでに素速く速報されてますので割愛させて頂きます。
皆さんはご存知だったのでしょうが、、講師の西川武臣先生は20数年前から田島家を訪れ、健一氏から借りた厖大な資料をトラックで横浜に運び
マイクロフィルムに収め、10年の期間に及んで調査をされてきたそうです!
今年の田島弥平旧宅が国指定史跡として答申を得るまでに至ったのも、実は西川先生監修のもと作業が行われてきたようなことも紹介されて、、
今日の先生がなんと!伊勢崎市の田島弥平旧宅調査のブレーンであったことを知り驚き桃の木!

西川先生は貿易や経済史がご専門のお立場で、今回の講演も貿易に関する資料から(経済、品物の動きから)田島弥平の働きを探るといった視点です。
お話のテキストになっているのはあくまで残存した資料からで、講師の情熱的な語り口とともに説得力あり、信憑性の高さを感じました。

Go!伊勢崎さんの年表でもわかりますように、1865年(慶応元年)、弥平氏が幕末の極めて早い段階で蚕種を横浜に持ち込んでいることが強調され、
弥平氏の「変化への対応、それも素早い対応」に市内運送会社社長さんのポリシーが重なりこれまた感銘深いものがありました。

その後の横浜までの移送ルートはまずは航路で利根川〜江戸川〜現在のD・ランド辺りの河口まで下り、そこから陸路東海道で当時、最先端であった人力車をチャーターして横浜に向かったそうです。
この辺りから講師の語りも歯切れよくテンポよく、候分のテキストもわかりやすく聞いてて楽しくなってきます!
行動派の弥平氏はハイカラ、近代的なものを見たなら、すぐに自分で乗ってみる体験してみるというチャレンジ精神が現われ、
またまた、早くも幕末時代の横浜を行きかう馬車、優美に散歩する外国人婦人、風変わりな中国人といった異人ワールドを眼にしてカルチャーショックを受け、
この時点でいろんな世界を見て認識していたことが、1879年の第一回直輸出、世界一周旅行のチャレンジにつながっていったということでした。

吉田松陰、勝海舟、岩倉具視といった当時の知識人はヨーロッパ・アメリカの近代文明を自分の眼で見てやろう!それを積極的に取り入れてやろう!という意欲旺盛な精神で渡航を実行し、
そういった思いは弥平氏にしても然りで、上州島村の地から遥か世界一周旅行に旅立っていきました!
信氏、弥三郎氏とともにミラノで撮影したという記念写真の、洋装で洒落た三人の姿もそれを象徴しているかのようです。

旅先から家族へ送られた弥平氏の手紙の、講師による解説は圧巻で語り口調も最高潮!!
生き生きと熱心に語ってくださった西川先生のお話から、弥平氏の人柄、気持ちがよく伝わってきました。
そこには、家族への愛情、可愛い孫への教育熱心、産業が発展して村が豊かになるように・・・といった熱い思いが綴られてました。

時代は変わり、蚕種の輸出はめっきり減って、その反対に生糸の輸出が増えていった。
弥平氏は国内向け蚕種製造の中心人物となり、養蚕家の憧れの人に。「養蚕新論」はベストセラー、養蚕を志す人々のバイブルに。

田島弥平の養蚕、その華々しい名声を伝えるものが田島家には今も残っていることを講師が示唆し、
講演の終わりで、「世界遺産も歴史があっての話。健一さんの所にまだ数十万点の資料があるから、ぜひ地元でも研究が進められ、
弥平の姿、弥平を取り巻く群馬の近代化を進めた人々の姿が現されてゆくといいですね!」
と、今後の地元民への期待と励ましの言葉をもって講演は終了しました。

以上、何とかまとめてみましたが・・・^ ^;
尚、まとめるに当たって部分的に春松流解釈でもってつなげている箇所があることをご了承ください。
どなたかお読み頂いて、もしもおかしい所がありましたらどうぞご指摘お願い致します。

Re: 世界に馳せた田島弥平 - 丸男 2012/09/17(Mon) 11:41 No.956
春松さん、講演会の資料、ありがとうございました。
じっくりと読ませていただきます。
それと、春松さんのレポート、内容はバッチリ、シッカリ、雰囲気も臨場感タップリ
まるで、自分も聴講生だったような気持ちになりました。└(^o^)┐

講師の西川武臣先生の田島弥平の研究は素晴らしいですね。
以前、ふるさとさんから頂いた写真集の中に、
島村に長期間滞在して、四季折々の風景を撮り続けていた人の事を知り、
世の中には、目立たずとも素晴らしい事をしている人がいるんだなぁ・・・と感服していたのですが、
西川さんの活動にも同様な感情を覚えます。
島村の関心を持って4年が経つ私も、まったくビギナー気分に戻ってしまい、
島村マイスターへのゴールが、またまた遠のきました(ノ_<;)。


Re: 世界に馳せた田島弥平 - あおぞら 2012/09/17(Mon) 19:12 No.957
丸男さん、昨日の西川先生の田島弥平講演会、とても勉強になりました。

14(金)に申し込んだ時点で75人目とのことでしたのでギリギリセーフでした。
当日は早めに到着。前から2番目、祥さん御夫妻の後ろに陣取り、西川先生の誠にエネルギッシュで情熱に満ちた講義を間近に聞くことが出来ました。
私のすぐ横には上毛新聞の記者さんが二人待機していらして、講演が始まったと同時に記者さんが床にくっつくような低姿勢で写真撮影。
まるで記者会見のようなフラッシュとシャッターの音に、いよいよ『島村』が世界遺産登録へ向けて大きく動き出したのを実感。
歴史的瞬間を見た思いでした!

お昼もすんで普通でしたら眠くなる時間だったので居眠りしないか心配でしたが、そんな心配は何処かにふっとんでしまったほど、
講師の西川先生のお話は分かりやすく楽しくて、こちらをグングンと引き込み眠くなる暇を与えない本当に素晴らしい講演でした。

田島弥平旧宅には現在も厖大な資料が残っているということで、
「ぜひ地元群馬県の学者に更なる田島家の研究をして頂きたく思っています」とのお言葉でした。
私はそのお言葉を伺って出来ることならですけど、西川先生が定年退職後にはぜひとも、“世界遺産・島村蚕種歴史資料館”の名誉館長に就任していただけたら素晴らしいなあ〜と思いを馳せた次第です。


Re: 世界に馳せた田島弥平 - ふるさとの歌 2012/09/18(Tue) 00:53 No.958
春松さん、昨日(正確には一昨日)の田島弥平講演会のレポート報告、ご苦労さまでした。
完璧です。短時間でここまでまとめるなんて、さすがですね。

5年前、島村関係の資料を探すため、初めて横浜開港資料館に行きました。
開港資料館には田島弥平に関する膨大な資料がマイクロフィルムに収められていて、必要な資料は閲覧が可能になっていました。
地元でもめったに見ることのできない貴重な資料、古文書等が、横浜の開港資料館に収蔵してあるなんて、これにはビックリしました。
講師の西川先生が10年以上の歳月をかけ、地道な作業をひとつひとつ積み重ねていった成果なんですね。
今回の講演会でさらにビックリしたことは、田島弥平旧宅にはまだ整理されていない資料、お宝が数十万点も眠っているということです。

ここで不思議に思うのは、どうして伊勢崎市にはこのような貴重な資料等を展示する施設がないのでしょうか。
今回の田島弥平展を企画した赤堀歴史民俗資料館は、赤堀地区の考古資料・民俗資料・古文書史料の展示が中心で、
田島弥平の資料を常設展示するスペースはありません。
旧市内はもちろん、旧境町にも田島弥平に関する資料を展示する施設がありません。

世界遺産の登録に向けた手続きでも感じたことですが、地元関係者がどんなに熱心に取り組んでも、行政のトップや教育委員会のトップが
その気にならない限り、歴史的財産や文化的価値に対する評価は一向に前進しません。
田島家に眠っている数十万点の資料の研究、そろそろ地元教育委員会が中心となり、本気で取り組むときがやってきたようです。
今回、講演会の参加者が初めて定員を超えた程度で喜んでいるようでは、本質的な問題の解決にならない、ということを強く指摘しておきたい。


Re: 世界に馳せた田島弥平 - 丸男 2012/09/18(Tue) 13:27 No.959
目の前のご馳走も、お腹が一杯だと欲しがらない。

今、全国の自治体が、ほんのちょっとした事柄に飛び付き、食いついて、
ご馳走に仕上げて自分の財産にし、自分たちの個性化を図り、多面的な経済効果を狙っている時、
伊勢崎市は「日常」や「タッチ」などのサブカルチャー
明星電気の衛星打ち上げ、古い街中風景、もんじゃ焼きや焼き饅頭のB級グルメ、
島村地区始め、現存する絹産業遺産群の保全や活用などは、
余り関心がないように見受けられます。
外圧あるいは地元の声が大きくなると、仕方なく重い腰を上げると言うのが実情のようです。

伊勢崎市民性を考える時、遡ること半世紀以上前から
「学術優秀な生徒は前橋や桐生、太田など、市外の進学高を目指しなさい」
と教育を受けて来ているので、優秀な人材は市外、あるいは県外を目指せばいい、
伊勢崎は一流でなくても、ほどほどで良い、
と言うDNAレベルの刷り込み現象が発生していると思います。

県内他市に比べると限りなく平坦地、住宅地や工業用地造成においても、
東毛地区を除く他市ならば盛土や切土、擁壁設置などの造成費負担がかかるところを、
伊勢崎市は軽微で済みます。逆に排水勾配に悩む話も聞きますが。
前橋、高崎、桐生、太田、深谷、本庄、藤岡など周辺市に出かけるにも、ほとんど等距離、等時間。
地元になければどこかに行けば間に合うので、特には地元にこだわらない。

特に一流でなくても、また、必死で努力しなくても何となく食べていける、
だから、わざわざ余計な事をして仕事を増やす必要もない、
そんな市民性が蔓延しているように思います。

笛を吹いても踊らない街、顔のない街、伊勢崎市はそんな感じでしょうかね。

私も「Go!伊勢崎」の運営で、官民関わらず様々な人と接触し、様々な考え方に接し、
時には「何でこのサイトを運営しているんだろう?」と自問自答し、気力が萎えることもありますが、
ふるさとさん始め、熱い魂、光る個性に出会う事もあるので、それが楽しみで運営しています。


高山社跡 投稿者:春松 投稿日:2012/09/12(Wed) 20:53 No.943   
こんばんは。
今日は午後から高山社跡に行ってきました。
途中、緑の稲田に昔ばなしにでも出てきそうな形の山々の風景がとても綺麗でした。
伊勢崎から車で30分足らずで、こんな素敵な山村に来られただけでも感激です!

高山社跡の駐車場の横にはいい沢が流れているし、お屋敷周りの佇まいは最高のロケーションですね!
立派な長屋門をくぐると案内のおじさんが近づいてみえて、母屋の中を親切に案内してくださいました。
蚕室と言われるこの母屋は、イケメン!高山長五郎氏から数えて4代目の当主の奥様が10年お独り暮らしをされ、
3年前に藤岡市が買い取って一般公開する運びとなったそうです。

建物の構造、しくみはGo!伊勢崎さんの記事でバッチリ予習していったので、おじさんのお話もよ〜くわかりました。
特に天井に炉を入れる木箱が付いているのは、明治初期の空調システムを見るようで圧巻でした!
それと質素倹約の精神か? 余計なお金をなるべくかけないで養蚕を営んでゆくというのが、長五郎氏のポリシーだったそうです。
「なんとかして蚕を病気にしないで、いい繭ができないものか!!」
名主としても村民の生活のため、養蚕の改良に心血注ぎこみ寝食を忘れるほどの実験を繰り返したという長五郎氏の不屈の精神を
垣間見たようなひと時でした。


Re: 高山社跡 - 春松 2012/09/12(Wed) 21:01 No.944
高山社跡の左奥の山に高山家の菩提寺があることを、案内のおじさんから教えて頂いて帰りにちょっと寄ってみました。
菩提寺への道はローギアでゆっくり登るほどのかなり急な坂道でしたが、風情あふれる山寺に辿りつくとほんとにいい気分です。




Re: 高山社跡 - 春松 2012/09/12(Wed) 21:07 No.945
本堂裏手の苔むした石段を登ると、長五郎氏と左に奥方の孝子さんのお墓が仲よく並んでありました。

明日は伊勢崎市の田島弥平旧宅見学と繭クラフト体験会が、素晴らしい会になりますように心からお祈りしてます!



Re: 高山社跡 - 丸男 2012/09/12(Wed) 23:57 No.946
春松さん、高山社跡へ行かれたんですね。
しかも、長五郎氏の菩提寺まで行かれて。
菩提寺から眺める高山社跡も、鳥瞰図のようで、いいですねぇ。

明日の田島弥平旧宅見学と繭クラフト体験会・・・
具体的には取材だけなのか、あれこれと手伝った方がいいのか、
行ってみないと何とも分からないのですが、
取り敢えず駆け付けて、あれこれと動いて来ます。


Re: 高山社跡 - 春松 2012/09/14(Fri) 01:32 No.947
丸男さん、お返事ありがとうございました。
今回は高山社跡についても、色々とわかってきて興味が出てきました。

昨日は家内がお世話になりました。
島村のイベントは大盛況だったようですね!
16日は赤堀の田島弥平展に行ってみようと思ってます。
丸男さんはじめ皆さんと、またどこかでお会いできる日を楽しみにしてます!



Re: 高山社跡 - 2012/09/14(Fri) 22:36 No.948
春松さん・あおぞらさん・丸男さん・ふるさとさん
昨日は大変お世話様になりました。特にあおぞらさん助かりました。
作ったことがないストラップを作る手伝いをさせられてしまい大変だったと思います。
でも上手に手伝っていただきありがとうございました。また機会がありましたら是非
お願いいたします。

春松さん高山社に行ってらしたんですね。菩提寺までお参りしてきたんですね
素晴らしいです。


Re: 高山社跡 - 丸男 2012/09/14(Fri) 23:56 No.949
祥さん、昨日はご苦労様でした。
講師もすっかり慣れていて。

昨日祥さんや参加者の姿を見ていて思ったのですが、
今後、島村訪問者に対して、繭クラフト体験教室を提供できるといいですね。

それとやっぱり資料館+カフェ+休憩所+案内所+軽食の施設(店?)が一軒欲しいですね。

島村の桑蕎麦、島村の桑コンニャクおでん、島村の桑茶、桑の実ジャム、桑パン
などを飲食できて、資料が置いてあって、誰か案内役が常駐していて
繭クラフト教室が適宜開かれて・・・なんて。


Re: 高山社跡 - ふるさとの歌 2012/09/15(Sat) 17:11 No.950
春松さん、祥さん、丸男さん、こんにちは。

世界遺産登録に向け、来年、イコモスの現地調査が予定されています。
イコモスの現地調査では、構成資産周辺の景観がかなり重要視されるようです。
関係者の話を聞けば聞くほど、世界遺産登録に向けて超えなければならないハードルの厳しさを感じます。

一例として、以前から当掲示板でも話題になり、丸男さんご指摘の

>それとやっぱり資料館+カフェ+休憩所+案内所+軽食の施設(店?)が一軒欲しいですね。

売店等の新たな施設、トイレの建設は、景観を損ねる恐れのあるため無理のようです。
既存施設を活用したお土産屋さん、カフェでなくてはなりません。

また、現状でも緊急車両の進入が困難な島村周辺の狭い道路の拡幅、これも厳しいようです。
高山社跡や荒船風穴に比べ、地域の生活圏の中に位置する田島弥平旧宅、現状の景観を維持するため、
どこまで地域住民の理解を得られるか、今後の大きな課題です。

行政関係者は一様に、できないことを強調します。
しかし、ハードルは高ければ高いほど、山登りは登り坂が険しければ険しいほど、登り切ったときの達成感は大きいはずです。
仕事が楽だと感じたときは、人生の下り坂を転げ落ちているときです。

困難なこと、試練ににぶち当たったときこそ、みんなで知恵を出し合いましょう。


Re: 高山社跡 - 春松 2012/09/15(Sat) 19:42 No.951
こんばんは。
世界遺産にめでたく登録されたとしても、いい状態を維持してゆかなければならない義務がありますね。
登録はゴールではなく、スタートと言ってもいいですね。

もし周りの景観が悪化してしまうと、2009年のドイツ「ドレスデン・エルベ渓谷」のように登録から抹消されてしまうかもしれません。
この抹消は市民の交通の利便性を優先したり費用がかさむことを理由に、ドレスデン市が景観の維持を拒否したためだったようです。
遺産も大事だけど、今を生きる住民の暮らしも大事。世論調査をやったりして出た結論だったようです。

世界遺産マイスターの佐滝剛弘さんもブログの中で、「世界遺産への登録は、観光地としてお墨付きをもらったということではなく、
全人類共通の宝物として認められた遺産を地元が次世代に責任を持って継承することを宣言したという意味合いを持ちます。」と語られてました。

願わくは島村地区、特にバッファゾーンにお住まいの皆さまの深いご理解と、周りの伊勢崎市住民も世界遺産に目覚め一丸となって
バックアップしてゆけたら理想ですね。
多くのハードルを越えてゆくには、地域住民の努力が必要不可欠なんでしょうね!

さきほどの佐滝剛弘さんのブログですが、次なる世界遺産を目指す日本の候補として「富岡製糸場と絹産業遺産群」をまずますの注目株としているようです。
ヨーロッパの技術を取り入れて完成した近代大工場が、生産された生糸を逆に欧米に輸出して「絹のストッキングの大衆化」というファッション革命を世界にもたらし
「ダイナミックな海を越えた文化交流の起点となった施設」ということで紹介されてます。
東洋で最初の産業革命が、富岡製糸であったということだけでも説得力ありますね!

その辺り、明日の「世界に馳せた田島弥平」の講演とも関連しそうで横浜開港資料館の先生のお話を楽しみにしています!
明日はノートとペンなんか持参したりして、丸男さんの分までよく聴いてきますからね〜。


Re: 高山社跡 - 丸男 2012/09/15(Sat) 20:19 No.952
ふるさとさん、みなさん、
島小の前の最近閉じたと言う酒屋さんとか、
JA島村の建物とかを利用できるように相談するのはどうでしょうかねぇ。
看板は立てずに、概観に少し手を加えて和造りのいい感じにして。


Re: 高山社跡 - ふるさとの歌 2012/09/15(Sat) 21:58 No.953
丸男さん

閉じた商店や公共施設の再利用、まさに今後の検討課題ですね。
新たな施設の建設にしても、景観を損なわないデザイン、資材を活用すれば可能かと思います。
本日、東京駅丸の内駅舎の復元工事が完了し、一部ライトアップが行われました。
島村でも景観を損なわない施設の建設や復元、知恵を出せばできるはずです。
是非、景観サポーターのみなさんのアイデア、よろしくお願いします。


Re: 高山社跡 - 2012/09/16(Sun) 20:59 No.954
ハードルを一個ずつ見つけてはクリアしていきたいですね。
お互いに見つけてみんなでクリアですね。
あと1年きっと島村が変わっていますように。合掌m(_ _)m


土手の桑 投稿者: 投稿日:2012/09/04(Tue) 21:16 No.931   
丸男さん
今日の7夕方土手に行ってきました。確かに桑の株がいっぱいですね。そこで
公園にいた人にで聞いてみると、「あれは自然に生えたんだよ」と
言う。家に帰って関口先生(養蚕の先生)に?いてみると、やはり川上から
流れてきて生えたらしい、「何年か前建設省?で刈り取ったがまた生えたかい」
と言っていました。自然生えのようですね。

Re: 土手の桑 - 丸男 2012/09/04(Tue) 22:45 No.932
祥さん、確認、ご苦労様です。
自然に生えたんですか。それにしても、生えてる場所がまとまってますよね。
利根川のサイクリングロードは左右岸の道をたまに走りますが、
あれだけ桑の木がまとまって生えているのは、他には気が付かなかったので、ちょっと不思議でした。

150年前の島村の前島地区の桑の木が蘇った・・・なんて、空想していました。


Re: 土手の桑 - 2012/09/05(Wed) 22:42 No.933
前島の桑が蘇ったんですね、きっとそうだ。
それで自然に生えたんだね。丸男さんの空想すごーい。

春松さんふるさとさん皆様150年前の桑が蘇ったそうです。
何か一言お願いいたします。


Re: 「土手のなみだ桑」 - 鳩ぽっぽ工房 2012/09/06(Thu) 22:11 No.934
 人情紙芝居「土手のなみだ桑」
(尚、紙芝居の絵はまだありませんので、ボランティア画家の皆さまに公募中です!)

むかしむかし上州島村に、利根川に囲まれた前島(まえっちま)という島がありました。
そこに蚕を育て繭作りの名人で、丸右衛門という見てくれも心も丸くまろやかでやさしい村人が暮してました。

大雨が続くある日、利根川の氾濫で岸は決壊し、今にも桑畑に大水が入ってきそうです。
桑の葉っぱは村人にとっては大事なお蚕さまの餌なので、桑畑が水没したら大変です!

丸右衛門は息子の丸吉を連れて岸まで様子を見にくると、土手の決壊した所に土のうを集めて水を防ぎはじめました。
しかし、凄まじい大量の水と流れでなかなか水を防げません。
他の村人たちも応援に駆け付けたその時、ふと丸右衛門は足を滑らせ濁流の中にぼちゃん!
凄まじい流れの中にのまれ、一気に下流へと流されていってしまいました。
「ととさま〜!ととさま〜!」といくら丸吉が叫んでも、利根の激流だけが目の前に拡がって、誰も丸右衛門を助けることはできませんでした。

やがて雨も止み大水も静まり、桑畑の傍らでひとり途方に暮れた丸吉はシクシク泣くことしかできません。
しばらくすると、丸吉は近くで誰かが泣いているようなかすかな音に気がつきました。
すると突然、土手ぎわの一本の桑の木が白く光り、丸吉が近づいてみると桑は緑色に燃えているように見えました。
「丸吉。丸吉・・・。」と何処からかやさしく呼ぶ声が聴こえ、その声はどうやら光る桑から聴こえています。

丸吉が「へい。」と答えると、また光る桑から綺麗な声が聴こえてきました。
「私はおぬしの父上様が守ってくれた桑の木の精じゃ。かつて乱世の世では十四のはかない命ではあったが、この地で生きたこともある・・・。
今日、おぬしの父上様は自分の命を投げ出して私たちを守ってくれた。
父上様がいなくなってしまい私も悲しくて、おぬしと一緒にずっとここで泣いていたのじゃ。
丸吉、おぬしが大きくなって父上様のように村のため人のために働くようになったなら、末裔に至るまで、おぬしの子孫を守り祝福しましょうぞ!
約束じゃ、丸吉! では、さらばじゃ。」

夕暮れの桑畑に横たわっていた丸吉が目覚めると、桑の精は姿を消していました。


それから150年の歳月が流れた。
前島の村はすでに利根川の川底に眠り、島村は群馬県伊勢崎市の一部になりました。
21世紀に残った養蚕農家の建物、ことに田島弥平旧宅は世界遺産の有力候補になっています。

2012年9月、伊勢崎市の街おこしをテーマとしているインターネットサイト「Go!いせさき」の管理人、丸男氏は取材のためいつものように
自転車で島村の利根河原にやってきました。
この丸男氏は見てくれも心もまろやかで、街のため人のために日夜はりきる働き者でした。
そしてこの人こそ、実は150年前の丸右衛門、丸吉父子から8代後の血筋の通った末裔なのですが、本人はそれをまだ知ってはいません。

自転車に乗りながら、ふと土手に小さな桑の木が生えているのを見つけました。
島村には昔、桑畑が海のように広がっていた。でも今は狭い桑園くらいでしか桑の木は見られません。
この土手の桑は、自然に生えたもののよう。それにしても生えてる場所もまとまっているし、ちと不思議だ?
興味深く近づいてみると・・・。
どこからかかすかに泣くような声が聴こえてきます。
すると、「丸男さん。丸男さん・・・。」と何やら桑の木から、自分を呼ぶ声が聴こえました。
桑の木は突然、眩しいほどに白く光り、緑色の炎のなかにゆらゆら何か動いています!
愛車太郎をおっ放し、びっくらこいた丸男氏!!

しかし落ち着いて桑の木の方をよく見ると、綺麗な婦人のお姿で、どこかで見たことあるようなお顔の精がたたずんでました。
「私はおぬしの先祖が守ってくれた桑の木の精じゃ・・・。
おぬしの先祖、丸右衛門は自分の命を投げ出してまで、私たちを守ってくれた。その御恩は永久に忘れはしない。
丸右衛門の死を150年間、私たちは嘆き悲しみ、泣き続けました。。
それから、人々のために一生懸命仕えている末裔たちの姿にまた涙し、時には彼らの活躍を見て大いに喜んでいます!
おぬしが現代の世でもインターネットを通して、この島村の地、伊勢崎市の街のため人のため、そして日本の悩み苦しんでいる多くの人たちにも、
温かい救いの手を差し伸べている姿をいつも見させていただいてます。
あの日、丸吉に誓った約束通り、、末裔に至るまで、おぬしの子孫を私たちが守り祝福しましょう!」
夕闇の利根河原を背景に、桑の精は幽玄で美しい舞を丸男氏に見せて儚く消え去ってゆきました・・・。

そうして、その桑の木は、丸男氏はじめ街の人々の手によって手厚く守られ、やがて大きな桑の木に成長しました。
郷土史家によると、桑の精に化身したのは戦国時代にこの地に幽閉されていた源氏系のお武家、岩松家の美しき姫君、祥姫であったことも判明してきました。
島村繭作りの祖と言われる祥姫が、かつてこの地にはじめて桑の木を植えたと伝えられてます。

現在、立派に育った大桑は世界遺産記念樹として、上州島村「土手のなみだ桑」と名付けられ風情ある名所になっています。
その傍らには、郷伊勢 丸吉翁の辞世の句「父の志を うけ継ぎ世のため人のため ひとしほ濡るる涙桑かな」の句碑が建てられ、
丸右衛門から丸男氏に至るまでのエピソードも、この地を訪れる人々に熱い感動を与え続けてます。
欧米では桑の実のことを「丸ベリー」と呼ぶのはこれが起源になっています。

  終


Re: 土手の桑 - 丸男 2012/09/07(Fri) 09:29 No.936
鳩ぽっぽ工房さん、感動しちゃいました。ホント、正直、感動しちゃいました。
>丸右衛門という見てくれも心も丸くまろやかでやさしい村人が暮してました。
・・・のところで、「ん?」。
心がまろやかで優しいかは全く自信ありませんが、
見てくれは最近富に丸くなって来ているので、話の展開を楽しく読みました。

特に
>他の村人たちも応援に駆け付けたその時、ふと丸右衛門は足を滑らせ濁流の中にぼちゃん!
を最高に気に入りました。
何かを守ろうと、ドタバタ、オタオタしながら、カッコ悪く消えて行く人生、最高です。
しかも大自然に呑み込まれて土に帰ること、いいですねぇ。
恐竜たちの化石燃料で現代人が生きて来たように、地球上の生物は全て地球に何かお返ししなくっちゃね。

丸右衛門が守った桑の木の精に化身した美しき姫君・祥姫・・・
思わず祥さんのお姫様姿をイメージしちゃいました。

それにしても、鳩ぽっぽ工房さんのイメージ力、構成力、文章力にはいつもながら感激です!

桑の実の「マルベリー」の由来・・・そうかぁ、丸右衛門が由来だったんですね。
最高のオチまで付いて、映画のラストシーンは、たわわに実った桑の実が風に揺らぐ映像で決まりですね。


Re: 土手のなみだ」桑 - 2012/09/08(Sat) 23:40 No.937
はとぽっぽ工房さん
すげ〜〜
祥は何を書いたらよいのか?もう感激です。凄い凄い。
これ夢様が読んでくれたらな、かみしばいになりそうですね。
是非ぜひお願いしてみようかしら。13日過ぎたら行ってみます。
ねえ丸右衛門さん良いですよね。まるべりーの語源もこんなところにあったとは!

一つだけ「前島」は「まえっちま」と読むと思います。


Re: 土手の桑 - あおぞら 2012/09/09(Sun) 01:42 No.938
祥さん、ち、違うと思いますよ、マルベリーの語源!
分かってておっしゃってるんでよね? 鳩ぽッぽ工房さんが、どさくさに紛れて発案したものと思いますけど・・・。

あと「まえっちま」受けました(笑)
あ、ごめんなさい!失礼つかまつりました〜。いっさき弁もしっかり勉強しなくては・・・!


Re: 土手のなみだ桑 - 2012/09/09(Sun) 11:56 No.939
あおぞらさん
丸ベリーの言語はここですね。うんうん良いですねえ!
いっさき・まえっちま・うんうんこれもその通り。伊勢崎・島村の方言ですね。
だけど「まえっしま」では通じないのもその通りです。

丸男さん 鳩ぽぽ工房さん
「島村のなみだ桑」もしくは「まえっちまのなみだ桑」で
島村のもう一つの見所にしてしまいましょう。観光客に土手を歩かせるには
もってこいですね。そのうち案内板がつきますよ。うふっ
丸右衛門・丸吉そして丸男の名前ものせましょう。


Re: 土手の桑 - 鳩ぽっぽ工房 2012/09/09(Sun) 22:19 No.940
丸男さん、祥さん、こんばんは。
長っ話にお付き合いくださって、またまた、お褒めの言葉まで頂いてしまい嬉しいです!
物語中に、どうしてもお二人に失礼な表現が目立ってしまい申し訳ございませんでした。

「まえっちま」のご指摘ありがとうございました。
「上州島村シルクロード」だったかどちらかで読んで、読み方がおもしろかったので使ってみたのですが、ちょっと間違ってました。
そういえば、、以前、御主人とお話した時も「まえっちま」をナマで聞けました!

>「島村のなみだ桑」もしくは「まえっちまのなみだ桑」で
いいですね〜、より作品的なタイトルになってきました。それでいきましょう!! 

>映画のラストシーンは、たわわに実った桑の実が風に揺らぐ映像で決まりですね。
こちらもナイスアイデア!! これなら黒澤明も生きてれば、しっとしそうです〜。


Re: 土手のなみだ桑 - 2012/09/10(Mon) 20:37 No.941
鳩ぽっぽ工房」さん
この物語のタイトルは「土手のなみだ桑」でオッケイですね。
ただ土手に看板を立てたときの案内に島村か前島(まえっちま)
を入れたらよろしいかと思いました。

これってさ、本当に作っちゃいましょうね。皆さんよろしくです。


Re: 土手の桑 - 丸男 2012/09/10(Mon) 22:29 No.942
鳩ぽっぽ工房さん、祥さん、あおぞらさん、
「土手のなみだ桑」・・・決まりですか\(^o^)/
あの日、利根川の堤防をサイクリング中、桑の木に気が付いた時の感動が蘇ります。

国土交通省も引っこ抜かないで欲しいです。

アカシアなど、河川堤防の雑木って、結構伐採しちゃんですよね。(ノ_<;)
サイクリング中、日陰を作ってくれるし、景観に変化を与えてくれるし、
できればそのまま残しておいて欲しいんですけどね。
倒れた時、土を根こそぎ持って行ってしまうのを避けるためとか聞きます。

・・・ところで、ここだけの話、
実は公園緑地課のKさん、鳩ぽっぽ工房さんのこの「なみだ桑」に感動して、先日、電話をくれました。
電話の先じゃ、平成を装っていましたが、きっと、感動で涙腺も刺激したんじゃないかって、予想してます(^o^)。
なんせ、三丁目の夕日の3分間の予告編で何回も号泣するKさんですから(^^;)。


祝 正式決定! 投稿者:春松 投稿日:2012/08/23(Thu) 19:37 No.929   
祥さん、丸男さん、トリップアドバイザー!のふるさとさん、こんばんは。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」を世界遺産に推薦! 本日、無事に日本政府の正式決定、おめでとうございます!!
また一歩、前進ですね!

最近は、伊勢崎市も色々と関連イベントをやるようになってきましたね。
来月のまゆクラフト体験もうまくゆくといいですね!!

Re: 祝 正式決定! - 丸男 2012/08/23(Thu) 21:51 No.930
一昨日は境図書館で田島弥平旧宅のセミナーに出席し、
今日は、あずま図書館で富岡製糸場ドキュメンタリー「はじめの始まり・ブリクとシマン」を見て来ました。
伊勢崎市もセミナーや上映会など、動きが見え始めました。
今日も上映後に、図書館長から国の決定が決まった旨の説明があって、
帰りに市役所へ寄ると、東館1階で上毛新聞の号外が無償配布されていました。


道の駅しまむら 投稿者:はとぽっぽ運送 投稿日:2012/07/28(Sat) 22:13 No.925   
*この投稿は未来の島村を構想したシュミレーションです*

今週は関越道上州方面への仕事が入り、この猛暑の中、黒にんにくを食べながら精力をつけて頑張っています!
お休みしていた「道の駅」シリーズは、上州伊勢崎にオープンしたての「道の駅しまむら」をレポートします。
「道の駅しまむら」は、付近にある養蚕農家「田島弥平旧宅」の世界遺産の登録とともに2014年夏にオープンしました。
青々と茂る桑畑の中、昔懐かしい養蚕農家のたたずまいは訪れる観光客、世界遺産ファンの憩いのスポットとして話題になり、
2014年の「行ってみたい道の駅」では川場村の田園プラザをしのぎダントツNo.1に輝いてます!!

建物は古民家風、養蚕農家をモチーフとして、館の造りから家具にいたるまで上州島村がかつて誇った「養蚕」へのこだわりが顕著に見られます。
ミュージアム&ショップのコンセプトのもと、特設ギャラリーでは島村の生んだ巨匠「金井烏洲」の作品をゆっくり鑑賞でき、
シルクにまつわるお土産、特産品、農産物直売施設である「みちくさ市場」を中心とした「道の駅」となってます。
またまた、忘れてならない和カフェ「ゆめ」では、生の紙芝居を見ながらの冷たいクリームあんみつが最高でした!!


Re: 道の駅しまむら - 丸男 2012/07/29(Sun) 22:16 No.926
はとぽっぽ運送さんの「道の駅」シリーズ・・・
今回の近未来「道の駅しまむら」・・・いいですねぇ。

・養蚕農家風の建物、
・「金井烏洲」常設展示美術館
・「みちくさ市場」
・「ゆめ」の紙芝居館と和カフェ

こんなのも加えてみました。
・はとぽっぽ運送の島村ミニツアー(養蚕農家巡りと利根川渡し舟遊覧付き)
・上州うどん・武蔵うどん・おめんのうどん・・・うどんオールスター食堂
・春松のミニシネマ館。自主制作映画を常時放映。
・宿泊は京都町屋造りと養蚕農家造りが融合した金井家(年間20組限定)


Re: 道の駅しまむら - 2012/08/06(Mon) 22:30 No.927
(春松さんご無沙汰です。こんな所に居たのですか?
最近春巻さんとか春雨さんは見ていましたけど
祥は久しぶりの書き込みです。)
 いいですね。島村にこんな道の駅出来たらいいなあ〜  ゆめみたい。
地元も頑張らねばね。祥はうどんよりあなたのそばがいいな。それと忘れちゃならない
コーヒーショップ拓志(ひろし)フフッこれはないか?
美味しいコーヒーとケーキがいいな。


Re: 道の駅しまむら - はとぽっぽ運送 2012/08/07(Tue) 01:34 No.928
祥さん、こんばんは。

「マジっすか!! 世界遺産の伊勢崎市!」は、めちゃ楽しかったです〜☆
7月14日にそこに「春巻」名義でコメントさせて頂きましたよ。
コメントが承認制であることを知らず、載らないので二回も送ってしまいました。^ ^;


動き出したか伊勢崎? 投稿者:春松 投稿日:2012/07/22(Sun) 22:45 No.921   
丸男さん、祥さん、ふるさとさん、こんばんは。
今日、niftyニュースで「口裂け女で街おこし」なんて記事がありまして、、
「口裂け女」を使用してまでも「街おこし」をしようという、岐阜のある商店街の力強い意気込みを感じてます。
しこうして、我らが伊勢崎市は上手くいけば「世界遺産のある街」になろうとしている「街おこし」の最大のチャンスだというのに、、
伊勢崎市ウェブサイトをのぞいて見ても、推薦決定の記事も大々的にはいまだに出ておらず・・・
ただ、今日ひとつ救われたのは「伊勢崎市景観計画 美しいせさき景観計画」変更に関するご意見を募集してます・・・なんていうのが新着情報にあって、、
開いてみると何と!まさに島村の景観計画変更案が出ていたのでちょっと驚きでした!
市のHPではそこに行くまでが多少わかりずらいので、よかったらこちらからご覧ください。
http://www.city.isesaki.lg.jp/data/tosikei/keikan/matidukuri/sankou.pdf

推薦決定から約一週間でこの計画変更案が市のHPに出たわけですが、島村に関して市が今、具体的にどのように取り組んでいるのか?
以前、噂には聴いておりましたが、私のような一般市民にもようやく明確な形でわかるようになりました。
規制は意外と厳しく、島村の住民の皆さまには複雑なご心境の方も多いとお察し致します。こういった規制を急に言われてもクレームが出るのも無理もないでしょう。
あくまで私個人としては、島村の養蚕農家群の集落景観や周りの自然は、市民の財産、いや最早、世界人類の財産でもあるから、
いつまでも大切に守られ残ってほしいから、市のやることに賛成します。
住民の皆さまには不都合な点をどうか何とぞご理解頂いて、まずは「富岡製糸場と他の絹産業遺産群」とともに、「田島弥平旧宅」が
無事に世界遺産に登録されることを心から祈ってます。m(_ _)m
住民の皆さんのお気持ちは、これからも最も大切にしてゆく必要があると思います。

世界遺産の登録には文化遺産の周囲の環境や景観を保護するために、バッファゾーン(緩衝地帯)を確保して、一定の制限区域とすることが条件になってますが、
世界遺産そのものとしての「田島弥平旧宅」(敷地内?)がコアゾーン、その周囲の島村景観重点区域(村の半分から西側地域)が
バッファゾーンといった設定ということでしょうかね。

Re: 動きだしたか伊勢崎? - 丸男 2012/07/23(Mon) 22:19 No.922
今日、市役所に寄りましたら、敷地や庁舎のあちこちに
田島弥平旧宅が世界遺産候補に決定したお祝いの幟が立っていました└(^o^)┐。
伊勢崎市も徐々に動き出した感じですね。
景観サポータでも島村散策マップを作る計画もあるし・・・。

世界遺産になれば一定範囲の保全は必須なので、
時には不便を強いる事もあるでしょうが、
その分、世界遺産と言う名誉もある訳だし。


荒船風穴! - 春松 2012/07/25(Wed) 22:51 No.923
さすが、丸男さん&景観サポータの皆さん、動き出してますね〜。

そうですか、県道44号線で行けましたか。ラッキーでしたね!
荒船風穴はなかなか近寄りがたいスポットでしたが、Go!いせさんの今回のレポートでベールがはがれ、その全貌が見えてきました!
またまた、この夏に風穴内部は1.4度ということでスゴいです〜〜。
夏場の見学には避暑もかね、最高ですね!!
しっかし、、冷蔵庫もない頃の昔の人の知恵って素晴らしいですね!

最近は藤岡の高山社も一般公開が始まったということで、近いうちに行ってみようかと思います。
高山社跡のUPも楽しみにしてます!


Re: 動き出したか伊勢崎? - 丸男 2012/07/26(Thu) 13:17 No.924
春松さん、
荒船風穴のレポート、読んでいただきありがとうございます。
真夏でも1.4度は本当に驚きました。
風穴を通って来る地中部の風の道に、どうやら氷塊があるらしく
温度が一番高くなるのは(それでも3度程度らしいですが)、
翌年の雪が降る前の10月下旬頃のようです。

今日の午前中に、高山社跡を掲載しました。
http://go-isesaki.com/takayama.html


絹遺産群を世界遺産に推薦! 投稿者:ふるさとの歌 投稿日:2012/07/12(Thu) 20:57 No.908   
朗報です!
本日、文化庁は「富岡製糸場と絹産業遺産群」を国連教育科学文化機関(ユネスコ)へ本年度推薦することを正式決定しました。
この推薦決定の知らせを県庁で聞いた祥さんから、興奮に満ち溢れた連絡が入りました。
島村のみなさん、伊勢崎市民のみなさん、そして多くの関係者のみなさん、誠におめでとうございます。
はとっぽっぽ観光の春巻さん、忙しくなりそうですよ!

群馬テレビでは、今夜8時からのニュースeye8で詳細を伝えていました。
上毛新聞でも号外で速報を伝えていました。
 ↓
http://www.jomo-news.co.jp/news/sokuho/20120712isan1.pdf
http://www.jomo-news.co.jp/news/sokuho/20120712isan2.pdf

また、群馬県のホームページ、富岡市のホームページでも、推薦決定の知らせを新着情報として掲載していました。
ところで、伊勢崎市のホームページは?

Re: 絹遺産群を世界遺産に推薦! - はとっぽっぽ観光の春巻 2012/07/12(Thu) 23:03 No.910
ふるさとの歌さん、祥さん、丸男さん、おめでとうございます!!
やってくれましたね〜〜!ついにこの日が来ましたね〜☆

皆さんの尊い努力が実って、登録に向けて大きな一歩前進ですね!!
伊勢崎市民としても、とってもとっても嬉しいです〜。
今後、私たちにも何かできることがあれば、皆さんのお手伝いをしてゆきたいです。
お祝いに極うまっ、春巻サラダでも作りましょうか・・・すみません、本当は春雨サラダと言うようですね!


Re: 絹遺産群を世界遺産に推薦! - 丸男 2012/07/12(Thu) 23:19 No.911
ふるさとさん、春松さん、ホント、良かったですね〜。
着実に前へ進んでいる感じです。
皆で頑張らなくっちゃね。└(^o^)┐

来週の土曜日、景観サポータの仲間3人と一緒に、
また富岡へ行って来ます。
今回は高山社にも回ります。風穴は微妙・・・見学時間制限があるみたいで。


Re: 絹遺産群を世界遺産に推薦! - 2012/07/13(Fri) 00:18 No.913
皆さんおめでとうございますですね。
市民がみんなで頑張る必要がありますよね。市民の皆さんにどうわかってもらうのか
一歩ずつですが地道に頑張りましょう。あと2年ある。あと2年しかない。どっち
2年で何ができる。考えましょう、考えてください。できること教えてください。


Re: 絹遺産群を世界遺産に推薦! - 丸男 2012/07/13(Fri) 12:29 No.914
私はね、やっぱり集う場所だと思うんですよ。
見学者に対して「勝手に来て、勝手に見学して、勝手に帰ってください」
じゃ世界遺産候補地として、ちょっと寂しいかなぁ・・・と。

多分、見学者の大半は、決して研究者や学究肌の人じゃなく、
遺産巡りとか、評判や噂を聞いてとか、観光地見物気分の人と思うんですよね。
そう言った場合、やっぱり
「気分がいい、気持ちがいい、楽しい、面白い」
と言うレベルの受け入れ態勢が必要なんだろうと思います。
食べ物屋なし、土産屋なし、集う場所なし、休憩所なし、
トイレは簡易トイレ、駐車場スペースも不安・・・と言う現状ではちょっと不安です(ノ_<;)。


Re: 絹遺産群を世界遺産に推薦! - 2012/07/13(Fri) 22:11 No.915
丸男さん
その通りです。「世界遺産の伊勢崎市」を目指したいじゃなくて、目指しましょう。
皆さんのお知恵拝借!!よろしくです。


世界遺産への正式推薦に沸く、構... - ふるさとの歌 2012/07/15(Sun) 15:05 No.916
「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産への正式推薦の決定を受け、構成資産を抱える各市町はどこも歓迎ムードでいっぱいのようです。(一部の市を除いて)

富岡市は即日、推薦決定の知らせをホームページの新着情報に掲載しました。(担当:世界遺産まちづくり部 富岡製糸場課)
 ↓
http://www.city.tomioka.lg.jp/unit/011/004/2012/07/post-15.html

下仁田町は一昨日、ホームページの新着情報に掲載しました。(担当:教育委員会 教育課)
 ↓
http://www.town.shimonita.lg.jp/kyouiku/m01/m01/01.html

藤岡市も昨日、ホームページの新着情報に掲載しました。(担当:教育委員会 文化財保護課)
 ↓
http://www.city.fujioka.gunma.jp/kakuka/f_bunkazai/takayamasyanews.html

決定から3日も過ぎると新着情報とは言いませんので、もうひとつの市はホームページに掲載する予定など、さらさらないようです。(ガクッ!)

他の構成資産を抱える市町に比べ、世界遺産への取り組みが一歩も二歩も遅れてスタートした伊勢崎市ですが、ホームページの広報一つ見ても盛り上がりに欠けるどころか、まったくのやる気のなさを感じざるを得ないのは私だけでしょうか?
伊勢崎市では、世界遺産への正式推薦の決定を喜んでいるのは一部の民間人だけで、行政も議会もまったく関心がないようです。(議員さんは視察研修が忙しくて、それどころではないようですが・・・)
これでは、祥さんが伊勢崎駅で「世界遺産の伊勢崎市」と声高に叫んでも、盛り上がるどころではありませんね。(ガクッ×2)

以前、伊勢崎市のホームページの新着情報に「田島弥平旧宅」の世界遺産登録の推進について(平成24年6月27日)という記事が掲載されました。(担当:企画部 企画調整課)
今回の決定はそれ以上のビッグニュースのはずですが、いつになっても何の音沙汰もありません。
いったい、6/27の記事は何だったのでしょう?

参考になるかどうかわかりませんが、構成資産を抱える各市町の人口の比較をしてみました。
・富岡市   52,119人
・藤岡市   69,020人
・下仁田町   8,960人
・伊勢崎市 211,445人

圧倒的に伊勢崎市の人口が多いのがわります。
当然、行政で担当する担当課の職員の数も多いはずです。
しかし、人口はトップですが世界遺産への取り組み、やる気は最下位のようです。(ガクッ×10)
これ以上書くと愚痴になってしまいそうなので、この辺りでやめることにします。

どこかで、伊勢崎市を日本で一番有名な自治体にするような話を聞きました。
世界遺産への正式推薦が決定した今、またとないチャンスのような気がするのですが・・・。


Re: 絹遺産群を世界遺産に推薦! - あおぞら 2012/07/15(Sun) 19:24 No.917
『絹遺産群を世界遺産に推薦!』誠におめでとうございます!
我が街のホームページ同様、お祝いの言葉が大変遅くなりまして失礼いたしました!!

〜世界遺産への正式推薦に沸く、構成資産を抱える各市町〜
ふるさとの歌さん、素晴らしい分析レポート、データ公表をありがとうございます。勉強になりました!
と同時に、ふるさとの歌さんの島村への想い&地元市民としての情熱が、痛いほど伝わって来ました。
私もふるさとさんの情報提供を得て、毎日我が街のホームページをチェックしておりましたが、
何も起きていないかのような平常心を保ったまま?で、残念と言うか悲しい気持ちになりました。
伊勢崎市にとっては、どうでもいい事なんでしょうかね? それとも・・・何かスペシャルな企画でも水面下で進行しているのでしょうか?

それにしても、ふるさとの歌さん。
・伊勢崎市 211,445人・・・・これは、もしかしたら島村地区の人口を明記した方が◎なのかもしれません。
そう思わざるを得ないくらい、伊勢崎市民の島村世界遺産推薦への関心が薄いように思います。
今日私は個人的ないつもの集まりに出席したのですが、誰一人<世界遺産推薦>に関する話題がなかったです。
(唯一ふるさとさんもご存知の境町のOさんとは話題になりましたが・・・)

なんだか、ふるさとの歌さんへの“応援歌”になってしまいましたが、島村と世界遺産を応援する有志の皆さんは、
今後どのように活動していくのか?・・・その出方をよくよく練る必要があると思います。
これからも、ふるさとの歌さんの遠慮のない辛口のご意見、楽しみにしていま〜す!^^


Re: 絹遺産群を世界遺産に推薦! - 2012/07/16(Mon) 00:21 No.918
ふるさとさんの辛口いつもいつも参考に読ませていただきます。
昨日今日伊勢崎神社のはす向かいの駐車場で七夕祭りが有り、そこでみちくさ塾は竹の輪切りを使った、壁掛けと称するストラップの大きいバージョンを子供に教えてきました。訪れた子供180人でした。なぜ竹の輪かというと七夕なので竹にこだわってみました。
 受付に世界遺産のチラシを置いてみました。祥は受付に居られなかったのですが。受付にいた人が「通りがかりの人が世界遺産のチラシを見てもどって来てもっていった人が」何人か」いたよ」と言っていました。ボランティアの女子高生にチラシ読んでと渡すと「この間伊勢崎駅で貰いました」という。え〜あのと時通ったのかと思った。「でもチラシもらっていきます」と持っていきました。
この連休も国の世界遺産への推薦が決まったことで。田島弥平宅の北口にテントをはって文化財保護課の職員が応急処置にと説明と案内に立っているようです。村人はたぶん面食らうような思いだた思います。でも少しずつです。祥の小さい小さい動きと叫びですが(ガクッ×2)で頑張りましょう。皆さんのお力でなんとか「世界遺産の伊勢崎市」を盛り上げましょう。


Re: 絹遺産群を世界遺産に推薦! - ふるさとの歌 2012/07/16(Mon) 19:31 No.919
あおぞら嬢改めブルー・スカイカ痒い〜痒い〜さん、祥姫さん、こんばんは。

私の投稿が辛口の意見だなんて、とんでもございません。
事実を正確に申し上げているだけです。(苦笑)


Re: 絹遺産群を世界遺産に推薦! - 丸男 2012/07/16(Mon) 23:53 No.920
ホームページの即時対応が遅い事、先日もある方と話しました。
今夏の市内のあるイベント情報が昨年のままになっていたようで(ー_ー)。

市のホームページの件もさることながら、
島村の件で、行政が動くには、何かのトリガーが必要なんでしょうかね。
それが議員なのかTopなのか、はたまた地元からの陳情なのか・・・

島村世界遺産対策の総合窓口の組織化もまだのようで・・・。
縦割り組織では何ヶ所かあるようなのですが、
やっぱりここまで来ると、対外的な専任組織が欲しいですよね。


世界遺産に1歩 投稿者: 投稿日:2012/07/12(Thu) 21:10 No.909   
丸男さん
今日はメールで失礼いたしました。1時間程前に帰宅しました。
島村もこれからですね。皆さんのご意見をお待ちしています。

Re: 世界遺産に1歩 - 丸男 2012/07/12(Thu) 23:21 No.912
祥さん、お疲れ様でした。
ご苦労様でした。m(_ _)m
でも、本腰を入れるのはこれからですよね。
機会を掴んでは盛り上げて行きましょう!

キャンプのチラシ、届いてますよ。
明日掲載しますね。


「青淵由来」 投稿者:春松 投稿日:2012/07/10(Tue) 22:57 No.906   
丸男さん、こんばんは。
先日、島村に行った際、公民館前の道路から南方に渋沢栄一記念館の豪華な建物がよく見えました。
距離にして2Km弱でしょうか。
この記念館に赤城山?利根川?を望むという栄一氏の巨像が建ってますが、視力が良ければ島村方面を向いている巨像を確認できるんじゃないかと予想してます。
当初は深谷駅前に立っていたもののようですが、この像は頭デッカチだし、、どうもカッコがよろしくないということで郊外のこちらに移動になったようです。

島村では公民館付近の道路端に「道の駅 しまむら」ができて、ここより望遠鏡で富岡製糸場と島村を結びつけた?渋沢栄一像を望むというのもおもしろくないでしょうかね〜?
(望遠鏡は昔、デパートの屋上なんかにあった一回100円といったようなものです。)
「道の駅 しまむら」では冬はもちろん青淵亭支店の「煮ぼうと」が食べられ、並びの「ふる丸うどん」さんでは名物「肉汁うどん」や「おっきりこみ」も食べくらべできます!!
今、まさにこの地で、上州VS武蔵野うどんの一騎打ちを存分に楽しめることでしょう!
ちなみに、夏のメニューにやっぱり「冷したぬき」&「かき氷」をお願い致します。^ ^;

道の駅隣接地には「ファッションセンターしまむら」さんなんかにドーンと来てもらえれば、また一段と活気が出そうでグーですね〜〜。
赤い看板のトーンをちょっとおさえて頂いて、建物も島村仕様古民家風にしてもらえれば、、景観的にもクリアできると思います。
もちろん、地元の皆さんがよろしかったらの話です!

写真は2年前のものですが、栄一氏の号の由来となった池「青淵」です。
以前にも書きましたが、栄一氏が始めた深谷のレンガ工場でできたレンガが鹿鳴館、東京駅、迎賓館、東大等、明治の主要な建造物に使用され、
「ぐんま絹遺産」にもなっている「旧信越本線碓井第三橋梁(通称、眼鏡橋)」にも使われたというから、、そうしたつながりも見えてきて、ますますおもしろくなってきました!!


Re: 「青淵由来」 - 丸男 2012/07/11(Wed) 00:00 No.907
春松さんも「青淵由来之跡」に行かれてたんですね。
私は昨年の春、ふるさとさんに案内していただいて、行って来ました。
「道の駅 しまむら」構想、面白いですね。
「ファッションセンターしまむら」も結構乗って来るかも?です(^^;)
宣伝になるし。伊勢崎銘仙コーナーなども作ってもらって。

「ふる丸うどん」・・・祥さんに作ってもらうかな?
話が飛びますが、先週の土曜日、藤岡でブっ太い手打ちの「大関うどん」を食べて来ました。
大きな丼で、上手かったです。

あ、この写真は昨年撮った「青淵由来之跡」の石碑です。
春松さんの撮った池の脇にありましたね。



島村掲示板設置 投稿者:丸男 投稿日:2012/06/26(Tue) 23:41 No.869   
世界遺産登録候補・富岡製糸場と絹産業遺産群のひとつ、
伊勢崎市境島村の養蚕農家・田島弥平住宅を始め、
世界遺産登録に向けての島村地区に対する希望、期待、夢、企画、提案など
色々なことを語り合うための掲示板を本日設置しました。
過去に「イベント」掲示板に投稿された記事は、こちらに移動しておきました。
どうぞ、活発にご利用ください。

Re: 島村掲示板設置 - あおぞら 2012/06/27(Wed) 16:27 No.871
丸男さん、大変です!!
本日平成24年6月27日付で、伊勢崎市ウェイブサイト・トップページの新着情報欄に、
〜『田島弥平旧宅』の世界遺産登録の推進について〜 と題して発表がありました。
覗いてみると6項目に渡って説明がありました。

我らが《Go!伊勢崎》の島村コーナー新設の翌日に発表なんて、、、不気味ですね^^
ぜひとも、良い方向に前進していってほしいですね。


Re: 島村掲示板設置 - 丸男 2012/06/27(Wed) 18:28 No.872
あおぞらさん、多分、偶然の一致ですね(^^;)
文化財保護課や企画調整課、都市計画課の各部署がそれぞれに異なる立場で担当する事はそれなりに掴んでいました。
役所側の姿勢が公開されることは、一歩前進と思います。

規制や管理的なことは役所に依存しながらも、
見学者や観光客相手には民間レベル(地元住民や団体など)が主体的に活動し、
必要に応じて役所にサポートしてもらう・・・と言うのがいいのかと思っています。


Re: 島村のこれからを語ろう  - 春松 2012/06/29(Fri) 19:09 No.877
丸男さん、祥さん、ふるさとさん、楽しいお返事ありがとうございました!
今日は空想でなく、ちょっとマジな路線で書かせて頂きます。

市のサイトに発表された「田島弥平旧宅の世界遺産登録の推進について」を見ました。
とりあえず、市の取り組みが具体的に公表されてよかったです!
田島弥平旧宅の「保存管理に市が万全を期す」とありましたので安心しました。これがポーズでなく本物であることを、市の皆さんを信じてます!
まずは、最善の保存管理計画を立てられるといいですね!
この投稿を読んでくださった市民の皆さんへ、今、伊勢崎市に素晴らしいことが起ころうとしている!ということを、どうか家族や友達に伝えてください!
最近、市の広報で「島村の渡し船フェスタ」が表紙の写真になったものを見たように思います。
市の皆さん、どうか今度は広報の表紙を「田島弥平旧宅」の写真で鮮やかに飾ってください!
田島弥平旧宅が世界遺産登録に向けて伊勢崎市民全体に広く知られることとなり、願わくは市民が一丸となって登録推進のために力を合わせてゆけるように!

【田島弥平旧宅の保存管理計画の策定】について
5月に丸男さんがふるさとさんとともに松ヶ岡開墾場の養蚕農家群を訪れた際、個人住居としての役割がなかったのか当時の姿がそのままの姿で保存された松ヶ岡の建物を見て、これこそ「本物の島村式養蚕農家と称するに相応しいように思われる」と書かれていたのが印象的でした。
そこで人が暮していれば、どうしても木戸が壊れればアルミサッシになってくるし、外壁がはがれればジョイフル辺りで買ってきたものでとりあえず補強したり・・・
どうしても見てくれよりも、生活優先になってゆく傾向ですね。
しかし、お見合いだって〜建物の査察だって〜、最初の見てくれ、第一印象が非常に大切なポイントになることは確かでしょう。

田島弥平旧宅は代々、ご家族がお住まいを大切にされてきたご様子で、ずいぶん綺麗になっている方だと思います。
江戸後期の建築当時から現代に至るまで長年に渡り、ご家族が実際にお住まいになっている建物なので、確かに修復、復元してゆく作業は困難な点も多いでしょう。
しかし逆に考えれば、田島弥平旧宅が現在は養蚕はしてないにしても、当時からの建物が現役で住居として使われている。
今もそこで人が生活している、、ということがメリットとなりいい評価につながることもあるかもしれませんね。
いや、世界遺産に選ぶのは当たり前ですが私じゃありませんけど・・・

イコモス、文化庁はじめ、審査する側がどのような視点で見るのか、その傾向と対策を押さえておく必要がありますね!!
何はともあれ当分の間、最大の目標は言うまでもなく「田島弥平旧宅が、富岡製糸場&他の絹産業遺産群とともに世界遺産に登録されること!!」
まずこれが第一義! これを達成できなければ元もこもありません!
ええ、もちろん世界遺産の冠がなくとも、いいものはいいんですよ〜。でも、その冠があるのとないのとでは月とスッポンとまでは言いませんが、
様々な点で大きな違いが出てきますからね!!
今がチャンスです! 登録される可能性は充分にあるわけですから、今は精一杯のことをやっておき冠をゲットするしかないですね!!

具体的にはまずは7月(12日だったか)の文化庁の推薦内定〜その後、国の正式決定!そこまで行けば〜来年夏頃になるでしょうか、泣く子も黙るイコモス現地調査団による審査
〜2014年のユネスコ正式登録!!
といった登録までのプロセスがありますが、、市の職員さんはじめ当事者の皆さんはそのプロセスを充分に意識して、各段階において何をしたらいいか?どうすれば無事にクリアできるか? 
よ〜く考えて行動して、ポイント・ポイントをしっかり押さえて前進していってほしいです!
世界遺産の登録はタナボタ式ではないので、熱意をもって取り組んでゆかないと敵いません!!
どうか頑張ってください!! 私も一市民の立場でできることはお手伝いしてゆきたいです。

【景観計画の変更】について
伊勢崎市が世界遺産登録の対象となっている建物「田島弥平旧宅」だけでなく、すでに周辺の環境にも気を配っていることを、さすがという感心とともにとても嬉しく思ってます!
我らが丸男さんはじめ、景観サポーターさんたちの出番! 腕の見せ所ですね!!
市の言われる「その周辺の環境を良好な状態のまま保全する」ということで、私が提言させて頂きたいのは、資産である建物とともに
周りの自然環境をできる限り残した方がいい。(あるいは復元)ということです!

晴れて登録が実現され島村地区がいい意味で観光地化されていったとしても、例えばアスファルトの駐車場とかをできるだけ作らない方が望ましいでしょう。
写真は以前、撮影したものですが県道から見た田島弥平旧宅です。手前の雑草が生い茂る土地辺りが間違ってもアスファルト張りの駐車場なんかにならないように!
こういった大事なビューポイントをぜひ緑豊かな桑畑にして、養蚕農家のたたずまいを再現してほしいものです!
田島弥平旧宅はじめ島村の養蚕農家群は、周りの桑畑、田園風景、利根川を含む広大な自然とともにあることに大きな価値があり、
それがすなわちシルクカントリーの世界で、「養蚕農家群は周りの自然と一体」であると言っても過言でないでしょう!
世界遺産が最も多い国イタリアでは、意外とドォーモ等の有名な歴史的建造物が世界遺産になっておらず、一方でトスカーナ地方の中世から残された名もなき田舎町が登録されていたりするようです。
その町は長い歴史の中で、自然と人が相互作用で生み出した美しい景観が高く評価され、まるごと世界遺産に登録されたということです。


島村では現在は、農家のほとんどのお宅が養蚕から撤退しているご様子で、残念ながら桑畑は島村小学校付近にある桑園くらいでしょうか?
島村のこれからを語るのに最も言いたいことは、「島村の大地に広大な桑畑を復活させる」ことです!
この桑畑の復元が、本来の島村らしさ、島村の自然なのだと確信してます!
養蚕農家群と周りの桑畑がセットになった姿こそが素晴らしく、まさに「島村ルネッサンス」明治初期の黄金時代の風景がよみがえるんじゃあないでしょうか!!
いつの日か市民の意識も高まり、「みんなで島村に桑の苗を植えよう!」なんてキャンペーンも実施される日がくることを期待してます。
「桑」の用途は幅広く、まず当然、復活が叫ばれるであろう「養蚕」のために! 祥先生、S先生たちがその指導者となり、桑の葉も多くの供給が必要になるでしょう。
また昨日も富岡製糸場でも販売してましたが、島村ジャム工房とかできて「マルベリージャム」を生産してお土産とするのも洒落ていると思います!
旧軽井沢の街並みにジャムの専門店があるようにあんなセンスで売り出していったら、いつかブレイクして全国に「島村ブランド」のマルベリージャムや繭のストラップが人気となるのも夢じゃありません!
島村のお土産と言えば、その先駆者「みちくさ塾」お土産部門の今後の動きは見逃せませんね〜〜!



Re: 島村のこれから - 2012/06/29(Fri) 22:07 No.878
春松さん凄い
頑張ってください。皆で語りましょうねえ〜


Re: 島村のこれからを語ろう  - 比呂 2012/07/04(Wed) 01:11 No.888
まるお様はじめGO!伊勢崎のみなさんへ
「つらい時、話したい時に」の方の掲示板にたまにカキコしているものです。
こちらの「島村」のコーナーでは世界遺産登録に向かって、みなさんの熱心さがすっごく伝わってきます。

むかしむかし、島村に緑の海のように桑畑が広がっていた「黄金時代の再現」をするというHさんのプランはもっともらしい発想と思いますけど・・・
現在、島村で農業を営まれている方々は、その畑で野菜を栽培して生計を立ててらっしゃるでしょうし、なかなか難しいんじゃないかしら。
やるとしても、ほんとに徐々に移行するかたちで、ジャムの収益等を見つつ5〜10カ年計画、それとも20カ年のスパンじゃないでしょうか?

町の景観にしても、建物の修復にしても、
何よりも島村で暮らしているみなさんの生活やお仕事、住民のお気持ちを最も大切にして、世界遺産の推進をすすめるべきだと思います。
えらそーなこと言ってすみません。


Re: 島村掲示板設置 - 丸男 2012/07/04(Wed) 16:29 No.889
率直な意見を言ってしまうとですね、
「田島弥平住宅」は絹産業遺産群として立派な役割を果たしていて、
それはそれで大いに世界の人にアピールすべきと思いますが、
・・・現実問題として、世の中、みんな研究者や学者ばかりじゃないので(←ここ、重要です)、
要するに、今回の世界遺産登録を通じて、島村、あるいは伊勢崎に新たな観光資源を確立し、
観光産業を興せばいいと、ま、このように思っている訳でして・・・。

そのためには、ジャム工房、パン工房、焼きまんじゅうや焼きそばの茶店、
おでんとトコロテン、焼きトウモロコシ、地元産の蕎麦やうどん、
それに繭を使ったアクセサリなどのお土産、産直野菜販売など、
B級グルメとお土産で集客し、お勉強は程々にして、
いわゆる、世の中の普通の人たちに大勢来てもらって、
地元の人たちも、できればそれで生活が成り立つくらいに逞しく利用してしまえばいいんじゃないかと。
宿泊施設だって、旅籠風の小さな旅館が1〜2軒は成り立つんじゃないですか?
空いた養蚕農家や蔵なんか使えば、それこそ、レトロで養蚕農家実体験宿泊ができるし。
B&Bシステムで、一泊3,000円くらいで。

言い方がいやらしいかも知れませんが、世界遺産を利用したビジネスモデルの構築ですかね。


Re: 島村掲示板設置 - 丸男 2012/07/04(Wed) 16:35 No.890
あ、B&Bシステム・・・って、Bed and breakfast ・・・ベッドと朝食のみ
ってスタイルで、夕食は持ち込むか、近所の食べ物屋さんで食べてもらって。
その分、料金が安い。いわゆる素泊まり+朝食。
朝食はもちろん、桑の実ジャムと地元産小麦粉による、自家製パンで。

夕食がないので、宿泊施設側も夫婦二人くらいのマンパワーで十分にまかなえます。
客が増えれば、集落内に1軒や2軒のイタリアンレストランだの和食レストランだのができるかも知れないし。


Re: 島村掲示板設置 - あおぞら 2012/07/05(Thu) 00:03 No.891
う〜ん、私も丸男さんの意見に近いですねえ。

世界遺産+道の駅しまむら・・・のような。ジョイント型の新しい世界遺産であり道の駅のような。
富岡製糸場へこの前初めて行ってきましたが、富岡は“お勉強型”世界遺産ですね。
それに対して島村は、ほのぼの昔を懐かしむ自然豊かな風景の中で美味しい郷土料理を味わえる場所・・・。
お叱りを受けそうでが、もしかしたら≪道の駅しまむら〜養蚕農家群・古民家付き〜≫のような感じでも、
充分OKなんじゃないかとも思えるのですが。集客・観光イベント・商業ビジネス的に考えても。
もちろん、世界遺産に登録されれば、もっと素晴らしいことだとは思いますよ。
ただ、私自身は、例え世界遺産にならなくても、島村は充分、独自の魅力を放つ素晴らしい村・町だと思います。
要は、伊勢崎の目玉(失礼)になれば。伊勢崎があまりにキラリと光るカラーが無いので。


Re: 島村掲示板設置 - 比呂 2012/07/05(Thu) 00:34 No.892
まるお様、あおぞら様、お返事を感謝いたします。
そうですね、観光地であっても、カラフルで場違いな店構えやドッ派手な看板とかのない
景観的によければいいと思います。
最近は道の駅とかも「田園プラザかわば」のようにセンスいいですね。
大衆も感性や目が肥えてきてますから、センスよければ人気も大になってきてますね。

島村は自然を大切にした上品で美しい村であってほしいです。
他の観光地で言うなら、ちょっと違いますが信州の安曇野のような・・・

B&Bはイギリスカントリーサイドに多い宿泊施設ですね。
偶然ですけど、私も家のインテリアは昔からB&Bスタイルにこっています。
本場イギリスではコテージという田舎屋とか、コッツウェルズ地方の18世紀の住居とかをリフォームしてB&Bとしたり、
まるおさんの素敵なアイデアで、島村では養蚕農家の住居でそれをやったらグーですね!
近くに洒落た和風カフェができたり、ナチュラルカントリー系の雑貨屋さんとかもできれば
自然と若い人たちもやってくるんじゃないかと思います。
全景的にはみなさまもよく言われる「シルクカントリー島村」のイメージで・・・

観光地や街はあまり気どりすぎても盛らないし、逆に大衆的すぎてもいまいちつまらないし・・・
そのバランス感覚が微妙ですね。


Re: 島村掲示板設置 - 2012/07/05(Thu) 23:39 No.893
う〜〜ん皆さんのご意見素晴らしい。ねえ丸男さん島村の住人に見てほしいですね。
こんなに皆さんがいろいろ考えて下さっているなんて。
地元での話し合いを実現したいが・・どこまでかな?


Re: 島村掲示板設置 - 丸男 2012/07/06(Fri) 08:51 No.896
祥さん、そうなんですよん。
地元の皆さん、それぞれ立場が違うので、足並みを揃えるのが難しいのかなぁ・・・って想像しています。
田島弥平さん家
他の養蚕農家の家
全く養蚕農家と関係ない地元の家
島小の前の、養蚕組合跡地の分譲住宅の人たち

「蚕種の会」と非会員の人たち
年配者と若い人たち
島村の農地で農業を営む人たちと、外に勤めに出ている人たち

立場立場で皆さん考え方が違うのだろうなぁ・・・とは想像できて
結果的に、極端に言えば、
「今のままほっぽっといてくれ」と言う人たちと「これを機会に何かをやろう」と言う人たち
もっと分かり易く言えば、反対派と推進派とに分かれたりするのかなぁ・・・
などと想像しています。

立場だけじゃなく、価値観なども人それぞれだし。
結局、全員が推進派になって一丸となって進めるのは難しいと思いますので、
頑張れる人が頑張るしかないですよね。


Re: 島村掲示板設置 - 2012/07/07(Sat) 00:58 No.899
丸男さん
う〜んその通りなんです。
でもだからと言って動かずにいたら何にも変わらない。伊勢崎市も動き出していますし
地元住民も少しずつ心の中には世界遺産が入り込んで来ているんじゃないでしょうか?
いやかなり衝撃的に入っているかもしれません。だから夢見ているようで
なかなか受け入れられないのかもしれません。
あわてず、徐々に話していきたいです。いろんな方のご意見が島村起こしの
原点の参考になると思います。


Re: 島村掲示板設置 - 丸男 2012/07/07(Sat) 09:26 No.901
祥さん、世の中には、スロースターターの人や、様子見の人が必ずいるから、
実際に始まってみれば、動き出す人がたくさんいると思います。└(^o^)┐

島小近くの県道沿いに、ちょっとしたサロン的な店ができて、
近所の人や来訪者の人たちが雑談したり、休憩したりできるといいですね。
コーヒーやカレー、うどん、サンドイッチなどの軽食なんかも出れば更にいいけど。
その店に資料やお土産を置き、誰彼となく島村のことをお喋りし、
来訪者の不案内な人には誰かが説明したり、問題点を忌憚なく語り合ったり、
場所と人と資金が課題とは思いますが。

公民館じゃちょっと遠くて管理上の問題もありそうで気軽に使えないし、
交流館も管理的問題がありそうだし。
やっぱり、民間の気軽さが必要なのかなぁ・・・などと思ってます。


Re: 島村掲示板設置 - 2012/07/07(Sat) 22:45 No.904
丸男さん
農協の跡地はいかがでしょうかね。祥は是非と思っています。


Re: 島村掲示板設置 - しょうちゃん 2012/07/07(Sat) 23:51 No.905
みなさんチョット話がずれますが、すみません。

昨日だったかな?TVのCMで「宝クジが自治体の役に立っている・・・」が有りますよね。

それで、最近は群馬を題材にしているらしく、「富岡製糸場」が出てました。

良いPRに成りますよね。

これに続けは、まだ早いのかな?それとも連携(一体)で良い方向に向かうと良いですね。


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