世界に馳せた田島弥平 投稿者:春松 投稿日:2012/09/16(Sun) 21:06 No.955
丸男さん、こんばんは。 今日は講演会の帰りに、資料をポストに配達致しました。
講演会場の模様は名ブログほぼにちパート2さんで、すでに素速く速報されてますので割愛させて頂きます。 皆さんはご存知だったのでしょうが、、講師の西川武臣先生は20数年前から田島家を訪れ、健一氏から借りた厖大な資料をトラックで横浜に運び マイクロフィルムに収め、10年の期間に及んで調査をされてきたそうです! 今年の田島弥平旧宅が国指定史跡として答申を得るまでに至ったのも、実は西川先生監修のもと作業が行われてきたようなことも紹介されて、、 今日の先生がなんと!伊勢崎市の田島弥平旧宅調査のブレーンであったことを知り驚き桃の木!
西川先生は貿易や経済史がご専門のお立場で、今回の講演も貿易に関する資料から(経済、品物の動きから)田島弥平の働きを探るといった視点です。 お話のテキストになっているのはあくまで残存した資料からで、講師の情熱的な語り口とともに説得力あり、信憑性の高さを感じました。
Go!伊勢崎さんの年表でもわかりますように、1865年(慶応元年)、弥平氏が幕末の極めて早い段階で蚕種を横浜に持ち込んでいることが強調され、 弥平氏の「変化への対応、それも素早い対応」に市内運送会社社長さんのポリシーが重なりこれまた感銘深いものがありました。
その後の横浜までの移送ルートはまずは航路で利根川〜江戸川〜現在のD・ランド辺りの河口まで下り、そこから陸路東海道で当時、最先端であった人力車をチャーターして横浜に向かったそうです。 この辺りから講師の語りも歯切れよくテンポよく、候分のテキストもわかりやすく聞いてて楽しくなってきます! 行動派の弥平氏はハイカラ、近代的なものを見たなら、すぐに自分で乗ってみる体験してみるというチャレンジ精神が現われ、 またまた、早くも幕末時代の横浜を行きかう馬車、優美に散歩する外国人婦人、風変わりな中国人といった異人ワールドを眼にしてカルチャーショックを受け、 この時点でいろんな世界を見て認識していたことが、1879年の第一回直輸出、世界一周旅行のチャレンジにつながっていったということでした。
吉田松陰、勝海舟、岩倉具視といった当時の知識人はヨーロッパ・アメリカの近代文明を自分の眼で見てやろう!それを積極的に取り入れてやろう!という意欲旺盛な精神で渡航を実行し、 そういった思いは弥平氏にしても然りで、上州島村の地から遥か世界一周旅行に旅立っていきました! 信氏、弥三郎氏とともにミラノで撮影したという記念写真の、洋装で洒落た三人の姿もそれを象徴しているかのようです。
旅先から家族へ送られた弥平氏の手紙の、講師による解説は圧巻で語り口調も最高潮!! 生き生きと熱心に語ってくださった西川先生のお話から、弥平氏の人柄、気持ちがよく伝わってきました。 そこには、家族への愛情、可愛い孫への教育熱心、産業が発展して村が豊かになるように・・・といった熱い思いが綴られてました。
時代は変わり、蚕種の輸出はめっきり減って、その反対に生糸の輸出が増えていった。 弥平氏は国内向け蚕種製造の中心人物となり、養蚕家の憧れの人に。「養蚕新論」はベストセラー、養蚕を志す人々のバイブルに。
田島弥平の養蚕、その華々しい名声を伝えるものが田島家には今も残っていることを講師が示唆し、 講演の終わりで、「世界遺産も歴史があっての話。健一さんの所にまだ数十万点の資料があるから、ぜひ地元でも研究が進められ、 弥平の姿、弥平を取り巻く群馬の近代化を進めた人々の姿が現されてゆくといいですね!」 と、今後の地元民への期待と励ましの言葉をもって講演は終了しました。
以上、何とかまとめてみましたが・・・^ ^; 尚、まとめるに当たって部分的に春松流解釈でもってつなげている箇所があることをご了承ください。 どなたかお読み頂いて、もしもおかしい所がありましたらどうぞご指摘お願い致します。
Re: 世界に馳せた田島弥平 - 丸男 2012/09/17(Mon) 11:41 No.956 春松さん、講演会の資料、ありがとうございました。 じっくりと読ませていただきます。 それと、春松さんのレポート、内容はバッチリ、シッカリ、雰囲気も臨場感タップリ まるで、自分も聴講生だったような気持ちになりました。└(^o^)┐
講師の西川武臣先生の田島弥平の研究は素晴らしいですね。 以前、ふるさとさんから頂いた写真集の中に、 島村に長期間滞在して、四季折々の風景を撮り続けていた人の事を知り、 世の中には、目立たずとも素晴らしい事をしている人がいるんだなぁ・・・と感服していたのですが、 西川さんの活動にも同様な感情を覚えます。 島村の関心を持って4年が経つ私も、まったくビギナー気分に戻ってしまい、 島村マイスターへのゴールが、またまた遠のきました(ノ_<;)。
Re: 世界に馳せた田島弥平 - あおぞら 2012/09/17(Mon) 19:12 No.957 丸男さん、昨日の西川先生の田島弥平講演会、とても勉強になりました。
14(金)に申し込んだ時点で75人目とのことでしたのでギリギリセーフでした。 当日は早めに到着。前から2番目、祥さん御夫妻の後ろに陣取り、西川先生の誠にエネルギッシュで情熱に満ちた講義を間近に聞くことが出来ました。 私のすぐ横には上毛新聞の記者さんが二人待機していらして、講演が始まったと同時に記者さんが床にくっつくような低姿勢で写真撮影。 まるで記者会見のようなフラッシュとシャッターの音に、いよいよ『島村』が世界遺産登録へ向けて大きく動き出したのを実感。 歴史的瞬間を見た思いでした!
お昼もすんで普通でしたら眠くなる時間だったので居眠りしないか心配でしたが、そんな心配は何処かにふっとんでしまったほど、 講師の西川先生のお話は分かりやすく楽しくて、こちらをグングンと引き込み眠くなる暇を与えない本当に素晴らしい講演でした。
田島弥平旧宅には現在も厖大な資料が残っているということで、 「ぜひ地元群馬県の学者に更なる田島家の研究をして頂きたく思っています」とのお言葉でした。 私はそのお言葉を伺って出来ることならですけど、西川先生が定年退職後にはぜひとも、“世界遺産・島村蚕種歴史資料館”の名誉館長に就任していただけたら素晴らしいなあ〜と思いを馳せた次第です。
Re: 世界に馳せた田島弥平 - ふるさとの歌 2012/09/18(Tue) 00:53 No.958 春松さん、昨日(正確には一昨日)の田島弥平講演会のレポート報告、ご苦労さまでした。 完璧です。短時間でここまでまとめるなんて、さすがですね。
5年前、島村関係の資料を探すため、初めて横浜開港資料館に行きました。 開港資料館には田島弥平に関する膨大な資料がマイクロフィルムに収められていて、必要な資料は閲覧が可能になっていました。 地元でもめったに見ることのできない貴重な資料、古文書等が、横浜の開港資料館に収蔵してあるなんて、これにはビックリしました。 講師の西川先生が10年以上の歳月をかけ、地道な作業をひとつひとつ積み重ねていった成果なんですね。 今回の講演会でさらにビックリしたことは、田島弥平旧宅にはまだ整理されていない資料、お宝が数十万点も眠っているということです。
ここで不思議に思うのは、どうして伊勢崎市にはこのような貴重な資料等を展示する施設がないのでしょうか。 今回の田島弥平展を企画した赤堀歴史民俗資料館は、赤堀地区の考古資料・民俗資料・古文書史料の展示が中心で、 田島弥平の資料を常設展示するスペースはありません。 旧市内はもちろん、旧境町にも田島弥平に関する資料を展示する施設がありません。
世界遺産の登録に向けた手続きでも感じたことですが、地元関係者がどんなに熱心に取り組んでも、行政のトップや教育委員会のトップが その気にならない限り、歴史的財産や文化的価値に対する評価は一向に前進しません。 田島家に眠っている数十万点の資料の研究、そろそろ地元教育委員会が中心となり、本気で取り組むときがやってきたようです。 今回、講演会の参加者が初めて定員を超えた程度で喜んでいるようでは、本質的な問題の解決にならない、ということを強く指摘しておきたい。
Re: 世界に馳せた田島弥平 - 丸男 2012/09/18(Tue) 13:27 No.959 目の前のご馳走も、お腹が一杯だと欲しがらない。
今、全国の自治体が、ほんのちょっとした事柄に飛び付き、食いついて、 ご馳走に仕上げて自分の財産にし、自分たちの個性化を図り、多面的な経済効果を狙っている時、 伊勢崎市は「日常」や「タッチ」などのサブカルチャー 明星電気の衛星打ち上げ、古い街中風景、もんじゃ焼きや焼き饅頭のB級グルメ、 島村地区始め、現存する絹産業遺産群の保全や活用などは、 余り関心がないように見受けられます。 外圧あるいは地元の声が大きくなると、仕方なく重い腰を上げると言うのが実情のようです。
伊勢崎市民性を考える時、遡ること半世紀以上前から 「学術優秀な生徒は前橋や桐生、太田など、市外の進学高を目指しなさい」 と教育を受けて来ているので、優秀な人材は市外、あるいは県外を目指せばいい、 伊勢崎は一流でなくても、ほどほどで良い、 と言うDNAレベルの刷り込み現象が発生していると思います。
県内他市に比べると限りなく平坦地、住宅地や工業用地造成においても、 東毛地区を除く他市ならば盛土や切土、擁壁設置などの造成費負担がかかるところを、 伊勢崎市は軽微で済みます。逆に排水勾配に悩む話も聞きますが。 前橋、高崎、桐生、太田、深谷、本庄、藤岡など周辺市に出かけるにも、ほとんど等距離、等時間。 地元になければどこかに行けば間に合うので、特には地元にこだわらない。
特に一流でなくても、また、必死で努力しなくても何となく食べていける、 だから、わざわざ余計な事をして仕事を増やす必要もない、 そんな市民性が蔓延しているように思います。
笛を吹いても踊らない街、顔のない街、伊勢崎市はそんな感じでしょうかね。
私も「Go!伊勢崎」の運営で、官民関わらず様々な人と接触し、様々な考え方に接し、 時には「何でこのサイトを運営しているんだろう?」と自問自答し、気力が萎えることもありますが、 ふるさとさん始め、熱い魂、光る個性に出会う事もあるので、それが楽しみで運営しています。
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