伊勢崎銘仙で織物産業の歴史にその名を残した伊勢崎市。その伊勢崎銘仙を支えた養蚕業。昭和の中ごろまで、伊勢崎市郊外の農家はほとんどの家で養蚕を営み、現在でもまだまだたくさんの養蚕農家の建物が残っています。 春蚕(はるご)、夏蚕(なつご)、秋蚕(あきご)と少なくとも1年に3回、晩秋蚕(ばんしゅうさん)や晩々秋蚕(ばんばんしゅうさん)を加えれば年5回、場所によっては初冬蚕(しょとうさん)も加えて年6回の飼育を行った養蚕。 実は私の実家も旧三郷村(昭和30年/1955年に旧伊勢崎市に合併)で、櫓付きの立派な養蚕農家じゃありませんが、座敷とコザの8畳二間続き、その北側にナンド(納戸)とダイドコ(台所)、8畳二間の前には一間幅のエンガワ(縁側)、玄関右側には馬屋じゃありませんが細長い部屋があって、玄関を入ればダイドコを通り抜けて裏の井戸端まで土足で行ける典型的な農家造りでした。 |
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この家で、春蚕、夏蚕、秋蚕、晩秋蚕と年4回の養蚕を営み、母屋とは別棟のバラックがあって、暖かい季節にはこのバラックで飼育するものの、春蚕や晩秋蚕となると、母屋は蚕に明け渡して、家族は隅の方で小さくなって生活を営みました。当時は親の苦労など理解できない親不孝な子どもで、親に文句を言えば叱られるだけと言うことが分かっていたので、じっと我慢の日々でしたが、上品に小奇麗に暮らす非農家の友達の家が羨ましくもありました。 そんな私でも、渋々ながら養蚕業の手伝いをすることもあって、竹篭を背中に背負って桑畑に出かけたり、親が枝ごと切ってきた桑の葉を蚕の上に並べたり、食べ残った桑の枝とその隙間にたっぷり溜まった糞を片付けたり、今思い出すとほとんど親の役には立たなかったと思いますが、それなりには養蚕体験があります。 その体験のせいか、桑の葉は遠目にも識別できて、伊勢崎市の郊外や河川堤防のサイクリングロードを走っていても、ちょっと気になります。気になるのと同時に、桑の木は桑畑で栽培するもので、自然には生えていないものと思っていたので、「何でこんなところに生えているんだろう?」と疑問も湧いています。 そんな桑の木ですが、「富岡製糸場と絹産業遺産群」としての養蚕農家・田島弥平旧宅を抱える伊勢崎市に取って原点的な樹木でもあります。現在指定されている伊勢崎市の木は松ですが、全国津々浦々で見受けられる松よりも、地元の産業を支えて来た桑の方が、よりアイデンティティーを証明できるんじゃないかと思ったりもします。 こんな経緯でいつか桑の木を紹介しなくてはと思いつつ今頃になってしまいましたが、まずはサイクリングロードで見つけた桑の木です。粕川サイクリングロードと広瀬川サイクリングロード脇の堤防に自然に生えていました。 今後、市内のあちこちで見かけた桑の木を紹介して参ります。いつの日か、沼田市・薄根の大桑のような大きな桑の木に出会うかも知れません。そんな日が来ることを楽しみにしつつ・・・(2013/7/17 記) |
5月31日、梅雨に入ってしまうと当分の間青空を望めないと思い、あちらこちらをサイクリングしましたが、ここ粕川サイクリングロードを走っていると、上武道路に架かる橋の少し下流で一本の桑の木に遭遇。 この場所、未舗装の時代からMBに跨って何度も走っていますが、桑の木の存在に気が付いたのは初めてのこと。気が付いた理由は、たわわに実る桑の実。枝と言う枝にビッシリと実が付いて、いかにも美味しそう。 2年前、JA佐波伊勢崎と伊勢崎興陽高校の共同 企画で試作された「桑の実ジャム」。未だ口にしたことはありませんが、桑の実と言えば「どどめ」と称し、子どもの頃、親に叱られるまで食べまくったあの味。 食べ過ぎてお腹を壊した記憶もありませんが、バレないように食べても、口の周りが紫色に染まってしまうので、簡単にバレてしまいます。濃い紫色に熟した「どどめ」を食べ尽くすと、まだ赤くて硬くて酸っぱい実にも手を伸ばして、まるで、木の実を啄む野鳥と同じ。しかも洗いもしないで、枝からもいだ実をそのまま口に入れたり、竹の筒に入れて桑の枝でつついてジュースにしたり。 現在のように、一年中、スーパーマーケットにたくさんのフルーツが溢れている時代ではなかったので、ご馳走でした。でも、現在は子ども達の胃腸の状態も、衛生観念も全く異なるので、お薦めする訳ではありません。挑戦した結果は自己責任と言うことで。(2014/6/8 記) |
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たわわに実る桑の実 2014/5/31 2014/5/31 |
濃い紫に塾した桑の実、ブラックベリーのよう。 2014/5/31 2014/5/31 |
枝と言う枝にたわわに実る桑の木(粕川サイクリングロード脇で) 2014/5/31 |
伊勢崎市に数ある公園の中で、花の名所や史跡、公園、山や川、周囲を遠望できる視点場などが集まっていて、いつ訪れてもその時々の楽しみを発見できる場所はそれほど多くありません。そんな伊勢崎市において、それらが盛りだくさんに集まった貴重な場所がここです。伊勢崎市最高峰(168m)の峰岸山を中心に、秋にはその南傾斜面を鮮やかに彩る「小菊の里」、その南側の磯沼公園や十二所古墳、更に7月にはたくさんの蓮が咲く「あかぼり蓮園」。そして蓮園西側の天幕城跡などがあります。 天幕城跡そのものは、当時の土居(防衛目的で作られた土塁のこと)が残されているだけで、アミューズメント気分で訪れると何の面白味もないでしょうが、北から西側にかけて流れる蕨沢川と、城跡の土居や斜面、周辺の段々畑などが造り出す風景は、いかにも里山風情で、私のお気に入りスポットです。先日は、ここで咲く彼岸花を見つけて、こちらのページで紹介し、新たな魅力が加わりましたが、今回紹介するのは、天幕城跡の土居に囲まれた空き地に立つ一本の大きな桑の木です。 この場所は過去何度も訪れ、木の下で休憩などもしていながら、恥ずかしながら今まではこの木が「桑の木」である認識をしていませんでした。認識したのは、間違いなく当「桑の木」ページを新設したことがきっかけなので、人間の脳味噌は、関心と言うフィルターがかからないと、視覚で見ていても脳には記憶しないのだと言うことを体験しました。きっとそのようなレベルで見過ごしている日常の風景、まだまだたくさんあるのでしょう。(2013/10/3 記) |
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天幕城跡の一本の大きな桑の木。遮る物が少ないこの辺の空は高い。 2013/9/29 |
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天幕城跡の土居(左)と大きな桑の木(右) この右側の畑一面をサルビアやポーチュラカ が覆う時もあります。 2013/9/29 |
木の下には誰が設置したか、コンクリート側溝等を利用したベンチなどがあります。 2013/9/29 |
→天幕城跡 |
先日、田園脇に群生するキクイモ(菊芋)に会いに行った日、キクイモをたっぷりと撮影した後、落ち着いて周囲を見渡すと、水田の向こうにちょっと気になる林を発見。遠目にも杉林や竹林でもないのは判別できましたが、と言って背丈や葉っぱの混み具合から桜やナラ、クヌギでもなし、一体何の木?ひょっとして栗林?ま、とにかく近寄ってみるかと、ひとまず遠景を撮ってから近付いてみると、何と、桑林でした。その背丈は、すぐ南側にある一つ櫓付きの養蚕農家の高さと比べても、十数メートルはあり、桑畑と言うより桑林です。 桑畑を放置した結果ここまで伸びたのか、他の目的で桑林を作ったのか、詳しくは分かりませんが、蚕の国・群馬に住んでいながら桑林との遭遇は初めてのことです。 このページを設置してから特に感じるのが、「桑はアメリカヒロシトリに弱い」と言う認識は間違っていたのじゃないかと言うこと。河川堤防に生えている桑の木、田畑の畦に植えられている桑の木など、桑の木だけがアメヒト被害を受けている風には見えません。もちろんアメヒトが食べ尽くした桑の木を見ることもありますが、そんな頃には例えば公園の桜なども葉っぱを食べ尽くされ、木の下は毛虫の糞で茶褐色に変色しています。 かつて養蚕が盛んだった頃、お蚕さまにあげていた桑の葉は、若芽の頃の柔らかい葉で、野生化して、緑濃くしっかりと育った桑の葉は、厚くて硬くて、アメヒトにとっても美味しくないんじゃないかと思います。 以前、市役所のAさんに、「桑の木は立派に街路樹になれる」と力説された時、「桑の木はアメヒト被害が大変でしょう」とすかさず切り替えしましたが、どうやらAさんの言う通りのようです。「富岡製糸場と絹産業遺産群」で世界遺産登録を目指す我が群馬県、県や養蚕が盛んだったどこかの市の木になっても良さそうに思います。(2013/9/15 記) |
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水田の向こうにお椀のようにポッカリ浮かんだ桑林(前橋市二之宮町) 2013/9/12 |
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桑林の前の一つ櫓付きの養蚕農家 2013/9/12 |
水田と養蚕農家、桑林。養蚕時代を彷彿とさせます。 2013/9/12 |
桑林の中を覗くと、整列した桑の木が太く育っています。葉っぱはちょっと硬そう。 2013/9/12 |
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整列する桑。北風のせいか、微妙に南側に傾斜。 2013/9/12 |
緑濃い桑の葉で覆われる桑林 2013/9/12 |
先日、身内から「茶臼山古墳にはでっけぇ桑の木がいっぺぇあるんねぇ!」と聞かされ、よほどのマニアでないとなかなか訪れない茶臼山古墳にどうして出かけたのか、そのことに興味が湧きましたが、それは別にしてすぐに思ったのが、「よぉ〜し、それじゃ葉っぱが茂ってる間に行ってみなくっちゃ」と言うこと。 茶臼山古墳(伊勢崎市赤堀今井町)付近は多田山や大室公園、毒島城跡付近へサイクリングする時についでに寄りますが、人に会ったことは一度もなく、8棟の家形埴輪を出土し、古墳時代の豪族の屋敷を伝える帆立貝式古墳として、重要で貴重な古墳の割には残念な状況です。もっとも現地には標識と案内板しかなく、帆立貝式古墳が復元されている訳でもなく、どこを見学すればいいのか、古墳史跡としてはちょっと曖昧な状態なので仕方ないのかも知れません。 話が逸れましたが、今回の話題は桑の木の話。身内の話の通り、古墳の案内板付近にある大きな桑の木、古墳へ至る農道脇の桑の生垣、古墳西側の畑の境界沿いの桑ぐねなど、桑だらけです。すくすく伸びた大きな木だけじゃなく、生垣になって丈詰めされている桑の木も、その株は太く、どうやらこの周辺には以前から桑がたくさん植えられていたようです。 このページを起こしてから、意外と早く見つかった大きな桑の木。現在のところ、この一帯の桑の木が伊勢崎市内で見つけた一番大きな桑の木です。でも、伊勢崎市内の大きな桑の木探しの旅はまだまだ続きます。(2013/8/29 記) |
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茶臼山古墳周辺の大きな桑の木。真ん中にあるのは案内板と位置を示す標識柱。 2013/8/25 |
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茶臼山古墳の案内板の位置にも1本 2013/8/25 茶臼山古墳入口から見る大きな桑ぐね 2013/8/25 |
茶臼山古墳の西側の畑に立つ桑ぐね 2013/8/25 茶臼山古墳周辺に立つ大きな桑の木 2013/8/25 |
茶臼山古墳(中央後方)へ続く農道脇にも桑の生垣。丈は詰められていますが、株は太い。 2013/8/25 |
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茶臼山古墳の西側の農道脇の桑の木 2013/8/25 高砂百合を紹介した山の南斜面の桑の木 2013/8/25 |
美味しそうに茂った桑の木 2013/8/25 多田山の東側の農道脇の桑の木 2013/8/25 |
毒島城跡の北方の山の付近にも桑の木 2013/8/25 |
伊勢崎市で桑の木を語る時、島小(伊勢崎境島小学校)の南西側にある桑畑を紹介しない訳には行きません。 この桑畑は面積が500平方メートルあり、世界遺産登録を目指す地元の住民団体「ぐんま島村・蚕種の会(さんしゅのかい)」(田島健一会長)が、2008年に群馬県各所を会場として開催された「全国都市緑化ぐんまフェア」(→伊勢崎会場の様子はこちら)を記念に植え付けたもの(*)で、蚕種、養蚕で隆盛を極めた島村の原風景をよみがえらせ、また島村地区の散策コース上にも位置し、島小の養蚕授業の桑として提供されるなど、島村の養蚕農家群同様、島村にとって重要な桑畑です(2013/8/1 記)。 →島村特集のページはこちら (*)桑の苗木は、全国都市緑化ぐんまフェア・前橋公園会場の「桑の海」に植えられたものをフェア終了後に500本譲り受けたものとのこと。 |
島小の南西側(田島弥平旧宅の北側)にある島村桑畑 2012/9/15 |
本日、道路端に群生するヤブカンゾウを紹介した前橋市二之宮町(→記事はこちら)。実はこのヤブカンゾウと同じ場所に、桑が一列に植えられていました。養蚕業が盛んな頃ならば、既にお蚕さまの餌になっていたことでしょうが、今は、餌用でもなく、街路樹でもなく、ただただ美味しそうな緑の葉っぱが真夏の太陽の光を受けて、輝いていました。 もったいないような、贅沢なような風景ですが、養蚕業が途絶えた今もなお、このような形で、かつてはこの周辺農家の家計を助けたであろう養蚕の歴史を残して伝えること、素晴らしいことと思います。(2013/7/31 記) |
広瀬川堤防斜面の桑の木(伊勢崎市図書館の北西) 2013/7/28 |
広瀬川堤防斜面の桑の木(伊勢崎市図書館の北西) 2012/10/14 |
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アップで撮影 2012/10/14 広瀬川堤防斜面の桑の木(美原記念病院の南東) 2012/10/14 |
広瀬川堤防斜面の桑の木(伊勢崎市図書館の西) 2012/10/14 広瀬川河川敷の桑の木 (ラブリバー親水公園・うぬきの対岸) 2012/10/14 |
粕川堤防斜面(華蔵寺公園の東側) 2012/11/11 |
粕川堤防斜面(群馬県道前橋館林線の北) 2012/11/11 |