Go!伊勢崎 平成19年度埋蔵文化財発掘調査速報展(その2) [ その1遺跡・古墳里山 ]  [ Home ]




平成19年度埋蔵文化財発掘調査速報展(その2)


寺回遺跡(てらまわりいせき)川上遺跡(かわうえいせき)越切遺跡・叺遺跡(こしきりいせき・かますいせき)
伊与久・久保田東遺跡(いよく・くぼたひがしいせき)上植木廃寺(かみうえきはいじ)
北小校庭遺跡(きたしょうこうていいせき)

掲載日:2007/8/2 画像の日付は撮影日
 このページは、伊勢崎市内で平成18年度に行われた発掘調査の成果報告が、「平成19年度埋蔵文化財発掘調査速報展」として市内で開催された内容を掲載したものです。
 全体案内と下記6ヶ所は「平成19年度埋蔵文化財発掘調査速報展(1)」をご覧ください。
  • 大沼上遺跡(おおぬまうえいせき)
  • 田中田遺跡・中屋敷東遺跡(たなかだいせき・なかやしきひがしいせき)
  • 大道上遺跡(おおみちうえいせき)
  • 寿町遺跡(ことぶきちょういせき)
  • 喜多町遺跡(きたまちいせき)
  • 胴山遺跡(どうやまいせき)
(*)展示室の撮影は資料館の許可を得ています。皆さんが撮影する場合にもご確認ください。

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寺回遺跡(てらまわりいせき)

市場町
【パネルの説明文】
 寺回遺跡は、分譲住宅地造成に伴い発掘調査が行われました。
 7回にわたるこれまでの発掘調査で、墓域を中心に住居群が広がる縄文時代前期(約6,000年前)の、大規模な集落であったと考えられます。今回の調査ではその一部が確認され、縄文時代前期の竪穴住居跡3軒、貯蔵用もしくは墓に使用されたと考えられる穴が26基発見されました。
 出土した土器・石器は多く、イノシシの顔が装飾された土器や貝殻で文様を付けた土器、石製耳飾の破片などが出土しています。

赤堀歴史民族資料館にて 2007/7/22

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川上遺跡(かわうえいせき)

下触町
【パネルの説明文】
 川上遺跡は、アパート用地造成に伴い発掘調査が行われました。これまでの発掘調査では、古墳時代から古代の集落が確認されています。
 今回の調査では、古墳時代前期(約1,400年前)の竪穴住居跡1軒の他、時期不明の竪穴住居跡1軒や多数の穴が確認されました。
 古墳時代の竪穴住居は、深さが約40cm掘り込まれた一辺約6mの正方形で、東壁の中央に煮炊きに使用したカマドが付けられ、柱穴や貯蔵用の穴、硬く踏みしめられた土間も確認できました。またこの住居跡は、規模を大きく作り直され、カマドも新しく作り直されています。

赤堀歴史民族資料館にて 2007/7/22

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越切遺跡・叺遺跡(こしきりいせき・かますいせき)

茂呂二丁目、美茂呂町
【パネルの説明文】
 越切遺跡・叺遺跡(こしきりいせき・かますいせき)は、土地区画整理事業に伴って発掘調査が実施されました。
 発掘調査の結果、越切遺跡では古墳時代から古代(約1,700年前〜1,100年前)の竪穴住居跡37軒が確認されました。  出土遺物の中には、陶邑(すえむら:大阪府南部窯址群)で国家的に生産された5世紀末の須恵器(すえき)が出土しています。
 叺遺跡では、平安時代の竪穴住居跡3軒、古代の大規模灌漑用水路である女堀(おんなぼり)の一部が確認され、幅約9m、深さ4mの大型溝で、3回以上の掘り直しがされていることが確認できました。

赤堀歴史民族資料館にて 2007/7/22




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伊与久・久保田東遺跡(いよく・くぼたひがしいせき)

境伊与久
【パネルの説明文】
 伊与久・久保田東遺跡跡は、土地改良事業に伴い発掘調査が実施されました。
 発掘調査では、古墳時代(約1,700年前)の竪穴住居跡1軒、平安時代(約1,200年前)の竪穴住居跡9軒、掘立柱建物跡1棟、井戸1基、平安時代(約900年前)の水田、地震による噴砂痕(ふんさこん)が確認されました。水田面には、天仁元(1,108)年の浅間山噴火軽石が堆積しており、災害により荒廃した水田と考えられます。また地震による墳砂痕は、弘仁9(818)年の関東北西部に大きな被害をもたらした地震の影響による可能性が高いと考えられます。

赤堀歴史民族資料館にて 2007/7/22

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上植木廃寺(かみうえきはいじ)

本関町
【パネルの説明文】
 上植木廃寺は、個人住宅建設に伴い発掘調査が実施されました。
 これまでの発掘調査により中央に金堂、その右前方に塔、金堂の後方に講堂を配す古代寺院(約1,300年前)であることがわかりました。 また寺院の創建に際して供給された瓦窯(がよう)も近隣で確認され、古代上野国において重要な寺院だったことがわかっています。
 今回の調査では、寺域西限を示す柱穴列が確認され、これまでの調査の再確認ができました。また井戸と考えられる穴からは、大量の瓦片が出土し、おそらく不要になった瓦を廃棄したものと考えられます。

赤堀歴史民族資料館にて 2007/7/22

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北小校庭遺跡(きたしょうこうていいせき)

曲輪町
【パネルの説明文】
 北小校庭遺は、赤石地区整備事業に伴い発掘調査が行われました。
 発掘調査の結果、中世(約700年前)の堀が発見されています。この堀は、調査区何壁から北東方向へまっすぐ延びており、途中で東へほぼ直角に曲がり、調査区東壁まで達しています。 この堀の性格は今のとこり不明ですが、赤石城に関係する可能性が考えられます。
 また今回の調査では、終戦前日の空襲と昭和35年の火災によって使えなくなった瓦や茶碗などが発見されました。

赤堀歴史民族資料館にて 2007/7/22




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