伊勢崎市の文化財と石碑・Top
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文化財名
小畠武堯の墓
(おばたけたけたかのはか)
文化財事項
指定内容
市指定遺跡
指 定
昭和42年2月15日
記号番号
文伊教文第11号
所有者
管理者
善応寺
所 在 地
伊勢崎市曲輪町10-11
初 期 地
当初より
形 状
小畠武堯の墓の後ろに大正9年(1912)の八坂堰普通水利組合建立の碑ある。
年 代
近世
江戸時代
小畠武堯(伊勢崎藩家臣 150石 伊勢崎奉行)生年不明
享保18年(17336)没 法名「養林院寒叟凌雲居士」
墓碑銘・墓地図
略系図
文化財注記
小畠武堯が笂井から茂呂の粕川の落としまで開削をしたといわれているが、八坂樋と備足堰(びったりせき)までの用水路を建設し、既存の水路を整備しつつ通水させたと考えた方がよいのかもしれない。八坂用水は、農業用水だけでなく、防火用水、陣屋の内堀の水としても使われた。
関係資料
八坂用水・佐波新田用水関係碑
八坂用水樋資料(写真・絵)
書誌事項
分類番号
書 名
バーコードNo.
所 在 場 所
K224イ
八坂用水資料目録
(書誌は別頁に掲載
)
101822395
一般・調査・書庫
赤堀(郷)・境(郷)
書誌注記
拙著『八坂用水資料目録』には、八坂用水・佐波新田用水・小畠武堯・菊池武右衛門等に関する書誌を 掲載してありますので、参照してください。
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小畠武堯家墓地
大正7年11月28日に小畠武堯は従五位を贈位されているのて、このころから、右写真にある墓のうしろの碑に刻字されている年代は大正9年1月建立とあるから、この間に撮影されたものと思われる。
(伊勢崎市立図書館蔵)
昭和40年代の撮影と思われる
平成3年頃撮影
→
2015年の小畠武堯家墓地の状況
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