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24 文化財名 富塚円福寺の宝篋印塔
とみづかえんぷくじのほうきょういんとう

 文化財事項                                                            
指定内容 市指定重要文化財 指  定 昭和48年3月5日
記号番号 文伊教文第24号 所有者管理者 円福寺
所 在 地 伊勢崎市富塚町2337 初 期 地 当初より
形  状 円福寺墓地中央に宝篋印塔5基あるが、この内南の2基が指定されている。2基共高さ93p程で西向きである。
年  代 中世 南北朝時代 指定の宝篋印塔の内一基に「長享三年(1498)保酉己□(六)□(月)□(日)」「勝厳塔」と刻まれている
文化財注記「勝厳」は那波教元(のりもと)と推定されている。円福寺から西におよそ200m程に富塚城がある。この地域はかつて那波氏の支配地域であった。この宝篋印塔はその証でもある。
文化財資料 宝篋印塔の名称

 
書誌事項
分類番号 書            名 バーコード 所 在 場 所
K224イ 伊勢崎市史 通史編1 原始古代中世 772〜773頁 101801918 一般・調査・書庫
K205イ 伊勢崎史話 第9巻 17〜18頁 101814131 調査・書庫
K709グ 群馬県文化財図録−重要文化財編 76頁 101819276 一般・調査
K185グ 群馬の墓めぐり 93頁 101819574 一般・調査
K224イ 伊勢崎の史話 120〜123頁 101801976 一般・調査・書庫

書誌注記 宝篋印塔それぞれに「勝厳塔」「喜阿宗秀」とあるが、上記『市史』に当てはまる那波氏が比定されている。
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富塚円福寺の宝篋印塔関係資料
左写真は、昭和40年代と思われる

右写真は、平成12年頃の撮影。