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伊勢崎駅周辺 History 2006/11

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伊勢崎駅|田原屋跡地

伊勢崎駅

停車中の東武線とJR両毛線 2006/11

掲載日:2021/9/17
 2006年11月、高架化事業が徐々に進む伊勢崎駅。まだ現役の地上駅には、いつも通りに電車が到着し、発車していました。立体化を完了し、高架駅舎になった現在、再び見ることができない地上駅の風景。昭和の雰囲気に包まれ、懐かしいばかりです。(2021/9/17 記)


元田原屋さん跡地 2006/11

当初はマンション計画、結果的に結婚式場

緑町マンション建設新伊勢崎南西側マンション建設結婚式場建設
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 伊勢崎駅前通り、アイオー信用金庫大手町出張所(2006年当時は大手町支店)の道路を隔てた西側には、かつて「田原屋」と言う総合デパートがありました。一棟多層階の鉄筋コンクリート造で、記憶では地上4階建てでした。子供たちが幼かった30数年前、家族連れで出かける店と言えば、ベイシア伊勢崎店か西友、そして田原屋でした。田原屋の南東の入り口を入ると左手にエレベーターがあって、「エレベーターガール」なる女性がいて、お客の乗降の案内をしていました。

 余談ですが、東京からUターンして数年後のことだったので、東京時代に時々訪れた日本橋高島屋銀座三越のエレベーターガールのことを思い出していました。つば付きの帽子、白い手袋、フロアの店員さんのユニフォームより一ランク上のスーツを着用し、身長も高く、乗降客へ深々と頭を下げ、客を案内する身のこなしは上品なことこの上なしでした。
 特に日本橋高島屋では、まだ格子戸が開閉するエレベーターが残っていて、一階にはエレベータ内の女性とは別に、外で待つ客を案内する女性もいました。この女性は花形なのか、ひと際スマートでモデルさんのよう。
 エレベーターが一階に到着すると、外待ちの客をおしとやかに制して一旦待たせ、到着したエレベーターからは真っ先に室内のエレベーターガールが降り、お辞儀を繰り返しながら降客を誘導。
 全員が降りきると、エレベーターガール同士で軽く会釈して、外待ち客を誘導し、全員が乗り終えると、外のエレベーターガールが中のエレベーターガールに深々と頭を下げて、「よろしくお願いいたします」
 中のエレベーターガールは「かしこまりました」と頭を下げてドアを閉めます。
 このエレガントなシーンが群馬出身の私には上品で新鮮に写り、大した買い物もないのに時々訪れていました。

 田原屋さんのエレベーターとエレベーターガールを、日本橋高島屋と比べては気の毒ですが、伊勢崎にもこのシステムが運用されていたことに感心しました。

 余談が長過ぎましたが、田原屋で困ったのは駐車場が少なく、狭かったこと。郊外に住んでいるので、車は必須の移動手段。西友は広い駐車場があり、ベイシアは近所に次々と駐車場を拡張したので困ることはなく、そのせいもあってか、田原屋さんでの買い物回数が最も少なかったように思います。
 また、建物の南東側と西側には住宅が近接して建ち、その窮屈そうに建てられた建物を見る度に、「立ち退き交渉が上手く行かなかったのだろうか・・・」と、外野席からあれこれ想像していました。

 田原屋の閉店時期を記憶していませんが、閉店後に建物は解体撤去され、長期間空き地状態が続きました。いつの頃からか、跡地にマンションが建つ話が流れ、当時の市街地整備部のK所長に取材し、詳しい話を伺ったことがあります。全戸数や台所にディスポーザーを設置するなど、結構具体的に話が進んでいました。実際、敷地を囲む塀にはマンション計画の看板が掲示されました(下の画像)。
 ほぼ同時期に緑町新伊勢崎南西側の2棟のマンション建設も進み、そちらが完成してもなお着工の動きもなく、最終的には結婚式場が建つことになりました。

 緑町のマンションの建設現場に度々足を運ぶうちに営業さんと親しくなり、田原屋跡地のマンション計画のことを話題に振ると、「計画が建ち上がった時の伊勢崎市街地のマンション需要が、ここ数年で大きく下がったせいかも知れない」との見解でした。計画から着工、完成、販売開始までの年月の経過が、計画を中止させてしまうこと、不動産事業の難しさを感じた出来事でした。(2021/9/17 記)


元田原屋さん跡地を囲む塀と、マンション計画案内。 2006/11/3

マンション計画案内。 2006/11/3





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