ブドウの木とガーデニング 投稿者:キリシタンのモニカ 投稿日:2017/10/15(Sun) 20:23 No.1595 ▲ページTopへ ▼次の記事の先頭へ
丸男さん、おひさしぶりです。美味しいブドウが、過去最高の収穫だったということでおめでとうございます! 今朝のコラムを読ませていただいて・・実はそのことが、聖書の中にも有名なたとえ話として書かれているのでピピっと来てしまいました。(汗) 「わたし(キリスト)はまことのぶどうの木であり、わたしの父(父なる神)は農夫です。わたしの枝(信者)で(中略)実を結ぶものはみな、もっと多くの実を結ぶために、刈り込み(剪定)をなさいます。」(ヨハネによる福音書15章1、2節)といった具合です。 信者すなわち人間の場合には、あえて試練や訓練を与えて豊かな人格が形成され、その人が神の祝福を受けるというようなたとえなんです。
またまた、丸男さんのお庭のブドウの木は、樹齢30年ということでビックリです。(@_@) そういえば、うちのバラもいい花を咲かせるために、剪定はバラ栽培の中でも最も大切な作業でした。今年は雨が多いので、秋バラは咲いてもほとんどの葉っぱは黒星病というバラの典型的な病気にやられてしまいました。 ブドウもバラも恐らく他の植物も人が人工交配・品種改良したような原種でないものは、自然に放置しておくのより、人が剪定、薬散はじめとした手入れをしてやった方が、実も花もよくなることが最近、私にもわかってきました。園芸については素人なので違っていたらすみません。 原種は神の創造したもの。それをもとに人為的に作られた園芸種は、人間の赤ちゃんと同じで、放っておくといい実がならなくなったり病気になったりでうまく育たないのでしょうね。ハイブリッド・ティー系と呼ばれる豪華絢爛なバラたちや、イングリッシュローズも、放っておくとすぐに見るも無惨な姿になってしまいます。
聖書は神と人との対話が書かれているのですが、園芸種はまさに人と植物との対話なんだと思います! できるだけ手入れしてやって大事に育ててやれば、やっただけのリアクションが帰ってくるし、時には「いいお花が咲きましたね〜。」とか「可愛い〜。」なんて話しかけてやると、植物だって励まされ元気に成長するなんてこともよく言われてますね。 更に休日の限られた時間のなかで庭で夢中になって、一生懸命庭しごとをしていると、自分もそうとう汗をかくし体力も消耗します。それは試練でもありますが、その結果、庭は綺麗になるし自分も調子よくなってしまうので一石二鳥です。いつのまにか自分の余計なぜい肉もそぎ落されシェイプアップされている=自分も剪定されているのに気付いたときは楽しいです(笑) 長文になってしまってすみません。そんな感じの、最近の私のガーデニングでした・・・。
Re: ブドウの木とガーデニング - 丸男 2017/10/16(Mon) 09:11 No.1596 キリシタンのモニカさん、お久しぶりです。 コラムのブドウの剪定記事と聖書の文章に類似点があったこと、 キリスト様も「もっと多くの実を結ぶために、刈り込み(剪定)をなさいます。」 と剪定を受容したこと、いいことを教えていただきました。 そして少し安心しました。
・・・と言いますのは、コラムに書いたように、兄に教わりながら今年初めて「正しい」剪定を行ったのですが、 本当にバッサリ、バッサリと切り落とす作業で、その量は半分以上に及び、 更にその後の成長においても、新しい枝や芽は切り落とし、 その結果、残された房は立派で美味しく育ったのですが、 切り落とされた房や枝のことを考えると、ちょっと残酷で可哀想な想いが残っていたからです。
特に、一枝に付いたほぼ同じ大きさの2つの房の片方を切り落とすときなど、 その判断基準は非常に微々たるもので、地面に落とされた房を見ると、絞首台の執行人のような気分になりました。
植物は自然の成長に任せて放置するわけには行きませんが、 伐採や伐根、剪定された方はきっと悲しい人生(植生?)だったでしょうね。
・・・とは言え、バラの花の具合こそ、手入れの賜物ですよね。 キリスト様も人間のために有益かどうかが基準と言う理解でいいのでしょうかね。
|