群馬県伊勢崎市の赤堀地区には毒島城跡、天幕城跡、そしてここ赤堀城跡の3つの城跡があります。毒島城跡と天幕城跡は小高い丘の上にあり、周囲からも目立ちますが、赤堀城跡は周囲と大きな高低差がない平地にあります。 特徴は西の粕川と東の鏑木川に囲まれ、当時は城のすぐ南側で両河川が合流していたと思われること、この地理的条件が築城の理由の一つになったと思われます。 概要は現地説明板に記載されていますが、本丸を囲郭式とした並郭城であったとのこと。廃城は天正18年(1590年)。今から429年前、徳川家康が江戸城に入城した年です。 現在も本丸の北側と東側に土居が残され、北側の土居の北側には堀跡らしき窪地を確認できます。 |
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現在の赤堀の中心地は伊勢崎市役所・赤堀支所周辺ですが、昭和の中頃までを知る人に話を聞くと、その頃はこの周辺が中心だったよう。赤堀城跡北東側の「あかぼり・ほたるの里」(現在、ほたるの保護活動はしていません)は当時は病院があり、「ほたるの里」北側の南北通り沿いにはたくさんの商店も並んでいたよう。明治前期に作られた迅速測図を見ても、赤堀城跡周辺には家屋がたくさん並んでいます。 郭内に人々が行き交っていた400年以上前、また明治時代には佐位郡(後に佐波郡)今井村の中心地として、更に昭和の中頃までは赤堀村(昭和61年に赤堀町へ移行)の賑やかな場所として栄えた当地。そんな時代に想いを馳せながら現地を訪ねると、当時の人々の声が聞こえて来るようです。 |
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赤堀城跡を訪れるには、南側の群馬県道・前橋西久保線から狭い道を入るか、東側の鏑木川側から入ります。周辺には駐車場がなく、入口付近の県道はカーブ中で見通しが悪く、路上駐車は危険。1,2台ならば、「あかぼり・ほたるの里」北側の東西道路脇に空きスペースがあります。ルートが多少ややこしいですが、伊勢崎市役所・赤堀支所の駐車場からは住宅地を抜けて約700mです。(2019/4/10 記) |
現地説明板現地に立つ説明板(記載内容は下記) 2019/4/4
案内板に図示された地図。赤線枠は指定範囲。 |
本丸の北側に残る土居(南側から) 2019/4/4 本丸があったとされる場所(現在は畑) 2019/4/4 土居を東側から 2019/4/4 土居北側の堀跡と思われる地形 2019/4/4 |
県道からの入り口(Google earth 撮影:2017年6月) |
県道からの入り口(Google earth 撮影:2017年6月) |
粕川側から見る赤堀城跡(Google earth 撮影:2017年5月) 航空写真に見る現況(Google earth. ) |
迅速測図で確認する赤堀城跡の位置下図の地図は農研機構 (*1)が運営するウェブサイトの迅速測図(*2)を利用しました。(*1)農研機構:国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構 西日本農業研究センター 営農生産体系研究領域(旧 近畿中国四国農業研究センター 営農・環境研究領域) 。ウェブサイトは下記。 総合案内→https://www.finds.jp/siteinfo/guide/index.html.ja 関東平野迅速測図→http://www.finds.jp/altmap/rapid_kanto.html.ja (*2)関東平野迅速測図:明治前期の地図。陸軍参謀本部作製 第一軍管地方ニ万分一迅速図原図を農業環境技術研究所がデジタル化したもの。 |
土居の東側には7つの石塔類が並んでいます。赤堀城跡との関連は未確認です。 土居の東側に7つ並ぶ石塔類 2019/4/4 土居の東側に7つ並ぶ石塔類 2019/4/4 |
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中央:二十二夜塔 2019/4/4 |
左:馬頭観音 右:道祖神 2019/4/4 |
伊勢崎市図書館が制作したYoutube動画「赤堀道元姫 ~赤城小沼伝説と赤堀家伝承~」を紹介します。 以下、動画の説明文の一部引用です。 「市内で活動する絵本作家・木村有子さんが制作された大型布絵本を使用しています。 この作品は、市内赤堀地区の民話を題材にした作品で、絵本のなかに登場する人物の着物や背景などに、伊勢崎市の伝統工芸品である「伊勢崎銘仙」の端切れを使用しています。 ※作品中の登場人物の名前や読み方、血縁関係には諸説あります。 ※絵本の中の「道元姫の帯」は、涌丸山医光寺に残る姫の遺品のものと色柄が違います。 赤堀道元姫 ~赤城小沼伝説と赤堀家伝承~(11分14秒)(動画制作:伊勢崎市図書館) 赤堀道元姫 ~赤城小沼伝説と赤堀家伝承~(動画の一コマ) |