伊勢崎市山王町に鎮座する日枝神社。南方110mの距離には、本堂南側に鬼子母神堂(*1)が建つ本妙寺があります。参道は南東側から北西側に向かい、細長く、入り口脇に住宅があって、社殿は通りから少し見え難いです。由緒によれば、日枝神社のはじまりは和銅元年(708)とのこと。以来、地域の氏神として1,300余年の歴史を刻んでいます。 (*1)鬼子母神堂:明和9年(1772年)建立。平成28年3月24日、伊勢崎市指定重要文化財。 以下の記述は「伊勢崎佐波の神社誌」(群馬県神社庁伊勢崎佐波支部編纂、平成2年12月20日発行)から引用。 【祭神】主祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)配祭神 保食命(うけもちのみこと) 【由緒】当社は、元明天皇の御代の和銅元年(708)、国司が近江国の比叡山より山王明神の御分霊を遷座したのが始まりと言う。後一条天皇の御代(1016〜36)に郡司が勅命を奉じて国家安全の祈請を行う。後水尾天皇の元和年間(1615〜24)、日光例幣使藤原信光が勅命を奉じて当社に参拝し、奉幣の御儀を挙げた。その後、光格天皇の寛政四年(1792)、日光例幣使沙門中納言藤原卿が当社御祭祀の御事蹟を崇敬するために立ち寄り、御祭儀執行の際に「山王大権現」と書いた御神号額一面を奉納され、現在も保存されている。 古老の伝承によれば、御鎮座以来、毎年9月19日の祭礼には流鏑馬(やぶさめ)を行い、神輿の渡御が行われている。後亀山天皇の応永二年(1395)、当郡領主の式部少輔那波氏は、祭神の御事蹟を崇敬して社殿を修理し、山車・神馬(しんめ)・神輿(みこし)の渡御などを旧例に復したという。 元和年間に社僧の本妙寺住職某が領主酒井氏の許可を得て例祭を執行して後、改めて法会(ほうえ)を催し、獅子舞も加えて年々これを行うようになった。 また神領として境内附田地を奉納され、毎年9月19日の例祭にはその収穫を氏子に頒布し、宝暦年間(1751〜64)に至った。それ故に社僧本妙寺持ちとなる。 明治3年、神社名を日枝神社と改め、同40年9月7日、大字山王堂東に祭祀されていた稲荷神社、同字諏訪に祭祀されていた諏訪神社、同字八幡に祭祀されていた八幡宮・同境内末社熊野神社を合併し、同43年4月21日には字道満に祭祀されている白山神社を合祀し、現在に至る。なお、当社には、前記神号額のほか、明治8年10月に松本宏書の額「日枝大神」などが保存されている。 【祭日】春季例祭 4月 3日例 大 祭 10月17日 |
日枝神社の航空写真((c)Google) 日枝神社の地図((c)Google) |
日枝神社の境内は参道側が狭く社殿周囲が広くなっています。樹木は参道西側と社殿周囲に多く、大きな樹木はイチョウやクロマツ、ケヤキ等。社殿東側にはスギが多く、全体的に珍しい樹木は少ないです。 面白いのは寄り添ったイチョウとクロマツ。クロマツが寄りかかっているように見えますが、重なった部分はお互いの樹皮が一体化しています。恋愛成就や夫婦円満の願いを叶える木として参拝者を集めることができそうです。(2019/10/6 記) 観察会の全体説明 2019/3/3 |
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入り口付近から観察開始 2019/3/3 サクラ(番号@) 2019/3/3 |
樹木医 田中洋助 先生 2019/3/3 イチョウ(B、4)等を観察 2019/3/3 |
鳥居を避けるように伸びたスダジイA 2019/3/3 |
鳥居を避けるように伸びたスダジイA 2019/3/3 |
仲良く寄り添うイチョウとクロマツ |
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イチョウに寄りかかったクロマツ 2019/3/3 社殿西側の樹木を観察中 2019/3/3 松の古株 2019/3/3 |
ピッタシくっ付いたイチョウとクロマツ 2019/3/3 相思相愛でしょうか、イチョウとクロマツ。 2019/3/3 松の古株 2019/3/3 |
社殿西側で樹木観察中の参加者。右後方は拝殿。 2019/3/3 社殿裏側で樹木等観察中の参加者。後方左は拝殿、右は本殿。 2019/3/3 |
大きな樹木
樹木の位置図 ほかの樹木
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