伊勢崎市・三郷地区区長会 研修旅行 2023 [三郷地区イベント・Indexまち歩き]  [ Home ]



伊勢崎市・三郷地区区長会 研修会 2023

2023年6月18日()、19日(月)

初日(五色沼、野口英世生家と記念館、白水阿弥陀堂)

2日目(浪江町、東日本大震災・原子力災害伝承館)

掲載日:2023/7/5
 伊勢崎市・三郷地区区長会研修会が6月18日(日)、19日(月)、一泊二日の行程で実施されました。
 研修先は福島県。初日は五色沼と野口英世生家・記念館、白水阿弥陀堂見学。2日目は浪江町の集落や双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館等です。
 参加者は三郷地区区長会の行政区長と組区長、幹事、公民館長の総勢27人。私も行政区長の一人として参加。

 津波で集落が消失し、放射能汚染で人々が消えた双葉町の海沿い。復興の動きも感じられず更地として広がった雑草の大平原。その中にポツンと建つ東日本大震災・原子力災害伝承館。今後、この地域を元の姿に戻すのか、戻したいのか、戻すべきか。元の住民の気持ちは?行政の方針は?復興とはそもそも何ぞや? 荒涼として広がる海沿いの大平原を目の前にして、年々、震災の記憶が遠ざかる今、「復興」の意味を改めて考えさせられました。そのことを感じることができただけでも大いに有意義な研修でした。

 梅雨の合間の日程でしたが、ちょうどこの2日間を選んだかのように雨の心配もなく、全員が事故も怪我もなく無事帰って来ました。研修の様子を初日と二日目に分けて紹介します。(2023/6/29 記)

2日目 2023年6月19日(月)

大平山霊園(コミュニティ広場)東日本大震災・原子力災害伝承館

双葉町産業交流センター
掲載日:2023/7/5  ▲ページTopへ

研修ルート図と研修先地図


2日目の研修ルート図(上図の青線)(Google my mapで作成)

大平山霊園(コミュニティ広場)、東日本大震災・原子力災害伝承館位置図(Google)

大平山霊園(コミュニティ広場)

福島県双葉郡浪江町請戸(うけど) →大平山霊園(コミュニティ広場) ウェブサイト
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大平山霊園(コミュニティ広場)から眺める現在の請戸地区 2023/6/19
 伊勢崎市三郷区長会研修会、2日目最初の訪問地は浪江町営・大平山霊園(コミュニティ広場)。東日本大震災の慰霊碑が建立されていて、トイレや駐車場(30台分)、四阿(あずまや)等が整備されています。慰霊碑が建つ位置よりも少し高台の緩い傾斜地には区画割された墓地があって、墓参りに訪れていた人に尋ねると、震災被害者らが眠っているとのこと。
 駐車場付近から、また少し高台の霊園から、現在の浪江町請戸(うけど)地区一帯を一望できますが、そこには雑草に覆われた大平原が延々と広がり、その中に震災遺構として残された浪江町立請戸小校舎(→震災遺構 浪江町立請戸小学校 ウェブサイト)と、震災後に建設されたと思われる工場がポツンと建っています。

 遺構として残された鉄筋コンクリート造の立派な請戸小学校。その規模を見ても確かに存在していた請戸集落。現在の姿から津波と原発事故前の街の様子を想像するのは難しく、今後の様子を想像することもまた難しいことです。令和4年の浪江町の避難者に対する住民意識調査結果(→こちら)によれば、「浪江町への帰還意向」の設問に対して、5割の人が「戻らないと決めている」とのこと。
 東日本大震災・原子力災害から12年以上が経過した今、避難先で新たに始まった生活を捨てることの難しさは想像するに難くありません。故郷を捨てる辛さ、新しい生活を捨てる辛さ、どちらも難しい二者択一です。

 大津波で集落が消え、原発事故で人々が消え、ただただ広がる海沿いの大平原を目の前にして、かつての街の営みを想像し、改めて津波と原発事故の罪の重さを認識することになりました。(2023/7/5 記)


襲った津波の高さは15m超え、命を落とした住民は182名


慰霊碑(表面)には津波と原発事故の経緯が記されています 2023/6/19

慰霊碑(裏面)には命を失った方々の名前が刻まれています 2023/6/19

慰霊碑(表面)

慰霊碑(裏面) 被災者の名前が刻まれています。

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慰霊碑を読む参加者 2023/6/19

慰霊碑を読む参加者 2023/6/19

駐車場(30台分)やベンチ、また墓地側にはトイレも整備されています 2023/6/19

大平山霊園。区画割された墓地が整然と並んでいます。 2023/6/19

東日本大震災・原子力災害伝承館


〒979-1401 福島県双葉郡双葉町大字中野字高田39  →東日本大震災・原子力災害伝承館 ウェブサイト
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 東日本大震災・原子力災害伝承館は、800mほど東側の太平洋に向かって、大きく円弧状の壁面で構成された建物です。館内はシンプルですっきりとし、ホールなどの空間も広々としています。
 1階の円形シアターで壁7面に映し出される全体説明の映像を視聴し、シアター円周に沿って展示されたパネルを見学し、このコーナーにはバリアフリーの緩い勾配が付いていて、知らず知らずに別の展示コーナーへ誘導されます。順路に従って目的別展示室を見学し、一通り見学を終えて部屋の外に出ると、自分が2階にいることに気付きます。目の前の壁は海に向かって総ガラス張りで、太陽光が惜しみなく届いて眩しいほどに明るく、清潔感に溢れた未来的空間に包まれています。
 私の足が止まったのは一枚の黒板の前。「何の黒板?避難時の伝言を掲示板代わりに使ったのだろうか?」と、書かれた文字を読むと、川内村に避難した富岡町民が黒板に残したお礼のメッセージが綴られていました。「川内村の皆様へ」と大きく書かれ、隙間がないほどに一人一人のお礼の言葉が書かれています。その後、川内村自身も全住民が村外へ避難することになりますが、その僅かな期間に受け入れてくれた川内村の皆さんへの感謝の気持ちを伝えています。
 意味が分からず読み始めた私は、一文一文と読み進むうちに熱いものがこみ上げて、涙腺崩壊状態に。展示室の照明が少し暗く、周囲に立ち止まる人もいなかったので、バレずに済みましたが、避難生活で苦難な状況のなか、感謝の心を失わなかった富岡町の人々、優しく迎えてくれた川内村の人々、その優しい心に触れて2日間の研修で一番感動したひと時でした。残念ながら、感動のあまり、撮影を忘れてしまいました。ウェブに同様な黒板が見つかりましたが、この黒板は見つかりませんでした。また訪れる機会がありましたらその時には必ず。(2023/7/5 記)


館内見学前に映像で全体説明を視聴 2023/6/19

円形通路のパネル展示を見学する参加者

館内展示を見学する参加者

円形通路のパネル展示を見学する参加者

スタッフの説明を聴きながら館内展示を見学

館内展示を見学する参加者 2023/6/19

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東日本大震災・原子力災害伝承館 概観


入り口側。飾り気を排除したシンプルなデザインです。 2023/6/19

海側の壁面は総ガラス張りの曲面。屋上に上がれば太平洋が見えます。 2023/6/19

東日本大震災・原子力災害伝承館の屋上から太平洋側を眺める 2023/6/19

双葉町産業交流センター

F-BICC(エフビック):Futaba Business Incubation and Community Center
〒979-1401 福島県双葉郡双葉町大字中野字高田1番地1 →双葉町産業交流センター ウェブサイト
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 東日本大震災・原子力災害伝承館の南東に隣接して建つ双葉町産業交流センター。今回の研修先には含まれていなかったため見学時間を取れませんでしたが、隣接していたこと、立派な施設であったことから、概観写真だけを撮りました。
 双葉町産業交流センター ウェブサイトで調べると、貸事務所や貸会議室、フードコートやレストラン、土産店等が整備された複合施設で、双葉町の復興拠点として、企業関係者や町民、一般の人々などが幅広く交流できる場として建設されたとのことです。(2023/7/5 記)



2023/6/19

双葉町産業交流センター(西南西側から) 2023/6/19

双葉町産業交流センター(西北西側から) 2023/6/19

双葉町産業交流センター 2023/6/19

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記念写真

(東日本大震災・原子力災害伝承館の南側で)

記念写真 2023/6/19

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 令和5年度・伊勢崎市三郷区長会研修会の2日目の研修先は以上です。

 研修会前の私の東日本大震災の認識は、大津波で流される集落の映像が強烈な印象で記憶に残っているため、一言で言えば「津波による大災害」でした。ところが今回、福島県の浪江町や双葉町を訪れ、原発周辺地区においては、津波よりもむしろ原発事故災害の方が人々を苦しめたのではと認識を改めました。
 津波で消滅した家屋は”再建”と言う物理的対策が取れますが、放射能で汚染された土地は人々を排除し、”再建”の選択肢を奪いました。完全廃炉はいつ完了?除染完了は?汚染の影響はどの場所にいつまで残る?前を向いて復興を目指しながらも、心のどこかに不安が残ります

 原発事故をどう捉えるかに依りますが、津波で建屋が損壊しても、原子炉の冷却装置の電源を喪失しなかったならば水素爆発、その後の放射性物質の漏洩拡散はなかったのではと考えられます。フェイルセーフの概念に基づき、万が一損壊した場合においても、二重、三重、四重の電源供給機能が備わっていたならば・・・。今更ながらに悔やまれますが、全国の既存原発施設で発生しないよう、この教訓を活かすべきと考えます。

 今年度の研修会の研修先は福島県。特に2日目が原発事故被災地と言う重い研修先でしたが、個人的にも訪れたかった地域でした。震災後、被災地を訪れたのは今回を含めて2回目。1回目は宮城県。震災後4年目頃でした。港の被災地を見て、仮店舗で営業する店舗等を訪れ、車窓から道路復旧工事の様子等を眺めました。この時は「被災地で消費して応援」的な気持ちでしたが、原発事故被災地ではそんな単純な気分にはなれませんでした。個人でどれだけ考えても無力感に陥るだけですが、少なくとも被災地の現況を見たこと、原発事故を調べ直し、再認識したことは大いに有意義なことで、友人らとの会話の話題として取り上げることができれば、何か社会の役に立つのではと思っているところです。(2023/7/5 記)





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