■日時:2016年(平成28年)2月2日。9:00〜 ■場所:大山整経さん(群馬県伊勢崎市) ■制作者:大山仙人さん昭子さんご夫妻 ■内容 整経(せいけい)と巻き取りを終えた経糸(たていと)の”つなぎ”作業。 ”つなぎ”とは・・・ 整経を終え、箱に巻き取られた経糸の束(これを玉とも呼びます)の後続工程は「仮織り」ですが、巻き取られたままの状態では、仮織り機や高機(たかばた)などの織機にかけて織ることはできません。経糸を綜絖(そうこう)に通し、綜絖を織機に装着して織ることになります。 今回は、既に経糸が通っている別作業の綜絖(そうこう)を利用しましたが、綜絖通しは手間がかかる作業なので、以前の作業の綜絖は次回の利用のために糸を通したまま保管しておくことが多いとのことです。利用できる条件は、利用する綜絖に通されている経糸本数が今回の本数よりも多いこと。当然な条件ですが、経糸数と綜絖のピッチは布によって様々なので、全て保管する訳には行かず、生産状態を予想できるノウハウが必要です。今回の経糸は1,260本で、利用した綜絖にはそれを十分に越える本数が通っていました。 今回の”つなぎ”は、整経・巻き取りを終えた経糸の束を左に置き、糸が通った綜絖を右に置き、それらを一本ずつ”つなぎ”ます。左右の束から一本ずつ引き抜き、先端を数ミリ重ねてプチっと切断し、その瞬間に親指と人差し指の腹で捩じり合わせて両側の糸をくっ付けますが、その間わずか3秒程度。お喋りしながらも、作業する大山さんの両手は間断なく動き、次々に繋がれて行きます。間近で凝視していても動きがよく分からない、まさに熟練の職人技です。 ●
伊勢崎銘仙全盛の頃の四方山話【1】 当時、この綜絖(そうこう)通しや筬(おさ)通し、つなぎは分業化された専門工程だったとのことです。農家の主婦の内職として、また人を集めてちょっとした作業場を設けて対応し、前後の工程の人や機屋さんらがそれらの家や工場を行き来したようです。大山整経さんでも何人かに工場に通ってもらって作業したとのこと。「つなぎで家を建てた人もいる」と言われるほどに専門性が高く、かつ賃金も高かったようです。また熟練になると、両手が無意識に動き、テレビを見ながら作業しても製品には全く支障なかったとのことで驚きます。 伊勢崎銘仙全盛の頃の四方山話【2】 大山さんが作業しながらお喋りした中で、時代を彷彿とさせるほんのりした話を一つ。 今回のプロジェクトの取材で、大山整経さんの工場・事務所に毎日のようにお邪魔しましたが、奥さまの昭子さんは、いつもおっとりと物静かな口調。大山さんのお喋りを静かに聞き、作業を見守り、サポートしています。お二人の動きはまさに阿吽の呼吸でピッタリと合って仲睦まじい姿ですが、時には大山さんのキツイ口調が発せられることも。「空っ風とかかあ天下」の上州のこと、「何言ってんの!」などと倍返しの言葉が返されても普通なのですが、そんな時にも怒る様子もなく、優しく対応しています。 そんなお二人に日々接していて、「きっと亭主関白なんだろう」と勝手に思っていたところ、「女房にプロポーズした時、併用絣をプレゼントした」と、ちょっと照れた口調で語ってくれました。 当時、伊勢崎銘仙産業に携わっていても併用絣は特別な存在。「お嫁入りのときに親が持たせてくれた」とか、「祖母や母から受け継いで大切に保管している」などの話も聞きます。プロポーズ時にダイヤの指輪をあげることと同様な併用絣の着物のプレゼント。ちょっとやんちゃで威張りん坊、でも仕事一筋で憎めない感じの大山さんが併用絣の着物をプレゼントした様子、想像するだけで微笑ましくなります。 →整経(せいけい)と巻き取りはこちらをご覧ください 取材・撮影・記録:上岡(Go!伊勢崎) 2016/2/15 記
|
経糸のつなぎ作業 2016/2/2(5分51秒) |