古墳時代の豪族居館跡の原之城(げんのじょう)遺跡 伊勢崎市の古代の歴史を調べると必ずと言って登場するいくつかの有名な遺跡や古墳があります。八寸の権現山古墳、お富士山古墳、上植木廃寺、十三宝塚(じゅうさんぽうづか)遺跡、そしてこの原之城遺跡です。 現在は田畑が広がり当時の様子を想像できる遺構や地形、遺物は残っていませんが、現地に立ち目を閉じて想像をめぐらせば、当時の豪族の家族やそこに仕える人々が敷地内を行き来する姿がイメージできます。 現在ではこのすぐ東に上武道路が走り、その東には大型ショッピングモール・スマークが今秋オープンします。1,500年の時を経て、豪族の居館跡の近くに巨艦店がオープンすることを、当時の人たちは想像すべくもなかったでしょう。更に1,500年後のこの地は一体どのようになっているのでしょうか。それもまた知る由もありません。 現地には案内板が立っています。(2008/6/27 記) |
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現地の道路脇に立っている案内板の記述内容は下記の通りです。 原之城遺跡は6世紀中頃の豪族居館跡です。昭和56年、大正用水東部土地改良事業に伴う事前の発掘調査で発見され、昭和58年から61年までの発掘調査で遺跡の規模や性格が明らかになりました。 居館は東西約110m、南北約170mのほぼ長方形で、幅約20mの濠(ほり)がめぐらされています。全体の面積は30,000m2を超え、全国で調査された同様の遺跡では最大級のものです。 入口を南に設け、各辺には防御を目的として、土塁(どるい)をめぐらし張出部を築いています。居館内部は、北西部を溝で区画して掘立柱(ほったてばしら)建物の倉庫群とし、溝の南側中央に中心建物となる四面庇(しめんひさし)の掘立柱建物があり、その付近に大型の竪穴住居、南半部を中心に竪穴住居群を配しています。 北東隅からは、手捏(てづくね)土器や石製模造品、鉄製ミニチュア鎌、須恵器(すえき)の大型器台(きだい)などが出土し、農耕儀礼に伴う祭祀跡(さいしあと)と考えられます。また、東辺中央南からは楕円形の埴輪状土製品が出土しており、ここでも祭祀が行われたと思われます。このように壮大な遺構や祭祀に用いた遺物が数多く見つかり、当時の豪族の生活を知る貴重な資料を提供しています。 平成16年3月1日
伊勢崎市教育委員会 |
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原之城遺跡跡地の北西部(現在は畑)から見る 建設中の大型ショッピングモール・スマーク 2008/6/15 |