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丸塚古墳概要
『群馬県史』「資料編3」「原始古代3 古墳」377頁より。原文は縦書きなので、漢数字を算用数字((横書き)とした。この後に、「内部構造」が続くが、それは、『群馬県史』を参照されたい。
立地
赤城山南麓に見られる台地と谷地による複雑な地形は、標高75メートルの当地においても見られ、桑園等に利用されている低台地と水田として利用されている低地とが入り組んでいる。
古墳はこの低台地の先端(南端)に占地し、その東西には幅約50メートルの低地があり、これが本古墳の南で合してる。この東西の低地をへだててさらに低台地が続いているが、この台地上には、昭和10年の分布調査で多くの古墳が確認されている。また、西方約500メートルのところには上植木廃寺跡がある。
墳丘およぴ外部施設
低台地上に積土して構築した前方後円墳で、主軸はほぼ南北方向(北6度東)にとっている。
墳丘には葺石を葺き上げていたようであるが、その全貌は未調査で明らかでない。また、その根石はトレンチにおいても確認できなかった。墳丘を現状においてみると、全長81メートルも後円部径58メートル、同高さ8メートルに対し、前方部前幅26メートル、同くびれ部幅41メートル、同長さ27メートル、同高さくびれ部で2.5メートル、先端で1メートルと、後円部に対して前方部が幅、長さ、高さともに規模の小さいものである。また、前方部幅はくびれ部が最も広く、先へいくにしたがって徐々に縮減する。
埴輪は、各トレソチにおいて破片は確認されているが、いずれも原位置ではなく、その配列の状態は明らかでない。
周堀は、後円部周辺では現状でも地割りの上でその存在を確認できるが、前方部周辺ではこの地割りがくずれている。前方部前面に入れたトレソチで幅12.4メートル、深さは中央の最深部で1.3メートルに周堀が確認され、後円部周辺の地割りからみると幅13〜15メートルに周堀跡がみられるので、幅13メートル前後の周堀が馬蹄形にめぐつていたものと考えられる。 |
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左上 丸塚古墳墳丘実測図 原資料を見やすいイメージとすると、巨大なものになってしまうので、石棺と等高線については修正をした。
右上 『群馬県史』の該当部分
左下 右下は、丸塚古墳の写真である。平成9年5月初旬 |
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