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32 文化財名 竹芳寺の梵鐘
(ちくほうじのぼんしょう)

 
文化財事項                                                            32
指定内容 市指定重要文化財 指  定 昭和48年3月5日
記号番号 文伊教文第34号 所有者管理者 竹芳寺
所 在 地 伊勢崎市連取元町1816 初 期 地 当初より
形  状 材質 銅製 形状 釣り鐘型 寸法 高さ三尺一寸(93.93cm) 口径二尺二寸(66.7cm) 笠立二寸二分(6.7cm) 龍□高九寸二分(29.5cm)
年  代 近世 江戸時代 梵鐘には梵鐘に安永四年(1775年)夏四月と刻まれている。 
文化財注記 この梵鐘は、中島伝五右衛門が重楼(鐘楼)とともに「衆」(檀家という意味か)を募り造ったものである。銘文は那波郡連取村理春山竹方寺十三代の角堂が書いたものである。平成12年に鐘楼が改修された。
文化財資料 梵鐘各部名称

 書誌事項
分類番号 書            名 バーコード 所 在 場 所
K521イ 伊勢崎の社寺建築(竹芳寺鐘楼に関して) 101813404 一般・調査・書庫

書誌注記 関係資料は見あたらなかった。
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竹芳寺の梵鐘関係資料
 3 鐘  楼
 当鐘楼の平面は、(略 左記図)ようである。屋根は、入母屋造り瓦葺で、袴腰のついた本格的な鐘楼である。この鐘楼は、低い自然石(玉石)を積んだ基壇上に立つ。袴腰は地伏と笠木の間に下見板を張ったもので、竪の押縁で押える。上層の縁腰組は、中備(なかぞなえ)に板蟇股(現在は間斗束になっている)を用いた和様出組とし、縁の高欄をはね高欄にしている。
 柱は下層を八角柱、上層を円柱とし、頭部に粽(ちまき)をつけている。柱頭には頭貫を納め、唐様の木鼻(拳鼻(こぶしばな))を出し、上部に台輪をのせる。柱上の斗組(ますぐみ)は、平三斗組(みつどぐみ)とし、中備に板蟇股を置く。屋根は、二軒(ふた
のき)半繁垂木で深く軒を出し、ゆるやかな反りを持たせているので、その外観は大変美しい。
 当鐘楼は以上のような意匠上の特徴を持つので、建築様式は比較的質のよい和唐折衷様式である。
 建造年代については、棟札や墨書などのように、建造年代を直接示す資料を残していない。しかし、寺伝によれば安永四年(一七七五)四月、竹芳寺十三世角堂瑞鱗住職の代に、中島伝五衛門が願主となり檀家を募って梵鐘と共に、鐘楼までも喜捨したものという。なお、梵鐘には、「安永四年夏四月良辰」の文字を残し、建築の細部様式にみる名種の特徴からみても、当鐘楼は安永四年に建造されたものとみてよいであろうと考える。
 なお、本堂は当寺に残されている『上毛国郡波郡連取風土記』(写本)によれば、駒井右京親昌によって、寛文二年(一六六二)七月に建造されたもので、その時の奉行は、小田切新左衛門、久保田平右衛門、久保田清左衛門、中島太郎左衛門、小林権左循門の五氏で、本堂ばかりでなく山内に諸堂坊舎を建造したとある。しかし現在、寛文二年当時の建造物と考えられる遺構は、本堂だけである。この本堂も調査時には、内外とも新建材による激しい改造を行っていたので、復原図採取はとても無理な状態であった。(桑原)(『伊勢崎の社寺建築』(伊勢崎市 昭和58年)158〜159頁
鐘楼南より(イメージデータ加工)
上 東からの鐘楼(平成11年5月 改修前)
右 竹芳寺鐘楼復元平面図(『伊勢崎の社寺建築』   158頁