江戸時代末期から明治時代にかけて製作された旧波志江村の屋台。 かつては十数年に一度、波志江の氏神様「愛宕神社」の秋例祭に総結集し、波志江祇園祭の主役を務めて参りました。最近では2008年(平成20年)10月18日〜19日に行われ、2000年以来、8年ぶりにその姿を現しました。 →2008年の記事はこちら(18日、19日)。 波志江祇園祭が毎年行われなかった理由にはいくつかあるようで、その辺は「『波志江の屋台』第2章」(*1)に詳しいですが、祭りの度に屋台を組立・解体しなければならなかったことも、大きな理由だったと思われます。 実は私は波志江町(間之山区)の生まれですが、小学生の頃(昭和30年代)に、屋台の綱を引っ張って、現在の伊勢崎市民プール北側の道路「スポーツロード」を曳航した記憶があります。子供の力なので役には立たなかったと思いますが、大人と子供が交代で愛宕神社まで曳航し、木製車輪が自分の背丈と余り変わらずに大きく、綱も手で握り切れない程に太かったことに驚いた記憶が残っています。ただ、『波志江の屋台』によれば、昭和時代の波志江祇園祭の開催は昭和3年と昭和56年の2回とあり、昭和30年代の開催には触れていません。記録が残っていないことが原因かも知れませんが、当時を知る古老たちが存命中に確認しておきたいものです。 現在は屋台庫が造られ、それぞれ組み立てられた状態で保管されていますが、毎年祇園祭を開催するには至っていません。ただ、来年2020年には「東京五輪・パラリンピック開催記念」として開催予定で、間之山区の組区長を仰せつかっている私は、充て職で実行委員と副幹事長なる役目を仰せつかっています。 波志江村の屋台は全部で10台。現在の丁別に分けると下記の通りです。
当ページを起こしたのは、祇園祭開催に関わらず、波志江の屋台の精巧で美しい彫刻を記録に留めようと意図したもので、各区の屋台お披露目行事の機会を掴んでは紹介して参ります。2019年の今年は4区でその機会が予定されていましたが、3区が台風の影響で中止となりました。今回は「宮貝戸区」の屋台を紹介しますが、機会があれば、2020年の開催前に他区の屋台も紹介します。(2019/12/13 記) (*1)『波志江の屋台』 編集・発行:伊勢崎市教育委員会(文化財保護課)、発行日:2007年3月31日
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鬼板と懸魚(げぎょ)鬼板:箱棟の両端に鬼瓦の代わりとして取り付ける木製の棟飾りのことで、鬼面のないものをいう。(by Wikipedia)
懸魚:中国や日本の建築で、破風 (はふ) の下部内側またはその左右に六葉といわれる金属製や木製の栓で取付け、棟木や桁の先を隠すための飾り板。(by コトバンク) 鬼板と懸魚(1) 鬼板と懸魚(2) 鬼板と懸魚(3) 鬼板と懸魚(4) 鬼板と懸魚(5) 鬼板と懸魚(6) 鬼板 |
木鼻木鼻:貫 (ぬき) や台輪などが柱から突き出している部分をいう。初めは単純な繰形を先端につけただけであったが、近世では象の鼻、竜頭、獅子やあるいは草花などの立体的彫刻となった。 (by コトバンク) |
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木鼻(1) |
木鼻(2) |
木鼻(3) 木鼻(4) 木鼻(5) 木鼻(6) 木鼻(7) 木鼻(8) 木鼻(9) |
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木鼻(10) 木鼻(12) |
木鼻(11) 木鼻(13) |
木鼻(14) |
欄間欄間(1) 欄間(2) 欄間(3) 欄間(4) |
欄間(5) 欄間(6)> |
脇障子 |
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脇障子(1) 脇障子(3) |
脇障子(2) |
ほかの部材 |
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土台部分 |
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土台部分(1) 土台部分(3) |
土台部分(2) 土台部分(4) |
波志江の屋台・宮貝戸区 2019/8/17 |