近くて遠かった深谷市。 北西側に隣接する伊勢崎市に住みながら、高崎線に乗って駅を通過するだけで、かつて街中を一度も訪れることがなかった深谷市。 隣接市とは言え、私の住む地域は伊勢崎市の北西端部に位置し、深谷市からは遠いこと、また深谷市と伊勢崎市との間には大河利根川が流れ、その川幅は約1kmあり、両市を繋ぐ橋は上武大橋だけであることなど、足が遠かった理由はいくつかありますが、一番の理由は訪れる理由や関心がなかったことです。 そんな深谷市を始めて訪れたのは2012年4月28日の「ふかや花フェスタ」の日。話が逸れますが、この日の足はサイクリング。伊勢崎市波志江町の自宅から片道22km。伊勢崎境島村まではちょくちょくサイクリングしているので、「そのちょっと先だろう」と安易に出かけましたが、島村から会場までも約6kmあって、結構な距離。見知らぬ風景の中を適当に走ることは、それはそれでまた楽しく、次回もまたサイクリングで訪れたいと思っていますが、この花フェスタの日、会場で偶然にも友人のふるさとさんに会い、フェスタ見学後、「ちょっと深谷の街を歩いてみませんか」と誘われたのが深谷市初訪問のきっかけでした。 実はこの日、会場に真っ直ぐに到着できた訳ではなく、事前に場所確認も地図も見ずに出かけたので、そのいい加減さがまたブラリサイクリングの楽しさでもあるのですが、国道17号バイパスを通過してからちょっと街中をウロウロ。その時に見かけた煙突やレンガが気になって、花フェスタを後回しにして急きょミニ散策。そんな思いを残しながらの花フェスタ見学だったので、ふるさとさんの誘いは願ったり叶ったりでした。 最初に訪れたのは深谷シネマがある「七ツ梅酒造」跡地。深谷シネマのことは、以前、「いせさき新聞」の記事を読んでからちょっと気になっていたので、今回、初訪問を実現できたことは宿題を一つ片付けた気持ちでした。昭和時代中頃の映画館のように狭苦しい館内かと思えば、座席数こそ少ないものの、ゆったりとしたシートで、今流行りのシネコン同様の立派な施設です。映画を観覧する時間はなかったので、映画館前に造られた映画のセットや、跡地内の建物を利用して営業している古本屋さんや和風カフェ、繭工房など、いくつかの施設を見学し、いよいよ周辺の街歩きスタートです。 この日歩いたのは「七ツ梅酒造」跡地から徒歩圏内にある街並み。酒蔵や蔵、レンガ塀、煙突など、歴史を感じさせる重厚な家並みは、全く事前情報を持っていなかったことも手伝って全てが新鮮でした。 この日の街歩きで撮影した写真を、取り敢えずパソコンのフォルダに保存してから1年以上が経過し、パソコンのフォルダを整理する度に、未掲載であることが、宿題を避けて通っているような自責の念を呼び起こし、やっと重い腰を持ち上げることに。いざ掲載しようと決めると、知識不足や歩いた範囲が少ないことが新たな課題となり、結局、今年の8月1日、二度目の街歩きを行って補足することにしました。 以下、この2回の深谷の街歩きレポートです。(2013/8/19 記) |
旧
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深谷のまち歩きで、最初に訪問することをお薦めしたいのが、ここ 旧田中籘左衛門商店(七ツ梅酒造跡)です。 敷地は約950坪あり、その中に酒蔵や店舗、倉庫などが残されていて、平成16年(2004年)に田中藤左衛門商店が廃業した後は、「七ツ梅酒造跡」と称し、建物の一部が様々な形で生まれ変わっています。 駐車場は施設の北側にあり、北入口を入るとすぐに映画館(深谷シネマ)があり、時期によってはシネマ前のスペースに映画セットが造られることもあります。 東酒蔵の大きな建物はライブハウスなど自由な目的で利用され、この酒蔵と赤レンガ倉庫との間の通路を南へ通り抜けると、ちょっとした広いスペースが現れ、その周囲に、何やら謎めいた古書店(「円の庭」)や、和風カフェ(「ててて亭」)、手作り工芸品の展示室などがあり、更に母屋脇を南へ抜けると、中山道に面した南側入口へ到達します。母屋では豆腐を販売しています。 300年の歴史を伝える建物群の中に身を置いて、中庭の巨木の下で寛ぎ、古書や骨とう品、昔懐かしい玩具や置物を眺め、珈琲などをすすり、工芸品や豆腐をお土産に購入したりと、明治・江戸時代へのタイムスリップを楽しんだ後は、いよいよ深谷のまち歩きスタートです。 中山道沿いを中心に、あてもなくブラブラ歩くもよし、酒蔵や古民家、史跡などを目的に歩くもよし、各自各様のまち歩きを楽しんではいかがでしょうか。 なお、NPO法人「深谷にぎわい工房」のサイトで、まち歩きマップなどを閲覧できます。 【メモ】 ■田中藤左衛門は滋賀県日野町猫田(旧猫田村)出身の近江商人。 ■元禄7年(1694)、「十一屋」の屋号で清酒製造業を創業した。 ■天保年間には江戸、上野(現在の群馬県)、下野(現在の栃木県)の諸国にも販路が拡がった。 ■天保13年(1842)勘定奉行より酒造古株、白米1002石の鑑札を請ける。 ■慶応4年(1868)鑑札を書き替える。 ■大正4年(1915)「泡なし酒」を開発。 ■昭和29年(1954)株式会社となる。 ■平成16年(2004)廃業 ■銘酒「七ツ梅」は、江戸時代に「酒は剣菱、男山、七ツ梅」といわれた三大銘柄の1つ。 ■現在、跡地の管理運営は一般社団法人「まち遺し深谷」が行っている。 ■住所:〒366-0825 埼玉県深谷市深谷町9-12 TEL 048-551-4592 |
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旧七ツ梅酒造の中山道側入口 2012/4/28 |
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田中籘左衛門、電話15番 の表札が今も残っています。 2012/4/28 母屋脇の通路 2012/4/28 母屋を横から見ると、 うだつが上がっています。 店の前の通りは中山道。 2012/4/28 |
銘酒「七ツ梅」の大きな看板が乗る母屋 2012/4/28 北酒蔵(左側)と深谷シネマ(右側)。真ん中が北入口 2012/4/28 北酒蔵(左側)と東酒蔵(右側) 2013/8/1 |
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2012/4/28 2012/4/28 |
2012/4/28 東酒蔵の中でライブ演奏中 2012/4/28 |
赤レンガ倉庫 2012/4/28 |
深谷シネマ |
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映画のセット 2012/4/28 映画のセット 2012/4/28 2012/4/28 |
東酒蔵(左)と赤レンガ倉庫(右奥)。間の通路。 2012/4/28 |
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深谷シネマ入口 2012/4/28 |
深谷シネマ館内 2012/4/28 深谷シネマのホール 2012/4/28 |
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坂本邸旧田中籘左衛門商店(七ツ梅酒造跡)を後にして、中山道を本庄市方面(西方)へ300mほど歩くと、立派な木造の町屋造り家屋と白壁の土蔵に到着します。この間の中山道沿いの商店街は、2,3軒の店舗が開いていたものの、シャッターが下りているか住宅に変わってしまった様子で、どの地方都市でも見られる街中空洞化を感じる風景です。そんな街中にあって、こちら坂本邸とその西隣の瀧澤酒蔵の2棟の立派な建物は、重厚な存在感を示していました。【メモ】 ■坂本邸は深谷市内で最大級の町屋建築。 ■天保14年(1843年)の深谷宿家並み絵図に蒔屋・質屋、坂本屋幸吉と書かれている。 ■2棟の土蔵も手入れされ、丁寧に住まわれている。 ■深谷祭りには代々家に伝わる山車のミニチュアが飾られ、格子越しに見ることができる。 |
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中山道に面して建つ重厚感タップリの坂本邸 2012/4/28 |
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2012/4/28 |
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春山邸二度目の深谷のまち歩きは猛暑日が続く8月1日。流石にサイクリングではなく車。まずは旧田中籘左衛門商店(七ツ梅酒造跡)から中山道を東方へ250mほど辿り、藤橋酒造南側の商店街駐車場に停めて、付近をあてもなくブラリと散策開始し、真っ先に目に入ったのが、まるで映画のセットのようなここ春山邸でした。周辺は深谷市中央土地区画整理事業が進んでいるようで、側溝が途中まで入った道路や、家屋移転が済んで空き地となった土地が点在していたりと、今後、どのように変わるのか分かりませんが、部外者の立場ではありますが、これだけ立派な歴史的木造建築が、解体撤去などとならないことを願っています。 【メモ】 ■深谷の街中に残る本格的な住宅専用木造建物。 ■敷地内の土蔵は江戸と明治の建造。庭内には松尾芭蕉と蜀山人の狂歌碑がある。 |
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春山邸(南東側から) 2013/8/1 春山邸(南西側から) 2013/8/1 |
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木造の壁と大谷石の壁が続く瀧澤酒蔵の建物 2012/4/28 |
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2012/4/28 |
瀧澤酒蔵の裏(南側)の通り 2012/4/28 |
瀧澤酒蔵の裏(南側)の通り 2012/4/28 |
木造建築や赤レンガ塀が並ぶ小路 2012/4/28 |
瀧澤酒造中山道に面して坂本邸の西隣りに並ぶ瀧澤酒蔵。建物の大きさも形も良く似た、重厚感タップリのこの2棟が建ち並ぶ風景は、かつての宿場町深谷宿の姿を彷彿とさせます。瀧澤酒蔵の西側を通る南北道路からは、敷地内のレンガ建造物やレンガ造の煙突、酒蔵などを見物できます。特に煙突の大きさは巨大で、最初の訪問時は、遠目にも目立つ巨大煙突を目指して歩いて行くと、その先に坂本邸と瀧澤酒蔵が並んでいた次第です。【メモ】 ■「菊泉(きくいずみ)」の創業は文久三年(1863年)。 ■明治30年(1897年)、小川町から良質な水を求めて、この地に移転。 ■レンガ造りの煙突は昭和5年建造。 ・昭和6年、震度6の西埼玉地震で上部3間が崩れ落ち、その後、県条例で鉄の箍(たが)をはめた。 ・下の方の穴は第二次世界大戦の時に機銃で撃たれた穴。 ■町屋建築、土蔵、レンガ蔵など現在も現役の蔵元である。 ■住所:〒366-0826 埼玉県深谷市田所町9-20 TEL 048-571-0267 ※事前予約で見学可能。 |
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レンガ造りの煙突に刻まれた 銘酒「菊泉」と屋号「瀧澤」 2012/4/28 どこからも見える煙突 2012/4/28 2012/4/28 銘柄は「菊泉」 2012/4/28 |
中山道に面した瀧澤酒蔵の町屋造り店舗。 きっと明治時代から変わらぬ姿なのでしょう。 2012/4/28 2012/4/28 中山道に面した瀧澤酒蔵の店舗。左側は坂本邸。 2012/4/28 |
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赤レンガの壁が長々と続き、2012/4/28 |
藤橋酒造(藤橋藤三郎商店)藤橋酒造は旧田中籘左衛門商店(七ツ梅酒造跡)から中山道を東方へ250mほどの場所にあります。「東白菊」の名前が刻まれた大きな煙突が目安です。深谷の中山道沿いを歩いて分かったことですが、中山道沿いには西側から深谷市田所町の瀧澤酒造(「菊泉」)、深谷市深谷町の七ツ梅酒造(「七ツ梅」)(平成16年に廃業)、そしてここ深谷市仲町の藤橋酒造(「東白菊」)があります。調べると、深谷市にはもう一軒の酒造、深谷市横瀬の丸山酒造(「金大星」、「織星」)があります。深谷市横瀬と言えば、そのすぐ北側は世界遺産候補・田島弥平旧宅がある伊勢崎市境島村です。【メモ】 ■江戸時代末期、嘉永元年(1848年)に越後柿崎(現在の新潟県上越市)より当地に移り創業。 ■明治時代末期から大正時代にかけて建てられた。 ■中山道に面した建物は木造建築の町屋造り。 ■構内にはかつての米蔵、精米所、煙突など土蔵造りの技術を応用したレンガ造りの建物が現存。 ■代表銘柄は「東白菊」。「東白菊」は関東の東(あずま)に酒の清らかさを白、清酒の香りを菊で表現。 ■住所:〒366-0822 埼玉県深谷市仲町4-10 TEL 048-571-0136 |
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「東白菊」の名前が刻まれた煙突 2013/8/1 白い蔵と店舗の間から見える煙突 2013/8/1 |
中山道側から 2013/8/1 西側の空き地から 2013/8/1 |
小林商店旧七つ梅酒造と藤橋酒造を結ぶ中山道の真ん中付近には「深谷」交差点があります。この交差点を南方へ100mほど歩くと、木造洋館と赤レンガ倉庫が並ぶ「小林商店」があります。実は小林商店は探して辿り着いた訳ではなく、ブラリ散策していてたまたま見つけた次第です。私が運がいいとか、感がいい訳じゃなく、小林商店はそれほど存在感タップリの建物で、この付近を通ったなら見過ごすことの方が難しいでしょう。【メモ】 ■大正元年建造のレンガ倉庫は砂糖や乾物の倉庫の証を残し、土間床は黒光りしている。 ■隣接する昭和2年建設の木造3階建洋館と並んだたたずまいは大正時代の深谷の姿を彷彿とさせる。 ■深谷市西島町4-3-50 |
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小林商店(南東側から) 2013/8/1 |
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小林商店(南側から) 2013/8/1 |
赤レンガ倉庫を南西側から 2013/8/1 |
蔵 |
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長野県小布施町や栃木市など、古い建物を生かした街並みを歩くと、たくさんの蔵の存在に気が付きます。ここ深谷市も同様で、街中のあちらこちらに蔵が残されています。蔵が持つ落ち着き、風格、重厚感など、地方都市の街づくり、街おこしの重要で貴重な財産のようです。 | ||
2012/4/28 |
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2012/4/28 |
2013/8/1 |
2013/8/1 |
街中に残る赤レンガ渋沢栄一らによって、日本煉瓦製造(本社東京)のレンガ工場が深谷市に建設され、そこで製造された深谷のレンガが、東京駅始め日本各所の建造物に使用され、今でも名所になっています。レンガの街・深谷市。そのためか、街中のそこかしこで赤レンガ建造物を見受けます。レンガの持つ素朴さや温もり、強度、耐火力、寿命、装飾性が新建材の持つ何かによって徐々に役割を減らされ、今では、本物のレンガを使用した建築現場を見る機会が少なくなりました。そんな昨今、現存するレンガ建造物はとても貴重です。 |
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2012/4/28 |
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2013/8/1 |
2012/4/28 |
2012/4/28 |
深谷れんがホール中山道の「深谷」交差点の北側に、1階部分がレンガで2,3階が白壁の大きな建物があります。太陽の光が創り出す陰影と、土壁の内部から染み出て創り出す滲みや風雪の汚れが、実に渋く、味わいがあります。東面の鉄製の扉は重々しく、これもまた更に深みを加えています。「深谷れんがホール」として貸し出し、利用されているようです。【メモ】 ■昭和8年(1933年)に深谷信用組合倉庫の解体レンガを再利用して再建。 ■1階がレンガ造り、2、3 階が木造土壁の倉庫で滑車がある。 ■1 階を改造し、イベントや会議等で一般に貸出し利用されている。 |
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深谷れんがホールを東側の道路から 2013/8/1 東側の入口 2013/8/1 |
深谷れんがホール(南側の駐車場側から) 2013/8/1 |
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深谷れんがホール 2017/11/17 |
福島邸中山道側からは気が付かなかった福島邸。中山道の南側の通りを歩いていると、目に飛び込んで来た総レンガ造りの建物。調べると、こんにゃく原料倉庫兼製造工場とのことですが、アーチで積んだ入口や窓は優雅で美しく、工場と言うよりは別荘地の洋館のような雰囲気があります。【メモ】 ■大正10年頃建造のこんにゃく原料倉庫兼製造工場。 ■アーチ積みの窓と入口が美しい。 ■中山道に面した建物は総ヒノキ造りの贅沢な町屋建築。 |
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2013/8/1 |
2013/8/1 |
街中の景色 |
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七ツ梅酒造の道路反対側の店舗 2012/4/28 |
街中に残る銭湯・姫の湯 2013/8/1 |
銭湯・姫の湯の入口 2013/8/1 |
煙突 |
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2012/4/28 |
2012/4/28 |
何の工場か分かりませんが 街中で見つけた煙突 2012/4/28 |
【メモ】(Wikipediaから引用)深谷宿深谷宿(ふかやしゅく)とは、中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて9番目の宿場。現在の埼玉県深谷市にあたる。深谷宿は中山道で最大規模の宿場で、本陣1(飯島家)、脇本陣4、旅籠80余。商人が多く、また飯盛女も多く、遊郭もあり、江戸を出立して2晩目の宿を求める人で大いに栄えた。 五の日、十の日に市が立った。(壬戌紀行) 天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、深谷宿の宿内家数は525軒、うち本陣1軒、脇本陣4軒、旅籠80軒で宿内人口は1,928人であった。 |
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以上、2度にわたる深谷市まち歩きのレポートでした。記事掲載にあたり、あれこれ調べる内に、これらがまだまだ一部である事が分かり、このページを納得できるレベルに仕上げるには、更に数回のまち歩きを行う必要があるようです。 次回がいつのことになるのか予定は立っていませんが、取り敢えず、次回以降見学したい建造物をメモ代わりに下記に記しておきます。(2013/8/19 記) ■飯島邸 本陣 ■深谷商業高校記念館(登録有形文化財) ■大谷邸(登録有形文化財) ■だいまさ ■安部邸 ■塚本商店 ■常盤園 ■仲町会館 ■釜屋 ■仲湯 ■JR深谷駅 |