足尾砂防えん堤は渡良瀬川上流の仁田元(にたもと)川、松木川、久蔵(くぞう)川の三川合流地点直下に計画された砂防ダムです。 構造形式は重力式コンクリート砂防ダム。規模は、高さ39m、長さ204m、貯砂量500万m3。日本最大級の堰堤です。主えん堤と副えん堤とで構成され、水叩きは沼のように水を湛えています。着工は昭和25(1950)年、完成は昭和30(1955)年。国土交通省 関東地方整備局・渡良瀬川河川事務所の管轄です。 平成8年には「銅(あかがね)親水公園」が造られ、えん堤直下流には「銅(あかばね)橋」が架けられ、渡良瀬川左岸と公園をつないでいます。銅橋の形式はシングルタワー非対称PC斜張橋。橋長106.6m、最大支間長73.0m、有効幅員4.0mです。 |
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道路脇に立つ「三川合流付近の渡良瀬川」の道標 2018/3/31 |
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えん堤上流では仁田元川、松木川、久蔵川が合流していますが、2018年3月31日の訪問時には、水を湛えていたのはえん堤の上流僅かの範囲で、広大な原野のような風景が広がっていました。この地域には、その昔、それぞれの川名を冠にした村(仁田元村、松木村、久蔵村)があったよう。資料によれば、3村共に栃木県上都賀郡にあった村で、足尾鉱毒事件によって、ともに明治35(1902)年に廃村になったとのこと。現在はそれぞれ日光市足尾町仁田元渓谷、同松木渓谷、同久蔵渓谷と呼ばれています。 江戸時代から昭和にかけて、約400年間にわたり「銅山のまち」として栄えた足尾。まちの各所には当時の記憶を留めるたくさんの産業遺産が残り、松木渓谷周辺の山々は足尾銅山の煙害や山火事などによって緑が失われ、岩壁や岩稜の山容と相まって、人を寄せ付けない雰囲気が漂っています。現在では、山に緑を復活させるための植樹活動が行われ、足尾銅山の世界遺産登録活動も進められています(*)。 松木渓谷を始めて訪れたのは約20年前。備前楯山(びぜんたてやま)は過去3度ほど登りましたが、最初の2回は群馬側からの登下山。2回目の登山時、栃木側に下る道路があることを知り、登山の帰路りにこちらに立ち寄りました。その時の第一印象は「異様」、「不気味」、「不思議」。周囲の山肌は黒褐色で、大袈裟でなく緑がありませんでした。その原因が岩稜や岩壁の山容のせいか、足尾銅山の煙害の影響が未だに残っていたのか分からないまま、きっと月面着陸した宇宙飛行士はこんな気分だったのだろうと、そんな気分でした。標高こそ低いものの、標高3,000m級の日本アルプスの岩山に取り囲まれたような雰囲気が漂っていました。 以来、日光方面への旅行やドライブのついでに立ち寄り、時には足尾銅山の坑道をトロッコに乗って見学するなど、徐々に足尾への関心が深まりながらも、未だに足尾のまち歩きは実現していません。今回の足尾砂防堰堤の記事掲載をきっかけに、いつの日か足尾まち歩きを実施したいと思っています。(2018/4/19 記) (*)日光市教育委員会事務局文化財課世界遺産登録推進室「足尾銅山の世界遺産登録をめざして」 →http://nikko-ashio.jp/ |
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足尾砂防堰堤 2018/3/31(4分10秒) |
足尾砂防堰堤(堰堤南側に架かる「銅(あかがね)橋」から) 2018/3/31 足尾砂防堰堤(堰堤西側の「銅(あかがね)親水公園」から) 2018/3/31 マリンブルーの水を湛える足尾砂防堰堤の水叩き 2018/3/31 |
ニホンザルがやって来ました 2018/3/31 春の若芽を無心に食べるニホンザル 2018/3/31 |
足尾砂防堰堤の遠望 2018/3/31 足尾砂防堰堤の副えん堤を含めて、下流側へ7ヶ所の落差工が築造されています コブシ咲く足尾砂防堰堤周辺 2018/3/31 |
銅親水公園の案内図(駐車場に設置されています) 2018/3/31 銅親水公園と銅橋 2018/3/31 足尾砂防堰堤の本体に描かれたニホンカモシカの壁画 2018/3/31 銅橋の右岸側。後方の建物は足尾環境学習センター 2018/3/31 銅橋の主塔 2018/3/31 銅橋の主塔 2018/3/31 足尾砂防堰堤の右岸側の山の斜面に立てられた看板 2018/3/31 「治山と砂防で足尾に緑を」 栃木県環境森林部 国土交通省渡良瀬河川事務所、林野庁日光森林管理署 |
渡良瀬川右岸に建つ精錬所大煙突。手前は渡良瀬川。 2018/3/31 精錬所大煙突 2018/3/31 渡良瀬川左岸の山の風景 2018/3/31 |