西上州の山間の小さな街・群馬県甘楽郡下仁田町(しもにたまち)。 上信電鉄の終点駅があり、街中を国道254号が通り、西上州や長野県の山々を登山する時に何回か通過しながらも、街中そのものを歩いたことがなく、窓外に見える古い家並みがちょっと気になりながらも、なかなか改めて訪れることのなかった街・下仁田町。 そんな下仁田町を訪れたのは昨年の2011年5月のこと。その機会を与えてくれたのは、定年まで3年を残して33年間の教員生活に終止符を打ち、元校長から赤帽に華麗なる大転身した「ふるさとの歌」さん。 SUBARU車大好きなふるさとさんのR2に乗せていただき、下仁田の奥地・青倉地区にある白石工業の炭酸カルシウム乾燥小屋を見学した日に、行きと帰りに立ち寄り、街中の古い家屋を見学し、赤レンガ塀の小路を通り抜け、コンニャクのお土産を買い、駐車場のカフェでコーヒーなどを飲み、カフェの元お姉さまたちとオジサン・オバサンの井戸端会議に話を咲かせ、諏訪神社の立派な彫刻に目を瞠り、街興しの「かつどん」に舌鼓を打ち、ゆっくり、のんびり、まったりと楽しいひと時を過ごし、帰りには「今まで何でこんなに楽しい街を知らなかったのだろう」とすっかり下仁田町ファンになっていました。 伊勢崎市の景観サポーターの年一回の先進都市視察で、長野県小布施町、栃木県栃木市、新潟県塩沢地区の街歩きに参加し、どの街も全国から観光客を寄せる街並みで、その都度大いに刺激を受けましたが、ここ下仁田町もそれらの都市と優るとも劣らずの要素が数多く残されていて、同じ上州人として正に「灯台もと暗し」の発見でした。 街中で地元に住む元お姉さまたちとお喋りした時、 「下仁田は街中でスーパーが成り立たない街なのよ。以前一度スーパーが進出したことがあるんだけど、やってけなくて撤退しちゃったのよ」 と聞き、「何でだろう?」と自分なりに理由を考えてみると、「周囲を山に囲まれ、街中には鏑川が流れ平地が少ないから?」、「商圏の人口が少ないから?」、「地元商店街が強いから?」、「地元の人たちの購買姿勢?」・・・などとあれこれ思い浮かびながらも、答えを出すには下仁田町の事を知らな過ぎて、理由は良く分かりませんが、間違いなく言えることは、その特質が昔の風景が今なお生きている下仁田町を生み出していると言う事です。 路地や小路、通り脇の店舗が、他の地方都市に見られるシャッター通りの姿でなく、昔ながらの蔵や木造家屋が今も店舗や住居として使用され、お客を寄せ、街に吹く風にも大正と昭和の匂いがし、時間の流れもゆっくりで、古き良き街が今なお息づいている様子でした。 この姿が町の方針で意図して造ったものなのか、近代化都市整備から取り残されたことが結果的にこのような姿を生み出したのか、難しい話は下仁田町の歴史を調べないと分かりませんが、全国各地で明治・大正・昭和の街並みが立派な観光資源になることを証明しつつある昨今、下仁田町は多くのことを教えてくれるように思います。 桜咲く春に、新緑芽吹く五月に、周囲の山が紅葉に染まる秋に、皆さんも一度訪れてみてはいかがでしょうか。 (2012/3/19 記) |
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下仁田の事を少し調べると、下仁田町の発展は炭酸カルシウムのパイオニア企業・白石工業さんの歴史と共に歩んだ時代が多くを占めているようです。下仁田の奥地・青倉地区の白石工業周辺には、ある時期、たくさんの従業員宿舎があり、駅周辺には白石工業の倉庫や建物が造られ、街中商店街も白石工業の従業員やその家族に支えられて発展した時代もあったようです。ちょうど伊勢崎市境町駅周辺が養蚕全盛時代にその商取引の人たちに支えられて繁栄した事を思い出します。 駅の南側には白石工業の倉庫が残り、駅北にも赤レンガや木造の古い建物が残されています。これらの建物が現在誰の所有になっているのか調べていませんが、下仁田駅に隣接するこれらの建物は、特に立ち入り禁止の柵もなく、外観を見学することができます。(2012/3/19 記) |
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下仁田駅の北側に残る赤レンガの建物 2011/5/14 下仁田駅の北側に残る赤レンガの建物・2棟 2011/5/14 下仁田駅の北側に残る赤レンガの建物と木造建物 2011/5/14 |
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下仁田駅の北側に残る木造建物内 現在も使用されています。 2011/5/14 |
下仁田駅の北側に残る木造建物内 2011/5/14 |
下仁田駅の北側に残る木造建物内 2011/5/14 下仁田駅の北側に残る木造建物内 2011/5/14 下仁田駅の北側に残る木造建物内 2011/5/14 |
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2011/5/14 駅の南方向 2011/5/14 駅の南西方向 2011/5/14 駅近くのこんにゃく料理の店 2011/5/14 |
昔の防火水槽 2011/5/14 駅の西方向 2011/5/14 駅近くの木造家屋 2011/5/14 |
駅の南方向 2011/5/14 駅の南西方向 2011/5/14 駅近くのこんにゃく料理の店 2011/5/14 |
駅の西方向 2011/5/14 駅近くの木造家屋 2011/5/14 |
駅西の小路・中央通り |
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駅西の小路 2011/5/14 駅西の小路の遊興場 2011/5/14 駅西の小路の酒屋さん (上州地酒販売) 2011/5/14 下仁田町はカツ丼で街興し中。 2011/5/14 |
駅西の小路の石塀 2011/5/14 駅西の小路の石塀 2011/5/14 駅西の小路の肉屋さん 2011/5/14 駅西の小路の床屋さん 2011/5/14 駅西の小路に面した住宅 2011/5/14 駅西のきよしや・ビッグなかつ丼 2011/5/14 このボリューム。 ラーメン付きのラーメン定食もあります。 2011/5/14 |
駅西の小路・かつどん、ラーメンの店 2011/5/14 駅西の小路のラーメン屋さん 2011/5/14 2011/5/14 駅西の小路・中央通り 2011/5/14 |
下仁田町文化ホール前の休憩所のログハウス 2011/5/14 |
街中にあった公衆トイレ 2011/5/14 |
文化ホール近くの木造建物。今も店舗として使用されています。 2011/5/14 文化ホール近くの木造建物。立派な風格 2011/5/14 町内にあった木造家屋。木の壁の温もりや細かな細工がずっと見ていても飽きません。 2011/5/14 街のすぐ南には山がそびえています。ちょっと足を伸ばせば登れそう・・・。 2011/5/14 |
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街中の公園。後方には赤レンガ塀。 2011/5/14 |
鏑川の岩床。澄んだ水が流れています。 2011/5/14 |
「まるへい」さんの建物は有形文化財として文化庁に登録されています。 ※以下、下仁田町の紹介文からの引用です。 平成21年8月25日、町内で3件目の登録有形文化財として、荻野家(下仁田)主屋ほか店蔵など7棟が文化財登録原簿に登録となりました。荻野家住宅主屋は大正13年頃の建築で、大正6年(1917)に仲町に大火があり、それを教訓として、北側に大きな煉瓦造りの防火壁を備えた木造2階建入母屋造で、地域で起きた大火の歴史を後世に伝えています。 |
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てのしコンニャクの「まるへい」さん 2011/5/14 |
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有形文化財登録の証 2011/5/14 趣を感じる木製看板 2011/5/14 お土産店の南側に隣接する駐車場 店内はカフェのようになっていて、コーヒーや味噌おでん、 神津牧場のソフトクリームなどを楽しめます。 2011/5/14 |
2011/5/14 「まるへい」さんのお土産店舗 様々なコンニャク製品を販売しています。 2011/5/14 |
「まるへい」さんの建物全景 2011/5/14 |
下仁田町の木造建物 |
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街中の住宅 2011/5/14 2011/5/14 |
街中の住宅 2011/5/14 街中の住宅 2011/5/14 |
そば・うどん屋さん 2011/5/14 街中の住宅 2011/5/14 |
蔵造り街中には小路や通りの奥、住宅地内にたくさんの蔵が残されています。その多くが店舗や倉庫として使用されている様子でした。 |
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2011/5/14 2011/5/14 2011/5/14 |
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街中に残る赤レンガ塀 |
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諏訪神社 |
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神社前の鳥居と手水舎 2011/5/14 諏訪神社のご神木・大ケヤキは樹齢600年 樹高31m、幹周5.4mで 下仁田町の観光銘木10選に選ばれています。 |
神社前の鳥居 2011/5/14 境内社・近頭(ちかと)神社。この彫刻も素晴らしい。 左は樹齢600年のご神木・大ケヤキ。 2011/5/14 |
四面を立派な彫刻で埋められた諏訪神社拝殿 2011/5/14 |
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龍や獅子の彫刻が拝殿の四面の壁や柱、梁を埋めています。 諏訪神社拝殿の彫刻は下仁田町の重要文化財に指定されています。 |
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