下仁田町青倉の炭酸カルシウム乾燥小屋 [ 建造物遺産 ]  [ Home ]




白石工業白艶華(はくえんか)工場・炭酸カルシウム木造乾燥小屋

上信電鉄の終着駅・下仁田駅白石工業の炭酸カルシウム乾燥小屋下仁田町・街歩き荒船風穴(国指定史跡)
更新日:2011/6/2 画像下の日付は撮影日
 群馬県下仁田町の奥まった場所にある青倉地区。この青倉の山の斜面に変わった木造建物があります。白石工業株式会社白艶華(はくえんか)工場の炭酸カルシウムの乾燥小屋です。この地で採掘、製錬した炭酸カルシウムを棚に乗せて天日乾燥させるための施設です。実際に使用された期間は、昭和7年の創業時頃から、乾燥方法が燃料乾燥に変わる昭和43年頃までの約36年間ほどのようです。

 実はこの施設、昨年の春に元・島小(伊勢崎市立境島小学校)の新井校長先生に教えていただくまで全く知りませんでした。
 資料をいただいた時、短冊状の木の棚が3階建の建物ほどの高さにビッシリと積み上げられ、しかもその建物が山の斜面に立ち並ぶ風景は、還暦を過ぎる年齢まで全く見た事も聞いた事もなく、その構造も用途も理解をはるかに超える施設と風景で、頭のどこかにずっと気になっていた存在でした。

 そんな思いでいた過日、新井さんがこの施設を見学して来たとブログで書かれていたので、「助手席が空いていて、体重制限がなければ、お邪魔虫したかったです。」とコメントしたところ、何と、案内していただける運びになった次第です。

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 現地で見る乾燥小屋は、事前に資料を見て膨らませた想像よりもはるかに巨大で、道路から見上げるばかりの規模です。「小屋」と呼んでいいのか、「大家」と言ったら違う意味になってしまうし、さて、何と呼ぶのでしょう。
 現存している小屋は3棟で、既に乾燥小屋としての使命は終えて、一部倉庫代わりに使用している状況でした。調べて見るとこの施設の操業は昭和7年(1932年)とのことなので、既に80年余りの風雪に耐えていることになります。

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 この日、敷地内の道路に入って(白石工業の関係者の皆さん、無断で入ってしまって済みません)、中で作業していた年配の方がいたので、少し話を伺ってみました。
 その方は昔から青倉地区に住んでいる方で、子供の頃、学校から帰って来ると、アルバイトでカルシウムを乾燥小屋に運搬する仕事をしていて、それがいい小遣い稼ぎになっていたこと、その方の父親を始め、地元の方たちがたくさんその仕事に従事していたこと、青倉地区には川沿いにたくさんの従業員宿舎もあったこと、工場プラントのある山の斜面一帯は夜でも明るく照らされて夜景がきれいだったこと、当時はそう言う人たちのお金で下仁田駅周辺も賑わっていたことなど、当時の状況を彷彿とさせる楽しい話を聞かせていただきました。

 中でも驚いたのは、「あっちこっちに石垣で囲った平らな場所が残っていますが、乾燥小屋は他にもあったんですか?」との私の問いに対して、
「あったなんてもんじゃないよ、大きいのと小さいのと色々あって、大小合わせれば150棟や200棟あったと思うよ」
と言う返事でした。
 この山の斜面に大小合わせて100を超える炭酸カルシウムの天日乾燥小屋があったこと・・・驚くばかりです、
(当時の小屋の総数の正確性は私の聞き違いも含めて保証しませんので、悪しからず。他のサイトによれば、最盛期には118棟あったとのことです。)

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 これだけの施設、きっと保存運動が行われているのだろうと思って調べてみると、ネット上でいくつか見つかりました。
 富岡製糸場と合わせて世界遺産登録の施設にするべく活動している事、とは言え、保存するには補強工事や維持補修に費用がかかる現実的な課題など、ただ単に保存したいと言う気持ちだけでは実現できない難しい面もあるようです。

→■自治ネット富岡地域グループの白石工業・白艶華工場見学
→■産業技術遺産探訪・白石工業(株)白艶華工場・炭酸カルシウム乾燥小屋
→■日本すきま漫遊記・鉱石乾燥小屋
→■西上州界隈山サイト雑記帳・究極の機能美 炭酸カルシウム乾燥小屋



 実際、現存する3棟の内、梁部材などが一部朽ちた小屋もあり、崩壊の危険もあるようでしたが、産業の長い歴史を伝える重厚な巨大木造施設は、きっと多くの人の関心を呼び、見る人に様々な驚きと感動を与えると思います。今後、解体されてしまうのか、何らかの方法で保存されるのか、民間企業の所有であるだけに難しい課題もあると思いますが、何はともあれ、現状の様子をご覧ください。(2011/5/31 記)

 なお、この日、下仁田町の上信線・下仁田駅見学下仁田町の街歩きも楽しみました。(2011/6/2 記)

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公道(画像の左下)から眺める乾燥小屋
右の道路は工場内の道路 2011/5/14


青倉川を挟んで反対側の山の斜面から眺める乾燥小屋3棟
左側の煙突は工場の煙突 2011/5/14

道路から見上げる乾燥小屋 2011/5/14

壁の途中に所々に設けられた開放部 2011/5/14


青倉川を挟んで反対側の山の斜面から眺める乾燥小屋3棟
左端の石碑はこの地から出征した戦没者慰霊碑 2011/5/14

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青倉川を渡って少し離れた位置から 2011/5/14



開口部。風通しを良くするための構造でしょうか。 2011/5/14


2011/5/14



小屋の基礎コンクリートと石積み擁壁 2011/5/14

建物内部。天井の中央部は通路でしょうか。
2011/5/14

小屋の中に続く軌道 2011/5/14

この小屋は梁部材が少し朽ちていますが
このままの形もアート作品のようです。 2011/5/14


山の斜面を利用しているので、小屋と小屋の地盤には段差があり、小屋同士を繋ぐ通路もあります。 2011/5/14

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山の斜面 2011/5/14

山の斜面に造られたプラント
2011/5/14

工場の反対側の山の斜面から眺める青倉の集落
集落の真ん中には青倉川が流れています。
2011/5/14

青空にそびえる工場の煙突 2011/5/14

小屋が壊されて石垣と基礎コンクリートが残されています。
2011/5/14

工場の南西側にむき出しの岩壁(石灰岩?)があります
2011/5/14

工場の入口で咲いていた野草 011/5/14


工場の入口
工場には青倉川に架かる橋を渡って入ります。
2011/5/14


白石工業株式会社白艶華工場
2011/5/14

反対側の山の急斜面に墓石が立っていました。
これだけ急な斜面にも関わらず、
傾いている様子もありません。
周辺の急斜面には墓地もありました。
この辺の地盤は固いのでしょうか。
2011/5/14
→下仁田町の上信線・下仁田駅見学街歩き




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