島小閉校 綴った歴史は143年境島小学校 閉校式(10分30秒) 2016年3月26(土)、群馬県伊勢崎市の境島小学校の閉校式が執り行われました。 島小の創設は明治6年8月。世界遺産「富岡製糸場」創業の翌年です。 創設時には男子76人、女子41人、合計117名の入学者を迎え、多い時には初等科、高等科を併せて465人の児童、生徒が学んだとのこと。 昭和27年には28代校長として斎藤喜博校長が赴任し、「島小教育」として日本の教育界にその名を知らしめました。 自治体の変遷をたどると・・・、 那波郡前河原村から佐位郡島村へ。 その後、佐波郡島村、佐波郡境町、伊勢崎市へと変わりました。 校舎の変遷は・・・ 明治6年8月、前島の宗厳寺に創設 明治8年3月、前島に三階建て校舎を新築 明治43年7月、校舎一棟を増築 大正4年5月、新地に二階建の新校舎を建設し前島校舎から移転 昭和9年6月、本校舎東側に二階建校舎を増築 昭和23年10月、北向地区に島小学校分校を開設 昭和30年5月、島小学校分校の新校舎完成 昭和41年10月、島小学校が旧島中学校へ移転 昭和43年7月、島小学校新地校舎を解体 昭和45年3月、島小学校分校が廃校 昭和45年4月、島小学校分校が境小学校分校へ 昭和47年3月、境小学校分校が廃校 昭和58年1月、体育館完成 平成5年3月、校舎改築(現存校舎) そして、平成28年3月、閉校 田島武平や田島弥平を始めとする蚕種の研究者、日本画家・金井烏洲や書家・金井之恭、後には田島弥太郎博士など多くの著名人を輩出した伊勢崎市境島村。蚕種の産地として日本のみならず世界にその名を轟かせ、その地に明治6年8月に創設された島村小学校。一時は500名近い児童が通い、斎藤喜博校長によって日本の教育界にも名を知らしめました。 養蚕の衰退とともに人口は減り、閉校する今年度の児童数は10名。平成26年、学校規模適正化委員会を設けて検討し、多くの人に惜しまれながら閉校に至りました。 島小から巣立った卒業生は3,004人。 今ここに143年の歴史に幕を下ろしました。(2016/3/29 記) |
境島小 2010 音楽鑑賞会
シルクコンサート♪ festina lente |
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島小のホームページが第8回全日本小学校ホームページ大賞(J-KIDS大賞2010)の
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島小に建つ石碑や案内板で見る島村の歴史 |
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満開のサクラと島小 2010/4/11 桜咲く島小を拡大表示 → Mサイズ|Lサイズ |
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「島を守った赤レンガ」と説明板 島小玄関脇に立っています。 [ 説明板の拡大 ] 2010/4/11 島小の校章のいわれ 島小玄関室に飾られています 2010/4/11 |
【島村沿革碑】 2010/4/11 [ 拡大 ] 2010/4/11 島村の養蚕農家群と史跡の案内板 校庭の北東に立てられています。 2010/4/11 |
島小校舎 2010/4/11 赤い屋根の体育館 2010/4/11 校庭の隅で咲く水仙とチューリップ 2010/4/11 島小玄関目の郵便ポスト 使用はされていません 2010/4/11 |
島小の中央玄関の上に飾られている帽章 2010/4/11 |
前島地区のレンガ塀(長さ300m、高さ3m) |
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2012/4/15、久々に島小と「福祉交流館しまむら」を訪ねてみると、「福祉交流館しまむら」の前の沿革碑前に、赤レンガ塀の塊が置いてありました。その昔、現在の利根川の流れの中にあった集落・前島地区を、利根川の氾濫から守るべく1908年に築造された赤レンガ塀の破片のようです。築造の翌年1909年、長雨による利根川の洪水で、この巨大なレンガ塀は無念にも破壊され、1951年にダイナマイトで爆破して、そのまま河床に眠らせたとのことです。 (→詳しくはこちら) 今でも島村渡船に乗る度に、桟橋付近で貝殻探しならぬ赤レンガ探しをすると、必ず数個の破片が見つかりますが、これだけ大きな塊は初めて見ました。 2011年秋の台風12号の増水で島村渡船の桟橋が決壊し、その後修復し、同時に航路も以前より上流側になりましたが、恐らく、その浚渫工事や桟橋工事の時に見つかったのを、ここに仮置きしたのかと思います。詳細は現在確認中ですが、もし、島小玄関脇に置かれているように、記念碑としていつかどこかに設置されるようでしたら改めて紹介しますが、まずは利根川の氾濫と戦い続けた歴史を物語る、この歴史的構造物をご覧ください。(2012/4/17 記) |
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仮置きされた赤レンガ塀の塊 後ろの建物は「福祉交流館しまむら」 2012/4/15 2012/4/15 |
「福祉交流館しまむら」前の沿革碑前に仮置きされた赤レンガ塀の塊 2012/4/15 |
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島村のことを調べ進む内に、今もなお利根川の河川敷や川底に、かつて前島を洪水から守ったレンガ塀の残骸が残されていることを知りました。2010/4/11、渡し舟の船頭さんのTさんに尋ねると、毎年「島村・渡船フェスタ」が開催される場所周辺でも見つかると聞き、付近を歩いて見るとご覧のように川岸周辺でコンクリートとレンガの塊がいくつか見つかりました。 | ||
2010/4/11 |
2010/4/11 |
2010/5/9 |
繭人形と繭コサージュ2010/4/11、新井校長先生に校長室を案内していただき、部屋に入ってまず目に飛び込んで来たのは愛嬌タップリの繭人形と可愛らしく素敵なコサージュでした。島小の生徒達の作品です。これらの作品が、島村や島小の歴史を伝えるたくさんの書物の前に、一つ一つ大切に飾られていたこともまたとても温かい風景でした。 |
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2010/4/11 2010/4/11 2010/4/11 2010/4/11 |
2010/4/11 2010/4/11 2010/4/11 2010/6/6 |
2010/4/11 2010/4/11 2010/4/11 |
卒業生たちの記念作品 |
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2010/6/6 平成5年度卒業生 2010/11/29 平成6年度卒業生 2010/11/29 平成18年度卒業生 2010/11/29 |
2010/6/6 平成15年度卒業生 2010/6/6 |
校庭の隅に緑のオアシス |
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島小の校庭の南東にある小山。 高さの変化があって、色々な遊具も設置され、きっと生徒達の絶好の遊び場にもなっているであろうこの場所。 1ヶ月前、新井校長先生に案内されて始めて訪れた時、真っ先に目に飛び込んで来たのはここで咲く満開の桜。 二度目の訪問の時にその場所で出迎えてくれたのは爽やかな木々の緑でした。その一画は空気さえ新緑色のよう。まさに緑のオアシスです。 校庭にこのような緑の空間が守られていること、素晴らしいことです。 (2010/5/14 記) |
上を見上げてじっと眺めているだけで身体の中が浄化されるようです。 2010/5/9 |
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この涼やかな風情。 石に刻まれた句の由緒は・・・(すみません、未調査です) 2010/5/9 |
周囲にはブランコやジャングルジムなど 花を散らした桜の後方に島小校舎 2010/5/9 |
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木々にはそれぞれ名前プレートが付けられ、生徒達の学習用になっています。 2010/5/9 |
小山を利用した遊具。 気分はトムソーヤ。 2010/5/9 |
爽やかな大木の緑に覆われた小山 2010/5/9 |
サクラ満開 |
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校庭の南東にちょっとした小山に遊具や二ノ宮金次郎の像があり、 ツバキやサクラが植えられています。 良く踏み固められた土が、子ども達の遊び場であることを語ってくれます。 2010/4/11 2012年も見事な姿を見せてくれました。 2012/4/15 |
[ 拡大 ] 2010/4/11 [ 拡大 ] 2010/4/11 2012/4/15 |