伊勢崎小唄 昭和8年(1933年)伊勢崎小唄は、伊勢崎銘仙の宣伝のために発表し成功した「からりこ節」に続き、歌詞を公募し、作詞は西岡水朗、作曲は町田佳聲、振り付けは佳聲の芸仲間の藤陰静枝に依頼した作品である。当時、伊勢崎の芸者による唄や囃子に合わせた二人一組の組踊として踊り継がれ、「からりこ節」と共に白水楼、大津屋、山楽荘等、当時の伊勢崎町の歓楽街で宴会芸として親しまれていた。 その後、銘仙産業の衰退や太平洋戦争を経て、社会情勢が大きく変化し、時代と共に芸者も少なくなり、昭和40年代、伊勢崎最後の芸者達により保存会を発足し、振興普及に努めていた。波志江町在住の加藤義男を中心に活動していた「上州八木節会」の有志が習い引継ぎが出来ればと、当時の踊りの担い手であった芸者達を指導していた内田千代に指導を受ける。昭和52年、群馬県民謡コンクール大会で発表し、以後活動を続け、平成11年第16回国民文化祭・ぐんま2001で三和会として10名、5組の組踊を披露した。それを契機に「伊勢崎小唄・からりこ節保存会」(会長加藤義男)が発足し、保存普及に努めていたが、会員の高齢化のため活動が休止になる。 令和6年、「佳聲」の曲の踊りを継承する「まちだ連」の皆さんが、「伊勢崎小唄・からりこ節保存会」の会員だった加藤和子を講師に招き、「伊勢崎小唄」の講習会を開催し、復活を目指している。
春の伊勢崎や 花ぐもり みどり色増す 華蔵寺辺り おさのひびきで 日が昇る 2.水も思いもせかれりゃ 募る 深くなるみの仇なさけ 浮名たつ風 団扇でよけて 渡りゃ噂の 広瀬川
3.好いた同志の 連取ならば 忍ぶ笠松君を待つ 影は二つに 心は一つ 晴れてあう夜の 月あかり 4.昔しのべぱ 赤石便り 今ぢゃ赤城のかぜだより 誰を待つやら 機場の娘 窓にひめもす 空頼み 西岡水朗(1909年~1955年)長崎県出身の歌謡詩人。海星中学校卒業後、詩作活動に没入。1929年 詩集「片しぶき」刊。その中の同名の作品が初レコード化され、上京。コロムビア専属作詞家となり新民謡、歌謡曲を数多く生み出す。代表曲「男なら」「長崎小唄」等がある。 町田佳聲顕彰会 |