御幣山(軍配山)古墳 [ 遺跡と古墳公園 ]  [ Home ]




軍配山(ぐんばいやま)古墳

群馬県佐波郡玉村町角淵(つのぶち)
掲載日:2014/6/19
 群馬県佐波郡玉村町・角渕の水田地帯の中にポツンと円錐形の姿を見せる軍配山古墳。
 現地に立つ説明板によれば、烏川段丘上に数多く存在する古墳の中でも出土品のレベルが高く、この古墳の被葬者がこの辺一帯の有力な支配者的存在であったと推測されているようです。
 古墳南側には2つの説明板が立ち、その脇を通る2本の小路が通っていて墳頂まで登ることができます。2階建て建物の屋根程度の高さなので登山と呼ぶには大袈裟ですが、多くの人が登ったことを伺わせる踏み跡を歩くことはそれなりに楽しく、墳頂から眺める風景は広々として気持ちがいいです。特に南東側の利根川と烏川との合流地点方向には遮るものが少なく、烏川の堤防が地平線のように横に伸びていて、伸び伸びとした気分に浸ることができます。
 周囲が水田地帯であることから、四方八方からその姿を見ることができ、古墳に興味がない人でもその存在を知っている人は多いことと思います。近くを通った時にはちょっと寄って、墳頂からの風景を楽しんでみませんか。(2014/6/19 記)

御幣山(軍配山)古墳の地図

軍配山古墳(円墳)。径40m、高さ6m。 2014/4/27

御幣山(軍配山)古墳 概要

■正式名称:御幣山古墳
■形式:竪穴式円墳。径40m、高さ6m。
■築造年:古墳時代前期(4世紀後半)と推定
■出土品: 中国渡来の白銅製内行花文鏡二面や、勾玉、管玉、鉄鏃、その他鉄器類(東京上野の国立博物館に保存)
■ 軍配山の名称の由来:天正10年(1582)(本能寺の変の17日後)6月19日、上野国に侵攻してきた小田原の北条氏直と、ここに進駐していた織田家部将の滝川一益とが戦った神流川(かんながわ)合戦の際に、滝川一益がここに本陣を置き、軍配を振るったと伝えられている。

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御幣山(軍配山)古墳の説明板


現地に立つ説明板

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南西側の小路から眺める墳頂
2014/4/27



古墳南側に建つ玉村南部土地改良事業・完成記念碑
2014/4/27



墳頂に立つ石碑。発掘時のことが刻まれています。
2014/4/27

墳頂へ登る小路。小段には小さな祠が並んでいます。
2014/4/27

小段に並ぶ小さな祠。八重桜が彩ます。2014/4/27

松やイチョウの木 2014/4/27

満開の八重桜 2014/4/27


軍配山古墳・墳頂からの風景

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墳頂から下る小路 2014/4/27

墳頂脇で咲いていた野草 2014/4/27

眼下に広がる水田・遠方には烏川の堤防 2014/4/27


墳頂に石で積み上げられた築山 2014/4/27



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