2010/10/16日、17日の両日、「いせさき燈華会2010」の特別企画展として、伊勢崎織物会館において平田達男氏の遺作展が開催されました。 平田達男氏は大正14年(1925年)、伊勢崎市で「平角織物」を営む平田角太夫氏(故人)の四男として生まれました。幼い頃から伊勢崎銘仙に親しみ、昭和27年(1952年)に染色工場を持つ機屋「平達織物」を設立し、父・角太夫氏から受け継いだ伊勢崎銘仙特有の「併用絣」の技法を生かした反物作りで一躍有名になります。 着物の需要が減る社会変化の中でも、絣絵を織ったり、干支の掛け軸や額絵などの室内装飾品を考案したりと数々のアイディアを生み出し、「平達(ひらたつ)」の愛称でロングセラー商品を作り続けました。 若い時の詩人・相田みつお氏(故人)との交流も有名で、それは相田氏の詩を織りこんだ作品に反映されています。 通商産業大臣賞、群馬県知事賞などの受賞は数知れず、最近では関東経済産業局長(経産省)から平成21年度の伝統工芸品産業功労者として表彰を受けています。 伊勢崎銘仙特有の「併用絣」の技法を指導できる最後の人として、その存在は織物業界や伊勢崎市に取っても非常に重要でしたが、惜しまれつつも平成22年(2010年)4月21日、故人となりました。享年84歳です。 この日の遺作展では、平田氏個人が所有していた作品や織物会館が所有していた作品を多数集めて、伊勢崎織物会館1階のフロアに展示し、中高年女性を中心とした大勢の伊勢崎絣ファンが訪れていました。 (2010/10/21 記) 平田達男遺作展・概要 日時:2010/10/16日、17日 午後1時〜午後8時 場所:伊勢崎織物会館1階(伊勢崎市曲輪町31-1) 主催:平達織物、共催:伊勢崎織物協同組合、後援:伊勢崎市 |
伊勢崎絣とは・・・ |
平田達男氏の横顔 |
相田みつお氏との交流紹介、作品コーナー |
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併用絣(へいようがすり) |
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生活スタイルの変化に伴って、日本人が日常生活で着物を着る機会は激減しました。 私は昭和24年生まれの8人兄弟の末っ子ですが、小学校の頃の母の記憶はいつも着物姿でした。ただ、展示会に飾られるような華やかな絵柄ではなく、濃い藍色や焦げ茶系の地味な色の着物でした。その母が縁側の隅に置いた機織り機で、夜なべ仕事や昼間ちょっと空いた時間にガシャンガシャンと機を織っていたのを良く覚えています。反物として織り終わる頃にはスクーターかオートバイに乗った仲買人が引き取りに来て、新しい糸と交換に持って行きます。紡績工場が主流になる頃にはその仕事も減ったのでしょうか、いつの頃からか機織り機もバラックの隅に追いやられ、最後はスクラップになり風呂の燃し木と消えました。 伊勢崎市民に取って、特に年配者には伊勢崎銘仙はまだまだ記憶に残る地元の名産品です。特に平田達男氏が継承して来た「併用絣」は伊勢崎銘仙固有の技法です。 私も当サイトで伊勢崎絣のイベントを何回か紹介する過程で、今の社会における伊勢崎銘仙の位置付けを少し知ることができました。それは必ずしも楽観できるものばかりではありません。最近は「絣の郷」や「いせさき明治館」、「赤石楽舎」、また東京浅草や銀座において、多数の方達の尽力によって伊勢崎絣の様々なイベントが開かれ、広く多くの人に知ってもらう機会が増えて来ました。 かつては群馬県全域の織物産業を支え、特に伊勢崎市や足利市、桐生市を支えて来た銘仙。伊勢崎銘仙固有の「併用絣」の技法の継承に不安も残る中、伊勢崎銘仙が新たな伊勢崎発信の名産品として復活することを希望して止みません。(2010/10/21 記) |