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35 文化財名 森村家の文書
(もりもりむらけのもんじよ)

 文化財事項                                                            
指定内容 市指定重要文化財 指  定 昭和58年3月11日
記号番号 文伊教文第38号 所有者管理者 森村 恒之
所 在 地 伊勢崎市連取町361 初 期 地
形  状 『享和以来見聞記』(22冊) 『北国見聞記』(17冊) 『北国道中記』(1冊) 『西国見聞記』(19冊) 『甲豆総帽房漫遊記』(2冊) 『野常総見聞記』(1冊) 計62冊
年  代 近世 江戸時代
文化財注記森村新蔵は連取村を領した駒井氏の陣屋役人(代官)であった。。『享和以来見聞記』(享和元年は、1801)では当時の伊勢崎・佐波の状況が記されている。この資料の伊勢崎佐波の部分については、橋田友治氏が原稿用紙に筆写している。
文化財資料

 書誌事項
分類番号 書            名 バーコード 所 在 場 所
K204ズ 図説 伊勢崎佐波の歴史 108頁 101801925 一般・調査
写本 享和以来見聞記(伊勢崎・佐波部分 橋田友治訳)  書庫
K205イ 『伊勢崎史話』第10巻第5号 68〜69頁
 (下に引用文有り)
101811320 調査・書庫

書誌注記 連取陣屋については、『伊勢崎市史 通史編2 近世』289〜312頁参照。
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「伊勢崎史話」より
 資料調査の記     橋田友治
 『伊勢崎史話』第10巻第5号 68〜69頁 (通巻第
  170号)

    森村恒之氏方の資料
 四月九日(日)[昭和四十二年−引用者]に清水保二君が
図書館にみえて、連取の森村恒之氏の宅に、御先祖の人が日
本全国を旅行した折の、旅行記が、三四十冊保存されており、
数月程前忙茂木俊一先生と共に見せて頂きに出向いた話をさ
れた。茂木先生からも、大部の記録が残されている話ば伺っ
ていたのだが、一見する機会を得ぬまゝでいたが、この日は
朝から雨で、青年達の団体である虹の会の史跡踏査の会が、
延期になっていて、手もすいていたので、清水君に案内して
頂いて、十一時頃に森村さんのお宅へ出向いた。
 恒之氏の家は、森本と呼ばれている森村敏夫氏の家の東隣
りで、前橋藩酒井家が姫路へ移封の折に、藩士の家の長屋門
を譲り受けたという伝承のある、大きな萱茸の長屋門のある
立派な農家であり、恒之氏は現在宮郷農協の組合長をされて
いる。かつてこの家のものという『広瀬・桃木用水訴訟一件』
の長文の文書を写した事があった。
 恒之氏の御両親の熊雄氏御夫妻は、横浜へお客に行かれた
由で留守中であったが、来意を告げると、恒之氏御夫妻が蔵
に入って、美濃判五六十丁の冊子を四五十冊も抱え出して来
られで見せて頂くことが出来た。
西国見聞記   十八冊
北国見聞記   十六冊
甲豆総絵旅記   二冊     計五十冊
野常総見聞記   一冊
享和以来見聞記 十三冊
 以上の様に大分なもので、西国見聞記や北国見聞記は、極
彩色の絵図なども入っている。しかしこれらの冊子のうちに
大きな文字で、お家流の筆蹟のものと、楷書体に近い細字の
ものと二種類あり、これは当初の筆記を後に編集し直したも
のと見受けられた。また『享和以来見聞記』は、国内での重
要な事件の記録集成であり、当地方の事件についても、現実
に事件の起った所の記録という意味で貴重なもの、一例をあ
げれば文化七年の洪水の如きは、伊勢崎の町々、紺屋町、本
町、西町等の洪水水位などの記録があり、水戸の天狗党の記
録などにしても、森村園右衛門家や中野星勇助などの家々に
銭星へ止宿した水戸浪士から軍用金を課されて、折衝の後現
金千七百余両を差出した記録等が散見された。
 何れにしても短時間の拾い読みなので、正確な内容紹介は
困難であるが、何れも貴重な資料であり、是非享和以来見聞
緑の方は、筆写して全貌を明かにすることが必要であり、そ
の事が、伊勢崎地方の江戸未の事情とかなり明かにしてくれ
ることと考えられる。この事はその後安間朝日[新聞−引用
者]記者と同行した折も、恒之氏にお願いした所であるが、
かって旅行見聞録の方を、名和の野村藤太氏に貸した所、野
村氏が死亡して、何冊か遂に返らず、以来門外不出という事
にされたとのことも清水君から聞いているので、熊雄さんに
もよくお話して、何とかお貸し願いたいと依頼をしてある。