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国指定史跡・女堀(赤堀地区)

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平成25年度 史跡女堀シンポジウム・中世の巨大用水路『女堀』の謎に迫る!
赤堀地区・分水構造はあったのか?石山谷地交差部の北側石山谷地交差部の南側
掲載日:2014/3/11
 国指定史跡・女堀未完成のまま工事が中断され、通水した痕跡はないと言われます。また、起点の前橋市上泉・石関町から流末地点の伊勢崎市田部井町西国定までの区間において、荒砥川や神沢川、粕川などの河川を渡川しながらも、分水処理は行われず、あくまで、流末まで通水する方針(終末転送水)だったと言われています。
 そのような推測の中で分水構造の謎を提示するのが赤堀地区です。女堀の北北東600m程に位置する石山。その麓から流れ出す湧水が、波志江沼(上沼)に向かって谷地(やち)を形成していて、女堀とX字状に交差しています。
 伊勢崎市教育委員会が、平成22年度から5ヶ年計画で進めている調査によれば、この谷地においては人工的に掘削した痕跡はなかったとのことです。
 これらの情報を元に、先週末の3月8日、謎が残る石山谷地を中心に一回り歩いてみると、今までは関心を持たなかった赤堀地区女堀の北東部において、今も湧水が流れ出ていることを確認できました。
 工事が行われたとされる12世紀中頃から現在までのおよそ850年間、近年においても国道50号が整備され、神沢川改修や水田用水が整備され、山麓には工場や住宅が建ち、地中の水脈を変化させ遮断したと思われる様々な工事が行われたことと思います。しかも確認したこの日は季節的には渇水期。850年前のこの地には今よりも豊富な水量が流れ、波志江沼に流入していたと予想されます。
 昭和49年(1974年)撮影の航空写真で確認しても、石山谷地の痕跡が確認でき、もし女堀が完成して通水していたならば、このX字形の交差部では水流をどのように制御したのだろうか、基本方針通り、分水せずに通過できたのだろうかなど、様々な疑問と関心が湧きます。
 ここからは私の全くの推論ですが・・・、

 未完成で工事中断した女堀。他地区においては工区境で水路幅が10mもずれる全体管理不備もあり、また施工ミスも確認されています。また標高95mの等高線沿いに掘削し、全長約13kmで起終点高低差3.5m(=0.027%)は河川勾配としては緩やか過ぎ、二之宮地区や荒口地区では逆勾配になっている場所もあります。
 淵名荘の水田を潤すために大きな権力が動いたようですが、資金力や道具不足の他に、水準測量技術や河川築造の土木技術、また土木施工管理技術が十分なレベルではなく、赤堀地区のこのX字交差地点においても、作業従事者の懸案事項でありながら、基本方針や対策案が立てられる間もなく作業が進み、その内に中断になってしまった、と言うのが実態なのかと思います。
 当時群馬弁があったかどうか分かりませんが、「波志江沼の上の石山谷地(やち)と女堀が交わるところじゃ、どっちの水がどっちに流れるんだか良く分かんねぇけんど、自然の流れに任せりゃいいだんべ。波志江沼に下る水もあるだんべけんど、女堀にだって流れるだんべし。それに、親方だってそんなことは知っちゃいねぇみてぇだよ。それより、噂だけんど、この工事、取り止めになるって話だっつうで。水を一辺も流さねぇ内に中断っつんじゃ、情けねぇつうか、残念だいね」

 今関心が湧くのは、この当時の全国他地区における河川工事、水路工事の土木技術レベルです。この女堀のレベルが当時のレベル同等なのか劣っていたのか、非常に知りたくなりました。それは新たな課題として、まずは現在の様子をご覧ください。(2014/3/11 記)

1974年撮影の航空写真で見る女堀(赤堀地区)。記号A~Cは伊勢崎市教育委員会の調査個所。

コメントや区画線の記述がないオリジナルの航空写真(1206×1570pix)


女堀(赤堀地区)・石山(いしやま)谷地(やち)交差部の北側

掲載日:2014/3/11 ▲ページTopへ

上段の航空写真のC4付近(渇水期なのに水が湧いていました)。中央後方が石山。左後方は赤城山。
2014/3/8

上段の航空写真のC1~C3付近(南から北西方)
2014/3/8


上段の航空写真のC1地点(調査後に覆土) 2014/3/8

上段の航空写真のA6地点(調査後に覆土)
2014/3/8

上段の航空写真のC4付近(石山谷地)(北から南方)
2014/3/8


上段の航空写真のC3地点(調査後に覆土) 2014/3/8


上段の航空写真のA2地点(調査後に覆土) 2014/3/8

女堀と石山谷地(やち)交差部付近(北から南方)。石山谷地は中央右後方の立木の右側に流れます。
2014/3/8


女堀(赤堀地区)・石山(いしやま)谷地(やち)交差部の南側

掲載日:2014/3/11 ▲ページTopへ

上段の航空写真のB2地点での調査(排出土の堤防から)
2012/12/16

上段の航空写真のB1地点(調査後覆土)
2014/3/8

石山谷地(上段の航空写真のB1地点の西側)。右の盛土は女堀の掘削排土。
2014/3/8


女堀・赤堀花しょうぶ園

掲載日:2013/12/26 ▲ページTopへ

花しょうぶ咲く頃
2012/6/17


毎年6月頃になると、女堀の中が花しょうぶで埋まり、
土手の上は新緑で覆われ、大勢の人が訪れます。

→詳しくは「赤堀花しょうぶ園
現地に立つ説明板の内容を下記に示します。

国指定史跡 女堀

赤堀花しょうぶ園

 女堀は前橋市上泉町の古利根、現桃木川から取水し、佐波郡東村大字西固定に至る12.75kmの農業用水址lである。
 昭和50年代から実施された農業構造改善事業に伴う発掘調査によれば女堀の掘削排土下から天仁元年(西暦1108年)の浅間山爆発による火山灰B軽石層を耕作したとみられる畠跡が発見されたことから、開削年代は12世紀中葉と推定される。
 この爆発により赤城山南麓一帯は壊滅的打撃を受けたので女堀は淵名荘の水田再開発のために藤原系淵名氏により開削されたと考えられる。
 女堀の基本情造はおよそ上幅25m、底幅10m、深さ5mであり、掘削方法は、溝幅全体を浅く掘り下げてから中央部に通水溝をつける方法の中段を設けた段堀工法による。しかし通水された痕跡はなく、灌漑用水として、未完成に終わった廃溝である。
 昭和58年10月27日に赤堀町大字下触字牛伏213番地他27(総面積23.917㎡)が前橋市分とともに国の史跡として指定された。
伊勢崎市・伊勢崎市教育委員会

赤堀花しょうぶ園の南端部に立つ説明板
2013/8/25

説明板 2013/8/25





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