店の名前は『おめん』。 「え〜!?まさか、京都で評判の店が伊勢崎と縁があるはずがない!」と、半信半疑ながら「おめん」のホームページを調べてみると、「ふるさとは上州伊勢崎」と書いてあるじゃありませんか。この情報を教えてくれたのは、私の草と花木のお師匠さん・伊勢崎市公園緑地課のKさん。 京都で評判のうどん屋さんが伊勢崎の出身。それを知っているKさん。 ・・・と、ここまででも十分に驚く事だらけなのに、更に驚くのは、この話を私と一緒に聞いたふるさとさんが、数日後に「早速に行ってみませんか?」と。 「え?え〜!?、マジすか?京都っすよ、京都!」と思わず若者言葉で驚きながらも、「・・・も、も、もちろん行くしかないっしょ!」と賛同し、Kさんに教えてもらった5月4日からたった1週間目の5月11日、いつものようにふるさとさんの「畑のベンツ・スバルサンバーワゴン」の女子席ならぬ助手席を埋めて、かっ飛んで行って来ました。 以下、伊勢崎ルーツのうどんを京都・銀閣寺に訪ねてのドタバタ旅行記です。(2012/5/15 記) |
||
まずは波志江スマートインターから北関東道に乗り、藤岡JCTから上信道に入り、最初に目指すは佐久インター。 インターを降り、昼食は峠の釜めしにするか、佐久の蕎麦にするかを検討し、蕎麦好きオッサン二人のこと、答えは瞬時に決まり、佐久の蕎麦に。 |
||
もり蕎麦、普通盛り。量がタップリ。 ふるさとさんは中盛り。更にタップリ。 え、逆だろうって?ホントですから。 2012/5/11 うどの天ぷら。サクっと美味い! 2012/5/11 |
概観も凝っています。入口。 2012/5/11 入口前には郵便ポストのアクセサリー Aさんへの土産ショット! 2012/5/11 |
信州蕎麦・佐久の「草笛」の暖簾。 時間はとうに昼を過ぎ、午後1時半。 にも関わらず、広い店内は順番待ちの混雑。人気の店です。 2012/5/11 |
昼食を取り、お腹が落ち着いたところで、再びスタート。 | ||
中央自動車道からやたら気になる左手遠方の山脈。助手席の窓からパチリパチリと。 2012/5/11 |
||
途中の車窓から見える山並みを、助手席から私が「あ〜だ、こ〜だ」と、うるさく喋りまくるものだから、ふるさとさんが最寄りのPA(小黒川(おぐろがわ)PA)に寄ってくれることに。見えていた山脈は南アルプス。 ここで、うるさいついでに丸男のプチ自慢を聞いてもらいましょう。PAにあった山座同定眺望図に記されている山の内、半分以上を登頂していることが分かり、思わずふるさとさんに自慢話。塩見岳〜北岳縦走と鳳凰三山縦走、仙丈岳登山時に登頂した間ノ岳(あいのだけ)、鳳凰(ほうおう)三山、小仙丈岳(こせんじょうだけ)、仙丈岳(せんじょうだけ)です。山の話はどっちでもいいふるさとさん、運転はしなきゃならないし、聞きたくない話は聞かなきゃならないし、可哀そう。 →山の名前を記した大きな写真はここをクリック |
||
南アルプス・山座同定の眺望図 2012/5/11 PAを過ぎてから眼前に迫って来た山 2012/5/11 |
中央は仙丈岳。右は間ノ岳。 2012/5/11 PAの標高は737m。 我が家の波志江町より650mも高い! 2012/5/11 |
小黒川PA 2012/5/11 カレーが売りのようです。 2012/5/11 |
南アルプスを眺め、雄大な車窓の風景を楽しみ、次なる停車は駒ヶ岳SA。小黒川から駒ヶ岳はたった2つ目ですが、気持ちの優しいふるさとさん、「山、山」と助手席でうるさい私に根負けしてか、再び停まってくれることに。寄り道の多いうどんの旅。 駒ヶ岳SAからの南アルプスは残念ながら手前の林に遮られ、ほんのちょっとしか見えません。代わりに、反対側(西側)には、残雪に覆われた巨大な山が怖いように眼前に迫っていました。山の名前は分かりません。 |
||
車窓の風景 2012/5/11 SAから林越しに見えた南アルプス 2012/5/11 |
駒ヶ岳SA。ちょっと大きい。 2012/5/11 五平餅、牛の串焼き、美味そう〜 2012/5/11 |
駒ヶ岳SA案内図 2012/5/11 SAの西側に迫る巨大な山 2012/5/11 |
山並みは更に続きます。中央自動車道はアルプスファンに取っては最高のルートです。 | ||
南アルプスの山並み。山の名前は同定できませんが、中央右の真っ白く冠雪した山は塩見岳かも知れません。 2012/5/11 |
||
2012/5/11 |
駒ヶ岳SAからしばらく南へ走り、 阿智(あち)PAでトイレ休憩 規模が波志江PAのよう。 |
2012/5/11 |
阿智PAを出発し、車窓からの南アルプスの雄大な風景ともさよならして、いよいよ車は京都へまっしぐら。中央自動車道から小牧JCTで名神高速に入り、羽島、養老を経由してEXPASA多賀(多賀SA)へ到着。 多賀SAには宿泊施設・レストイン多賀やカフェ、レストラン、ショッピングモール、フードコートなどの設備があり、SAと言うより、総合商業施設のようで、この施設目当てで訪れても楽しいように思いました。 |
||
ライトアップされたEXPASA多賀 2012/5/11 大屋根と通路 2012/5/11 |
南館のレストラン 2012/5/11 |
南館の宿泊施設 2012/5/11 |
ショッピングモールやフードコートがある中央館 2012/5/11 |
そして、いよいよ京都へ到着。 めざす「おめん」本店は銀閣寺前。ふるさとさん、京都の街に詳しくて、魔法のように狭い路地やら大通りをスイスイと。 「どうしてそんなに詳しいんですか?」と尋ねると、「ナビに従っているだけです」と謙虚な返事。 全く迷うことなく、目指す「おめん」銀閣寺本店に到着。でも時間は既に午後8時半。店は開いているだろうか・・・。 そ〜っとドアを明けると、まだ中にはお客さんがいて、ギリギリセーフ。 店の若い女性に「伊勢崎から来ました」と伝えると、別の若い女性が現れて、「おめん」創業時の由来や伊勢崎との関わりなどを説明してくれ、その内に店主も見えてくれ、名刺をいただくと、代表取締役社長の品川浩志さん。創業者の息子さんです。先ほどの若い女性は浩志さんの娘さんでした。 |
||||
陶器の食器も楽しめます。2012/5/11 冷や奴(木の芽味噌タレ)、ゆばと玉こんにゃくの揚げ物、 鯛と青菜のポン酢あえ 2012/5/11 ボリュームたっぷり、鯖すし 2012/5/11 |
小料理屋のような風情の店内。カウンターの木も年季が入っています。 2012/5/11 |
|||
キンピラゴボウ、茹でキャベツ、ネギ、スナップエンドウなど、8種類もの具材 2012/5/11 |
出汁の効いた汁と上州うどん 2012/5/11 |
|||
「おめん」の創業は昭和42年(1967)年。場所は京都銀閣寺前。 代表・品川浩志さんに伺うと、創業までの経緯や店の名前の由来はこのようでした。 創業者は品川登美さん(現在の代表・品川浩志さんの母親)。 登美さんのご主人が伊勢崎市茂呂に生まれた品川要治さん。要治さんは旧制太田中から一橋大学を卒業し、総合商社丸紅へ勤務し、その時の縁で京都に住む登美さんと結婚し京都に所帯を持ちます。その後、戦争が激しくなり、要治さんは妻子を伊勢崎市の実家に疎開させ、自身は大陸で働きます。 戦後、要治さんは会社への復帰が果たせず、生活に困窮した家族を支えたのが登美さん。幾多の職業を経た頃に思い出したのが疎開時に食べた上州茂呂村のうどんの味。私ら伊勢崎の住人には今でもお馴染の、キンピラごぼうや野菜の具をたっぷりと入れ、こしの固さはほどほどの上州のうどん。 固いこしの讃岐うどんに慣れている関西人に、ほどほどのこしの茂呂のうどんが受け入れられるか不安だったものの、陶製食器や野菜やキンピラゴボウの具材が功を奏したのか、あるいはそもそも程々のこしのうどんが受け入れられたのか、いつの頃か人気を博し、現在は銀閣寺本店のほか、四条先斗町や高台寺、ニューヨークに支店があり、それぞれ浩志さんの息子さん達が任されています。この日も、私らが店に入った時、欧米人と思われる家族連れが二組、座敷に座ってうどんを食べていました。外国人用の旅行ガイドブックにも紹介されているとのことです。 浩志さんに聞くと、当初、讃岐うどん好きの人に「こんなのはうどんじゃない」とまで言われたこともあるとのこと。我が家でも、私が子供の頃は母親が毎晩のように手打ちで作ってくれたちょっと柔らかいうどん。出汁にはせいぜい煮干しが2,3尾入った程度で、具材と言えば人参かネギ。豚コマ肉が入った肉汁にするのは、年に数回程度。このような味が今でも懐かしく、「手打ちうどん」などと書かれた店を見つけるとつい立ち寄って味わいますが、その味を更に上品に高めて、京都で受け継がれていること、上州伊勢崎人として感激せざるを得ません。 そのもてなし方法は、上州生まれの我が娘が京都のお公家さんに嫁ぎ、上品に洗練されたような、素朴さと気品を兼ね備えたような、そんな感じでした。 浩志さんにはまだ宿題があります。 「母が、『この味はまだ私が茂呂で感激した懐かしい味じゃない』って言うんですよ。当時よりも出汁や味付け、具材など、よっぽど工夫しているんですけどねぇ。」 きっと登美さんには、実際の味の他に、当時の「心」の味が加わっていたのでしょう。浩志さんは登美さんから合格点をもらうまで、更に精進を続けることと思います。 で、私の舌にとってはどうだったかって?それは、お釣りが来るほどの合格点でした。味もさることながら、うどんでお客様をもてなすこと、そんな食文化に仕上がっていて、贅沢なひと時でした。庶民的でありながら、上品で高級な感じ、本家伊勢崎にも「おめん」繋がりの店などできないでしょうか。(2012/5/15 記) |
||||
お土産コーナー 2012/5/15 |
一階の座敷。2階にも座敷があります。 2012/5/15 |
|||
|
||||
私らを最後に本日閉店なり。時計を見れば、閉店時間を30分も過ぎていました。 ご対応、ありがとうございました。 2012/5/15 |
||||
一つ伝え忘れました。屋号「おめん」の由来は、「おめん」のホームページにも記述されていますが、「麺」に丁寧語の「お」を付けたもの。品川家の皆さんが疎開していた当時の茂呂村の皆さんが、うどんのことを丁寧に「おめん」と呼んでいたことに由来します。 私のつたない記憶を辿ってみても、私が子供の頃の三郷村(現在の伊勢崎市波志江町、太田町、安堀町)でも、うどんの事を「おめん」と呼んでいたように思います。 毎夜、毎夜食卓に乗る手打ちうどんを見て、「なんだ〜、今日もおめんかい。たまには白いご飯を食べたい!」などと、おしんの世界のような罰当たりな台詞を吐いていたような記憶があります。当時は白いご飯の代用食としてのうどん、今では手打ちうどんと言えば、最高の贅沢です。(2012/5/15 記) →名代「おめん」を訪ねた翌早朝、「おめん」のすぐ隣の「哲学の道」を散策しました。 |